第20話 遺魔界
歩くほどに、目の前にある更地となった大地の悲惨さを実感させられる。森の中にさえ灰が積もっているため、戦場の跡地を歩かされている気分だ。気持ち悪い上、粉っぽくて敵わない。
「あれが裏門だよ。砲台の数も少なくなった」
先程から少し見えていたが、正面から見ると相当なサイズだ。門は大きくなければいけない決まりでもあるのか。
「…開いて、いるな」
「そうだね…砲台は機能しているのに…」
格子状の門は上げっぱなしで、とても防衛している様子には見えなかった。リュカオンが言うように、砲台だけ機能しているのも違和感がある。
「直線で大体…五百メートルはあるか…遠いな…」
門までの道は変わらず更地で、少しでも姿を晒せば砲台の餌食になるのは明白だ。砲台は防壁の上に設置されているため、障害物を用意して隠れて進むのも現実的ではない。リュカオンは、砲台を直視し続けている。その視線を動かすことなく、口を開いた。
「…月島君、魔眼を使ってこの距離をダッシュするなら、何秒くらいかかる?」
「ここを…ですか?う~ん…」
足元は荒れているが、さほど影響はないだろう。まだ長距離を走った経験はなかったため、これまでに感じた体感を元に考えてみる。
「…障害物もないので、多分…三十秒かからないくらい、だと思います」
「それなら、僕の方で注意を引けばいけそうだね。ソフィアさんはついていけ…るよね。前の大戦でも相当動いていたし」
呼ばれたソフィアはというと、同じく門を注視し、すぐに得意げな表情でこちらを向いた。
「当然だ。二十秒でいける」
「…ほんとか?」
つい口走ってしまい、慌てて口元に手を当てる。若干睨まれたような気もするが、気のせいだと思いたい。だが、実際前に戦った時は、同じ場所へ留まっていたため、彼女の本来の動きを俺は知らない。
「まぁ、最悪僕がフォローに入るから。月島君は全力で走って、ソフィアさんが援護してあげて」
「了解。ソフィアも、頼んだ」
「言われなくても」
全員で、森を出る直前、木の裏に体を隠す。威力は凄まじいが、索敵能力はそこまでなのだろうか。飛行中を狙ってきたことから察するに、こういった地上の敵に向けるものではない…と思いたい。
「じゃあ、僕が先に出るから。砲台が完全に横を向いたら、全力で走って」
そう言うと、こちらの返答も待たずに木の陰から体を晒す。と共に、軽い身のこなしで門へと直進した。まるで軽いジョギングをしているような余裕を感じる。
「速いな…」
そう呟いた時には、既に中央付近にまで達していた。それと共に、砲台らしからぬ速度で砲口が向けられる。壁面にそうまでには向かないようだが、あのあたりまでなら十分に射角内らしい。砲台は、一瞬の閃きと共に、無慈悲な光線を放った。
「…ッ!!」
強烈な爆発音とともに、凄まじい衝撃がこちらにも響いてくる。土の混ざった風圧で、状況が見えなくなった。
「くっ…人に向ける兵器じゃないだろ…!!」
明らかに過剰な火力だ。風圧が収まるのを待ち、状況を再確認する。先程までリュカオンがいた場所は、黒煙を上げながら新たなクレーターができていた。そこに、彼の姿はない。
「リュカオンは…?」
周囲を見回すと、左前方に、リュカオンの姿が見えた。一瞬にして、百メートル以上は移動している。それに、彼自身の動きからは、まだ余裕があるように見えた。
「私たちも、そろそろ出るぞ」
「あ、あぁ、そうだな」
あまりの動きに見入っていたが、呆気に取られている暇はない。砲台は完全にリュカオンにくぎ付けで、横っ腹を見せていた。タイミングは、今しかない。
「ッ…行くぞ!」
少しだけ意識を集中させ、魔眼を発現させる。それと共に、俺とソフィアは一気に前方へと駆け出した。門の上には二門の砲台があるが、そのどちらもこちらに気付いてはいない。リュカオンはというと砲口を直視し続けながら、無駄のない動きで砲撃を躱し続けている。反応速度も移動速度も、ガイアを思わせる動きだった。
「…マジで凄いんだな」
