新生活02
荷ほどきを終えてカザムは部屋を出る。案内をしてもらったが、三階、二階の順にもう一度場所を確認して一階へと向かった。
小さなときから狩る者として鍛えられてきたことにより身体能力全般が人より優れているカザム。下に行くに連れて、鼻腔を良い匂いが刺激する。ジュワァ〜と、油が弾けるような音も聞こえて、ウルティアがキッチンにいることを知る。
一階に着くと、履いてきた靴は靴箱にしまわれていた。きっと自分のために用意されたであろう男物のスリッパを履き、彼はダイニングに回る。
「いい匂いがする」
「あ。カザムさん。荷ほどきは順調ですか?」
ウルティアはさっきまで上まで閉じていた作業着の前を開け、袖を腰に巻いてた。ハイネックの半袖は、確か聖女語で「チャイナ風」と呼ばれる種類の服だ。作業服より体のラインが分かるのに加え、髪をひとつに束ねているからか、カザムはその姿にドキリとする。
「あ、うん。全部片付いたよ」
「良かった。もう少しでお昼ご飯になりますよ」
さっきまで完全なツナギ姿だったウルティアがフライパンを相手しているのはちぐはぐに思えたが、手際はすごく良い。慣れた手つきで料理をよそっていくのを見てカザムは面食らう。
「……何か手伝える?」
そう尋ねると、彼女は一瞬だけ目を見開いた後、嬉しそうに目を細めた。
「じゃあ、簡単にテーブルセットをお願いしても?」
「分かった」
ダイニングテーブルに置かれたままだったランチョンマットとフォーク、スプーンなどを並べる。
「ありがとうございます。あとは料理を運ぶだけなのでどうぞ座ってください」
カザムが席に着くと、ウルティアが湯気を漂わせた料理を運んでくる。ふわっふわとろっとろな卵が乗ったそれは、オムライスだった。スープとサラダ、魚のフライもついて、彩り豊かな食卓である。
(……旨そう)
簡単な物しか作れないと謙遜していたが、食器にまでこだわっているあたり、料理の腕はそれなりのものと思われた。寮にある食堂で出される毎日同じ食器のそれとは、見た目からして華やかさが違う。料理なぞ食べれば全部同じ味だと思っていたが、そうではないのかもしれない。
ウルティアは自分も椅子に座ると、「どうぞ」と彼に料理を勧めた。
「いただきます」
カザムはまだ慣れない右手にスプーンを持ち、ふわとろの卵をすくう。口の中に滑らせると、トマトの酸味と卵、バターの風味が広がった。
「……うま」
もぐもぐと咀嚼した後、カザムが自然と笑顔を溢すのを見てウルティアはパッと顔を輝かせる。
「良かった。誰かに料理を振る舞うのは久しぶりで、なんだか緊張しちゃいました」
彼女はカザムの感想を聞いてひと安心したのか、自分もスプーンを握って食事を始めた。小さな口を大きく開けてぱくぱく食べるウルティアを前に、カザムはなんだか不思議な気分になる。そういえば、腕を失ってから誰かとこうして食事をすることは久しぶりだ。
「お部屋、どうでしたか?」
「いい部屋だったよ。今のところ足りないものも特にはなかったかな。準備ありがとう、ご飯も」
「いえ。このくらい全然」
改めて礼を言うと、ウルティアはふるふると頭を横に振る。世話になっているのは明らかに自分の方なのに、彼女の腰が低くてカザムは眉をひそめた。
「ウル。この後時間があれば、家事の分担とか決めよう。オレはお客さまじゃないから、ちゃんとそこは決めておきたい」
琥珀色の瞳に見つめられ、ウルティアは固唾を飲む。本当に真摯な人だなと感心するのと共に、初めて名を呼ばれたことにドキリとした。
「わ、分かりました。ご飯を食べ終わって少し休憩したら話し合いましょう」
「うん。……こんな奴で頼りないかもしれないけど。オレも自分なりに頑張るから」
自嘲的に肩を竦め、カザムは続ける。
「君の負担だけにはなりたくないんだ」
そう言って笑うと、視線を落として食事を再開する。
***
(どうしてこの人は……)
カザムの貼り付けた微笑を見て、ウルティアは胸が詰まった。
クラウスからの手紙で、何故カザムが隻腕になったのか、彼女は理由を知っている。
文字通り命がけで特級のドラゴンと対峙した彼は、自ら怪物の口に槍を持った腕を差し出したそうだ。
負傷者の多い現場で彼の活躍があと少し遅ければ、血の匂いに誘われて集まった魔獣たちに囲まれて疲弊した討伐隊は全滅する可能性が非常に高かったらしい。仲間たちはカザムのおかげで、なんとかその前に撤退することができたのだ。誰が何と言おうと、カザムは勇敢だった。
だが目の前の彼は、それだけ凄いことを成し遂げたというのに、まだ頑張ると言うのだ。
