第66話 死の連鎖
「はっ、はっ、はっ……」
逃げる、逃げる、逃げる。
フウマはただ、走っていた。
カルカ城から城下町へと下り、西から迫る脅威に気付いて東へ。
恐怖を振り払う様に、あの死神に追い付かれない様に、ただ走っていた。
ギルドマスターであるアルフレイドが倒れたのは、ほんの数分前のことだ。
意見のまとまりかけた集会の場に突如として現れた謎の男。
鎌でアルフレイドを貫き、反撃を容易く躱して止めを刺したあの男を見た瞬間、フウマは一目散に中庭からの逃走を敢行していた。
分かったのだ、レイナの言葉には一片の嘘もなかったという事が。
あの男に殺されれば、二度と神殿で復活などできないという事が。
それが分かったからこそ、フウマは周囲を見捨ててただ一人、夜の城下町を走っている。
「くそ……くそ、くそ!」
いくら今が夜で集会に大勢のプレイヤーが出向いていると言っても、通りには少なからずプレイヤーが居る。
彼らに奇異な視線を向けられながらも、フウマは足を止めることができない。
説明をして共に逃げるなどと言う発想は端から頭になかった。
足を止めれば、その瞬間に胸から刃が生えて来るかもしれない。
何より説明をされたところでそれが信用に値しないのは、フウマ自身がよく知っている。
無為な時間を過ごして、その隙に死神に追い付かれることだけは何としてでも避けたかった。
だがその逃走劇も、そう長くは続かない。
「何……だよ……!」
生産広場を抜け、何もない通りを進むフウマ。
ここを抜ければ、もうこの先には広大なジュラス広原が広がっている。
そこまで逃げれば、一先ずあの死神は追ってこないだろうと言う願望に似た確信があった。
だがその通りの向こうから、やってくるモノがある。
「なんでもうこんなところまで!」
それはアリだ。
センクが狩り続け、最早おなじみとなったその黒いモンスター。
何かをきっかけに西エリアから溢れ出てきていたそれを見て、フウマは東のジュラス広原を目指して逃げてきていたはずだ。
それがなぜこれ程早く、自分の進路の先にアリが姿を現すのか。
だが――。
「フォレストアント……ランナー。そういうことかよ……!」
その疑問も、すぐに納得へと変わる。
前方から迫る大量のアリは、皆槍を持って二足で駆ける奇妙な姿をしている。
それが速度に特化したアリの上位種であることを、フウマはすぐに見抜いていた。
何故かは分からないが、このアリ達は東へ逃げるプレイヤーが居ることを分かっていて先回りしていたのだ。
奇怪な音を立てながら突進してくるフォレストアントランナーに、フウマは歯噛みしながらも足を動かすことを止めない。
ここで止まって、引き返す選択肢は有り得なかった。
そして[影歩]は、敵に気付かれている時では効果を成さない。
フウマは消去法で、あのアリ共を倒す決断をする。
経験値をギルドメンバーに集中させる必要があるからと、フウマが戦闘することは認められていなかった。
だがその規定はもう、アルフレイドが倒れ、フウマがあの場を逃げ出した数分前から意味を失っている。
フウマにもう、あのギルドに戻る意思はなかった。
「く、そおおおっ!」
叫び、刀を抜きながらアリの群れへ突っ込む。
レベルが低く、且つ速度と隠密を重視しているフウマは、防御力が極端に低い。
初期エリアのモンスターと言えども、攻撃を数度食らえばフウマのHPは容易く吹き飛ぶだろう。
それでも背後の脅威よりはマシだと言う判断が、フウマの集中を研ぎ澄ましていた。
刀は大きく振らず、ただ槍の穂先を逸らすためだけに使う。
足を止めず、狙いを定めさせないようにステップを織り交ぜ、アリをすり抜けながら群れの後方へ。
最後に槍を突き出してくるアリを大きく飛び越えれば、その先にもう黒い影は見えなかった。
「は、ははっ! やった!」
思わず、後ろを振り返りながら叫ぶ。
