第55話 等身大の力
32:ハッシェド
はーい出ましたー。ホラ吹き乙。
怖い。
67:sheruna
I.W.の人たちの前であんだけ恥晒しといてまだやってたんだwいい加減諦めろよw
怖い、怖い。
82:ジョイント
お前ら頭硬すぎ、ここがゲームの中だなんて証拠がどこにあんの?異世界から敵が攻めてきて死ぬことだってあるかもしんないだろ!……とでも言うと思いましたか?wwww頭悪すぎww
怖い怖い怖い怖い怖い。
「……もう、無理ですよ」
開いていたウィンドウを消し去って、膝を抱える。
人の通らない裏路地。
昼間でも日がほとんど刺さず薄暗いその場所で、一人蹲り頬を膝に押し付ける。
もう、限界だった。
突然帰還したリュウから届いたメッセージと、集まった先で彼に聞かされた内容。
新たに敵が出現したこと、リュウが既に交戦したこと、そして数日後にカルカに攻めて来るだろうということを彼に聞いて真っ先に感じたのは、ただただ大きな絶望だった。
目の前が暗くなるような感覚を味わいながら掲示板にその情報を載せると店を出て、この裏路地へと入り込み。
全く信じようとしないプレイヤー達の反応を自分でも驚くほどすんなりと受け入れて、今へと至る。
実際、有り得ないのだ。
現実には存在し得ないような生物が現れてゲームの中の肉体を傷つけて痛みを与え、殺す。
有り得ない、有るはずがない。
しかし有り得ないと、夢であってほしいとそう思うたびに、あの場での恐怖が脳裏に蘇る。
痛みなど感じる暇もなかった。
あったのはただただ、死への恐怖だけ。
次の瞬間には死ぬかもしれない、人生が終わるかもしれないと無様に這いつくばり。
完全にパニックに陥りながらボスエリアの端まで移動してようやく、その場からトロールと数人のプレイヤーが消えていることに気付いた。
このゲームに閉じ込められて、死ぬまで出れないのかもしれないなぁ、などと悲観したことを考えていても、実際に死を身近に感じることなど一度もなかった。
あの場で死に触れて、死にたくないと泣き叫び、私は自分の本心を知ってしまった。
私はもう二度と、あんな目に遭いたくない。
あの恐怖を忘却して日常に戻り、レイナさんに流されるようにI.W.と対立していたところをリュウに引き戻された。
もう一度あの脅威がやってくることを考えなかったわけではない。
それでもあの出来事が悪夢の中のことで、実際にはなかったことだと、そう思いたかったのだ。
そんなことはなかった、悪夢は現実にも現れて、今度こそ私の息の根を止めに来る。
もう駄目だ。
本当に強く、そう思う。
逃げてしまおうか。
ふと、そんな思考が浮かび上がる。
存外、悪い考えではないのではなかろうか。
この場に居たら、やがてまた恐怖が訪れることは分かっている。
リュウやゴルムは戦うのだろう。
相手の強さは不明だが、勝てる可能性はあるのかもしれない。
それでも恐らく、傷つく者は出る。
前回と同じく、消えて帰ってこない者が出て来るだろう。
その中に、自分が入りたくない。
痛みにのたうち回りながら死ぬなんて絶対に嫌だ。
ここに攻めて来るのならば、どこか遠くに逃げてしまえばいい。
ことが収まってから帰ってくれば、傷付くことはない。
誰が死のうが、何が起きようが、私は無視し続ければいい。
「もう、いいですよね」
私は今、すごく惨めな顔をしているだろう。
頭を振り、壁に手を付いて立ち上がる。
ここに残って敵と戦うことなど、微塵も考えられなかった。
リュウ達に悪いとは思うが、私は彼らのように強くはあれない。
傷付くのが怖い、人が倒れるのを見たくない、死にたくない。
逃げるのだ。
どこかは分からないが、ここではないどこかへ。
悪夢の手の届かない場所まで逃げて、そして、そして――。
「え……?」
路地の入口に、人が立っていた。
薄暗いとはいえ、昼間だ。
たった15m先に居る人間の顔くらいならば、簡単に判別できる。
「ルー……ク、さん?」
黒い瞳と髪に、腰に差す片手剣。
背負うのは巨大な盾。
不機嫌そうに眼を細める青年――ルークがそこに立っていた。
「どうして……」
ルークは私より先にバナミルの店を出たはずだ。
彼が人を尾行するようには見えない上、ここは人の通らない裏路地だ。
尚のこと、彼がどうしてこの場に居るのか分からない。
「……」
ルークはこちらの質問には答えず、無言で近づいてくる。
もしや何かしらが彼の逆鱗に触れて殴られるのか、と身構えたがそんなこともなく、ルークは私の1m程手前で歩みを止める。
「名前」
「え?」
「ルークさんってのはなしだ。ルークで良い」
「は、はあ」
突然の呼び名変更に思わず戸惑うが、そのルークの歩み寄りに喜んでいる自分がいることに気付いて嫌気が刺す。
