6 酔っ払いと偽魔道士
その日、ネロは自宅に帰るとのんびりコーヒーを淹れながら思い出し笑いをしていた。
「ふふ。あいつ、まだ鍛錬完了試験も受けていないのに、新しい魔法が作れると分かったらあんなに目を輝かせやがって…。おもしろいやつが来たもんだ」
ネロが自宅としているこの部屋は、雑居ビルの2階を男3人でルームシェアしているのだ。同居人はバーのマスターのアントニーとその店の従業員のジャックだ。ネロがふらりとやっていたこの街で、最初に入ったのが、1階にあるアントニーのバーだった。話しをしているうちに意気投合して、アントニーの所有している2階部分の一部屋を貸してもらうことになった。
アントニーとジャックは、夕方には仕事に就くので、夜はネロがのんびりと過ごせるのだ。そして彼らが仕事を終えて眠りにつくころ、ネロは静かに部屋を出ていく。神出鬼没なネロの店は、アクセサリーだったり、絵画だったりと、販売する品物もころころ変わる。まさに気まぐれな黒猫のようだと二人もそんなネロの存在を楽しんでいた。
コーヒーを飲みながら次なる商材の準備をしていると、突然玄関の鍵が開く音がした。ジャックだ。
「どうした?」
「いやぁ、開店早々酔っ払いが入って来て、カウンターに並べていたグラスを割ってしまったんだ。なかなか手に入りにくいベネチアングラスだったのに、大損害だよ。まだストックがあったはずだから取りに来たんだ」
「まだ夕方だぜ。こんな時間から酔っ払いだなんて、どこで飲んでたんだ」
「あ、あった! とりあえず、一ケースあって良かったよ。じゃあな」
「ああ、お疲れ」
ジャックはすぐさまグラスのケースを取り出して、玄関に向いかけて振り向いた。
「ん? どうかしたか?」
「あ、いや。ネロの手元が光っているように見えたんだけど、見間違いか…。じゃあな」
「なんだそれ、疲れてんじゃねーの? 気をつけなよ」
「ああ、じゃあな」
そう言い残して、今度こそ玄関を飛び出して行った。二人が仕事中なのをいいことにリビングで作業していたネロは、冷や汗ものだった。
「ふぅ、やばい。これをつけてて助かったな」
ガラスビーズや貴石を並べたトレイには、ライトスタンドを煌々と照らしていた。魔法使いは基本的に、その能力を周りに気付かれないようにしている。冷遇されている現状もあるが、うっかり権力者に気付かれると、どんな悪事に手を染めさせられるか分からないからだ。それでも、ネロのような魔法使いがのんびり暮らしていけるのは、魔道具の開発によって潤沢な利益を得ているからだ。
この街にやってきたミオも、「100の善行を行う」という課題を与えられている。その能力は、人のために役立てるモノとして、幼いころからしっかりと躾けられ、先祖から脈々と受け継がれているのだ。そして、その課題をこなし、世の中の役に立とうとする志のある者だけが、鍛錬完了試験を通って魔法使いとして暮らしていくことを認められることになるが、その流れをミオが知るのは、ずっと先の話だろう。
自室に移動したネロが再び作業に集中し始めた頃、階下ではなにやら騒ぎが起こっていた。2階に居ても、椅子の倒れる音や女性の驚く声が聞こえてきて、思わずベランダから下の様子を確認する。
「冗談じゃねーや! こんな店、二度と来るか!」
「お客さん、支払いがまだですよ!」
「なんだと? あんな水みたいな酒飲ましておいて、金を払えだと?」
くぐもって聞こえていた音が、店のドアが開いた途端、一気に大声となって響き渡った。
「酔っ払いか。しょーがねぇなぁ」
ネロが魔法でとめようとした瞬間、若い娘の声が事態を硬直させた。
「そこのあなた! これ以上お店に迷惑を掛けたら、タダでは済ませませんわよ!」
こんな時間に? ネロが時計を見ると、すでに20時を回っていた。もちろん石畳の坂は街灯が照らしているが、片田舎のこの町で女性が歩き回る時間帯ではない。そっと首を伸ばして下の様子を覗き見ると、金髪の巻き毛が街灯に照らされているのが見えた。手には魔道具らしきものを持っている。
「なんだとぉ? どこのご令嬢か知らんが、そんな道具まで持ち出して魔道士気取りか?」
酔っ払いとは思えぬ速さで、手元の魔道具を蹴り飛ばされ、女性は思わず悲鳴を上げた。
「あの、大丈夫ですか?」
女性に駆け寄ったのは、ミオだった。大きなバケットの入った袋を抱えたまま、女性の様子を伺っている。そして、大丈夫だと分かると、蹴り飛ばされた魔道具を拾い上げた。
「気安く触らないで! 早くそれをこちらに寄こしなさい! 魔道士気取りですって? いいえ、私は魔道士そのものですわ! 覚悟なさい!」
そう言うが早いか、自分の手に戻った魔道具を発動させた。魔道具は途端に高圧の水を噴射し、酔っ払いだけでなく、その場に居合わせた人々までもびしょびしょにしてしまった。
「ちょ、ちょっと。何しているんですか。やめてください」
ジャックが慌ててやじ馬になっていた他の客を店の中に避難させた。よっぱらいもミオも、そして制御できなくなった自称魔道士自身もびしょぬれになってしまった。それを遠巻きに見ていたメイジーとミリーが心配そうに駆け寄ってきた。
「グレイス様、大丈夫ですか? 早く止めませんと、周りにご迷惑になるかと」
「わ、分かっているわよ、そんなこと! あら? どうして止まらないの? おかしいわ」
そのうちにバーの壁面に穴が開きそうになってきたので、ネロはとうとうベランダからそっと魔法で魔道具を止めた。水が止まったことで、ほっと胸をなでおろした周りの人々とは対照的に怒りを現したのは、グレイス本人だった。
「なんなの、この魔道具! 学校支給の物だというのに、性能が悪すぎですわ!」
そんな悪態に同意する者はいない。すぐに騒ぎを聞きつけた警官がやってきて、酔っ払いとグレイスを回収していった。それを見送ったアントニーがメイジー達に向き直った。
「君たちは、さっきの子の友人かい?」
「はい。貴族学校の魔法科で学んでいます。こ、今回は社会見学で、し、庶民の街で魔道具がどのように使われているかを調べているのです」
店に避難していた人々が表に出て来ると、言葉はだんだんと小さくなって、居たたまれない二人は顔を見合わせてしょげかえった。
「あの魔道具はどうしたの?」
アントニーの追及は続く。メイジーとミリーは、仕方なくあの魔道具はグレイスが独断で学校から持ち出した護身用だったと白状した。
「君たちがどう思っているかは知らないが、昔みたいに貴族がなんでも許される時代ではないからね。被害については、学校に報告させてもらうよ。君たちはさっさと宿に帰りなさい」
「はい…」
二人は、とぼとぼと、宿に帰って行った。気が付くと、周りにいた人々もそれぞれ去っていった。残ったミオがちらりとベランダに目をやると、ネロがきゅっと肩を上げて見せた。
「ネロ、ありがと」
「なんのことだ? おこちゃまは早く帰れよ」
そんな悪態も気にならないほど、ミオはワクワクしていた。そうか、こんな風に人助けをするんだ。ネロは自分の手柄を大っぴらにしない。でも、それがかっこいい! びしょぬれの服もバケットも気にならないほど、ミオはワクワクしながら家に帰った。
つづく
読んでくださってありがとうございます。
次回はいよいよミオが動きだします。