乗り越えた。
間違いなく今までで最高の動きだった。
アリ共は消えた獲物に戸惑い、動きを止めている。
いくらあの足の速さと言えど、フウマに追い付いてくるまでにはまだ余裕がある。
そしてこの先には、フウマにとって最強の味方が居るのだ。
「ガードさん! 後はお願いしま――へ?」
ジュラス広原と城下町の境。
城壁を通過するためにある門は普段開け放たれていて、そこには重装鎧に盾と剣を持った無敵の番人が居る。
城下町へと迷い込もうとするモンスターを問答無用で仕留め、城下町を守護するガードが、今は門の手前で倒れ伏していた。
――首を、綺麗に切断された状態で。
「は……え……?」
首のない金属の塊は、ピクリとも動かない。
そして呆然とするフウマの耳に入ったのは、先程のアリの行軍の数十倍にも及ぶ数の虫の移動音。
――数秒後、フウマはなだれ込んできた黒い波に飲まれ、呆気なく磨り潰された。
死んでから神殿で目覚めるまでには、数秒のタイムラグがある。
その間身体がどこにあるのかはさっぱり分からないが、とにかくフウマはその数秒の間に必死で頭を回転させていた。
火事場の馬鹿力と言うべき集中力は、未だフウマに恩恵を齎してくれている。
フウマは死ぬ前、背後から迫るフォレストアントランナーの処理をジュラス広原の入り口に居るガードに任せるつもりでいた。
結果首なしのガードを目撃し直後自分も死ぬことになった訳だが、冷静に考えてみればこの作戦に穴があることは分かったはずだった。
ガードは城下町ヘのモンスターの侵入を防ぐ存在。
つまり、ランナー達がジュラス広原の方角からフウマへと迫ってきていた時点で、ガードに何らかの危害が及んでいたと予測できたはずなのだ。
恐らく、あのガードの首を刈り取ったのは集会の場に現れたあの死神だ。
奴がアリを使って城下町を襲う計画を立てていたのなら、モンスターを瞬殺できるガードは当然邪魔になる。
予め東西南北のガードを始末してからあの集会の場に現れることくらい、あの死神ならば平然とやってのける、そんな確信がフウマにはあった。
暗転していた視界が切り替わり、だんだんと明るくなっていく。
フウマがあまり経験したことのなかった『死に戻り』の完了だ。
多少の経験値も、装備の耐久度も今は惜しくない。
何よりも、城下町のほぼ中心に位置する神殿まで巻き戻されてしまったことが問題だ。
あの死神が近くに居るかもしれない。
そう考えるだけで、身体を恐怖が支配する。
最後にフウマを殺したのは、恐らくランナーの後続のフォレストアントの大群だろう。
アリに埋め尽くされてしまった城下町で、どうやってあの死神から逃げるのか。
――そんな思考は、眼前の光景に容易く叩き壊されることになった。
「……え?」
疑問の声を上げたフウマを、衝撃が襲う。
前後左右、ほぼ同時に襲い掛かった衝撃は容易くフウマのHPを0にして、再び闇へと沈める。
復活までの数秒間、フウマは何も考えることができなかった。
そうして悪夢は繰り返される。
復活と衝撃、そして数秒間の暗闇。
ほんの五、六秒間のループは、フウマに行動する権利を与えない。
何度も何度もフウマは死に続け、そしてようやく眼前の状況を理解する。
アリが、神殿を埋め尽くしているのだ。
普段ならば仄かに光る青い壁は、神聖な空気を持って死に戻りしたプレイヤーを出迎えてくれるはずだ。
それが今は、壁も天井も、死に戻りする台座の上すらもアリが埋め尽くしている。
通常ならば有り得るはずのない状況、それがガードが消滅したことで実現している。
復活したプレイヤーを棍棒を持った多数のアリで叩き潰し、再び殺す。
繰り返されるそのループは、死を利用した無形の檻だ。
復活から死までには、恐らく一秒程度しかない。
その一瞬で断続的に聞こえる音から察するに、この死の檻に囚われているのはフウマだけではないのだろう。