そう口にした時だった。それまでリュカオンを砲撃していた内の一つ、右側の砲口が、こちらへと動き始めた。
「チッ…いいセンサー付いてんな!!迷惑なんだよ!!」
悪態をつきながらも、俺の視線は砲口を捉えていた。まだ半分を少し超えたあたりだ。砲撃は免れない。
「私が止める!」
「ソフィア…!!頼んだ!」
俺にはまだ、避けられるだけの身体能力も、防ぐだけの力もない。ソフィアの魔法だけが頼りだ。次第に、こちらへと照準が合わせられるのを感じる。殺気のない、無機質な脅威が、恐怖が襲い掛かってくる。
「…情けねぇな!」
自分を奮い立たせながら、ただひた走る。間もなく二百メートルを超える。その瞬間、砲口が紫色に輝いた。
「クソッ…!!」
一瞬にして、視界が白く輝く。あまりの眩しさに、目を閉じそうになる。だが、まだだ。まだ閉じない。彼女なら、必ず。
「…氷盾!!」
視界の端が、一瞬もとに戻る。氷の盾で止まったことで、反対側の視界が確保された。
「やる!」
彼女の方を見る余裕はない。俺の後ろにぴったりくっついて、援護の体制を維持してくれている。正直肝が冷えたが、これなら十分たどり着ける。そう、思った時だった。もう一方の、リュカオンを見ていた砲台が、こちらへ急速に向きを変えてくる。
「なっ…!?」
「しまった…門に近づく対象を優先できるのか!!」
防衛兵器なら当然の対応だが、左右から同時に攻撃されるのはマズい。ソフィアの盾は一瞬なら止められるが、すぐに崩れる。それに、もしタイミングをずらされたりしたら、彼女が防げる保証はない。
「冗談じゃない…!」
もう目前まで迫っているのだ。敵にやられるならまだしも、砲台ごときにやられるなど認めたくない。前方へと疾駆する足が、さらなる加速を始めた。それでも、感情を持たない兵器は、その使命を全うする。
「チッ…!!」
再び、視界が白く輝く。右側の砲台が放ったらしい。もはや、それさえ確認できなかったが。
「氷盾ッ!!」
光線が止まるのを感じる。それと共に、ガコンッという、砲台の向きが固定される音が聞こえてくる。照準が、向けられる。門の直前、上方から、エネルギーを溜めるような音が聞こえてくる。
「あと、一歩で…!!」
もう十メートル。あと一歩。その瞬間、轟音が鳴り響いた。
「ハッ!!」
石の欠片が、ゴロゴロと崩れて落ちてくる。それと共に、俺とソフィアは、門の内側へと辿り着いた。
「今のは!?」
後ろを振り返ると同時に、すぐ横にリュカオンが飛び込んでくる。
「ふぅ…肝が冷えるね」
先程まであれだけ動いていたのに、呼吸一つ乱すことなく、笑顔で話しかけてくる。前にも、同じような異質さを感じたことがあったが、彼も同類らしい。
「さっきの、なんか、砲台じゃない音が…」
門の外側を見ても、特に何かがいるわけでもない。ただ、ボロボロと防壁の欠片が落ちてきていた。
「あぁ、僕の投槍だよ。魔槍を壁面に打ち込んで、少しだけ土台を歪ませたんだ。照準がずれればって思ったけど、煙で君たちを見失ったみたいだね」
「投げ…槍?あの音が?」
別の砲台が起動したのかと勘違いするような音だったが、リュカオンが槍を投げた時の音らしい。爆音を聞きすぎたせいか、まだ耳鳴りが続いている。
「壊すのなら、最初からそうすればよかっただろう」
ソフィアが割って入ってくる。俺と同じく、耳をやられたようで、手を当てながら表情を歪めていた。
「あれでも、遺魔界の防衛兵器だからね。できればやりたくなかったんだけど…後で言えば許してもらえないかな…」
苦笑いをしながら肩をすくめるので、こちらもそれ以上は追及できなかった。
「ここが…遺魔界…う”っ…」
一歩足を踏み入れただけで咽づくほどの空気に、つい口元を覆ってしまう。匂いが強いとか、変なガスが充満しているとかじゃない。空気そのものが重いような、変な感覚だ。つい立ち止まってしまうと、スッとリュカオンが並んでくる。
「僕も初めて来るけど、確かにこれはキツイね…」
そう言うリュカオンも、同じように口元を覆っていた。
「これは、一体…?」
「遺魔界は、元々魔素の濃度が高くてね。ほら、あそこ」
