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第九話 神々の証、白き導き手の降臨

 四日目の朝。流石に慣れた鐘の音が王宮の石壁に澄んだ余韻を落とす。まだ陽が高く昇り切らぬ時間、私は客室の窓辺で冷たい金色の光を浴びながら朝食をとっていた。

 白磁の皿に盛られた柔らかな白パンと温かい魚のスープ。辺境の素朴な食事とは違う、洗練された味わいにも少しづつ慣れてきた。けれど、三日間をこの部屋だけで過ごした身体は、そろそろ外の空気を求めていた。

 カツ、カツ、と廊下から近づく音に私の耳が反応する。

 扉が軽く叩かれ、低い声が響いた。毎日毎食、食事を運んできてくれた犬獣人の従者、ロトだ。

「フィーネ殿。ご準備は整いましたか」

「……はい。すぐに」

 数十分前、食事を運んできた彼は、本を持ってきた時以外は「食事を持ってきた」以外のことは何も言わなかったが、今朝は違った。

 大神殿側の準備が整った、と言い食後すぐに移動するから準備するようにと告げてきた。

 私は残りのスープを口に含み、ナプキンで口元を拭う。

 荷を持つ必要はなかった。……そもそも持つことも許されず、転移魔法陣で連れられてきたのだから。

 それに王宮の客室には、滞在に必要なものがすべて揃えられていた。本も私が願う前に用意してもらった。

 私は着古した白い外套の裾を整えると、ロトの後に続いた。


 長い回廊を抜け、転移魔法陣が展開された部屋へと向かう。

 大神殿――神託の判定を下す場所。

 辺境では精霊たちが日々息づいていたが、王都に来てからはその気配が希薄だ。

 この数日、窓辺で気づいた時の胸のざわめきがまだ残っている。

 曲がり角をいくつか過ぎ、最後の扉が開いた。

 そこには、この数日顔を合わせることが叶わなかった、金色の髪を朝の光にきらめかせる青年が立っていた。

 アルヴァート・レオグランツ殿下。

 そして彼のうしろには、大柄な男、斧を肩に担ぐ獣人、細身のエルフ、そしてローブを纏った姿の見えない魔術師風の者。そう、収穫祭で見かけた冒険者一行――あの夜、広場で私に声をかけてきた面々だった。

