採集01
カザムがウルティアと暮らし始めて早一ヶ月。
一緒に買い出しに行ったり食事に行ったりと、関係は良好のままカザムは隠密として市井に紛れ込んでいた。彼はコーヒーハウスや酒場に通って情報を収集し、それ以外の時間は基本的に店にいる。隠密や護衛という任務柄、派手な仕事はない。暇があると右手のトレーニングや、ウルティアに頼まれたことをこなしていた。
「ただいま」
「あ、おかえりなさい」
昼過ぎ。頼まれた食材を買ってきたカザムが帰宅すると、ちょうどキッチンで飲み物を飲むウルティアが彼を迎える。
彼女は仕事の時間には、ツナギを上まで閉めているのが通常スタイルだ。その他の時には袖を腰に巻いている。よく客に「ウルティアちゃんは可愛いんだから、色んな服を着ればいいのに」と言われているが、彼女は世辞だと思って軽く聞き流していた。「可愛いのに」と言われるのは服装について語られる前の枕詞だとでも思っているのだろう。
「休憩?」
「はい。もう少ししたら、新しいお客さんがみえると思います」
確か男だったなと予約表を思い出したカザムは、間に合ってよかったと思う。
可愛いというのは世辞などではなく、ウルティアは西国と東国のハーフだからかここには珍しい顔つきで目を惹く。亜麻色の髪は東でも見かけるが、母親ゆずりであろう緑の瞳は息を呑むほど美しく輝く時があった。そんな女性店主がひとりで男相手に施術をするなど、カザムには見過ごせなかったのである。
食材を片付けてからしばらくして、店の扉を開けたのは平均より身長が低めの青年だった。
「いらっしゃいませ。ルオ・エムラさんですか?」
顔にマスクをつけたままの男は、思いの外高い声で「ああ」と返事をし、招介状を差し出す。
マスクを外さないことに、少し警戒しながらカザムはその様子を見守った。
「キースさんからお話は聞いています。とりあえず、状態を見せてもらってもいいですか?」
どうやらルオ・エムラはキースという男に紹介されて来たらしい。案内されてカウンターに座った彼は、ゆっくりマスクを取る。すると美形と呼ばれる類の顔つきが現れるものだから、カザムは落ち着かない。
ウルティアはルオに近づくと、彼の顔に両手を伸ばした。それがまるで恋人同士のスキンシップのように見えて、カザムはギョッと目を見開く。
「ーーああ。綺麗に抜けてますね……」
その言葉で我に返ったカザムは、ウルティアの視線の先に目を向ける。
嫌そうに目を細めるルオの、開かれた口。
そこには前歯が見事に抜けてなくなっているのが見えた。
「最悪だぜ、ホント。これのせいでまともに飯も食えねーし、女にも避けられる」
ルオはやってらんねーよと、がしがし頭をかく。
(結構、口が悪いんだな)
ウルティアは歯の様子を確認しただけだと分かったカザムは、少しホッとしてルオを観察した。首から見える銀のチェーンの先についているのは、きっと狩人の身分証明となるプレートだろう。狩りで怪我をしたであろうことは簡単に予想がついた。
「キースのおっさんが、『癒しの修理屋』なら何とかしてくれるかもしれないって言われて来たけど。なんとかなんの、コレ?」
ルオはだるそうに抜けた歯を指差す。
失ったものは回復薬では治せない。それは腕だろうと歯だろうと変わらない。
「なりますよ。少しお時間はいただきますが。歯のお悩みは多いんです。ちょっと、今見本を持ってきますね」
ウルティアはカウンターの裏に回ると、あのたくさん引き出しがついた棚をあさる。
「ん、と。確かここに……」
手を伸ばしても取れない位置だったようで、一度諦めて踏み台を探そうとした彼女を見かねてカザムが横に立つ。
「ここ?」
「あ、はい。そうです」
引き出しを全て抜き取り彼女に渡す。カウンター裏には入らないとは言っていたのだが、これくらいは許してほしいものだ。
