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第2話 目が覚めて、工房の日々





 夢を見ていた気がする。


 突っ伏した姿勢から顔を上げて、寝惚けた目で周りを見回した。


 薄暗い室内。多様な薬品と触媒が混ざった匂い。使い掛けて、半分ほど砕いた聖晶石。ナイフ、すり鉢、鋏、小ぶりな鎚などの器具。魔導具焜炉。


 あまりにも見慣れた景色。宮廷内に設けられた特別錬金工房。宮廷内の私の居場所であり、責任の在処でもある。


「んはっ!?」


 私はガバッと身体を起こす。


 仕事の途中だったことを思い出して一気に目が覚めた。


(やばっ! 寝落ちしてた!)


 私は慌てて、机に置いていたグルグルの瓶底みたいな丸眼鏡を掛けた。振り仰いで時計を見る。時刻は深夜一時。


 さっき時計を見たときには零時頃だったので、居眠り一時間で目を覚ましたのは命拾いしたと言える。


「あ、焦ったぁぁぁ……」


 私は安堵のあまり、へなへなと椅子の上で脱力してしまう。このまま朝まで寝ていたら大変なことになるところだった。


(ロレンス殿下に御渡しする勇者病の鎮静剤2本は、ほとんど完成してるから問題ない。あとは……)


 明日の、というか今日の昼には王国騎士団と、冒険者ギルドにも収める魔法薬を精製し終えねばならない。


 さらにこれらの魔法薬は、品質証明のため、朝一に宮廷魔術士の鑑定魔法を受ける必要がある。つまり今日も徹夜だ。


(量と品質を求められる以上、どうしても時間が掛かるわ)


 素材をレシピ通りに加工し、それを適切な方法で混ぜて煮込むだけでも魔法薬は作れる。大量生産も可能だ。


 だが、魔法薬の効果を高めたり、副作用を薄めることで服用者の負担を軽減するには、錬金術士が独自に魔力を籠める必要がある。


 それは魔導具についても同じことだ。手順通りに魔法金属を細工して組み合わせれば、護符や結界アイテムだって作り出せる。


 だが、其々の魔導具の耐久性や効果の強弱、持続時間などの本質的な性能を左右するのは、製作した錬金術士の力に拠るところが非常に大きい。


 高品質の魔法薬を用意しろと言われれば、編まねばならない錬金魔術の規模は大きくなる。時間も必要だった。作業量も増える。


(そういうのを私一人でこなしてるから、依頼された魔法薬の完成はいつもギリギリなっちゃうのよね……)


 私は小さく溜息を洩らして、作業机に並べた魔法薬を眺めた。


 精製促進の効果を持つ魔導具によって支えられた薬瓶に納められているそれらは、上位治癒薬、解毒薬である。合わせて、数は20本。


 今日の朝までに、これら全ての魔法薬に私の魔力を編み込んで、更に強力にしなければならない。膨大な精密作業だが、錬金術の腕が試される仕事という意味ではやりがいもある。


(とはいえ、3日連続の徹夜は堪えるわ……。さっきまで居眠りしてたっていうよりも、気を失ってたような感覚だし)


 休息を取ったはずだが、そんな感触も全くない。


「うぇくしッ!」


 欠伸を飲み込こもうとしたところで、くしゃみが出た。うう。寒い……。夜の工房というか、夜の宮廷内は空気が冷える。今夜は特にだ。


 作業台の傍に放り出していた毛布を手に取った。


 微弱な炎熱魔法を編み込まれた毛布で、刺繍された紋様に魔力を籠めると、ぬくぬくホカホカになる優れものである。


(はぁ、あったかい……。錬金術でも取り扱うけど、こういう生活魔導具は偉大だわ)


