表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
25/25

その7 柊の答え

 厳島神社での鑑賞は、不可能だった。

 回廊の中をギッシリと人が埋め尽くしているのである。無理をすれば間に割って入る事は出来そうだったが、そうして見る祭りが楽しいものとも思えない。


 かといって、沿岸にも人が密集している。少し歩いて様子を見たが、提灯を持った先客が横に広がっているのである。一つ一つは小さな灯りでも、ズラリと並んだそれは幻想的な輝きを放っていて、これはこれで見応えがあるといえるだろう。とはいえ、柊が本当に見たいものは管弦船である。残念ながら、行き遅れた者には相応の結果かもしれない。



「むぅー、これ無理かなあ……」

 小さく溜息をつき、とぼとぼと帰路に着く。

 周囲では、姿の見えぬ蝉がジワジワジワと鳴き続けている。それがまるで自分をあざ笑っているように聞こえて、なんとも悔しかったが、どうしようもない。所在なく厳島神社の回廊の端を一瞥したが、そこで柊の視線は止まった。

 暗闇の中、無数に輝く提灯に擬態するように、鮮やかな金髪を揺らしている者がいたのである。





「おさんき……あー、うー……お客さんっ!」

 反射的にその者、おさん狐の名を口にしかけたが、よく考えれば、人前で何と呼べば良いのか分からない。仕方なく、今日は客ではないのに客呼ばわりすると、おさん狐は首だけで振り返り、目を細めながら笑ってみせた。

「やあやあ、柊さん。君も来ていたのかい?」

「はい。管弦祭を見た事がないので、お店のみんなが気を利かせて、来させてくれたんですよ」

 そんな会話を交わしながら、おさん狐に近づく。回廊の端で鑑賞している者は他にもおり、おさん狐との間を隔てていたが、会話に支障はない距離だった。




「なるほどね。確かに見ておいた方がいい。私は毎年のように来ているんだが、これは実に荘厳だよ」

「おぉ、常連でしたか!」

「ちなみに、その度に十二支屋に泊まるのが恒例行事。……だけど、今日は無理だろうね」

「はい。今日は満員御礼ですが、知ってたんですか?」


「君がこの時間まで働いているという事は、繁盛しているという事だろう。それよりも、こっちにおいでよ。良い場所で見た方がいい」

「あー……いえ、他の人もいるし、横入りは止めておきますよ」

「私と代わるのなら問題ないだろう。……皆さん、構いませんね?」


 おさん狐は周囲にそう声を掛けると、許可も得ぬうちに人の間をすり抜け、柊の前に来た。

 間近で見るおさん狐は、今日も黒の和服を着ている。その和服の袖からオペラグラスを取りだしてみせた。真鍮製でハイカラに見え、意外にも和服には合う。おさん狐は、それを柊に無理矢理持たせてきた。



「え、えっ? いきなりなんですか?」

「これを使うと良い。面白いものが見れると思うよ。もう間もないはずだ」

「……いーんですか、本当に。お言葉に甘えちゃいますよ?」

「構わないさ。言っただろう、私は何度か見ているんだ。それに実物はいつでも見れるから」

「実物……?」

 祭りの後に船を見る、という意味なのだろうか。


「ふふん。失礼」

 だが答えを聞く前に、おさん狐はその場を去ってしまった。




 柊は首を傾げながらも、おさん狐と同様に人の間を抜けて、回廊の前列へと出る。それとほぼ同時に、辺りから小さな拍手が沸き起こった。周囲の人々を見回せば、みんな西側の海上を向いているようである。それに習って視線を海上に移すと、水平線が見えない黒い海の中、橙色の明かりが近づいていた。


「あ。あれかな!」

 オペラグラスを掲げて明かりを見れば、提灯を掲げた三艘の和船が多くの男性乗組員によって漕がれ、その後方で大きな船が曳かれている。


 後方の船が管弦船である事は、一目瞭然だった。山代から聞いたとおり、鮮やかな金飾りの施された神輿が載っているのだ。それだけではなく、船は色鮮やかな幔幕や提灯で飾られているし、屋形船のような屋根も着いていて貫禄がある。そしてなによりも、船自体が特別な造りだ。別の三艘の和船を横に並べて一艘に船組されているのだ。この雄大な船は、明らかに『親玉』である。



