第72話 更なる次へ
落ちる、落ちる。
辺りを覆っていた闇が晴れ、俺は元の姿に戻った城下町を落下していく。
数秒の浮遊感の後、強烈な衝撃と共に背中から地面に叩きつけられた。
「――いっ! ……た、くはないか。……そりゃそうだよな。ゲームだもんな」
深く息を吐いて大の字になりながら、視界一面に広がる夜空を眺める。
その視界に割り込んでくるのは、夜空に溶け込むような藍色の短髪だ。
「――終わったな、リュウ。お疲れさま」
「……おう」
キシンの小さな手を借りて立ち上がり、労いの言葉を苦笑と共に受け取る。
口元を小さく綻ばせるキシンを見て、ようやく勝利の実感が湧き上がって来た。
「俺達の勝ちだよ……なぁデロス」
離れたところに倒れる黒い人影に視線をやりながらそう呟く。
無手で倒れるデロスは全く動く気配がないが、恐らく死んではいないだろう。
それを確認して深く息を吐いたところで、俺の聴覚が近づく複数の足音を捉える。
「リュウ!」
角を曲がって姿を現した人影が、俺の姿を認めて声を上げる。
その人物は他に目をくれることなく一直線に俺へと向かってくると、勢いそのままに俺の胸に飛び込んできた。
「……良かった……無事で……!」
「……そりゃお互い様だよ。無事でよかった、レイナ」
胸の中の山吹色の髪へとそう声を掛け、レイナと共に駆け寄って来ていたゴルムへと視線を向ける。
「うん、まぁ、リュウなら勝つと思ってたよ。――今回、俺の出番が少なかったのはちょっと不満だけど」
「そうかよ。なら次からは『旋風剣』サマにもキリキリ働いてもらうとするかな」
そう言うとゴルムは笑いながら肩を竦めてみせる。
こいつがここに居るという事は、無事トカゲ竜を倒したという事だろう。
単騎でそこまで成し遂げて尚出番が少なかったとか言い出すのはおかしな話だが、それがゴルムという人間なのだから仕方がない。
トカゲ竜と対峙した時の、緊迫したやり取りを思い出す。
デロスがゴルムを狙わず、ゴルムも死ぬことなくトカゲ竜を倒して見せたから何も起こらなかったが、一歩間違えば確かに俺とゴルムの別れは有り得た話だ。
安堵も、喜びも、文句を言いたい気持ちもある。
だが俺はそれを、心の隅へと押し込んだ。
俺達の間に、照れ臭い会話は要らない。
こいつとの関係は軽口を叩き合っているくらいがちょうどいいだろう。
そこまで考えてゴルムに笑みを送ってやったところで、落ち着いたのかレイナが俺の胸から離れる。
浮かべていた涙を拭ったレイナは、表情を真剣な物に変えて真っ直ぐに俺を見た。
「もうすぐ、センク……I.W.のサブマスターが、プレイヤーを大勢連れてここに来ると思う。そうしたら、あの人達と一緒に後片付けをしなきゃ」
「そう……だな……」
I.W.のマスターであるアルフレイドがデロスに殺されたことは既に知っている。
それはショウマも同じで、そして更に多くのプレイヤーが殺され、消えているだろう。
アリに襲われた城下町ではプライベートエリアを含む多くの建物が破壊されているし、デロスの暴れた場所は更に顕著だ。
今回の襲撃に関してや、女神と魔神のことも、話していかなければいけない。
デロスによる襲撃は確かに乗り越えた。
だがそれでも、安堵に浸っている暇など俺達にはない。
何も終わっていないし、何も分かっていない。
終わらせるために、俺達は動くしかないのだ。
そして事実の一端を知っているだろう男は今――。
「――ああ、確かに認めてやるよ」
城下町に、声が響く。
「お前らは強ぇ、俺の負けだ。俺はお前らを殺せなかった。リュウは俺を負かした。そりゃあ確かだ」
デロスが、立ち上がっていた。
武器も何も持っていない、ボロボロな姿。
身体はふらつき、俺の最後の一撃を受けた左腕は先がなくなっている。
誰がどう見ても瀕死の状態だ。
ゴルムが大剣を抜き、レイナが俺から離れて剣を抜く。
キシンも緊張した面持ちで長弓を肩から降ろした。
しかしそれを意に介さずに、デロスは言葉を続ける。
「だがなァ、教えてやるよ。お前らがどれだけ頑張ったところで、待ってんのは終わりだ。あのお方が……魔神シルファリオンが居る以上、お前らに未来はねェんだよ」
「……」
はっきりと魔神の名を口にするデロス。
何が言いたいのか、全く分からない。
疑問符を浮かべる俺達を他所に、デロスが右腕を持ち上げる。
一斉に身構える俺達だが、その腕に戦意は欠片も込められていなかった。
どちらにしろ武器も持たず、左腕を失った状態で俺達を相手に何ができると言うのか。
デロスは右腕をゆっくりと持ち上げ、右拳が左肩の位置で構えられる。
「――だから次は、向こうでだッ!」
言葉と共に勢いよく振り下ろされた腕が、背後の何もない空間を殴りつける。
直後、ガラスの割れるような音と共に空間がひび割れた。
「――!」
呆気に取られて動けない俺達。
デロスの拳撃によって生まれたひびはパキパキと音を立てながらだんだんとその大きさを増し。
