彼女の仕事01
チリリリリリッーー。
小さな鈴を打つような音がすぐ側で鳴り響き、カザムはパチッと目を開いてそれを止める。
ウルティアが自作したという目覚まし時計を止めた彼はむくりと起き上がり、だんだんと慣れて来た“自分の部屋”を見渡した。
「……朝か」
当たり前のことを呟いて、カザムはベッドを降りる。カーテンを開け、服を着替えると部屋を出て二階の洗面所で顔を洗う。最後に備え付けられた鏡で適当に髪を整えると、薄暗い室内を進んで一階まで下り、キッチンの奥にある裏口から外に出る。
眩しい光が次第に視界を彩り、朝の静けさが彼には心地よく。カザムはその場で軽く準備運動をすると、首につけていたマスクを鼻まで覆い走り出す。
ウルティアの店は東地区の住宅街にある。迷路のように並んだ石造りの家々は、昔からの伝統的な建物だが今も変わらず国民の生活を支えている。高い壁が続くような細い道は光が届きづらいが、夜になると壁にはめられた暗い場所で光を放つ精霊石ーー「蛍光石」が優しい光で道を照らし、美しい。
今は弱い光だが、陰になった壁にある石が淡く光っていて、純粋に綺麗だなとカザムは思う。
この住宅街が「星の街」と呼ばれる理由が、住んでみて初めて分かった気がした。
段差の多い細い道をしばらく行くと視界が開ける。街の広場だ。
朝市の準備で賑やかな広場に並ぶのは、採れたての野菜や魚介。そして、肉。
あれもどこかの狩人が獲ってきたものなのかと考えている自分に気付かないフリをして、カザムはそこを通り過ぎる。
今日も鎮守の森と清流の大河に守られたクリッサンサマムの街は平和な朝を迎えた。
だが、カザムは知っている。
この平穏な日々を守っているのは、三代目の聖女が加護を与えたという自然だけではなく、身を削って魔獣を狩っている狩人たちがいることを。
(アレンは今頃、朝の猟に行ってるのかもな)
つい数週間前まで。彼も魔獣討伐に駆り出される狩人のひとりだった。
「魔獣王」の君臨を思わせる、獣たちの凶暴化が続き、人手はいくらでも欲しい時期で、カザムも毎日のように狩りに明け暮れていた。
人を喰らう獣を狩るということは、勿論楽しいことばかりではない。ほぼ泊まり込みの遠征になるため、野宿は付き物。食事や睡眠はともかく、入浴なんて出来ないことのほうが多い。
だが、そんな野宿の不便さは、狩人たちからすれば我慢すればどうにでもなることである。
逆にどうにもできないのは、生存をかけた戦いの中で失われていくもの。
仲間が死ぬことも決して珍しいことではなく。
そして、自身の肉体が痛みという名の悲鳴を上げるのだって、何ら珍しいことではなかった。
カザムが走るスピードを上げるほど、利腕が収まるはずだった袖は風に大きくなびく。
『生きていれば、聖女さまに治してもらえるかもしれません』
初めてウルティアと出会った日に言われた言葉が、ここ数日、何度もカザムのなかで反芻している。
(聖女は召喚される。絶対に)
あれはただの慰めなどではない。
魔獣たちの生態系で淘汰され生まれる、絶対的な王。魔獣王が君臨するのと同時に、必ず聖女はこの世界に召喚される。
聖女が召喚されるということは、魔獣王が人を滅ぼしにかかるということ。
その禁忌を口に出せないだけで、人々は恐怖と救いのその日が迫っていることをどこかでちゃんと分かっている。
だから聖女が現れるまで、自分は自分の今出来ることをやらねばならないとカザムは思う。
それは自己到達のために掲げるような崇高なものではない。こうして朝や夜に走ったり、完全な肉体を持った者からすれば、とるに足らないような鍛錬をすることを、別段誰かに褒められたい、認められたいと思ってやっていることではないのだ。
これはただ仲間が戦う傍で堕落した生活はできないという、自分の体裁を守るにも等しい、実に自己中心的な考えでやっている下賤なことーーのはずだった。
「あ、おはようございます。おかえりなさい」
「おはよう。……ただいま」
出かける時と同じく、私用の裏口から家に戻ったカザム。扉を開けた先には、いつも通りツナギ姿のウルティアが料理をしながら彼を迎えた。その口調はゆったりしていて、まだ眠たそうにしている。彼女は一度作業をやめると、コップに冷えた水を注ぎ、彼に差し出す。
「どーぞ」
「ありがと」
「もうご飯になりますよ」
「ん。わかった」
