閑話 荒れ狂う大熊
「グオオオオオッ!!」
地を震わす声が耳朶を叩き、どうしようもなく身体が震える。
だって、仕方がないでしょう、この世界に来てから私が戦った相手と言えば、最初の赤イノシシ一匹のみ。
それも何が何やら分からず終わったし、その後はゴブリン達に気圧されて全く戦う気になれなかった。
それが急に、こんな奴と戦うことになったのだ。
「怯むなッ! 敵は一匹だ! 取り囲んで確実に傷を負わせていけ!!」
グルドが指揮し、数十匹のゴブリンで構成された一つの集団。
それをまるで、小さなアリの群れ程度であるかのように思わせるほどの巨体。
森に入り、すぐさま足音で発見することができるほどの巨体。
立ち上がれば体高が4mにもなるだろう巨体。
それこそがゴブリンの集落を脅かす大熊、ガルナ・ミドヴェーチの正体だった。
「ガアッ!」
図太い腕が薙ぎ払われる。
周囲の木々を巻き込みながらゴブリンたちへと叩き込まれ、轟音と共に数匹のゴブリンが吹き飛ばされる。
「今だッ!」
ゴブリンの命を犠牲にして作った一瞬の時間で、ガルナの巨体に矢がいくつも突き立たり、更に荒い造りながら立派な鉄でできた剣が傷をつける。
「ギャアアア!」
そのことに怒ったガルナが暴れ回り、再びゴブリンが弾き飛ばされる。
まるで竜巻でも相手にしているかのようだった。
大きさという武器を手に、ガルナは暴れ回る。
「ミオ! お前さんにはこの攻撃を潜り抜けて奴を倒してもらわにゃいかん! 府抜けてる暇はねぇぞ!」
自らの刀を手に、吹き飛んできた大木を両断しながらグルドが叫ぶ。
「そんなこと言ったって、こんなの……」
盾を構えたゴブリンでさえ、その攻撃を受ければひとたまりもなく吹き飛ばされるのだ。
防御力0の私があんな攻撃に巻き込まれてしまえば……いや、攻撃が当たらなくともその余波だけで死んでしまうのではないだろうか。
さっきまであんなに意気込んでいたのに、いざあの大熊を前にすると足が震える。
所詮私はただの高校生、死にに行く勇気も、覚悟もなかった。
「グオオオオッ!!」
周囲のゴブリンを薙ぎ払ったガルナが吼える。
その衝撃波だけで離れたところに居た私やグルドも吹き飛ばされた。
「あっ……」
どうしてなのか分からない。
ただの気まぐれなのか、着物の色が派手で目障りだったからか。
ガルナがこちら目がけて突っ込んでくる。
「ちっくしょうがああっ!」
ドォンッ! と轟音が響き渡り、ガルナの動きが止まる。
グルドが、両足を折れそうなほど踏ん張り、その巨体を受け止めていた。
そして、叫ぶ。
「おいミオよ! オレらがこいつに挑んだのは失策だったか!? 大人しくお前を犯して子孫を残すべきだったのかよ! ええ!?」
両足が地面を抉り、少しずつ後退しながらもグルドは叫ぶことをやめない。
「確かにオレたちにはそういう道もあった! だがオレたちは、己の誇りと、仲間のために戦うことを選んだんだ!」
周囲のゴブリン達がめげずに立ち上がり、グルドに加勢する。
それでも私は動けない。
自分の覚悟が足りないことに、足りなさ過ぎたことに気付いたから。
「お前はどうなんだ!? お前は何でオレたちを助けようと思ったんだ!? オレたちはお前さんのことを何も知らんがな! お前さんを信じて未来を託したからには、オレたちはゴブリンの誇りにかけてお前さんを信じ続ける!」
「グオオオアアッ!!」
ガルナの図太い腕が薙ぎ払われる。
まるで紙屑のようにグルドが、ゴブリン達が吹き飛ばされた。
それでも、グルド達は諦めない。
飛ばされる度にガルナにしがみ付き、足止めをする。
一匹、一匹とゴブリンが倒れていくのに、それでも逃げない。
私を信じているから。
「お前の信じるものはなんなんだ! ミオ!」
「私の……信じるもの……」
私は何がしたいんだろうか。
訳が分からないまま訳が分からない場所に居て、ゲームのスキルを持ってはいるけどそこはゲームじゃない。
私は何?