 ぬくもった魔導具毛布を肩から掛けて一息つくと、瞼が重くなってくる。また寝ちゃいそう。疲れと眠気が充満している頭を軽く振っていると、工房の扉が軽くノックされた。


「グランハース伯爵閣下。錬金魔術の最中に、失礼を」

「大きな声が何度か聞こえて参りましたが、何か?」


 扉が少しだけ開いて、ちょっと気遣わしげな低い声が届いてくる。この工房と私を護衛してくれている精鋭兵だ。


「い、いえっ、何でもないんです! 大丈夫です!」


 私が居眠りから飛び起きて「んはっ!?」とか発した変な声だったり、くしゃみをした声が工房の外に漏れていたようだ。……夜中にうるさくして、ごめんなさい。


 私は胸の内で謝りつつ、錬金用手袋をはめ直す。錬金作業用上着の長袖で、手首もしっかりと隠れていることを改めて確認した。


 作業台に置いてあった鏡で、よだれの痕がついてないかチャックする。……うん大丈夫。


 後ろで纏めただけの褐色の髪も、顔の半分が隠れるような丸眼鏡も野暮ったいが不潔でない。錬金用の作業着にも目立った汚れがないことを確かめる。


 それから、精製を終えた滋養魔法薬の大瓶と薬用グラスを手に取って、扉の方へと向かった。


 深夜の宮廷通路に出ると、鎧で武装した7人の精鋭兵が並んで敬礼のポーズを取ってくれる。なかなかの迫力で、ちょっと気圧されてしまうぐらいだった。


 ここまで厳重に私が護衛されているのは、過去に何度か襲われたからである。


「皆さん、よければ此方を。少しは身体が温まり、疲れも癒えるかと思います」


 私は傍にいた兵士の一人に、精滋養薬の大瓶と薬用グラスを手渡した。


「ただ、未使用の薬用グラスが一つしかなかったので、回して使って頂くしかありません。それは申し訳ないのですが」


 護衛兵は皆で顔を見合せてから、彼らのうちの一人が受け取った滋養薬と私を見比べてくる。


「よ、よろしいのですか?」

「このような高級品を、連日のように我々に振舞っても」

「グランハース伯爵閣下こそ、お疲れでは」

「この数日、まともにお休みになっていないはず」


 彼らは遠慮しているというよりも、困惑しつつも私のことを心配してくれている風だった。


「私の分の滋養薬はありますから。どうぞ使って下さい」


 私が頷くと、兵士たちはビシッと背筋を伸ばして敬礼をしてくれる。反射的に私も頭を下げそうになって、慌てて片手を挙げるポーズをとって応じた。


 以前、護衛してくれる兵士に礼を述べて頭を下げたら、王宮貴族の一人に見咎められたことを思い出す。


『貴族としての自覚が無いのか。下々の者に頭を下げるとは』というようなニュアンスで嫌味をぶつけられたのだ。


 ただ私は、父から教わった。


 「貴族であるからといって、自分のことを偉いだなんて思ってはならない」と。「貴族の優雅とは、責務を果たして労に報いることだ」とも。



 敬語で話しかけてきて、さらに連日差し入れをしてくる宮廷貴族などというのは、兵士の立場からすれば対応に困るのかもしれない。


 だが私なりに、護衛してくれる兵士たちに感謝を伝えたかった。


 ちなみに、兵士や私が職務中に服用する滋養薬については、その材料費と錬成に使用した器具も全て私の持ち出しである。これも父の真似だ。


 工房内に戻った私は、作業机に並べた薬瓶の群れと向き合った。


(依頼されてる魔法薬はこれで最後。殿下と騎士団、それとギルドに薬を納めたら、もう思いっきり寝よう)


 ささやかな楽しみを思い描きながら、私は手元に置いてあった滋養薬を一気に飲みほす。うえぇ、苦い。でも、ちょっと元気が出た。


(……うん。そろそろ、魔力を籠め直すタイミングかな)


 私は振り返って、工房の扉が閉まっていることを確認する。

 小さく息を吐いてから、手袋を外した。


 錬成した魔法薬やアイテムに魔力を籠めるのであれば、やっぱり素手の方がいい。精密な魔力操作、錬金魔術式を扱う場合は特にそうだった。


 ただ私は、自分の素手を他人に晒したことが殆どない。


 私の手には、黒々として禍々しい紋様が、びっしりと刻まれている。おぞましいほどに。全ての指に、甲に、掌に。そして私の全身にも――。


 産声を上げたときには、既に私の身体に刻まれていた呪詛。

 母の胎内にいた私が、悪魔に呪われた証。


 この呪いにより、私の命はそう長くはないらしい。


 最近になって、何人かの王都の高名な魔術士にも診て貰ったが、手の施しようがないと言われた。あと2年は持たないだろうとも。


 その現実は、もう受け容れている。


 ならば、と思った。


 私の命の使い途は、父が授かったこの爵位と職責を全うすることだ。これは義務感というよりも、愛情と尊敬が縒り合された使命感に近いかもしれない。


 私は父のことが大好きだ。父が築いてきた誇りを、せめて私は守り切りたいと思う。


 貴族令息や令嬢たちが家の栄誉のため、また面子のために命をかける気持ちは、私も理解できる。何がなんでも守りたいものがあるという気概も。


 今の私――ユリカ・フェル・グランハースにとって、その情熱の実践方法が、父から教わった錬金術なのだ。


(さてと……。それじゃまずは、解毒薬から)


 薬瓶の一つを両手で包むようにして、私は詠唱を始める。


「慈雨の恵みよ。穢れを祓い、涙の流線を流し給え――」


 詠唱に応じて、私に両掌には魔法円が浮かぶ。揺らぐような微光が零れ、編まれながら、魔法薬へと縫い込まれるように浸透していく。


 錬金術。それは術者の魔力を介した、あらゆる物質との交わりだ。形あるものに変容と促進、進化と真髄を与える魔法でもある。


(今の私は、名誉貴族と名誉職位を引き継ぐことを許されただけの未熟者だけど)


 解毒魔法薬を強化しながら、私の脳裏に過るのは父の姿だ。無数の薬瓶に囲まれ、その全ての魔法薬に最高位の効果を与える偉大な錬金術士。


(せめて、父さんから受け継いだ“グランハース”の名に恥じないよう、この魔法薬を完成させないと)


 冷えた工房の空気をそっと吸い込んで、私は胸の中で決意を握り直した。


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