もう十分、あなたは頑張ったのではないかと本当は言いたかった。でも、出会って二日目の人間に知ったような口でそんな事を言われるのは、不快ではないかという考えが勝って音にはならない。
(そんな風には笑って欲しくないなぁ)
自分のことを軽蔑したようなカザムの笑みは、今の状況に不満を抱いているに違いなかった。隻腕になってしまったことを、自分の力不足のせいだとでも思っているのかもしれない。
クラウスの言う通り、カザム・ハイトという青年はひたすらに誠実な狩人なのだろう。
ウルティアはその真っ直ぐすぎる彼の性格に、危うさを覚えた。
「……カザムさんが来てくれたことは、わたしにとっては勿体ないくらい贅沢なことなんですよ」
頭の中でぐるぐると迷った末に彼女が選んだ言葉は、そんなことだった。
クリッサンサマムに来て一年とまだ日が浅いウルティアでも、王宮狩護団の狩人さまと一緒に暮らすことが普通ではないことくらい分かる。実際「武族」という身分を持ち、魔獣や犯罪の脅威から国を守ってくれている狩人の男たちは、貴族のお嬢様と結ばれることなんてザラにある。強い者と結ばれたいという傾向は、この世界ではどの国でも共通の考え方だ。
国に大きく貢献したものに与えられる称号を持っているカザムともなれば、きっと目をつける貴族もいるに違いなかった。称号がなくたって、彼は仕事熱心で誠実な人柄だ。体もちゃんと鍛えていることが分かるし、何より爽やかで凛ともしている容姿はかなりカッコいい。
「それは大袈裟だよ」
カザムは困ったように眉を潜めて微笑する。
狩人たちは、相手に簡単に見下されないように強い言葉遣いをすることが多いのだが、カザムはこうだ。接しやすい話し方は、時に余裕すら感じる。
どうしてこの人に、家族も恋人も、好きな人もいないのか。ウルティアには謎だった。
もし、彼がひとりでなければ、隻腕になってしまっても側で支えてくれる人がいてくれたかもしれないのに。仕事とは言え、こんな見ず知らずの女の相手などさせてしまって、申し訳ないとすら思えてくる。
ウルティアはそっとカザムの垂れた左袖を視界に捉えた。自分には健康な身体があるくせに、さぞ痛かっただろうと勝手に想像し同情する。
そこでふと、彼と同じように魔獣に右腕を奪われた男のことが蘇った。
狩も料理も得意で、休日には必ず遊んでくれたその人は、ウルティアにとって自慢の父親だった。今はもうこの世にいない、母と自分にとってかけがえのない人。
三年前までの、あの幸せな日々を壊したのは、果たして狩人だった父を喰った魔獣なのか。
それとも腕を失った彼を、再び狩場に送ってしまった自分なのかーー。
彼女は答えを知っている。
(……わかってる。もう二度と同じ過ちは繰り返さないよ。母さん)
最後に見た母親の顔が脳裏に浮かんだ。
どうしようもない悲しみと、怒りと、憎しみのこもった表情だった。
彼女のあんな顔を見たのは、あれが初めてで。
ウルティアは他の誰でもない自分自身が犯した罪の重さを知った。
◆
「そうだ。言おうと思ってたんだけど、別にオレに敬語である必要はないよ。砕けた口調でも気にしないから、遠慮はしないで欲しい」
「わたしの口調は大抵の人にこんな感じなんですが……嫌ですか?」
「あ、いや。それなら、無理しなくていいんだ」
カザムは気になっていたことを問い、彼女の答えを聞いてからハッと気がつかされる。
ウルティアはアルサールの出身で、東国に来たのは一年前だ。ため口で話せるような友人も、あまりいないのかもしれない。ましてやそう簡単に、頼れる人間と出会うこともできないはずだ。父親の知人としてクラウスと知り合えたのは、彼女にとって僥倖なのかもしれない。
「ウルはどうしてクリッサンサマムに? 西国から東国に来るまでのルートはどれも険しくて大変だったろ?」
大陸を横断すると、人の住まない魔獣たちの縄張りを横切ることになり危険だ。一流の狩人ですら気を付けなくては命を落とす。かと言って、北国や南国を迂回するルートはかなり大回りになるのでその期間、ずっと気を抜けない。
ギルドに所属している狩人ならともかく、まだ若い彼女のような娘がアルサールからやって来ることは稀だった。
ウルティアがほんの一瞬だけ顔を強張らせたのにカザムは気がつき、聞いてはいけないことだったのかと焦る。
「……居られなくなっちゃったんです。あの国は優し過ぎて」
痛まし気な微笑に彼は戸惑った。よく笑うウルティアが、そんな顔をするとは思っていなかったのだ。
国に居られなくなるとは一体どういうことなのか。クラウスが身元を保証している彼女が追放されるようなことをしているとは考え難い。
そして気になるのは、
(“優し過ぎて”……?)