本当に私は高校2年生の神楽美桜なのだろうか。
人は一度全く違う環境に置かれれば、元の自分を証明することなんてできない。
私が私であることを証明できるものは何もない。
でも、そんなことは関係ないじゃないか。
私はそこまで頭がよくない。
グルドの、ゴブリン達の生き様に心を動かされて、ガルナの威圧に気圧されて。
それでもグルドは私を信じると言った。
こんな私でも、信じ続けると言ってくれた。
なら私がすべきことは一つだけ。
「グルアアアアアッ!」
業を煮やしたガルナが叫び、衝撃波が撒き散らされる。
しかしそれがグルドたちに襲い掛かることはなかった。
「お?」
背後のグルドがポカーンと呟き。
そしてクックッと笑った。
「おっっっそいお出ましだなミオよ! 死ぬ覚悟はできたのか?」
切り散らされた衝撃波が背後の木々をへし折る。
「ごめん……待たせた!」
振り返らずに笑いながら叫ぶ。
言ってしまえば、死ぬ覚悟なんてできるわけがない。
安全な日本で過ごしてきた私からすれば、死なんてそうそう実感できるものじゃない。
それでも、この世界で生きていく覚悟はできた。
だったら、こんなことで一々怯えてなんかいられない。
「クックック。”奴は強い。オレごときが束になっても歯が立たないだろう。それをお前さんにできるのか?”」
「できる!」
ゴブリンの集落で問われたそのままの言葉に、自信を持って返す。
できる、私なら。
相手が強くたって関係ない。
「だって私の能力は――チートだからね!」
私に気を取られているガルナの隙をつき、流れるような動きで踏み込んだグルドが抜き打ちで斬りかかる。
だがガルナも一筋縄ではいかない。
巨体に似合わぬ俊敏な動作でグルドの斬撃を回避すると、片腕を振り回す。
本来はその余波だけで人ひとり吹き飛ばすほどの威力。
だがその強力な一撃はグルドに掠りもしなかった。
――少し離れた場所に、切り離されたガルナの腕が落下しする。
スキル[絶対切断]を使って、私が余波ごと腕を斬ったから。
「お前さんが《所持者》だったとはな! その割にコシヌケな精神か! ククッ、やはり不安定なやつだ!」
「……むぅ」
グルドの失礼極まりない言葉に少しムッとしながら、ガルナをしっかりと視る。
《所持者》が何なのかは後でゆっくり聞くとしよう。
少し離れて立つガルナ。
失った腕の断面からは血が凄まじい量流れ出ているが、全く逃げる様子はない。
それどころか、更に憤り、戦うことしか頭に無いようだ。
対する私も、全く気が抜けない。
覚悟を決めた今、血を見ても気が逸れることはないけれど、私の防御力は0。
それに、[絶対切断]で切れるのはあくまで刀の範囲まで。
間合いに踏み込む以上、絶対に気を抜くわけにはいかない。
「ガアッ!」
視える。
振られてくる腕を刀で受ける。
まるで豆腐のように肉が切れるが、切断には至らない。
その勢いのままガルナが突っ込んでくる。
「ギッ!」
その突進は盾を持った2匹のゴブリンに受け止められた。
それを信じていた私は余裕をもって刀を振りかぶる。
狙いは――。
「ガッ!?」
「やったれミオ!」
――グルドの刀に貫かれて怯んだところっ!