 屋根の下には人がいるようだったが、その前方に置かれた神輿が視界を塞ぎ、中を窺えない。仕方なく、船が近づくのを待ってから確認すると、平安時代の貴族のような恰好をした人々が、笙や琴等を手にしていた。彼らが雅楽を演奏するのだろう。経験豊富な者が選ばれているのか、中高年が多いようだったが、中には若い者もいた。髪は黒のミディアムで、白の長着が良く似合っている。手には琵琶を持っていた。その者だけなぜか立っており、切れ長の目で船外を見ていて……、


「い、樹さんっ!?」

 思わずオペラグラスを手放し、叫んでしまう。


 だが、それと同時に樹の姿が消えたような気がした。慌ててオペラグラスを構え直せば、やっぱり男の姿が見える。間違いなく樹だ。しかも彼は、あろう事か船の縁を踏み台にして、十数メートルは離れている牽引船へと飛び乗ってしまった。明らかに人間ができる行動ではないのに、周りの者は誰も驚愕の声を漏らさない。オペラグラスの取っ手を強く握りながら観察するうちに、ふと、おさん狐の言葉を思い出した。


「……面白いものが見れるって、こーいう事なのかな……」


 オペラグラスを外せば、予想は的中していた。飛び乗ったはずの樹が見えないのだ。そして、また構え直せば現れる。しかも、向こうも自分に気が付いたのか、にやりと歯を見せて笑い、こちらへと手を振っている。樹か、オペラグラスか、あるいは両方かに不思議な力が働いているのだろう。神様とはいえ、なんとも大胆な事をするものだ。


 呆気にとられながらも観察し続けると、船団はライトアップされた大鳥居を順番に潜り、そのまま厳島神社前へと進んだ。

 すると、また周囲から拍手が沸き起こる。

 先程の比ではない、激しい拍手。まるで雷でも走ったようだ。


 そしてそれは、祝いの唄の始まりであった――




「エエ、ヤア」


 距離はあったが、声はハッキリと聞こえてくる。


 船に積み込まれた太鼓の音に合わせて、舟歌が唄われたのだ。


 力強い唄。


 魂を感じさせる唄。


 それを象徴するかのように、船が動く。


 回廊の中で、旋回しているのだ。


 船首では采振(ざいふり)が采を回している。


「ああ……」


 溜息のような声が漏れる。


 樹は、何をしているだろうか。


 采振の乗っている樽に背中を預けていた。


 彼もまた歌を口ずさみながら、琵琶を弾いている。


 軽やかにバチが振られ、


 細やかに、弦が抑えられる。


 音色は、聞こえてこない。


 おそらくは、聞こえないようにしているのか。


 でなければ、出どころが問題になるだろう。


 でも。


「本当に治ったんだ……」


 柊は、泣きそうな顔をしていた。


 彼女の頬は紅潮している。


 夏の暑さのせいか、それとも気持ちのせいだろうか。


 ただただ、樹の演奏姿に見惚れた。


 音は聞こえなくても、分かるのだ。


 きっと、素敵な音色が流れている。


 自分の味覚の代わりに、宗像三女神に治してもらった手で、生命の唄を奏でている。


 樹は。


 宮島は。


 生きているのだ。


 広島の人々とともに。


 船が、三回廻った。


 樹の唄は、まだ終わらない。








 ◇








 祭りの後も、厳島神社の周囲は喧騒に満ちていた。最後の汽船が出たとはいえ、島に住居を持つ島民や、宿に戻る観光客だけでも、相当な人の数になるのである。柊はその間を掻き分けて移動し、船から降りた樹と合流するのには苦労した。