最後に付け加えられた一言。それは彼女が自ら故国を去ったと言っているようだった。
突然、ウルティアがどこか遠くの存在のように思えて、カザムは落ち着かない。
「大丈夫か? もしかして何か辛い目に遭ったとか……」
真剣な眼差しに、今度はウルティアが慌てた。
「い、いえ! そういうのじゃないんです。これもわたしの気持ちが問題で……」
そこでウルティアはハッとする。
「決して犯罪に手を染めたとか、そういう事をしてしまった訳ではないですよ!?」
「うん。そこは心配してない」
慌てる彼女をカザムは宥めるように答えた。
彼の優しい目に、ウルティアは少し冷静になってから言葉を紡ぐ。
「わたしの過去がカザムさんにご迷惑をかけるようなことは、多分ないと思うんです。行き先は告げずに国を出てきたので、誰もわたしがこの国にいることは知らないはずだから……」
「誰もって。母親も?」
「はい。彼女とは縁が切れているようなもので大丈夫です。わたしを探しても横断ルートを使ったと知られれば、道中で死んでると思われるでしょうね」
飄々と言ってのけたウルティアは、魚のフライをかじる。サクッと衣が良い音を立てて美味しそうだが、カザムはそれどころではない。
「横断ルート!?」
よりにもよって一番危険なルートを彼女が通って来たと言うものだから、驚かずにはいられなかった。
「どうしてそんな危ないことを。オレたちですら、細心の注意を払って進むような道だぞ?」
険しい表情になったカザムに、ウルティアは目を丸くする。しばらく咀嚼をして飲み込むと、口を開いた。
「わたし素材集めのためにギルドに登録してて、これでも狩人の端くれなんです。逃げ足には自信がありますよ! 結界石をたくさん買い込んで、魔獣とはほとんど戦わずにここまで来たので平気でした」
「平気って……」
そんなのは結果論でしかない。
万が一、逃げられなかったり、結界石が保たなかったら、今頃彼女はここにいなかった。
そしてウルティアは笑って語っているが、魔獣と戦わなくて済んだとしても、並大抵の精神力では獣の巣窟を抜けることはできない。
大変な苦労をしながら東国まで旅したに違いないはずなのに、彼女の明るい振る舞いからでは全くその想像がつかないことがカザムには気がかりだった。
「アルサールに戻るつもりはないので、もうしませんよ。あの時はちょっと自暴自棄になっていたのでなりふり構わず前に進めましたが……。今となってはあんな大変な旅、正直二度と御免です」
彼女は過去を振り返ったのか苦い顔をした。
故郷に戻るつもりがないというのにも思うところがあるが、今の自分にウルティアをアルサールまで守り抜く自信はない。
カザムはウルティアの過去が気になりつつも、彼女の護衛から外されるリスクを犯してまで踏み込む勇気はなかった。
昼食を終えると、ふたりは二階のリビングに場所を移す。
カザムはまだ馴染めない空間に背筋を伸ばしていたが、その隣でウルティアはローソファに腰を下ろし、まったりと食後の茶を嗜んでいる。
彼女が素でくつろいでいることが分かり、表情に出しはしないものの、カザムは戸惑う。
(無防備すぎじゃないか?)
