逆鱗(2)
炎が照らす広間は、異様な静けさに包まれていた。
至る所で物資やテントが燃え盛り、肌を焼くような熱気が満ちているというのに、蜥蜴の尻尾の面々は鳥肌が止まらない。
その原因は、百人以上の視線が集まる中心に立つラルフだった。
感情の抜け落ちた顔、怜悧な刃を思わせる佇まい。その切っ先を首筋に突きつけられているかのような、鋭すぎる殺気。包囲する者たちは今すぐ武器を放り出して逃げ出したい衝動に駆られながらも、気力を振り絞って踏みとどまっていた。本能が告げているのだ。この少年から目を離した瞬間、命は無いと。
前にも後ろにも動けない蜥蜴の尻尾は、行き場を失った武器を構え続けることしかできない。
「……来ないなら、こちらから行きますよ?」
誰に向けられたわけでもない、答えを求めてもいない問い。
それは、短い停滞の終わりを告げる合図だった。
直後、ラルフの周囲に十数個の魔法陣が展開される。その隙間から覗く冷徹な瞳に射すくめられ、蜥蜴の尻尾は一瞬の選択を迫られた。
「お、おおおおおおおおおお!!」
包囲の先頭にいた一人が、湧き上がる恐怖に背を押されるようにして雄叫びを上げた。
無我夢中でラルフへと駆け出す。それに引きずられるように、他の面々も一斉に動き出した。
百人以上対、たった一人。本来なら、結果は火を見るより明らかだ。一人が一方的に蹂躙される──誰の目にも、そう映るはずだった。
しかし、その場にいる誰もが、ラルフが地に伏せる未来をどうしても想像できずにいた。
「【氷槍乱射】」
冷たく、無慈悲に告げられた魔法名。
青い光を放った魔法陣から、氷の槍が一斉に射出される。第一射、第二射、第三射──途切れることなく生み出される氷の質量が、視界を完全に埋め尽くす。
為す術なく蹂躙されていく蜥蜴の尻尾。向かってくる者には容赦せず、逃げ惑う者にも一切の慈悲はない。悲鳴も命乞いも、今のラルフの耳には届いていなかった。
数分後。無数の氷槍が墓標のように突き立つ戦場に、ラルフは佇んでいた。
周囲に転がっているのは、貫かれ、凍りつき、砕け散った敵の残骸だけだ。
「おいおい、こりゃまた派手にやったな」
「……アヤメさん」
背後からかけられた声に、ラルフは視線すら向けない。ホルダーから引き抜いたポーションを一口で煽り、空になった瓶を投げ捨てた。
アヤメに続くようにして、他の攻勢部隊のメンバーも駆け寄ってくる。しかしラルフは、じっと一方向へ視線を固定したままだ。
「遅かったですね」
責めるような響きだったが、そこに悪意はない。ただ、近くに気配があったのに何故今まで出てこなかったのか、純粋な疑問だった。
それを察しているからこそ、アヤメも苦笑混じりに肩をすくめる。
「お前がこれだけ派手に暴れてたんだ。下手に踏み込んだら巻き込まれるのは目に見えてるだろ?」
「……そ、うですか」
そんなことはない、とは言えなかった。周囲の惨状を見渡せば、アヤメの言葉に一切の誇張がないことは明らかだったからだ。
「お前、キレると本当に見境がなくなるな」
アヤメに続いて、ユートたちも合流する。生還者のメンバーは、周囲の凄惨な光景に顔を青くし、ラルフへ怯えの視線を向けていたが、ラルフ自身は気にも留めない。
「調子はどうだ?」
「問題ありません」
ユートの問いに、事もなげに答えるラルフ。しかしユートは、納得のいかない半眼を向けた。
「嘘つけ。いつもより動きが鈍いぞ。上手く隠してるが、俺達に通用すると思うなよ」
「……気づかないフリしてくれればいいのに」
「おい。俺もアンジュもガチで心配してんだからな」
「わかってますよ。まだ大丈夫です」
「『まだ』、ねぇ」
いつも通りの笑みを浮かべるラルフ。だが、その不自然な微笑に騙されてくれるほど、幼馴染は甘くなかった。
「ったく、仕方ねぇな。サポートしてやるから、さっさと終わらせるぞ」
「ええ。時間をかけてはいられませんからね」
それが街の状況を指しているのか、それともラルフの身体の限界を意味しているのか。誰もあえてそこには触れない。どちらにせよ、逆鱗に触れられたこの少年が止まるはずもないと知っているからだ。
彼らにできるのは、ラルフの身体に決定的な負担がかかる前に、この戦いを終わらせることだけ。
「徹底的に叩き潰します。行きますよ」
「「「「おう!!」」」」




