第40話 二人の迷子
「ごぇっっふぁ!うぐっ!ゲハッ!ぶはっ!」
死に物狂いで水面から顔を出す。
このゲームに於いて、水中と言うのはかなりのデメリットを強いる場所だ。
何せ無呼吸状態での苦しみが現実と何ら変わらない。
そうそう溺れる事態にはならないだろうが、今回みたいな事態では結構きつい苦痛を強いられる。
「げほっ!…くっそ、結構流されたな。」
軽く息を整えてから周囲を眺める。
何者かを追いかけて、諸共崖から落ちてから数分が経過している。
ここはどうやら崖の狭間を流れる谷川のようだ。
川幅はそれほど広くなく、両側には切り立った崖が屹立している。
ちなみに絶賛流され中である。
流れがかなり強く、水面に顔を出すのでやっと。
結構深いらしく足が付く気配はない。
このままではどんどんカルカから離れていくだろうし、結構面倒な状況だ。
モンスターが居なさそうなのが不幸中の幸いか。
「とは言え、いつまでも流されてたら帰れなくなっちまうな。どっかに上がんないと。」
しかし、周囲は見渡す限りの崖、水面には突き出る岩一つないし、上がれるところなんてどこにも――。
――いや。
「あれだ!」
流れる川の先、崖の一部分に少し材質の違う壁があった。
そしてそこは今にも壊れそうな程ひび割れている。
あれならば破壊すれば少しの空間は確保できそうだ。
「そうと決まれば…。」
急流の中を左手一本で進む。
すっごい流されながらもなんとか目的地まで到達し――。
「[爆裂拳]!」
轟音と共に壁を破壊。
右手のお荷物を中に投げ入れて、俺も中に入る。
「ぐっは、疲れたぁー。」
肉体的疲労と精神的疲労でK.O.寸前だ。
ばったりとその場に寝っ転がりながら荒い息をつく。
予想外の連続で凄まじく疲れた。
しかしここは何が起こるか分からない谷底、それにもうすぐ夜だ。
このまま寝てしまうわけにもいかない。
「服乾かすために火起こし、瓦礫の撤去に位置確認に脱出手段の確保…。こりゃ今日はここに野宿か…。」
やるべきことの多さにげんなりする。
だが真に面倒なのはこれからのことではなく――。
「すー。」
人の気も知らず寝息を立てるプレイヤー。
俺がここに来ることになった原因でもある、件の弓使いだ。
落下して溺れかけているところを助けたわけだが、途中で気を失ったせいで結局俺のお荷物にしかならなかった。
「…やっぱ捨てて来るべきだったかな。」
柔らかな藍色の髪に、中性的な顔。
弓は手放していたのを俺が回収したが、腰に下げた矢筒の矢は一本残らず流されてしまったようだ。
装備は軽い布防具だが、全身が濡れて服が肌に貼りついてしまっている。
無論俺も同じ状況なのだが、ここで俺はある真実に気が付いてしまった。
「こいつ…女か!!」
気を抜いていれば、いや、この状況でなければどれだけ集中していても気づかなかっただろう。
張り付いた服の胸部分が、僅かに膨らんでいることに…!
「いやー、危ないな。今気付かなかったらこいつを男扱いして手痛い一撃をもらってたかもしれん。」
レイナとは比べ物にならない大きさ。
どっかの主人公なら気付かずになんだそりゃー、とかやるんだろうが、俺は気付いた。
典型的鈍感野郎とは違うのだ。
そして気付いたからにはもう恐れることは何もない。
突如襲われてこんな事態になった鬱憤をまとめてぶつけてやるとしよう。
「…ふぅ。」
下らない独り言を打ち切って一息つくと、水に濡れて冷えた身体がブルリと震えた。
何にせよ、今日中にカルカに戻るのは恐らく無理だ。
この嫌な夜を少しでもリラックスして越えられるように、こいつが目を覚ますまで尽力してやるか。
「…やっぱ捨ててもバレなくね?」
バチッ、と何かが爆ぜる音で目が覚めた。
同時に全身を包む湿った気持ち悪い感覚と、左半身を温める熱の存在を意識する。
「…ん。」
どうやら気を失っていたらしい。
目を開けると、そこはやはり自室の天井とは違う景色。
しかし、この一週間で見慣れたプライベートルームの天井でもなかった。
僕は冷静だ。
異常な事態だろうと、取り乱したりなんかしない。
静かに、落ち着いて、状況を判断するんだ。
スキル[覇気感知]を使う。
モンスターでもプレイヤーでも、全ての生物が持っている気配を感じ取るスキル。
任意発動なため、奇襲には気付きにくいが、その分精度の高いスキル。
――それを使った瞬間、僕は叫び出したくなるような恐怖と共に飛び起きた。
たった1m程の距離を置いて存在した濃密な気配。
その強烈な気配が、僕に意識を失う直前の出来事を思い出させた。
ゴルゴ山のボスエリアを越えた先のエリアで、ボスをも上回る気配を漲らせたモンスターを見つけたこと。
それを仕留めるべく長距離狙撃で矢を放ち続けたら、物凄い速度で接近されたこと。
大慌てで逃げだしたらうっかり崖から落ちてしまったこと、まで。
つまり、崖下まであのモンスターが追って来たってことか!?