カザムは水を飲み干すと、手を洗いながら台所に並んだ料理を一瞥しダイニングに回る。
ランチョンマットを敷いてスプーンとフォークを並べ、飲み物を準備すれば、ピザトーストの乗った皿をウルティアがそれを置く。
いただきますと挨拶して、ふたりは朝食を食べ始めた。
(こうして一緒に食事をするのにも慣れてきたな)
ウルティアと暮らし始めて五日。ここでの生活には、自分が思っていた以上に馴染んでいる。彼女と一緒にいることは楽で、息をするようにしてくれる気遣いにはいつも助けられていた。
今日の料理だって、片手でも食べやすいようにわざとトーストを切っておいてくれていることをカザムは理解している。
彼はちらりとウルティアの表情を伺う。
彼女はのんびりとした手つきで、食べやすく切ったトーストを持つとそれを一口。いつもより時間をかけて咀嚼していた。
「眠そうだな」
「はい。朝は苦手で……。カザムさんは毎朝走りに行ってて尊敬します」
ウルティアがさりげなく呟いた一言。それでも胸に引っ掛かりを覚えたカザムは、尊敬されるようなことはないと首を振る。
「大したことないよ、これくらい。誰にだってできる」
「そんなことないですよ。現にわたしにとっては難しいことです。それに、たとえどんな些細なことであれ、日常から継続して自分で決めたことをやり抜こうとするのはカッコいいことだと思います」
彼女はそう言うと、またゆっくりとした動作でトーストを噛んだ。
「ん!」
チーズが伸びるのをみて輝かせた瞳を、パッとカザムへと向ける。小さな喜びも分かち合おうとする子どもっぽい笑みに、カザムの心臓がグッと掴まれる。
(ああ、くそ。なんでこの人はこんな可愛いんだよ……)
そう思う彼に他意はない……。ウルティアという人となりが、一緒にいればいるほど好感を持てて仕方ないのだ。
カザムは鼓動が変な音を立てたのを隠すように「さっき」と口を開いてから、その後に言おうとしている内容がどうでもよい事だと気がつくが、それでも彼女なら何か応えてくれるのではないかと言葉を続ける。
「道端にカデュロの花を見つけたんだ」
平生の自分であれば、きっと見落としていたであろう青い花。狩りに出る上で、植物の種類などにも詳しい彼だが、花に特別興味があるわけではない。でも、それを見つけた時、どうしてか彼女に言いたいと思った。
「夏を告げる花ですね。もうそんな季節ですか。幼い頃父に連れられてカデュロの群生をみたんですけど、すごく綺麗だったのを覚えています。いつかまた見てみたいな……」
昔の記憶を思い出しているのか、ウルティアが優しい表情になる。
(カデュロの群生か。白糸山の近くにあったな)
何の迷いもなく。ただ流れるように、彼女をそこに連れて行くことを考える自分にカザムは疑問を抱かなかった。
◆
「やだぁ〜。ウルティアちゃん。相手見つけたなら教えなさいな。もっとたくさんお肉買ってきたのに」
「いらっしゃいませ、アリーシャさん。いつもありがとうございます。彼はルームメイトで、仕事を手伝ってくれているんです」
「あら、そうなの? はじめまして、アリーシャです。ウルティアちゃんにはいつもお世話になっているの。これ、少しだけれどお肉だから食べて頂戴」
その日の昼過ぎ。『修理屋』にやってきたのは、装飾が少なくシンプルではあるが、上等な服を着た六十代後半くらいに見受けられる貴婦人だった。後ろには差し入れらしきバケットを持ったメイドが付いており、ウルティアの仕事を側から見守っていたカザムは軽く会釈する。
(どう見ても貴族だよな。こういう客も来るのか)
定休日を二日挟んでいたため、カザムが彼女の仕事を見学する機会はそう多くなかった。
外の見回りなど警護の必要最低限な下準備を整えて、空いた時間にウルティアの仕事を見学していたが、その時この店にやって来たのは、壊れたカラクリを持ち込んだり、修理後の引き取りにくる客だけ。ウルティアはカウンターの裏にある作業台で、カラクリを弄っているのが基本的なスタイルだと思っていた。
「じゃあ、ウルティアちゃん。今日もお願いね。マリカはいつも通りここで待たせてもらうわ」
「はい。どうぞこちらへ」
ウルティアはカウンターから出ると、店の奥を仕切っていたカーテンを開く。
そこに垣間見えたのは、病院の診察台に似た高めのベッドだった。
(何をするつもりなんだ?)
