前書きとその他
序章
1990年、『花の万博』が大阪の鶴見緑地で開かれた。
花博以前、以後も緑地は手を入れられてきたけれども、昔は単なるゴミ捨て場に過ぎなかった。緑地が本来の自然に近い姿で存在していたのは、ゴミ捨て場以前である。手つかずの自然が残っていたと言ってもいいだろう。残っていたと言っても何が残っていたというわけではない。単なる湿地と川があっただけである。しかし、それゆえ緑地は尊いのである。
今もそうだが何もない所である、緑地は。昔は特にそうだった。せせこましい大阪の町中で、何もないということはどれだけほっとすることか。
緑地は多くの子供を癒してきた。土地が只だだっ広いというだけで。緑も多かった。人も少なかった。どれだけ心や体に開放感や冒険を与えるものか。子供にとって、掛け替えのない遊び場だった。
近頃の名所・旧跡なる所は、目で見て体で体験してみても、中々爽快感を得られぬ所が多い。有名な所だけ残して、回りはみんな削ったからである。美味しい所だけ残しておいて他は道路やホテルやら駐車場やら、特にマンションなど建てていたのでは話にならない。原発など論外だ。
何が言いたいのかというと、自然の風景は人が手をつけて、土地が大きくなったためしがない。大きくなるのは人工物だけだ。緑地も小さくなった気がする。これから益々小さくなるだろう。
人間は碌なことをしない。綺麗な海岸を潰して海釣り公園にしてみたり、神聖な島を土足で踏みにじってみたり、海水浴場に下水処理場を作ってみたり、あまつさえ近所に原発を作ろうとしたり。暴虐の数々。
ところで、大阪市の東の外れに鶴見区がある。昔は城東区の一部だった。しかし、「城東」という特別の地名があるわけではない。城東という名前は区の時だけ使われる。鶴見緑地は北側は守口市と隣接している。
緑地は昔、広大な湿地帯だった。百姓達はそこに蓮根を植えた。川は曲がりくねっている、非道いどぶ川だ。川で昔、少年達が釣り糸を垂れているのがよく見受けられた。戦後、外来種の「台湾ドジョウ」が釣れると評判だった。この川は守口の方にも続いている。その、 続く川沿いの民家で、いきなり「あやめ」が植えられているのには吃驚する。軒下の用水路とー手品でー川とが繋がっている。
昔、北海道の洞爺湖の側にいきなり昭和新山が降って湧いて、人々の耳目を驚かせた。国立公園の切手にもなった。鶴見にも実は山がある。「鶴見新山」。昭和新山より名を採った。これは人造の山で、ゴミの山の上に地下鉄の土を押っ被せたものだ。中からガスが発生している。夏場、南の墓場まで臭いが臭って来る。鰯の缶詰の腐ったような臭いだ。
鶴見緑地は至る所、ガスが発生するために、係員のおん努力がなければ、とてもやっていけない。頭の下がる思いである。
鶴見緑地は鶴見にはない?
「鶴見」という地名は、南は寝屋川の堤防で、「放出」と区切られ、東はどぶ川(今はもうない)で、「横堤」と区切られ、西は内環状で、「今福」と区切られている。北は中学校辺りで、「緑」と区切られている。
鶴見緑地のある場所は、地名は「緑」である。「緑地」だから「みどり」をとって、「緑」かもしれない。北の方が「緑」で、南の方が「鶴見」。やや、ややこしい。では何故「緑緑地」と言わないのか? 言う。昔の年寄りは間違って言っていた。花博以後、流石に間違う馬鹿はいなくなった。
では何故、鶴見緑地より、遥かに遠い所を、わざわざ「鶴見」と言うのか?どうでもいいが、鶴見は昔、「下之辻」と呼ばれていた。哀れなもので、湿地帯の鶴見緑地よりもまだ、土地が低かったのかもしれない。
鎌倉時代、源頼朝公が弟を放たず、鎌倉で放った鶴が、鶴見緑地で見受けられたらしい。鶴に名前が書いてあったのだろう。よって、「鶴見」と、言うんだそうである。だから正式には、鶴見緑地のある「緑」の方が「鶴見」なのかもしれない。多分多少遠い方がよく飛んでる姿が見えたんだろう。名前は早く付けたもんが早い者勝ちである。全国でも土地が低い所で「よく見えた」のは此処ぐらいであろうか。さぞかし首が痛かったに違いない。前置きはこれぐらいにして置こう。
1
今を遡ること、1970年代の大阪。