「ありがとうございます」
心配するまでもなく礼を言われ、カザムはうんと頷いた。ウルティアは多少能力が及ばずとも、工夫すれば自分でできることは自分でやろうとする場面が多い。だが、このくらいのことであれば声をかけてくれればいいのにとカザムは思う。
(自分でやるのが当たり前なんだろうな)
まあ、そんなところも健気で可愛いと思ってしまうことは、勿論、口に出しては言えない。
彼女は引き出しから目当てのものを見つけると、ルオの前に差し出した。
「入れ歯のサンプルです。わたしのオリジナルで、金属で固定するのではなく特別な装着をするので、お手入れもいりません。普通の歯と同じように生活できますよ」
本物と見紛うレベルのサンプルに、ルオとカザムは目を見張る。
「すげぇな! コレ、いつできる?」
ルオはパッと目を輝かせ、ウルティアを見上げた。
「今、材料を切らしているので、二週間くらいかかるかもしれません」
「全然いい! よろしく頼むよ、店主!」
そう言ってがっつりウルティアの手を握ったルオに、カザムの眼光が鋭くなる。ルオはぞくりとして彼女から手を離した。思わずキョロキョロ辺りを見回したが、その時にはカザムの表情は通常運転で首を傾げる。
それからルオとウルティアは値段の交渉をすると、さっそく歯の型を取りにうつる。
男とふたりで密室はよくないと指摘したカザムによって、カーテンを少し開けている間から見えたのは、診察台に仰向けに寝たルオの頭側に座って、覗き込むように口に触れるウルティア。
(近いな……)
その距離に、カザムは明らかに不機嫌だった。
掃除をしていた手が完全に止まる。
(あ? あいつ絶対今、ウルの胸見たぞ?)
ルオの視線を捉えた彼は、ギリリっと箒を握りしめる。ウルティアが全く気がついていないところにまた、無防備すぎてイラッとしてしまう。「男はみんな狼だ」なんて二代目の聖女が残した有名なことわざがあるというのに、ウルティアには危機感が足りない。本当は今すぐ引き離したいところだが、ルオが彼女に手を出しているわけでもなく、ましてやウルティアの仕事を邪魔することだけは決して許されない。
「……」
カザムは精一杯押さえた殺気の込もる視線をルオに送るのだった。
「では、二週間後にまた」
「ああ。楽しみにしてるぜ」
ニカリと笑った前歯のない彼は、再びマスクをつけて店を去っていく。
「さて。ちょっと忙しくなりそうです」
ウルティアはカウンターに回ると、引き出しをいくつか開いて材料の確認をする。手に持ったメモに足りないものを書き込むと、ひとつ唸った。
「やっぱり、〈蜜月花〉が足りない……」
「〈蜜月花〉? 満月に咲く花か?」
「はい。明後日がちょうど満月ですね。ちょっと採りに行ってきます」
さらりとそう言った彼女にカザムは焦った。
「待って。採るって? 蜜月花って確か〈黒霧の森〉の奥に咲くんじゃなかったか?」
「はい。陽の光を浴びないで育つ花だから、黒霧の森ではかなりの確率で採れるんです」
「黒霧の森」はその名の通り、黒い霧が出る森のことだ。クリッサンサマムを清流に沿って北に進むとたどり着く。だが例え清流の側にある森だからといって、かつてクリッサンサマムに召喚された三代目の聖女が与えた加護は、その森にはない。外に出れば食うか食われるか、獣たちの世界だ。そんな場所に護衛対象をひとりで行かせるなど、カザムには考えられない。
だがしかし、自分はこの体だ。果たしてついていって、彼女を守ることはできるのか。ここは、危険な場所に行かないようにと説得するのが正解なのではないかと、彼は悶々とした。
「蜜月花は採りに行かないとダメ?」
「そうですね。買おうとするとかなりいいお値段がしますし、わたしが使いたいのは蜜月花の蜜なので新鮮なものが必要なんです」