リュカオンが指さす先には、井戸のような形をした機械があった。そこから、紫がかった空気が漏れ出している。
「あれが、魔素発生装置。詳しい原理は知らないけど、鉱物族にしか扱えないとかなんとか…って、ガイアさんが」
「へぇ…でも、いくら何でも濃すぎじゃ…」
あまりの濃度のせいか、空気そのものに色がついているような、汚染でもされているかのような景色だ。
「少し苦しいけど、能力を使う時には魔素切れを気にしなくて良いからね。それに、そのうち慣れると思うよ」
そう言うと、リュカオンは先に行ってしまう。俺も、ここにはあまり長居したくはない。振り返ってソフィアを見ると、口元を手で覆いながら眉間にしわを寄せていた。彼女もこれだけ魔素が濃い場所には慣れていないのだろう。無言でこちらに頷いてから歩き始めるので、俺も後をついていく。
リュカオンを先頭に、住民への聞き込みを行いながら街を見て回ったが、一見すると異常は見られなかった。というよりも、街を行き交う鉱物族は、表情が変わらなければ、体も岩や鉱物でできている、そもそも異常なのかどうかがわからなかった。
「防壁の様子とはかなり違うね…」
リュカオンが立ち止まって、そう言った。聞き込みを終え、いよいよ進展がなくなった俺達は、街の高台に来ていた。そこから見渡す光景は、まるで工業都市だ。機械仕掛けの建物や構造物が乱立しており、既に陽も暮れ始めている街は照明に照らされている。
「なんか、普通の街…だな」
「うん…あれだけ砲台が動いていたのに、住民には動揺さえ見られなかった…彼らにとって、これが普通なのかな…」
住民に道を尋ねても、不審そうな顔一つされない。まぁ、魔王自体が顔が広いというのもあったのだろうが、それにしても平和過ぎる。工房では普段通りの作業が続けられ、商店にも客の出入りがあった。期待していた訳じゃない。だが、これでは拍子抜けだ。異常がなかったか事情を聞いてみたが、何も変わりはないの一点張りで、どうも違和感が残る。
「受け答えもはっきりしていたし、異常を感じたなんて人もいなかったしな…」
「少なくとも、住人に何かがあった訳ではなさそうだね」
二人で街を一望していると、後から来たソフィアが俺の横に立った。同じように、街をぐるっと見回してから、俺達の方を向く。
「なんであれ、アルカディアに会えば、全てわかることじゃないのか」
「…そうだね。最初から城に邪魔するのはどうかと思っていたけど…しょうがないか」
「て、ことは…」
この街の中で、最も異質な雰囲気を漂わせる、砦にも思える建造物を見る。城壁の上には、防壁の上にあった砲台を小型化したような火器がいくつも設置されており、中央にそびえたつ城だけは王道の中世風の造りで、雰囲気にマッチしていない。
「あれに行くのか…」
「変な城だよね。まぁ、行くだけ行ってみようか」
全員の了解を確認してから、俺達は城壁の近くまで来ていた。城に近づくにつれ、人々の往来は極端に減り、城壁の近くには住居一つ存在しなかった。砲台を街中でも撃てるよう計算した結果なのだろうか。
「門兵…いないな…」
城門のあたりを見回してみるが、門兵どころか、兵士の姿が一人も見えない。
「遺魔界って、兵士を抱えていない…とか?」
疑問を口にしながらリュカオンの方を見てみるが、明らかに表情が曇っていた。
「いや、魔界はどこも一定の兵力を抱えているはずなんだ。魔王同士の戦いだけじゃ、戦争は続かないからね」
「どうもきな臭くなってきたな…」
この辺り一帯は、あまりに静かすぎる。城壁の先はどうなっているのだろうか。人の気配一つしない状況に、冷や汗が滲む。
「…最初に、僕だけで行ってくるよ」
「大丈夫、なのか?」
「足の速さには自信があってね…ていうのは冗談だけど、最悪、僕一人なら逃げられる。アルカディアさんとも面識があるし、二人が行くよりはまだマシ…だと思う」
そう言うリュカオンの表情は、いつになく険しい。彼もまた、戦士としての覚悟があるのだろう。