何もかもを見捨てて逃げようとしている私に、誰かを好きになる資格などないというのに。
「……逃げるのか?」
そんな私の内心を読んだかの様に、ルークが問う。
怒りも落胆も感じさせない問い。
どこか彼らしくないその問いに、拍子抜けしてしまう。
彼に内心を見透かされるなど、有る筈がないと思っていたのに。
彼はただ純粋に戦い続けるだけだと思っていたのに。
私への労りが籠ったその問いに、心を強く揺さぶられてしまう。
そんなことない、とそう言えればどれだけ楽だっただろう。
逃げる訳がない、私は戦いたくてうずうずしている、さぁ一緒に敵を倒そう。
そう言って彼の隣でカマを振るうことができたら、どれだけ幸せだっただろう。
今の私にはできない。
もうそうするだけの意志が、私の中には残っていない。
「そう、ですね。情けない話だとは思いますけど。私はもう、戦えません。だから――」
ルークの目を見ないようにしながら、彼の横をすり抜けようとする。
あまり長い間、話していたくなかった。
自分の弱さが嫌になるから。
こんな時でもルークと共に居ることを嬉しがっている自分が嫌になるから。
彼の隣に居たいと、守って欲しいと、浅はかな考えを持ってしまうから。
それなのに――。
「――あれ?」
気付けば、私はルークの胸の中に居た。
横をすり抜けようとしていたはずなのに、どうして。
ルークが私を抱きしめた?違う、そんなことを彼がするはずがない。
私が、自分から彼の胸に飛び込んだのだ。
そんなことをするつもりなんて毛頭なかったのに。
どうしてだろう。
彼は避けようと思えばできたはずなのに、なぜ避けなかったのだろう。
なぜ私は今すぐ謝ってこの場を立ち去ろうとしないのだろう。
――なぜ私は、彼の胸の中で泣いているのだろう。
「……うっ、くっ……」
分かっていた、というより、分かっているつもりだ。
逃げたところで、どうなる訳でもない。
リュウ達が負ければ、死ぬまでゲームの中に居るだけ。
勝ったところで、次々と刺客が送られて来れば、いずれ負けることになる。
結局は、同じなのだ。
逃げようと、戦おうと、最終的には死ぬだけ。
逃げという選択は、結果が出るのを遅らせようとするだけの行為に過ぎない。
そんなことは、分かっているのだ。
「怖い、怖い、怖い、怖い怖い怖い怖い――」
どうしようもなく溢れる涙が、ルークの服に吸い込まれて消えていく。
ルークは頭を撫でることも抱きしめることもしようとしなかったが、私を押し退けることなく立ち続けている。
私の人生は、このゲームを始めた時点で既に終わっていたのだ。
逃げようと戦おうと、その道はどちらも終わりに続いている。
それが分かってしまったから、もう戦うことなんてできなかった。
終わりにしよう。
もう、死んでしまえばいい。
このまま潰されそうになりながら逃げるくらいなら、更なる痛みを味わいながら戦うくらいならば、大人しく死を受け入れてしまえばいい。
そうすれば、何もかもを忘れて、楽になってしまえる。
死ぬのは怖いが、このまま生きるよりはマシなはずだ。
だから、これで最後だ。
最後だけ、この温もりに甘えていたい。
「――恐れはある」
だしぬけに、ルークが口を開いた。
「だが俺はその上で、決めた。生きていくことを。抗って、戦うことを」
耳元で、確固たる意志の籠った声が響く。
ルークは、私と同じように痛みを、恐怖を味わったはずだ。
最後の戦いにすら参加していたのだから、それは私を上回るだろう
それでも、彼は屈することをせずに、戦うことを選択した。
何故だろう。
それを知りたいと思う気持ちはあるけれど、知ったところで何をする訳でもない。
私にはできなかったことだ。
私はこのまま最後の時を過ごして、そして――。
「お前には、ないのか?」
半ば停止しかけていた思考を、ルークの問いが呼び覚ます。
「やりたいと願うことが。生きようとする意味が、お前にはないのか?」
思わず息を飲む。
私はルークには何も言っていない。
だからルークは私が死を受け入れようとしていることなど知らないはずだ。
それなのになぜ彼は、こうも私の心を揺さぶるのか。
「――ある」
「……」
「あるに決まってる」
気付けば、言葉は口を突いて出ていた。
「やりたいことなんて、いくらでもある。でも、もうそれをする道なんてない! 私は……私はもう戦いたくない! 傷付きたくなんてないんだから!」
ルークの胸から顔を放し、彼の顔を見つめて至近距離で叫ぶ。
こんな時でも彼は、一切表情を崩すことはなかった。
「私はあなたみたいに、強くない。私にこの恐怖は越えられない。やりたいことをやるために立ち向かうくらいなら、私は死ぬ方を選ぶ。もう、決めたから」