「……!」

 驚きに小さく息をのむ。

 そして周囲には私を無理やり連れてきた側近たちの姿はない。

 おや? と思わず眉を上げる私に、銀髪のエルフが軽やかに一礼した。

「初めまして、白猫殿。私はセレスタン。アルヴァート殿下の幼馴染にして、この度の同行者だ」

 優美な笑みを浮かべながらエルフの彼、セレスタンはさらりと言葉を続ける。

「他の“白き導き手”候補たちは、すでに殿下の側近と共に大神殿へ送られております。あなたは殿下自らのお連れとして、我々と共に」

「……そう、ですか」

 胸の奥がほっと緩んだ。あの最初の夜の晩餐で嫌味を浴びせてきた候補者たちと顔を合わせずに済む。それだけでどれほど心が軽くなるか。

 アルヴァートの金の瞳がこちらを捉えた。

 その瞬間、私の視界に――赤と金、風と光のきらめきが揺らめいた。

 初日の夜に客室の外で見かけた、あの淡い光。

 今ならはっきりと分かる。あれは、アルヴァートの魔力に宿る精霊たちの姿だ。

 火と風、そして光。力強く、美しく、私の瞬きに応えるかのように舞っている。

 だが、私は口を噤んだ。

 二日目の朝にロトの風の精霊を見抜いてしまったときの、あの警戒の色を思い出したからだ。これ以上、精霊が見えることを軽々しく明かしてはいけない。

 黙って視線を落とす私の肩に、温もりが触れた。

「緊張しているのか」

 低く、しかしどこか柔らかい声。

 アルヴァートが、私の肩に触れていた。彼の掌から、微かな熱が伝わる。その熱は不思議と、恐怖ではなく安心を呼び起こす。

「だ、大丈夫です……」

 返す声がかすれた。

 アルヴァートはふ、と小さく笑い、そのまま肩をだき私を導くように歩き出した。

 部屋の中央、青白く輝く魔法陣が展開している。幾重もの光の輪が重なり、淡い音を立てて空気を震わせていた。

 大神殿へ至る唯一の道――特別な転移魔法陣。

 素早く眼を走らせれば私の名前やアルヴァートと他の者らの名前だろう単語が失われた古代文字で記されており、ここから先は魔法陣によって制御されているのだと悟る。

「フィーネ、こちらへ」

 セレスタンが軽く顎を動かして示す。大柄な男と斧を担ぐ獣人、魔術師風の影も、それぞれ定められた位置に立った。

 肩を抱かれたままの私はアルヴァートの横に並び、足元に描かれた複雑な魔法文字を見下ろした。淡い光が足元から立ち上がり、空気がひんやりと震える。

「転移の際、目を閉じておくと酔いにくい」

 アルヴァートが耳元に囁く。その息が、微かに私の髪を揺らした。その距離の近さに気づくと胸が跳ねる。けれど、拒む理由はどこにもない。

 私は静かに頷き、目を閉じた。

 まばゆい光が一帯を覆う。足元から響く低い振動とともに、身体が浮かぶような感覚に包まれた。

 風と光と呼応する精霊たちのさざめきが混ざり合い、時を越えていく。辺境の森で感じた、あの懐かしい大地の声が、かすかに耳の奥を撫でた。

 そして、瞬間的にふっと、重力が戻る。

 瞼を開けると、そこはもう王宮ではなかった。

 白い大理石の床。

 天井は高く、神話を描いたステンドグラスから光が降り注ぐ。荘厳にして静謐、というのだろうか。

 大神殿――神々の息吹が宿る、世界の中枢。辺境の教会とは違う空気が漂っておりやはり王都は何もかもが違うのだ、と知る。

 アルヴァートが大神殿に圧倒され少しだけ腰の引けた私を支え微笑んだ。

「ようこそ、大神殿へ。フィーネ」

 その声は、転移の余韻に震える私の心を静かに包み込んだ。


 ***


 大神殿の空気は王宮とはまったく異なるものだった。清冽な水のように澄み切り、石の床を踏むたびに胸の奥まで振動が伝わる。耳を澄ませば、どこからともなく鈴の音に似た微かな響きが満ちている。

 精霊のなかでも上位になるものや、神々が降り立つ場所。

 私がその荘厳さに息を呑んでいると、アルヴァートの一行のうち、ローブを深く被った魔術師風の影が一歩前に出た。

 白い石壁に反響する、軽やかな足音。

 やがて彼は、長く垂れたフードを指先で外した。

「――大神殿へ、ようこそ」

 朗らかで、それでいて不思議な奥行きを持つ声と露わになった顔に、私は思わず息を止めた。

 雪を思わせる白金の髪、湖面のように澄んだ蒼の瞳。

 しかし、最も目を奪ったのは、その背にわずかにのぞいた純白の羽――。

「白鷲……獣人……?」

 呟きが自分のものだと気づいたのは、声が空気を震わせてからだった。

 空を翔ける獣人の中でも一際珍しいとされ、千年に一度出るか出ないかと伝えられる伝説の一族。その若々しい容貌はエルフ族にも似て、長命を感じさせない、透明な美しさを宿している。

「私は大神殿の使い、レオル。千年、この地に仕えている」

 白鷲の青年――レオルは、柔らかな笑みを浮かべて一礼した。

「殿下、そして“白き導き手”候補者。今日この日を待ち望んでおりました」

 千年――。

 その時の重さを思うだけで、言葉が出ない。

 アルヴァートが私の肩を軽く押す。

「驚くのも無理はない。だが、レオルは本物だ。大神殿の守り手――そして、我々の案内人でもある」

 私はただ、こくりと頷くしかなかった。


 広間を抜け、私たちは祈りの間へと案内された。幾重にも連なる白大理石の柱は高く、光を透かした蒼い硝子窓から聖光が降り注ぐ。

 その中央、円形の祭壇を囲むように既に“白き導き手”候補たちと側近らが待機していた。

 白兎獣人、白狐獣人、雪狼――。

 いずれも白を象徴する希少な血統を持つ者たちだ。私が入った途端、数対の視線が一斉にこちらへ注がれた。敵意というより、獲物を値踏みするような眼差しに、私の尻尾は怯んだ。