「…分かった。無理…なんて、俺の口からは言えないけど、どうか無事で」
「私からは、無理をするな…と言っておこう。アルカディアは、ああ見えて武力には肯定的な奴…いや、お前なら知っているか…」
「うん、大丈夫。危険だってわかった時には、槍でも投げて知らせるよ。そんな余裕があればだけど」
城へと歩いていく彼の姿を、俺達はただ、見ていることしかできなかった。
リュカオンが城へと侵入してから、もう五分は経っただろうか。あれだけ大きな城なのだ。すぐに何かがあるとは思っていなかったが、待つだけというのは焦燥感だけが残り、落ち着いてはいられない。ソフィアはというと、目を閉じて壁へともたれかかっている。余裕そうな雰囲気はあるが、腕組みをした指先は、先程から動き続けている。話す内容もなく、ただ黙って待つしかなかった。
さらに数分、もう十分以上は待っただろう。リュカオンなら、城壁くらい簡単に乗り越えられる。まともなルートで会いに行くとは思えない。だが、一向に戻ってくる気配が感じられない。直接アルカディアの元へと行ったとは思うが、それにしても遅い。遅すぎるせいか、城の方から物音がしたようにも思えた。
「なぁ、ソフィア…」
あまりの沈黙に耐えかねて、ソフィアへと声をかけた、その時だった。凄まじい爆発音とともに、俺達の頭上を、一本の光線が駆け抜けた。
「な、なんだ!?」
砲台の光線に似ていたが、今通っていったものは青白い軌跡を描いており、おそらくは別物だと直感させた。
「今のは、まさか…!?」
ソフィアも驚いていたが、俺とは別の驚きを感じたようだ。だが、それを確認する間もなく、すぐにもう一発の光線が頭上を掠める。壁を貫き、城門の前まで届いたようだ。
「あぶねっ…!?」
もう一発来るのでは。そう思い、城の方を警戒していると、暗がりの空に、橙色の影が動いているのが見えた。火花がいくつか飛び交った次の瞬間、緑色の何かが、目の前の地面へと叩き落されてくる。
「ぐっ、今のは…リュカオンなのか!?」
声を張り上げ、土煙が舞う落下点を見るが、応答はない。代わりに、紫色の軌跡が一閃する。そこには、軌跡と同じ色の槍を持った、リュカオンが立っていた。
「やっぱり…リュ―――」
名前を呼ぼうとした瞬間、背筋が凍った。これまでに見たことのない、いや、初めて会った時に感じたものと、同じ恐怖。ギラついた鋭い眼差しだけで、彼が本来魔王であることを、本能の部分で理解させられる。穏やかな笑みはとうに消え失せ、槍を構える姿は、こちらの足元が竦むほどの、冷徹な覇気を発していた。
ほんの一瞬の、時間が止まったような静寂。その空気を切り裂くように、空中から橙色の物体が降下してくる。バコンッと、まるで重機が落下したかのような、とても人間が落ちてきたとは思えない音だった。息を呑み、煙が晴れるのを待つと、そこから出てきたのは、黒く、鈍く輝く、人型の機械―――遺物の塊。
「あ、あれが…」
「間違いない」
俺の疑問に、ソフィアが答えてくれる。
「魔王序列第十位―――鎧魔王、アルカディア…!!」
息が詰まるような感覚だ。ガイアやリュカオンと同じ、本能に訴えかけてくるような、恐怖そのもの。だが、彼の橙色に光るバイザー状の目は、リュカオンだけを見据えていた。リュカオンもまた、槍のように鋭い視線をアルカディアへ向けていた。
深く息を吸い込み、震える右手が刀を握る―――その瞬間、もう一度、空が光った気がした。俺だけが、空を見上げていた。暗がりの空に、やはり何かが動いているのが見えた。
「なん―――」
言葉を発する間もなかった。急速に地面へと落下してくるそれが、爆発音にも似た轟音とともに、俺達の背後へと叩きつけられた。
「ケホッ…ケホッ…今度はなんだよ!?」
悪態にも似た言葉が自然に漏れた。咳き込んでいると、土煙が徐々に晴れていく。そこには、牛を思わせる兜を被った、上裸の大男が立っていた。
「こいつは…なんだ!?」
「ウ”ォ”オ”オ”オ”オ”オ”オ”!!」
耳をつんざくほどの、雷にも似た強烈な雄たけびが、辺りに木霊する―――