カザムは戸惑いの混じる視線をそちらに注ぐ。
案内を終えたウルティアはカーテンの中から出てくると、メイドのマリカに茶を出し、またカーテンの向こう側へ消えていく。
結果、彼はマリカと二人きりになってしまった。
ウルティアが何をしようとしているのかは気になったが、一度店を出ようかと考えた時。
「あなたも『癒しの修理屋』に助けられたのですか?」
「え……?」
「その腕だから」
低くて落ち着きのある女性の声音が、彼に向けられる。背筋のピンと伸びた口の固そうな年上のメイドに、隻腕を指摘されたことは横に置いてカザムは首を傾げた。
「癒しの修理屋?」
話が分からずに気になった単語を反復すると、マリカは大きく目を見開く。
「知らないのですか? 彼女のこと」
一緒に住んでいるのでしょう?とその瞳は語っている。
「オレはついこの前、この家の管理人に紹介されて来たんです。ウルのことを知るには日が浅くて……」
カザムはそう言い淀み、ちらりとウルティアが消えていったカーテンを一瞥した。
ウルティアと出会ってから、まだ一週間も経たない。自分は彼女のことを何も知らないのだと改めて認識した出来事だった。
「そうでしたか」
マリカはそんなカザムを見て、一緒にいるなら彼女の仕事についてくらいは知っておくべきだと、口を開く。
「ウルティアさんの仕事は、カラクリを修理するだけではないのですよ。彼女は回復薬では治らない、人の体の歪みや癖をなおしてくれるんです」
「回復薬で治らないものを、一体どうやって?」
カザムは目を丸くする。
「元あるべき正しい位置に、体をなおすんです。……言葉で説明するのは難しいですね。実際にやってもらうといいかもしれません。私も産後から苦しんでいた腰痛を彼女に治してもらった時は感激しました。人に修理というのもおかしいですが、『癒しの修理屋』さんなんですよ彼女は」
マリカはそこでウルティアが置いていった茶で一息つく。
「確か彼女の技術は、聖女語だと『整体』というそうですよ。回復薬で一時は治ったと思っても、再発する痛みは体の歪みから来るのだそうです。あなたも隻腕なら、体に歪みが出るでしょう。下手に薬に頼ろうとせず、ウルティアさんに診てもらうのが一番ですよ」
そう言われてカザムはハッとする。
実は最近、背中にすっきりしない感覚があり、腰を捻ってその違和感を拭おうとしていた。
無意識に右手を腰に当てたカザムに、マリカは目を細くする。
「あなたが何故、彼女と同居することになったのかは存じ上げませんが、勘違いしてウルティアさんを悲しませるようなことはしないことを勧めます」
「……はい」
“勘違い” とはどういう意味なのか。カザムにはまだ疑問が残っていたが、彼女を悲しませることはしないという事については強く肯定する。
マリカはそれに満足したのかゆっくりと頷いた。
それからしばらくして、シャッと金属が滑る音がするのと共に、ウルティアとアリーシャが戻ってくる。
「今日も気持ちよかったわ。ありがとう、ウルティアちゃん」
「いえ。わたしにはこれくらいしか出来ませんから」
「もう。またそんなこと言って」
そんな会話をしながら出てきたアリーシャは、カザムの姿を見つけると彼に歩み寄った。
「ウルティアちゃんから話は聞いたわ。これから彼女のこと、しっかり守ってあげて頂戴ね。この子ったら、目を離した隙にひとりで無茶をするから」
話しかけられるとは思っていなかった。ウルティアは自分のことを何と話したのだろうか。カザムは焦る。
表情には出ていなかったはずなのだが彼の心中を察したのかアリーシャは微笑んだ。
「実はね。クラウスに頼まれてウルティアちゃんが無理してないか様子を見に来たのよ」
「えーー」
「あの人、自分で頼んでおきながら『ウルティアに嫌われたかもしれない』ってうるさくて。私もいきなり男女が一つ屋根の下で一緒に暮らすなんて言うから心配してたんだけれど、上手くやってるみたいで良かったわ。あのカーテンを締めると防音されるのに、ウルティアちゃん、あなたのことこれっぽっちも悪く言わないんだもの。さすがクラウスが認めた男とでも言っておきましょうかね。……これ、私の連絡先よ。何か困ったことがあれば遠慮なく来なさいな」
最初から渡すつもりで準備してきたのであろう。小さな手紙を手渡され、カザムは呆然とそれを受け取る。
「じゃあ。また来るわ。ふたりともお仕事頑張って」
アリーシャはそれ以上の長居はせず、あっさり店を去っていった。
静かになった店内で、カザムはもらった手紙に視線を落とす。無造作にそれをひっくり返して見て、彼は大きく瞬いた。
(イシュレ公爵家の封蝋?!)
驚きすぎて声は出てこなかった。
テーブルに押し付けるようにして封を開け中身を確認すると、そこにはアリーシャ・イシュレとの文字が。
「ウル。一応聞くけど、彼女が誰だか知ってる?」
「え? アリーシャさんですか? メイドのマリカさんを連れてらっしゃるから、身分の高い人なのかなとは思っていますが……」
「……彼女は公爵夫人だよ」
「へ?」
頭の上に「コウシャク??」と疑問符が浮かび、次第にその言葉を理解したウルティア。
「なるほど。やっぱりすごい方なんですね」
ややあ、と納得する彼女は自分より落ち着いて見える。
「あんまり驚かないんだな」
「慣れですかね〜」
「慣れ?」
思わぬ言葉を聞いたカザムの反応に、ウルティアがハッとした。
「あ、いや。クラウスさんのこととかありましたし」
「そっか……」
慌てて付け加える彼女が気になるも、言う気がないことを尋ねる気にはなれない。
きっと過去に何かあって、わざわざアルサールからクリッサンサマムに来たに違いなく、仕事とはいえそれを無理に聞き出すようなことはしたくなかった。
この一歩先の距離がもどかしいが、踏み込むには時期尚早だと、狩人は様子を伺っていた。




