ヒミツが好きだと嘯いた 03
「相谷くーん」
午前の授業の終わりを告げるチャイムが鳴れば、辺りは徐々に喧騒に包まれる。そのほんの数分後に訪れるお昼休みに聞こえてくる僕を呼ぶ声は、もはや定番になりつつあった。
「お昼、一緒に食べない?」
後ろから聞こえてくるそれは、耳に入れたくなくても勝手に入ってきてしまうというものだ。同時に、僕の口からため息がこぼれ落ちていくのが嫌でもよく分かる。その声の主は、僕が何かをいう前に目の前に座っていたのであろう知らない誰かが居たであろう椅子に座った。
あの日。屋上でこの橋下さんに出会ってから、この人はほぼ毎日お昼休みに僕のいる教室に足を運んでくるようになった。最初の方は出来るだけ会わないようにと色々工夫して逃げていたけど、どういう訳か必ず見つかってしまうから、僕はいつからか逃げることをしなくなっていた。その代わりという訳ではないけれど、僕の口から何かを発することは余りしなくなった。そもそも僕が自分から喋ることがあったかと聞かれたら肯定は出来ないけど、僕が黙っていてもよく喋る人だし、そこに関してはわりとどうでもいい。
どうして僕がこうも橋下さんのことを避けようとしていたのかというと、元々僕は誰かと一緒に行動するような人間ではなかったし、それと、あの屋上の時のことをまた何か言われてしまうんじゃないかという思いもあった。単純な話、居心地があまり良くなかったからだ。でも、どうやらその心配は必要なかったようで、あれ以来、その類の話を橋下さんから聞くことは、全くと言っていいほどなかったのだ。
「そろそろパンも飽きたなあ……。いやおにぎり買えよって話なんだけど」
別に無視した訳ではないんだけれど、その言葉を体現するかのようにずかずかと僕の机と上に荷物を置いて占領していく。それはこの際構わないが、せめて教科書とかををしまった後にして欲しいものだ。
しょうがなしに、机の上を片付けてお弁当を机の上に出して準備をする。橋下さんはいつものようにコンビニの袋に入ったパンを手に取り、袋を開けながら話を続けた。
「相谷くんっていつもお弁当でしょ? 自分で作ったりしてるの?」
「……ま、まあ」
「へー……。オレ早起き出来ないからそういうの羨ましいっていうか、尊敬するなあ」
早起き出来ないという橋下さんの言葉に思わず納得してしまいそうだったが、なんとか口にすることはなかった。僕はまだコンビニでお昼ご飯を買ってくるということはしたことはないが、正直自分で作るよりもコンビニの方がマシなんじゃないかと思うことはある。それでもお弁当を自分で作るという行為には、少なからず日常を体現するという意味があった。
「ところでさ、いつも何の曲聞いてるのかそろそろ教えて欲しいなあー」
「だ、駄目ですよっ」
「なんで?」
思わず食い気味に拒否してしまったことに少し後悔しつつも、嫌なものは嫌なのだからこればっかりはどうしようもない。別に疚しいことがあるわけでもないけど、やっぱり言いたくない思いの方が大きかったのだ。
「な、なんでも……」
「ふーん?」
適切な言葉が見つからなくて、一番最初に思い付いた言葉を述べる。橋下さんは分かったのか分かっていないのか、空返事にも聞こえるそれを机の上に落とす。ほんの少しの沈黙が走る中、僕は見逃さなかった。彼の目が、チラリと僕のお弁当の中身を見据えたことに。
「ってことで、もーらいっ」
「あ、ちょっと……!」
だからと言って、僕の瞬発力で止められるかというのは話が別だ。やむなく、卵焼きをひとつ取られてしまう。どうにも腑に落ちないけど、余りにも楽しそうな顔をしていたから、余り気にしないことにした。
「……ちょっとしょっぱくない?」
「勝手に食べておいてなんて言い草ですか……」
というのは前言撤回。卵焼きがひとつ減った恨みは一生消えないだろう。
そんなことをしていれば、お昼休みなんてすぐに終わってしまう。それはもう、この前のことなんて何も無かったかのような気にさえなってしまう程に。
だからという訳でもないだろうが、今のこの状況が日常になりつつあるということが、少しだけ怖い。
高校に入ってからは出来るだけ波風を立てないように、人と関わらないようにしようと思っていたのに、どうやらそれは難しいらしい。どうしてこの人は、あの一件以降しつこく関わろうとしているのだろう。この際理由を直接聞いてしまおうか? ……否、そんな勇気のいる行為は、極力避けたいという気持ちがどうしても上回る。
――酷く無機質な音が、校内中に響き渡りはじめる。
訳十分前に鳴る予鈴のチャイムによって、邪念に塗れた気が少しだけ飛んだような気がした。
「あ、オレそろそろ行かないとじゃん。……ってことで、戻るね」
「……そ、そうですか」
力のない僕の声は、荷物を片付け始める橋下さんの手によって恐らくどこかに仕舞われた。
「あ、ねえ。今日の帰りに図書室行かない?」
「それはちょっと……」
「待って否定早くない? 何か用事でもあるの?」
それなら無理強いはしないけど。一応といった様子で言葉を付け加え、僕の返事を待ち始める。反射的に拒否してしまったけど、よく考えたら特に用事があるわけでもないし、別に拒否する必要も無かったかもしれない。そう思った僕が間違いだったと後で後悔することになるということは、当然この時は知る由もない。
「……いや、用事は別にないですけど」
「じゃあ決まりで。あ、授業終わったらまた来るから。よろしくね」
馬鹿正直に答えた僕も僕だけど、行くだなんて一言も言っていないのにどうやら放課後図書室に行くことが決まってしまったらしい。僕が異議を唱えようとしたよりも前に、既に片付けを済ましていた橋下さんは占領していた誰かの席を立った。
「また後でね、相谷くん」
また後で。その言葉がとても重くのし掛かるような錯覚に襲われ、僕はまた、ため息を机に落としていた。