――その隙間から溢れ出した黒い奔流がひび割れを巨大な渦へと変える。
「しまっ――!」
その渦の正体に気付いた俺が足を踏み出した時には、既に渦は取り返しのつかない大きさまで拡大していた。
その黒い渦を、俺は知っている。
ボスエリアに訪れた魔神が撤退する時。
トロールが逃走を図った時。
デロスがこの世界に姿を現した時、俺は同じものを目にしている。
黒天・黒龍門。
俺にとって災厄の象徴であり目にしたくなかったそれが、今目の前に再び現れている。
「じゃあなァリュウ。またお前に会えることを祈ってるぜェ!」
高らかに叫んだデロスが、背後の渦へと身を投じる。
俺は、それを防ぐ術を持っていなかった。
デロスが、黒い渦の中へ消えていく。
未知への手掛かりが、その存在を消えさせようとしている。
ただ足を動かす。
役目を終えて収縮を始めた黒い渦へと手を伸ばしながら。
引き伸ばされた時間の中で、完全に消えたデロスの影を追って、ただ一心不乱に足を動かす。
そして――。
「リュウ――――――!」
――俺を呼ぶ声を背後に聞きながら、俺は消える寸前の黒い渦へと突っ込んだ。
何もない空間に現れていた黒い奔流が、消えていく。
城下町に災厄を齎した死神と、大切な人を飲み込んだ黒い渦が消えていく。
そして黒い光が姿を消した時、もうそこに何かが居たという痕跡はどこにもなかった。
「リュウ……?」
呆然と足を踏み出しながら、消えていった人の名前を呟く。
その呟きに答える声はなく、私の手から滑り落ちた剣が地面に落ちて無機質な音を立てる。
リュウの姿は、どこにもなかった。
「なんてこった……」
背後のゴルムの呟きを聞きながら、地面に膝をつく。
リュウが、消えていくデロスを追って自分も黒い渦の中に飛び込んだのだ。
私は動けなかった。
何もできなかった。
どうして、どうして、どうして。
追わなきゃ。
助けなきゃ。
リュウは一人でデロスを追っていった。
あの黒い渦の先がどこなのかは分からない。
でももしあれが撤退用の物で、あの先が敵の本拠地なのだとしたら――。
「――レイナ、さん!」
唐突に響く、ゴルムの緊迫した声。
それを認識するよりも早く、左腕を掴まれて強引に引き寄せられた。
「ゴルム……?」
私を引っ張ったのはゴルムだ。
行動の意味が分からずにゴルムの顔を伺うが、ゴルムは油断なく片手で大剣を構えたまま、ただ私の背後を凝視している。
それにつられて私もゴルムと同じ方向を向いた――瞬間だった。
――空間に、光の線が走る。
中空に現れた光の点が、空間を切り取る様にその軌跡を残したまま移動する。
真横に移動し、そこから直覚に曲がって真下へ。
まるでドアのような縦長の長方形の空間が切り取られ、始点と終点が繋がる。
直後、切り取られた空間が眩く発光した。
「――っ!」
全く理解できない現象。
目を開けることのできない眩しさに、右腕で目元を隠しながらどうにか前方の様子を探る。
――そしてそこから歩み出て来る何かの存在を感じ取ったと同時に、ゴルムの身が強張るのを感じた。
「――人?」
背後のキシンが呆然と呟く。
光を背にしているためシルエットしか分からない。
それでも、謎の空間から現れた何かは確かに人の形をしていた。
もしかして、リュウが帰って来たのか。
そんな淡い期待を抱くも、それが事実でないことは分かり切っていた。
新たな敵の襲撃かと身構えるが、完全に光の空間から歩み出た人影は動く気配がない。
戸惑う私達を他所に、光の中からもう一つの人影が姿を現す。
そしてその人影が、先に出た人影の半歩後ろまで進み出たところで、唐突に光が消えた。
二人の人影を排出した謎の空間は、急激に収縮して消滅していく。
そして今、私達の前には異様な姿をした二人の人間が立っていた。
「どうも、こんにちは。驚かせてしまいましたね。申し訳ありません」
向かって左に立つ人物が、穏やかな声でそう口にする。
平均的な体格、柔らかな金の髪、同じく金の優しい光をたたえた目。
煌びやかな装飾の施された白地の衣装をぴったりと着こなしているその青年は、まるでお伽噺に出て来る王子様のように見えた。
「お初にお目にかかります。私はアトランティア王国第二王子、レスティ・カルカ・アトランティス。そしてこちらは我らが王国の騎士、ナーガです」
半歩後ろに立つ赤髪の青年を指し示しながら、レスティと名乗った男は優雅に礼をする。
同時に、ナーガと呼ばれた青年も右手を胸に添え軽くお辞儀をした。
「――あなた方を、助けに参りました」
頭を上げたレスティが、呆然とする私達を見ながらそう口にする。
突然の事態に追い付いていなかった私は、その言葉を頭の中で幾度となく反芻し――。
「――ど、どういうこっちゃ」
いつの間にかプレイヤー達を引き連れて合流していたセンクの言葉が、夜の城下町に虚しく消えていった。
これにて第二章完となります
閑話と人物紹介を挟んだ後、第三章へと突入します




