ヒミツが好きだと嘯いた 02
「ほんとビックリしちゃったよ。サボろうと思って屋上に行ったら、知らない人が柵の向こうに立っててさー」
その言葉が嘘か本当か。どうしてか僕にそう思わせる程に、彼を取り巻く空気が変わるのを感じる。さっきまでの出来事はお遊びだったとでも言いたげに見えて仕方がなかった。煩わしく笑うこの人は、一体何者なのだろうか? 僕のその思いを汲み取ったのか、彼の瞳は真っ直ぐに僕を捉えた。
「あ、自己紹介しておこうかな。オレは橋下 香。えーっと、キョウとでも呼んでよ」
聞いてもいないのに自己紹介をはじめた彼の言葉に、僕は特別反応を示さなかった。キョウとでも呼んでよ、という部分を完全に無視して、名字を心の中で繰り返す。余りこういうことは言いたくないけど、正直なところ胡散臭いというのが本音だ。会って早々に信用するとは当然ならないわけだが、それに拍車をかけているのはちょっと馴れ馴れしいという点だろう。
「……で、オレはきみの名前教えて欲しいんだけど?」
コンクリートの地にズボンをつけたまま、その人は僕の顔を覗く。先に名乗られてしまったせいで、こういう場合は嫌でも答えを提示しないといけないのか。全く乗り気ではないが、断る理由があるかと言われるとそうでもないし、適当な嘘は後に面倒なことになる。特に同じ学校となれば、変に名前を偽ったところですぐにバレるだろう。僕は、いつもより重く感じる唇をしょうがなく動かすしかなかった。
「……相谷 光希、です」
「相谷君ね、オレちゃんと覚えた。宜しくね」
「ど、どうも……」
「ところで、授業サボっていいの? オレが言うのもなんだけど」
「……別に、授業なんて好きで出てるわけじゃないので……」
「ま、そうだよねぇ……。あーそうだこれ、相谷くんにあげる」
自身のことを橋下と名乗った人物は、突然何かを思い出したように両手をコンクリートから離して前のめりになる。全然気付かなかったけど、それに合わせて右手に持っているビニール袋から何かをふたつ取りだして、それを僕へと向けた。
「さっきコンビニの帰りに自販機寄ったら当たっちゃってさー。カフェオレといちご牛乳、相谷くんはどっちがいい?」
「い、いや僕は……」
「えー、ふたつあっても飲みきれないよ。どうせ一個はタダなんだしさ。早くはやくっ」
だったら持ち帰ればいいのに。そう言いたくなってしまったが、断る隙を与えることなく、ふたつの飲み物をぐいっと僕の胸元近くにまで寄せてくる。さっき出会ったばかりの人にこういうのを貰うのはとても気が引けるけど、こうも押し付けられてしまっては、断るというのは少々難しい。
「……じゃ、じゃあこっちで」
結局押されるかたちで仕方なく手に取ったのは、僕から見て橋下さんの右手に持たれているいちご牛乳だ。何となくで手にしたいちご牛乳の紙パックの回りには、少し水が滴っていた。
「自販機で売ってるこういうのって、どれも甘いんだよねぇ……」
そう言いながら、音を立てながらビニール袋からストローを二本取り出した。多分、自動販売機の横辺りに備え付けられているものだろう。ほい、と片方を手渡され、少し躊躇したものの断る理由もないせいで手に取る羽目になった。
橋下さんは、ストローの袋を破りながら僕にひとつの問いかけをした。
「で、相谷くんはあんなところで何してたの?」
聞くだけ聞いて、彼はストローに口をつけた。
敢えてなのか、それともわざとなのか。当てはまるであろう単語をわざわざ使わないで何をしていたのかと聞いてくるあたり、僕の口からそれを言わせようとしているのだろうか? だとしたらかなり性が悪いと言ってもいいだろう。
――何をしていたのかなんて、そんなのこっちが聞きたいくらいだというのに。
「……秘密、です」
「ふーん……?」
僕の口から出たのは、正直余り頭のいいものではなかっただろう。だが、今初めてあった人間にここで馬鹿正直に答えを提示するだなんていうほうが馬鹿だ。
まるで僕の答えなんて最初から分かっていたかのように、カフェオレを口にしながら適当な返事をする橋下さんだが、彼がこれで引き下がるなんてことはあるわけがなかった。
「じゃあ、何しにここに来たの?」
「……別に、何かしようと思って来たわけじゃないので」
「ふーん」
僕を見ることなく立て続けに放たれる言葉は、まるで僕に興味なんか無いかのようであるのに、僕に考える余地を与えないようにしているかのようでもあった。果たしてそれが意図的だったのかがさておいて、余りいい心持だとは言い難かった。つまりそれは、完全に彼のペースだったのだ。
そして、また突然と話は別の話題に切り替わる。
「というかその敬語? オレ先輩だけど、そういうの止めてほしいなぁ」
そう言いながらストローから口を離すことをしないこの人のとある言葉に、僕は引っかかりを覚えた。
「……どうして、僕が後輩だって分かるんですか?」
年齢の話なんてここに至るまでしてないはずなのに、どうして自分が先輩だって言い切るのだろうか? 学校の制服だって、別に学年ごとにネクタイの色が違うとか、そういうのがあるわけでもないのに。
「んー? んー……」
一体何を考えてはじめたのか、ここではじめて橋下さんの言葉が止まる。
「それは秘密かなぁ」
言い返すようにして言われた秘密という言葉に、僕は少し驚きを隠せなかったかもしれない。気が気じゃなくて思わず目を伏せてしまったが、どうしてか腑に落ちない自分もいた。そんな気持ちが伝わってしまったのか、橋下さんは少し悪戯みを含んでいるかのようなその口角を上げた。
「だって、相谷くんが教えてくれないんだからおあいこでしょ?」
それを言われてしまってはぐうの音も出ないのだが、人からそうやって言われるとどうも納得がいかないというか、無駄にもやもやするだけで余計に知りたくなってしまう。それは相手も同じであるはずなのに、何を言っても受け流されてしまっているように見える彼のその態度が、余計僕に知りたいと思わせている要因の気がした。
僕が何も言わないからそれに対する仕返しなのかなとは思うけど、だからと言って僕がわざわざ授業を抜け出してまでここに来た理由を、正直に言えるわけがない。というより、正確に伝えることなんて僕には出来ないだろう。それに、僕からしたらあんなことはそこまで大した問題じゃない。もっと言うなら、別にどうでもいいのだから。
「さーて、オレは戻ろうかな。やらなきゃいけないことが出来ちゃったし」
橋下さんが立つと同時に、ビニール袋が控えめな音を立てながら揺れる。くるりと振り向いた時の優しく零れる笑顔が、どうしてか僕の目に酷く焼き付いた。
「じゃあね、光希くん?」
紙パックを持った手とは反対の手をひらひらと僕に向け、気づけば扉の閉じる音はが何もない屋上に五月蝿く反響していた。やらなきゃいけないことが出来たと言っていたが、一体何なのだろうか? あの言い方からすると授業に戻った訳でも無さそうだけれど、何かをしないといけない状況が出来たというには少し弱い。いや、というか突然名前呼び? まあ別に何でもいいんだけけれど。
「変な人……」
嵐が過ぎ去ったかのような静寂が響く中、屋上には、結局開けることをしなかったいちご牛乳と僕だけがとり残されている。紙パックの回りにあった水滴は、屋上に吹く風に晒されても尚滴っている。僕はその様子を僅かに視界に入れた後、少し雲が浮かび始めている空に僅かに眉を潜めた。




