9《そこにある、天罰》
素芹美妃が三十歳で病死し、たった一人の王子であった公人王子も三七歳で病死した。
そして六十八歳になった建成王も今は病気にかかり、寝台の上から降りる日はない。多分、もう二度と。
「鳥末」
舎人の名を呼ぶが来ない。広々とした部屋には寝台に横になった建成王が一人いるだけで静まり返っている。
「鳥末!」
声を大きくしてもう一度呼びかけると、白髪混じりになった鳥末がようやく姿を現した。
「なんのご用ですか、王」
「そなたと話がしたい」
「また昔の話でしょうか?」
寝台の横に椅子を引いてきて、鳥末は腰を下ろした。
「ああ」
話し出す前に、建成王は鳥末の顔を長いこと見つめていた。
「……そなたがわしに仕えるようになってから、五七年が経つ。わしは……正直そなたがここまでわしに仕えてくれるとは思っていなかった。牢の中にあったそなたを助けたのは、恩を売って、わしがそのあとやろうとしていたことを手伝わせるためじゃった。わしがやろうとしていたことは、とても恐ろしいことじゃったからな。そなたも最初は恐ろしかったのではないのか?」
「命懸けで母親に罪を着せる子供は、恐ろしいと云うより悲しいですよ」
建成王は何かを思い出してムッとした。
「そう云えばあのとき、そなたに口移しで毒消しを飲まされたのじゃったな。男に口をつけられて気持ち悪かったぞ」
鳥末は声を出して笑った。
「命が懸かっているときに、そう云う駄々をこねられては困りますな。私はまた主人を亡くしてしまうのではないのか思って、ヒヤヒヤしておりましたのに」
「だがまあ……そなたは今までよく仕えてくれた。感謝しておる。それを云いたかった」
プイッ顔を背けてではあるが、五七年目にして初めての感謝の言葉であった。
しかし帰ってきた言葉は。
「そう云うお言葉は顔を向けて云ってもらいたいですな」
建成王は怒ったように顔の向きを戻した。
「素直に喜ばぬか! 舎人が王に文句をつけるのではない!」
その頬は恥ずかしさで紅潮していた。
「もったいのうございます」
鳥末はニッコリ笑った。
つられて笑い返した建成王だが、表情がふいに暗くなる。
「わしは……自分のしてきたことを、恐ろしいことだと思っても後悔はしていないのじゃ。しかし一つ気になっていることがある。そなたに聞きたい。わしのしたことで、わしに天罰は下ったと思うか?」
鳥末は目を伏せて沈黙する。建成王は悲しげな声を出した。
「睦有をここへ連れてきてくれ」
ほどなくして連れて来られた睦有王子は、喜んで建成王の側へ駆けよった。
「お祖父様、御気分はよろしいのですか?」
「ああ、いい。睦有、ちょっと腕を貸してくれ」
十一歳の睦有王子は素直に腕を差し出す。建成王は細い手首を取り、その柔らかい皮膚を力を込めてつねった。建成王は睦有王子の背後に立つ鳥末の目を見る。
「素芹美が三十歳で死に、公人も三七歳で死んだ。そしてこの子も……」
素芹美の面影のある、愛らしい笑顔。
つねられた部分が真っ赤になっているのに、睦有王子は相変わらず無邪気に笑いかけている。
医者は治療不可能な病気だと云った。
愛する孫は生まれつきその体に痛みを感じることがない。
涙を流したのは建成王の方であった。
「やはりこれは、天罰かのう……?」
《終わり》