ウルティアはそうと決まれば準備をしないと、とスケジュールを確認している。止めるのは難しそうだ。
(黒霧の森は迷うと危ないけど、魔獣は少ない。……まあ、最悪、盾になるくらいはできるか)
彼女をひとりで行かせるという選択肢はなかったので、カザムは腹を括る。
「オレも行くよ」
「来てくださるんですか! カザムさんがいてくれるとすごく心強いです!」
ウルティアは目を輝かせた。カザムが「これでも狩護団の狩人だから」と続けようとした言葉は、彼女の瞳に消えていくのである。
◆
蜜月花を採集する日。ウルティアはなるべく早く店を閉め、軽食を食べてからふたりはそれぞれ支度を始める。
カザムは左腕があった時よりも、更に念入りに準備をしていた。特に防御に必須の結界石は、予備をかなり多く持った。結界石に付与されている精霊の加護は攻撃を受ける度に傷つくので、効果には限りがあるからだ。使い所は見極めが必要である。
(なるべく使わないといいけどな)
彼は石を入れているベルトのポーチにそっと触れ、それから長年愛用している槍を鞘から抜く。今は穂先が持ち手より長く、分厚い短剣のような形になっている。使わないからといって、手入れを怠ったことのない槍は白銀に艶めいていた。
確認を終えると、横に寝かせるようにして槍を腰に装着する。いつもは左手で抜けるように、左側に柄がくるようにしていたが、今それは右側にあった。
(……都を出るのは、あれ以来か)
ドラゴンに腕を噛みちぎられてから、クリッサンサマムの都を出るのはこれが初めてだと気がつく。考えてみれば、こんなに長い期間狩りに行かなかったことも、狩護団に入ってから初めてだ。少しだけ顔が強張るのが自分でもわかって、カザムは気を落ち着かせるようにひとつ息を吐く。
(ちゃんとやれば問題ない)
隠密もそうだが護衛役と銘打ってこの任務が与えられた以上、隻腕だろうがなんだろうが、任務をこなせるだけの最大限の努力はしていた。体力は大幅に落ちていないはずだし、ウルティアにアドバイスをもらいながら右手の訓練も欠かさずやった。実戦には多少不安もあるが、弱気で外に出るのは一番良くない。闘争本能を駆り立てなければ、守れるものも守れなくなる。彼は「よし」と自分を奮い立たせ、部屋を出た。
ダイニングで待っていると、準備を終わらせたウルティアも三階から降りてくる。
「お待たせしました」
彼女は珍しくツナギ姿ではなかった。動きやすい服装に軽装具をまとっている。装具はウルティアに馴染んでいて、外に出ることは慣れているようだった。
(そういえば、ウルは西国から横断ルートで東に来たんだよな)
大陸の中心を通る危険なルートで、ウルティアがクリッサンサマムに来たことを思い出して、カザムは彼女を見つめる。施術のときにも思ったが、自分より細い体なのに彼女の力は案外パワフルだ。疑っていたわけではないが、今の格好をみて狩人ギルドに登録しているというのがやっと現実味を帯びてくる。
「確認だけど、ウルは基本的に接近戦はしないってことでいいよね?」
「はい。このナイフは解体とか採集用です。魔獣と出会したら、この吹き矢でやっつけます」
首からぶら下げられた笛のような道具は吹き矢らしい。
「結構遠くまで飛ばせます。針の種類を変えれば眠らせたり、即死させたり、選ぶことも可能です」
ウルティアは自慢げに説明をする。
「もしかして、それも自分で作ったのか?」
「はい! かなりの自信作です。ここまでコンパクトにして、かつ威力を出すのには骨が折れました」
彼女は吹き矢を持ち上げて見せると苦笑した。
「すごいな。オレの出番はないかもしれない」
カザムも笑って答えると、「カザムさんの手を煩わせないように頑張りますよ!」とはりきるウルティアだった。