剣を、振り抜く。
全く手ごたえはない。
しかしそれこそが、討伐の証。
ガルナの上半身が斜めにずれた。
「ガ……!」
大量の血と内臓を撒き散らしながら両断されたガルナの体が落下する。
ズズゥン! と轟音を響き渡らせながら、大熊は森の地面に横たわった。
「おっと!」
それに汚されないように急いで刀を引き抜き、グルドが飛び退く。
「勝っ……た?」
ガルナはもう動かない。
その巨大な体は、綺麗に両断されていた。
即ち――。
「お疲れさん!」
ドン! と力強くグルドが私の肩を叩き、ゴブリンの癖に無駄にかっこいい笑顔を浮かべながら言う。
いや、私には彼氏が居るし全く惹かれてる訳じゃありませんが。
「よくやった……よくやったぞミオ! オレたちの勝ちだァ!」
グルドが叫ぶ。
「ウオオオオッ!!」
それに答えるゴブリン達。
最弱の種族と呼ばれるはずのゴブリン達は、同時に誇り高き孤高の種族なのだろう。
「お前さんのお陰だ! ミオよ! これでお前さんを解放することになったわけだが、改めてオレたちの集落に来ないか!?」
それが永住の意味でなく、観光という意味なのは分かった。
だから私も、迷うことなく頷く。
「よっしゃあっ! 今日は宴と行こうじゃないか! 帰るぞお前らぁ!」
「ウオオオオッ!!」
「うおー!」
私も一緒に手を突き上げながら、これからのことに思いを馳せる。
元の世界にはやっぱり帰りたい。
学校だって行かなくちゃいけないし、彼氏にも会いたい。
ひとりぼっちなんて嫌だ。
まだ17歳、未練はいくらでもある。
お母さん、心配してるかなぁ……。
溢れそうになる涙をぐっと堪える。
元の世界に戻る方法なんてサッパリ分からないけど、もっとこの世界のことを知らなくちゃいけないのは確かだ。
私はもう自由の身だし、いつまでもゴブリン達と居ては、元の世界になど帰れはしない。
すぐに別れる事にはなるだろうけど、少しばかり、グルドたちと喜びを分かち合うのも悪く無いだろう。
そう考えて、揚々と歩き出したグルドに続く。
大きな不安と、大きな達成感を胸に抱えながら。
もし神が居るのなら。
神は私にどれ程苦難を与えたいのだろう。
「おい、なんだよ、ありゃ……」
グルドがポツリと呟く。
木が多く立ち並んでいて良く分からないが、空に昇る――黒煙だけは見える。
「え……あっちって集落の方じゃ……」
私が呆然と口にした瞬間、グルドがギリッと歯ぎしりした。
その表情は、凄まじい量の苦悩と後悔、怒りが混在しているようで――。
ふいにグルドが、ニヤッと笑った。
「え?」
バッ、とグルドの右手が動き、気付けば刀が握られていた。
――私の刀が。
「……グルド?」
「ハ、ハハ……」
明らかに様子がおかしい。
狂ったように笑みを浮かべながらこちらへと歩んでくる。
「よくやってくれたなァ、ミオよ。お前のお陰でオレたちは助かり……クク、そして優秀な苗床も手に入れたわけだ」
「な、なにを言ってるの?」
グルドがゆらりゆらりと歩いてくる。
武器を取られた私には、少しずつ後ずさることしかできない。
「ハッハ! オレたちはゴブリン。お前との約束を守る必要なんてないよなぁ? 安心しろよ、助けてくれた礼だ。ちゃんと死ぬまで使ってやるからよォ」
ニタニタと笑いながらグルドが迫ってくる。
裏切られた?
さっきまで普通だったのになんで?
最初から騙していた?
嘘、嘘、嘘。
「嘘でしょ?」
ドン、と背中が何かにぶつかる。
いつの間にか、後ろには既にゴブリン達が居た。
皆、目を瞑り口を引き締め、まるで何かを覚悟したかのような顔だった。
「……残念ながら嘘じゃねぇなぁ。さぁ、おねんねだミオ。じゃあな」
ドン! と問答無用で私の首元に手刀が振り落とされた。
意識が遠くなる。
もし神が居るのなら。
神は私にどれ程の苦難を与えたいのだろう。
「行くぞ! お前らァ!」
「ウオオオオッ!!」
何も理解できないまま、何も言えないまま。
無情にも意識は深い闇に沈んでいった。