マリーがスイスよりやって来てからだいぶになる。日本の大学で地学を教えている。主に専攻は鉱物だが、地学一般を教えている。10年程前、亭主の直政と結婚した。職場結婚だった。直政は物理を教えている。実直を絵に描いたような男で、善良で優しく温和だった。
「僕が死んだら君のことだけが心配だ」
死期でも悟っているのか、彼の口癖だった。
二人が勤務する大学は大阪にあったが、アパート暮らしから独立のため「緑」に家を買ったのは、只単に安かったからである。
当時、緑地は知名度もなく、川が滞り、水浸しで、このような所に住む人間が容易く現れるとは思えなかった。
蒲生から生駒の麓寺川まで延びている府道8号線。府道8号線の北に鶴見の小学校がある。小学校の北に「北住宅」と呼ばれる公営住宅がある。北住宅の北に中学校がある。これを北に行くとせせこましい迷路がある。これを何度も行っては失敗し、何度も戻っては又行くということを繰り返すといきなり目の前に大きな建物が現れる。青空を背景に聳え立つその姿は丸で山岳だ。要するに高校だ。可哀想にこの高校はすぐ隣まで緑地の水が迫って来ていて、辛うじてトタンで食い止めている。マリーのうちはこの高校の少し南にある。
マリーの旧名は「マリー・ラパン・フレーズ」と言う。スイスのいたって普通のうちに生まれ、小さな頃から、アルプスの自然に育まれて育ってきた。子供の頃から、石ころに興味があった。秀才の誉れ高かった彼女は、ヨーロッパ中の学校を渡り歩いた。教師に成って、国際交流で日本にやって来て、そのまま居着いた。
彼女には特技があった。語学である。瞬く間に日本語を覚え、日本人よりも流暢に話した。
マリーも直政も勉強しかしてこなかったので、恋愛の仕方が分からなかった。
直政は平凡を絵に描いたような男で、外人と結婚するなど、一世一代の快挙であった。彼は容姿が冴えなく、小太りで背が低く、どのきつい眼鏡をかけている。それに比べてマリーは、見様によっては美人と言えなくもなかった。ところが現実は、得をしたのはマリーの方だった。直政はひたすらマリーに尽くした。
両家は一応型通りの反対をして見せ、二人の意志が堅い、と見るや、すばやく結婚を許した。二人とも一人っ子で、両家は最も近しい親戚すら誰もいないという風変わりな家系だった。
海老原はいつも貧乏だった。マリーが世界中を飛び回って石を集めていたからである。中には高価な物もあった。しかし、それはあくまで研究材料を意味し、個人所有を意味するものではなかった。石は外部の金庫に保管され、ドロボウされる気遣いはなかった。
それでも気の小さな直政は
「君の持ってる石のお陰で、僕はおちおち、夜も眠れないよ」
と、よく言った。
少しは何か手元にあったのかも知れない。
「恐れるものは何もない」
マリーは言った。
直政はよく夢を見た。見たことのない婦人がマリーの石をお金に換えているのである。
直政は強盗・詐欺の類いを恐れた。また夢を見たらしい。
「僕が死んだら、その後が心配だよ」
また口癖が出た。
マリーは不吉がった。
「どうか、あなた、死ぬなんて言わないで下さい、後生ですから」
そうして、いつも彼はマリーに謝るのである。
2
この日、直政とマリーはいつもより早出をして、早朝出勤をした。たまに外で朝食もいいもんだろうと思った。
早朝の大阪梅田の地下街の喫茶店で、モーニング・サービスを頼み二人で食べた。
直政は新聞に目を通した。最近では、学生運動が以前程激しくなくなって来ていた。それでも、二人の通っている公立の大学も完全に安全というわけではなかった。何時又、再燃するかも知れなかった。
二人は電車に乗り最寄りの駅まで行く。学校までの道程を歩く。直政は二人連れ立って歩くのを嫌がっていたから、マリーは本屋に立ち寄り、少し遅れて行く。
午後のこの日のゼミでの講義、マリーは石の話しをした。直政に止められていたことだが・・・。
「わたしはね、どんな病気でも治せる不思議な石を持っているのよ」
生徒は全く無反応だった。死んだ魚のようだった。唯物的態度というべきか、諦めの境地ともいうべきか。その表情のない顔には、不思議な物など、この世には何もない、何も期待出来ない、といった感じが推測された。