「大神殿の使い……まさか、あなたが……」

 だが候補のひとりが私から眼を逸らし、レオルを見つけた。その眼には驚愕と抑えきれぬ欲が浮かんでいた。

 他の候補たちもざわめきを隠せない。彼らも姿がはっきりとしない魔法使い風情だったレオルをただの随伴者だと思っていたのだろう。

 白鷲族特有の純白の羽に眼の色を変え、次々と声をあげる。

「自分こそが“白き導き手”だ。大神殿の使いよ、私の名を――」

 だが、白狐獣人がより一歩踏み出しかけた、その瞬間。

 ――祭壇が、光を放った。

 白い石床の中央、祈りの間の祭壇から黄金の光が漏れ出し、空気が震えた。

 耳を打つのは、低く澄んだ鈴の音だ。レオルが静かに目を細める。

「神が降臨されますよ」

 それは、私だけしか聞こえていなかったのか、他の候補者たちは眼を見開き光を見つめていた。

 そして、それまで何も発しなかった神官長らしき声が厳かに響いた。

「これより、神々が顕現なさる!」

 瞬間、眩い光が天を裂き、空間が裂け、風が巻き起こる。

 そこに――人の姿をとった五つの影が現れた。

 燃え盛る炎を背に、紅玉の瞳を持つ青年の姿をしているのは火の大精霊だ。その姿はよく物語にも記されている。そして水の大精霊もそう、青い髪を波のように揺らし、肌も爪の先までも揺蕩う水で揺らぐ女神だ。

 岩の鎧をまとった壮年の男は土の大精霊で、若葉を髪に編み込んだ少女は緑の大精霊。それから光の大精霊は黄金の翼を背負った中性的な存在だ。

 神話でしか見たことない人型の大精霊たちは、私がこれまで感じてきた小さな精霊たちとは比べものにならない、圧倒的な存在感を放っていた。

「……!」

 私が言葉を失っている間に、水の大精霊が柔らかく微笑み、静かに手を差し伸べた。その指先が、瞬時に私の腕をとらえる。

 同時に土の大精霊も、無骨な手で私のもう片腕を包んだ。

「え……?」

 戸惑う暇もなく、二つの力が私を導き、祭壇の中央へと押し出した。アルヴァートの手が肩から離れ、候補者たちのざわめきが遠ざかる。

 光が視界を覆い、身体がふわりと浮き上がる感覚。

「――まちがいない」

 振り向くと、神官長が声を震わせて告げた。

「此度、若き獅子王を支える“白き導き手”は、この者です!」

 その言葉に人ではない、けれど人に似た、圧倒的な神性を湛える存在たちはそれぞれ頷いた。

 そのうちのひとり、緑の大精霊が、柔らかな手で私の頭を撫でた。

『我らは大聖霊にして、神に連なるもの。さあ、白き導き手の白猫よ。若き獅子王を支え、共に歩み穏やかに在りなさい』

 音ではなく、心に直接響く声は幾つか重なっていたが不快感はなかった。

 大聖霊でもある神々は微笑むと、淡い光の粒となって消えていった。それと同時に、周りに集まっていた上位の精霊たちもゆっくりと姿を薄めていく。

 祭壇の光が収まったとき、祈りの間は先ほどと同じ静謐を取り戻していた。

「……フィーネ」

 アルヴァートの声が私を現実へ引き戻した。振り向けば、金の瞳がまっすぐに私を射抜いている。その瞳には、先ほどまでにない深い赤色の輝きが宿っていた。

「やはり、君だった」

 彼は一歩近づき、私の手を取った。その掌が、神々の残した温もりと重なり、心の奥がじんと熱を帯びる。

「これで、堂々と君を隣に置ける」

 静かな声は、けれど大神殿に広がった。

 ふとアルヴァート越しに見えた候補者たちは呆然と立ち尽くしている。白狐も、雪狼も、白兎も、誰ひとり言葉を発せない。

 ただ、その後ろに控えていた白鷲族のレオルだけが穏やかな微笑を浮かべていた。

 アルヴァートが私の肩を抱き寄せる。その温もりに、私の心はようやく自分が選ばれたのだ、となぜか実感した。

 そしてふいに、神々の加護が見えぬ力となってこの身を包む。

 それは、候補者たちから向けられた明らかな敵意や悪意を弾く柔らかな盾だった。

「神々の選定は絶対。疑う余地はなく!」

 神官長の声が、広間に響いた。

「“白き導き手”は、フィーネ殿。これより殿下と共に歩む者――それが、神々の御心」

 続けるようにレオルが静かに告げたその宣言は、荘厳な祈りの間に確かな終止符を打った。

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