そう口に出して、ルークから離れる。
途端に物寂しさが全身を包むが、それもやがて忘れることだ。
「ありがとう。最後にあなたと話せて良かった」
気付けば、ずっと使っていた敬語がなくなっていた。
ゲームをする時、私はいつも敬語だった。
そうすることで私は自分を飾って、相手に良いように見える努力をしていたのだ。
ここはゲームであって、ゲームではない世界。
そんな浅はかな虚飾も、すぐに剥がれてなくなってしまう。
私は弱い人間だ。
どうしようもなく、弱い人間だ。
戦えない私は、大人しく死を受け入れるくらいが丁度いいのだ。
そう、思っていたのに――。
「お前が死んでも、誰も何も思わないとでも思ったのか?」
ルークの言葉が、私の心を離そうとしない。
「リュウにも同じようなことを言った記憶がある」
そう言うと、ルークは私の目を真っ直ぐに見つめて来る。
彼は捻くれた性格で、誰ともまともに目を合わせないのだと、そう思っていたのに。
「お前の死を惜しむ奴が誰も居ないと、そう思っているのか?」
「どうして……!」
もう決めたのに。
私は終わりにすると決めたのに。
どうして彼は私に――。
「お前は、生きていたいんだろう? やりたいことがあるんだろう? なら死ぬな。逃げても、隠れても、死ぬことだけは考えるな」
「でも、私は弱くて、怖くて、戦えないのに――」
「お前の死を惜しむってことは、お前のために戦う奴が居るってことだ。お前を守ろうって奴が居るってことだ。その想いを知らないまま死ぬなんてのは、俺がさせない。絶対に」
そう言うと、ルークは身を翻して路地の入口へと歩き出す。
言いたいことは全て言ったとばかりに。
もう全て、答えは出たとばかりに。
なぜ、どうして。
私は自分の為に、自分可愛さに現実から目を背けようとしているのに。
それなのになぜ、彼は私を見てくれるのか。
どうして、甘い言葉で私の意志を崩しに来るのか。
私に同情してくれたから?
そうだとしても、彼があそこまで他人を気遣うことがある訳がない。
彼が私の好意に応えてくれたから?
有り得ない、私の好意に気付いていたとしても、彼はそんなに甘い考えをしていない。
彼が私に好意を抱いているから?
有り得る、訳がない。
果たして、本当にそうなのだろうか。
私が、彼の何を知っているというのだろう。
私が、彼をどれだけ知っているというのだろう。
私が彼に出会ってから、まだたった数日しか経っていないのに。
「ルーク!」
気付けば、彼の後ろ姿に声を掛けていた。
それを予想していたように彼は足を止め、こちらを振り返る。
まだ頭の中は色々なことでぐちゃぐちゃだ。
逃げたいと迷い、死にたいと願い、どうすればいいか分からないと泣き、彼の言葉に揺れている。
恐怖がなくなった訳ではない。
今も、あのトロールのような敵ともう一度戦うことを考えるだけで体が震えてしまう。
それでも、それでもだ。
「一つだけ、目標を決めました。小さいけれど、私にとっては胸躍る目標を。そしてどうやらそれは、今回の戦いを乗り越えなければ、達成できないみたいです」
言いながら、ルークに近づいていく。
彼はそんな私を見ながら、何も喋ろうとしない。
恐怖は消えていない。
それでももし仮に、更なる敵に打ち勝ったとして。
その先に未来で、再び彼のことを知る機会が得られるのだとしたら、私は――。
「私は戦います」
そう宣言して、ルークの目の前で止まる。
彼の無表情な顔が、ほんの少しだけ綻んだように見えた。
「力が及ばずに、死んでしまうかもしれない。痛みに耐えきれずに、泣き叫ぶことがあるのかもしれない。それでも、私は戦います。今、そう決めました。生きるためではなく、たった一つの目標を達成するために」
生きるのが良いのか、死ぬのが良いのかなんて、もう私には分からない。
それでも、目標を達成したいという、この気持ちだけは本物だ。
「……そうか」
私の視線を真っ直ぐに受け止めて、彼はそう答える。
不愛想で、素っ気ない彼の返事。
しかし、そこからは確かにそれ以上の意思を感じ取ることができた。
ルークは一つ頷くと、再び踵を返し――かけてもう一度こちらを向く。
少し迷っているような様子に首を傾げた私に、意を決したように彼の手が伸びてきて――。
「頑張れよ」
一瞬、ほんの一瞬だけ、ポン、と私の頭の上に乗っかった。
「……」
すぐさま振り返り、今度こそ路地を抜け雑踏に消えていくルーク。
触れられた頭を押さえて半ば思考停止に陥りながら、私は先ほど決めた目標を振り返る。
もし、この戦いを無事に生き抜くことができたなら、私は彼に――。