いや。それは勿論、カザムは彼女の護衛役なわけで、警戒されても困るのだが。
それでもウルティアがすっかり心を許している様子に、彼は少なからず戸惑いを覚えていた。
「さて。じゃあ、家事の分担を決めちゃいましょうか」
そんな彼の心中を知らず、ウルティアはソファからずいと体を出してローデーブルにマグカップを置き、用意しておいたペンを握る。
「料理、洗濯、掃除……。そうですね。カザムさんには食事のときテーブルのセットとか、洗濯を取り込んでもらったり、掃除の手伝いをしてもらえると嬉しいです。あ、できれば買い出しも」
「うん。最初は様子を見ながらだな。他にも出来そうなことがあったら教えてくれると助かる」
「分かりました。遠慮なく頼っちゃいますね。わたし、仕事に集中しちゃうとよく時間を忘れてしまうから、その時は声をかけてください」
彼女は簡単に、役割分担を紙にまとめていく。
すらすらと書き出される内容を少し後ろから見ていたカザムは、自分にできそうな事を見つけるとすぐにそれを付け加えてもらった。
「結構細かく決められましたね。あとは仕事との兼ね合いを考えてみて……といったところでしょうか」
「そうだな」
円滑に決まっていった家事の分担。ウルティアとの気負いすぎない話し合いは、カザムにとって非常に気楽なものだった。
隻腕であっても気を遣われすぎないことが、今の彼にとっては何よりも嬉しい。
「ウルの仕事って、普段はどんな感じなんだ? 実は修理屋っていうのがいまいちピンときてなくて……」
穏やかな空気のなかで、カザムは自然にウルティアの仕事について尋ねた。
「そうですよね。『修理屋』っていうのは、お客さんが付けてくれた名前なんです。モノが壊れたりしたら買った店でみてもらうのが普通ですから、修理を専門にする店は見かけませんよね」
そうと聞いてカザムはどこかホッとする。
ありそうでないような店の名前なので、自分が知らないだけかと思っていたが、客が作った名称だったらしい。
「わたし、カラクリを弄るのが得意で。修理だけじゃなくて、お客さんの要望に合わせて色々作ったりもするんですよ」
「へぇ」
次第に彼女の仕事について、輪郭が掴めてきた。あのカウンターにあった道具たちは、十中八九、修理に使うもので間違いないはず。
「カラクリ……。精霊石を頼らずに動力を生み出したりする道具のことだよな。あれは五代目の恩恵か……」
「五代目」とは、この世界に五番目に現れた聖女のことを指す。
名はアカリ・サトウ。たとえアルサールに降り立った異世界人であろうと、その名を知らぬ者はこの世にいないだろう。
彼女は二百年前に亡くなった、現在最後に確認された聖女である。
いまいちピンときていない彼を見て、ウルティアは「銃もカラクリのひとつですよ」と応える。
「ジュウ? ……ああ。女性が護身用に持つ武器か。値が張るからオレは持ったことがないけど。なるほど。なんとなくカラクリのイメージが掴めたよ」
「よかった。カザムさんの言う通り、五代目が広めた精霊石を頼らない道具のことをカラクリと呼んでいたそうですが、今ではその技術にこちらの世界で取れる素材を組み合わせた道具もカラクリと言われているんですよ。前に読んだ資料では『カラクリ』と『機械』は類義語なんだそうです」
「それは知らなかったな。やっぱり詳しいんだな。アルサールで勉強したのか?」
「工房を覗いたりしましたが、ほとんど独学ですね。固定化された技術に囚われると、新しいものが作れなくなるので」
無意識なのだろうか。ウルティアは丸い目を細め、表情が暗い。「独学なんてすごいな」と声をかけようとしたカザムだが、何となくそれを躊躇した。
(なんだ。この人がたまに見せるこの暗い表情は……)
彼はまだ知らなかった。
ウルティアがなぜ十九年という月日を過ごした国を去ったのか。なぜ父親は死に、母親とは縁が切れているのか。そしてどうして彼女に護衛が必要だとクラウスが判断し、その役にカザムを選んだのかを。