数人、数十人、ともすれば数百人のプレイヤーが、同じように死と復活を繰り返している。
そしてこの状況で神殿に囚われていることの意味が分からない程、フウマは馬鹿ではなかった。
「――死なねェってのは面白れェもんだなァ」
唐突に、死の連鎖が止まる。
「え?」
「ぐっ!」
「うわあっ!」
台座の上でただひたすら棍棒を振るっていたアリ達が、同時に動きを止めたのだ。
その結果起きるのは、同じ座標に大量のプレイヤーが転送されたことで発生する押し出し。
フウマも、多数のプレイヤーにもみくちゃにされながら台座から落下し、上下感覚を失う。
そして戸惑いと恐怖、驚きの声が上がる中で、フウマは見た。
一部が破壊された天井、その淵に夜空をバックにして立つ存在を。
「あ、あぁ……」
無意識のうちに喉の奥から声が漏れる。
見えるはずがないのに、フウマは確かに、あの場に立つ死神の口が裂けるのを見た。
「羨ましいぜェ。お前らはどれだけ死のうと本当に死ぬこたァねェ。そりゃつまり、無限に殺し合えるってことじゃねェか。実に羨ましい」
巨大な鎌の柄で肩を叩きながら、死神は言う。
ふと動きを止めると、首を傾げて「あー、そうでもねェか」と笑いを含んだ調子で口にする。
その時だった。
「おらあああっ!」
突如、台座の向こう側から飛び出す影があった。
フウマと同じく死の連鎖に囚われていたプレイヤーだろう。
短剣を持ち、スキルの効果か飛び出した勢いを衰えさせないままに飛翔する。
意表を突いた行動にフウマ達は息をのみ、そのプレイヤーの行動の結果を見る。
「――命の懸かってねェ殺し合いに、意味なんてねェか」
神殿の天井の上に立つ死神に接近したプレイヤーが、一瞬で光の粒へと変わるのを。
「……は?」
フウマは呆然と、今なお多くのプレイヤーが密集している台座の上を見る。
そのフウマの行動の意味を察したかのように、他のプレイヤーも釣られて台座へと視線を移した。
たった今死神に殺されたあのプレイヤーは、フウマと同じくここで死に続けていたはずだ。
だから改めて死んだとしても、数瞬の後に台座の上で復活するだけのはず。
それなのに――。
「なん……で……」
いつまで経っても、神殿に新たな光は生まれない。
そのことの意味を、I.W.の一員としてレイナの言葉を聞いたフウマには分かってしまった。
「くっは! ははははっ! 死ね! 死んじまえ! 全員纏めて向こうに送ってやるよ!」
死神が、狂ったように笑いながら神殿の床へと降り立つ。
下に居たアリを踏み砕き着地した死神は、狂気の笑みはそのままに鎌を振り上げて。
「死ね」
黒いオーラを纏った鎌が、何倍にも膨れ上がる。
死の匂いを漂わせる巨大な鎌が、呆然とするフウマ達に向かって無造作に振るわれ――るその直前。
フウマから見て左。
神殿の壁が、轟音と共に吹き飛んだ。
傍に居たアリを軒並み吹き飛ばし、少し離れたプレイヤー達にも被害を及ぼしながらも勢いは止まらない。
壁を破壊した何かが神殿を一気に駆け抜け――振るわれる黒い鎌と激突した。
轟音と衝撃が神殿内を駆け抜け、動けないフウマ達を嘲笑うように揺さぶる。
「かっは! なんだよなんだよッ! いいとこだったのによおッ!」
「ならそんなに嬉しそうに騒ぐんじゃねぇよ。本ッ当に、俺はお前が分からねぇ」
無音の交錯。
一瞬の問答の後に、死神と乱入者はお互いに距離を取る。
死神は、興奮を露わにして笑いながら鎌を構え。
それと向かい合う様に着地した乱入者は、武器を何も持っていない。
まだ若い、ともすれば未成年の青年は、複雑な感情の籠った目で死神を見る。
「悪いな。正直、あんたらに構ってる余裕はない。逃げるなりアリと戦うなり、勝手にしてくれ」
こちらを見ないまま、青年は言葉を放り投げる。
その言葉に込められた怒りの意味を、フウマは理解することができなかった。