「樹さん、お疲れ様です」

「おう」


 ただそれだけの会話を交わし、二人して帰宅の途に着く。その最中、柊は樹に気づかれないように何度か小さく深呼吸した。感動した、と素直に気持ちを伝えるのを恥ずかしいとは思わないが、気持ちが高ぶっていて、思いもしないような事を口走りそうだったからだ。



 それほどまでに、感動的な光景だったと思う。琵琶も、今度はちゃんと音色を聞いてみたい。今更ねだるのは失礼だろうか。いや、樹ならば喜んで演奏してくれるはずだ。





「ういー、今夜は楽しかったなあ。やっぱり琵琶は面白いな」

 柊の予想を後押しするかのように、樹が笑う。

 彼の手には、先程演奏していた時の琵琶が握られている。改めて見ると全長は1メートルほどありそうな大型の琵琶だ。手が麻痺してれば、容易には持ち運べないだろう。


「ご機嫌ですね、樹さん」

「そうか? なんだかお前も機嫌良さそうに見えるぞ」

「そーですかね。まあ、なかなか見応えはありましたからね」

「だろー? ハッハッハッ! 褒めろ、もっと褒めろ」

「……樹さんよりも、船の方がですよ」


 バカ笑いを受けて、急に褒める気が失せてしまい、口を尖らせながら言う。

 一方の樹は、変わらず機嫌が良さそうに笑い続けた。周囲に他の者がおらず、咎められないのは幸いである。



 二人は、石垣で綺麗に整地されている御手洗川みたらいがわ沿いを北上した。春は桜が美しい通りだが、今の青葉もそれはそれで見応えがあり、絵になる場所である。


「ところでお前、どーするんだ?」

 不意に、樹が笑うのを止めて尋ねてきた。

 無論、それだけでは意味が分からない。黙って続く言葉を待つと、彼は半歩前を行き、視線を合わせずに話を続けた。

「十二支屋の事だよ。……この質問は、一つ目入道が来た時にもしたと思うが、これ以上、働く意味はあんのか?」

「あ……もしかして私、本当にクビなんですか」


「んなわけねえだろ。このまま十二支屋に残るのは、お前の為になるのか? って聞いてるんだよ。今日の客の入りを見れば、十二支屋の未来は明るい。集客もなんとかなんだろ。お前に無理してもらう必要はないんだ」

「まだ味覚は治っていませんから、働く意味はあると思うんですよ」

「その件は、母親の死が原因かどうか分からなくなっただろ。って事は、気分転換に効果があるかどうかも分からない。前に聞いた時とは事情が違うだろ。仕事の面でも、味覚がない本当の理由を調べる意味でも、十二支屋を出た方がいいんじゃないか」

「……なるほど。確かにそうかもしれません」



 それだけ呟いて、柊はこれまでの出来事を思いだした。

 十二支屋での二ヶ月は、自分を大きく成長させてくれる日々となった。それは間違いないところだ。母の死は乗り越え、アナゴ飯が作れるようになった。人の心を救う為なら、どんなハードルでも乗り越える精神力も身に着いた。結果として、広島の料理人にもなれたのだ。

 もう十分すぎるものを得ているのだ。味覚も現任が分からなくなった以上、十二支屋に意味は……、





「樹さん」

「あん?」

「……私は、十二支屋に残りたいです」

 自分でも驚くような、澄んだ声がでた。


「おめえ、話聞いてたのか?」

 樹が歩調を大股にしながら不満そうな声を漏らす。

 早歩きでそれに着いていきながら、柊は力強く頷いた。

「もちろん聞いてましたよ。でも、他にも残る意味はあるんです」

「んだよ」

「十二支屋の人達です。みんな例外なく優しく、そしてあたたかい人達でした。浅野さん、八犬さん、彩巳さん、猿田さん、羊子ちゃん、他の眷属さん達……そんな人達と、もっと仕事がしたいって気持ちがあります」