マリーは情熱に欠けると言った。
「先生」
やむなく一人の生徒が手を挙げた。
「先生の病気が治る石って、お金に変わる石ですか」
残りの生徒は皆納得済み、といった風だった。何の反応もない、冷たい宇宙人のようだった。これが今頃の風潮なんだろうか、目の前にある物しか信じないという。
「それってつまり、石をお金に換えて、治療を受けて治す、ていうことなんかしら」
宇宙人達は勿体をつけて首を縦に振った。
マリーはあきれた。それでも、暴れられるよりましだった。
マリーはこの問題について深く考えた。
(公共の物に手をつけることは法に触れることになる。では、法に触れなければいいのではないか・・・)
3
マリーと直政には子供がいなかった。晩婚だったせいもあるかもしれなかったが、海老原家にとっては悲しいことだった。マリーも当然子供を欲していたが、どうすることも出来なかった。
海老原家では最近、家の風呂が故障していた。それで、銭湯に行かねばならなかった。最寄りの風呂屋は小学校の近くだが、行って見ると、臨時休業していた。仕方がないので遠い風呂屋まで足を延ばすことにした。自転車なのでさほど苦にならないだろう。
小学校から南へ、府道8号線を渡ると程なく銭湯が左に見えてくる。銭湯の道路は幅広で、「スクール・ゾーン」と大書してある。大勢の子供の通学路に当たる。銭湯の隣りは市場で、「キュウリ・マート」と書かれてある。前の店はたこ焼き屋だ。斜め前に釣り堀がある。釣り堀の要らぬ水を川に流すのだ。後ろが小さな川になっている。川はやがて池に成り水の終点地に成っている。この辺りの風景は特に冬場、物悲しい。銭湯の名前は「ぬくぬく温泉」だ。銭湯の斜め後ろが神社・仏閣になっており、その向こうをかってどぶ川が流れていた。
二人は銭湯の前で自転車を降り、暖簾を潜る。マリーが脱衣を終えて浴場に入って行くと、比較的風呂は空いていた。
小さな男の子がお母さんに髪を洗われている。4、5歳だろう。お母さんの膝に仰向けになって湯をかけられている。
「あつい。あつい。おかあちゃん、あつい」
「熱くない。何が熱いねん、こんなもん」
「あついって・・・」
「・・・」
立ち上がると男の子は頭を掻いている。毛細血管が飛び上がったのだろう。
母親が体を洗い始めると、元気にその辺で遊び始める。緑の空いた椅子を拾い集めて、うえした互い違いに連結させて電車ごっこをしている。「良秋」、母親に呼ばれると肩までお湯に浸かり、しっかり数えさせられた。良秋は出て行った。
マリーが出て行くとさっきの親子が「天花粉」を掛けている。長椅子に仰向けになり良秋は、あせも封じのため、天花粉をはたかれている。粉が顔に飛ぶのを防ぐため、良秋は交互に目を瞑る。空いてる方の目で、はたかれている場所を確認する。忙しい。
男女の仕切りのためのベルリンの壁に貼られてある大鏡の前の棚に、紫色の謎の小瓶が不思議に置かれている。以前にも見たことがある。子供はそれをじいっと見て、
「おかあちゃん、あのびんなに?」
母親は
「・・・・・・。あせもの薬やろ。ひとのやで。いじったらあかんで」
「わかってる。・・・・・・。ぼくもあせものくすりぬらんでええん?」
「塗らんでええ。あれ、赤ちゃんのやで」
「そ〜」
腑に落ちない。自分は愛されていないのではないか。愛が足りない・・・。うちは貧乏でお金がないのは薄々知っている。しかし、本当に貧乏だったとは。子供の過剰な愛は時に大人には理解出来ない柔らかく繊細なもので、また大人にとっては非常に面倒くさいものである。
ところで、この親子は府道8号線の南に住んでいる。そういう子供達にとって、初めて知る鶴見緑地は地の果ての存在だ。遠くて大きくて、言わば大きな「ついたて」のような存在だ。後ろのものを覆い隠す。ついたての向こうは「北極」か何かだ。マリーが緑地からやって来たと知ると、この子はどう思うだろうか。さっきから熱心な目でマリーを見ている。
マリーが銭湯から出て来ると直政はまだだった。慌てて急いで出て来た。男のくせに長湯をしたらしい。唄の♬『神田川』に似ていて、こんな優しい男でやっていけるのかと、マリーは不安になった。
4