というか、なんで僕は落っこちて死んでないんだ!?
思考がぐるぐると頭の中で渦巻くも、身体はこの状態に対処するべく動く。
もうここまで接近されている以上、向こうもこっちの存在に気付いている。
さっきの速度を見る限り、もう逃げられない、足止めをしながら殺るしかない!
何故かびしょ濡れの身体で跳ね起き、燃える火の向こうに人影があることを視認。
背中の弓へと左手を、右腰の矢筒に右手を伸ばし――そのどちらもが空を掴んだ。
「ほぇ?」
思わず間抜けな声を上げてしまう。
そしてそんな僕の隙を見逃すはずもなく、人影はこちらを振り向き――。
「…起きたと思ったら何を始めるんだお前。」
――呪いの言葉を放ってきた。
「何ぃ!?君はモンスターじゃないのか!?」
「うるさいな。どこをどう見たら俺がモンスターになるんだよ…。」
結局この人型モンスターは攻撃してくることはなかった。
それどころか、とりあえず座れと焚火の横を指差して言ってくる。
僕に指図するなんてモンスターの癖に生意気だと思ったのだが、とにかく、距離を置いて反対側に座った。
濡れた服から蒸気が出て、次第に乾いていくのが分かる。
「どこをどう見たらって、君のその禍々しい気配!どう考えても凶悪なモンスターだろう!僕の目はごまかせないぞ!」
[覇気感知]を使った時のあの恐怖が脳裏に蘇る。
あんな気配を垂れ流している奴がプレイヤーなんてことあるもんか!
「大体ここはどこなんだ?この怪しげな雰囲気と言いこの焚火と言い、ここが君の住処なんだろう?」
川沿いの崖に作られた、如何にも即席な洞穴。
焚火は、穴だらけの岩にそのまま火が付いた謎の物。
洞穴の隅に似たような岩が積み重なっている他には、調度品も見当たらない
それどころか、扉の一つもなく、すぐそこは川だ。
こんな野蛮そうな生活を送っていそうな奴がプレイヤーなんてことあるもんか!
「住処ってお前…。ここに来るまでのことは何も覚えてないのか?」
「ここに来るまでのこと…。」
僕が覚えているのは、[覇気探知]を使ったら超ヤバそうなモンスターが出てきたから倒そうとしたこと。
そしてそれに追い掛けられて崖から転落したことまでだ。
それをそのまま伝えると、モンスターはさも心外だと言う様に突っかかって来た。
「俺はモンスターじゃないし突然お前に攻撃されたのも俺だし崖から落ちたお前を助けてやったのも俺だ!何都合よく被害者面してんだよ・・・!」
ふむ、何を言っているのかよく分からないが、崖から落ちた僕をここまで運んだのはこいつらしい。
「よし、僕を助けてくれたことには礼を言おう。それで、依頼は何だ?何か頼みがあるんだろう?」
「だから、俺はモンスターでもNPCでもないって…。」
こんな強そうなモンスターの依頼なら、きっといい報酬が手に入るに違いない。
そう思っての言葉だったのだが、返って来たのは呆れた視線と覇気のない言葉だけだった。
ふむ、まだクエストフラグが立っていないのかな。
「それならばフラグが立つまで共に居るまでだ!…君、名前はなんて言うんだ?」
「…リュウ。」
「そうか、リュウ!僕はキシン。これからよろしく頼む!」
手を差し出すが、反応がなかったので無理やり手を掴んで握手を交わす。
なかなか親密度上げには時間がかかりそうだねぇ。
「さて、それじゃあもう暗いし、僕はそろそろプライベートエリアに戻るとするよ。」
まだ春と夏の間といったこの季節、夜はなかなか寒いのだ。
焚火を一晩中焚いているわけにもいかないだろうし、ここは一端解散して、また明日どこかで集合すればいいだろう。
そう思って立ち上がると、リュウが何か言いたげな視線でこちらを見てきたが、僕とこいつの仲だ、挨拶なんぞ要るまい。
傍に置いてあった僕の弓を拾って無言で外に向かい――気付いた。
――外、見える範囲の全ての地面が水没していることに。
「一体…何が…。」
「川だよ!」
「何ぃ!?ここから帰れないだって!?」
再び焚火の傍に座り込み、リュウを問い詰めたところ、衝撃の答えが帰って来た。
曰く、ここからカルカまで帰る方法が分からない、と。
「どういうことだ!?君は自分の意志であのエリアに居たんじゃないのか!?それが何で再びあそこまで行くことができないんだ!?」
「だ!か!ら!ここは俺の住処でも何でもないって言ってるだろうが!何故お前は人の話を聞こうとしない!」
詳しく話を聞くと、事の顛末はこういうことらしい。
この男はリュウという名のプレイヤー。
エリアを探索していたら突如何者かに矢を射掛けられ、襲撃者を追い掛けて共に崖から転落。
川に落下し、襲撃者を救出しながら、壁面に発見した亀裂を砕き、今はその確保した空間で小休止しているところ。