「俺の名前がねえな」

「恥ずかしいから挙げないだけです」


 そう言って、ぷう、と口を膨らませる。

 樹も分かっていたのか、小さく笑い飛ばしてくれた。




「……でも、それだけじゃありません、むしろ本命はこっちですけれど、十二支屋には私の大事な役目があると思うんですよ」

「おお。言うじゃんか」

「だって、私が十二支屋からいなくなったら、誰があやかしさん達の心を料理で救うんですか? それだって、立派な広島の料理人の仕事です。しかも私にしかできない、大事な大事な役目なんです」


 そう告げたところで、毛利の土産物屋の前まで来た。

 だが樹は、十二支屋に続く石段を登ろうとせずに立ち止まる。

 どうしたのだろうか。前に出て顔を覗き込もうとしたが、その前に樹は振り向いた。

 初めて会った時と同じ、性格の悪そうな釣り目の顔が、そこにはあった。 




「……お前って、本当にヒイラギだよな」

「当たり前ですよ。急にどーしたんですか」

「違う。『娘と鬼』ってあやかし物語があるんだが、聞いた事ないか?」

「初耳です」

「んじゃ、かいつまんで教えてやるか。話自体はよくあるもんだよ。鬼が村を襲って若い娘をさらうんだ。で、ある娘が村を救う為、鬼が苦手にしているヒイラギを探してくるんだよ。植物の方の、あれだ、ええと……」

「葉がギザギザして実が赤い植物ですよね」


「そうそう。それが魔除けになって鬼が来ることはなくなってな。……普通の昔話なら、これでめでたしめでたし、だが『娘と鬼』には、もうちょっと続きがある。村人が安心しきったところで、鬼はヒイラギを潰すべく、大岩を投げつけるんだよ」

「……私が、その潰されるヒイラギって事ですか?」

「そうだ。お前と、そのヒイラギがダブって感じられるんだ。確かにお前は人の心を救う料理人になったさ。けどな、前も言ったが、まだ端くれなんだよ。本当にやれんのか? 油断したところで大岩に潰されるんじゃねえのか?」



 その言葉を受けても、柊は顔を伏せない。

 確かに、今の自分は危うい状態なのかもしれない。もともと思慮深くないし、一度は前向きになると決意しながら、挫折もしてしまった。

 だが。

 柊の視線が、樹から逸れてその奥に移る。




「……大丈夫ですよ、樹さん」

「どーしてそう言えるんだよ」

「答えは、あそこにありますから」


 その言葉を受けて樹が振り返る。

 二人の視線の先には、元気に手を振る羊子の姿があった。 



「あー、樹様に柊ちゃん! おかえり、おかえり。待っとったんよー」

「ただいま、羊子ちゃん。待ってたって言うと、台所絡みかな」

「そうなんよ。そろそろ朝食の仕込みやろうって、みんなで話してたんよ」

「ごめんね、今行くからー」


 そう声を掛けて、樹の方を向く。

 きょとんとした表情の彼に、柊はなおも言葉を続けた。




「私は、一人じゃありません。一人前になるその日まで、十二支屋のみんなが支えてくれます。だから、きっと大丈夫です。それが私の答えです」

「言うじゃねえか。分かった。好きにするといいさ」

「それより、樹さん自身は、どうして欲しいんですか?」

「聞きたいのか?」

「聞きたいです」


 柊の言葉を受けて、樹は前に向き直った。

 同時に背中を叩かれ、それに押される形で、二人して階段を上る。


「……十二支屋に残れ」

「もちろん、そうさせて貰います!」

 元気よく返事をしたはいいが、もう一つ、彼に聞く事が残っている。

 柊は最後の段に足を掛けながら、その疑問を口にした。






「ところで、鬼に岩を投げつけられたヒイラギって、どうなったんですか?」

「岩はハズれちまったよ。ヒイラギはすくすく育って大木になった。せいぜいお前も頑張んな!」

評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

この作品はリンクフリーです。ご自由にリンク(紹介)してください。
この作品はスマートフォン対応です。スマートフォンかパソコンかを自動で判別し、適切なページを表示します。

↑ページトップへ