先に攻撃を仕掛けたのは確かに僕だし、落ちてからは記憶がないのだから、ここまで僕を運んだのはリュウなのだろう。
「でも、なんでわざわざ僕を助けたんだ?」
いくら[覇気探知]でモンスターと誤認していたからと言って、突然襲撃してきたプレイヤーをわざわざ助ける意味が分からない。
そのまま放っておいても溺死して、カルカの神殿で復活したはずなのに。
「別に…大した理由はねぇよ。助けられるものを見捨てるなんてことができなかっただけだ。」
ふむ、中々いい奴じゃないか。
所詮ゲームなのだから、死なんて当たり前に起きることだ。
それでも、自分も死んでペナルティを受けるかもしれないのになお助けようとする姿勢は、良いことだと思う。
ただ死ぬだけだから、といってモンスターを擦りつけて良いという訳ではないのと一緒だ。
「で、帰れないってのはどういうことなんだ?」
「いや…だから、単純に帰り道が分からないだけだ。川を遡っていけば良いんだろうが、そこから崖上に登らないといけないし、カルカへの方角も不明。下手したら高レベルのエリアに迷い込んで殺されるな。」
「そこだ、なんで死に戻りしてカルカに戻るんじゃ駄目なんだ?」
死んだらホームポイントとして設定した場所に戻る。
それは絶対のことだし、デスペナルティを惜しんでまでこんな場所で狼狽えていても仕方がないはずだ。
「ああ、その話をしてなかったか。ちょっとステータス画面見てみろよ。」
自分もウィンドウを開きながらそんなことを言ってくる。
…ウィンドウを開くことができるところを見るに、リュウは本当にプレイヤーのようだ。
「見てみろって言ったって特に変わったことは…ってあれ?」
ステータス画面に表示された、HPという項目。
本来なら『城下町カルカ:神殿内部』と表示されているべきその文字が、『ヘルプト川:水面』という見覚えのない字に変わっていた。
「ちょっと待て!これはどういうことだ!?こんな場所に覚えはないぞ!?」
まだ一度も他の町の神殿に訪れたことがないのだから、ホームポイントはずっとカルカのままのはずだ。
それが変わっているということは何らかのアクシデントがあったというわけで…。
ちらりとリュウの方を見ると、やっぱりお前もか、という答えが帰って来た。
「俺も、変えた記憶がないのにホームポイントが変わってた。たぶん、この川がヘルプト川なんだろうな。」
「二人共変わってるとなると…書き換えられたのか?」
「だろうな。崖から落ちた時にでも強制的に変えられたんだろう。危険な状況になっても死に戻りできなくするためだろうな。多分、このまま川を流されてたらかなりヤバかったはずだ。」
…つまりリュウが助けてくれなかったら今頃僕はとんでもない事態に陥っていた可能性もある、と。
「ま、そんなのは過去の話だ。助かったんだからもういいだろ。重要なのはこれからのことだ。」
リュウがパン、と手を叩いて話を変える。
「今はもう夜だ。外で俺たちはまともに動けない。完全に明かりがない以上外に出るのは自殺行為だ。」
「ああ、話は分かっているとも。だからこの穴を掘り進んで崖上まで上がる。そういう作戦で良いんだよな?」
「…ん?」
「え?」
リュウに、何言ってんだこいつ、みたいな目で見られた。
何か間違ったことを言っただろうか。
「待て待て、この洞穴を作ったのは君なんだろう?だったらこのまま崖の上まで掘り進めていけば良い話じゃないか。」
「アホか!この崖何十メートルあると思ってんだよ!そんなことしてる間に何日も過ぎるわ!・・・ってそうじゃなくて、夜は身動きできないんだから今日はここで一夜を明かして、明日から本格的に帰る方法を探っていこう、って話だよ。」
このゲームに破壊不能オブジェクトは存在しないから、結構いい考えだと思ったんだけどなー、という僕の言葉は、リュウのその言葉に打ち消された。
「…え?一夜明かすって、ここで?マジで?」
「マジ。」
「お風呂は?」
「川があるだろ。」
「ご飯は?」
「ゾンビドロップ、腐った液体。」
「ベッドは?」
「自分に合った岩を探せよ。」
こいつ、最低だ!
僕みたいなちょうぜつびしょうじょとこんな場所で一夜を明かしたいだなんて、変態に決まってる、絶対。
これが俗にいうKichikuと言う奴か!初めて見た。
「…と、言うのは冗談で。…おい、何蔑んだ目で見てんだよ。こうなったのもお前のせいだからな。お前に拒否権はないぞ。」
「うぐ…。」
更に恩を笠に着る変態。
こいつは人間として終わってるぞ!
「…仕方がない。君の作戦に乗ってやる。ただ僕に手を出したらタダじゃ置かないからな!」
「出さねぇよ!」
これが、僕とリュウの出会い。
この出会いが僕の人生を大きく変えることを、僕はまだ知る由もない。




