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外道の騎士

 叶のことを連れ去ったゼヘルのことを追っている最中の悠人は、自身の身体の変化を何となく感じていた。


(……身体が、信じられないくらい軽い)


 今の自分はずっと走り続けていても全くスタミナが切れることなく、常に全力の速度を保てている。まるで鳥になったかのようであった。

 昼までは特に何ともなかったのに。むしろ遊園地にテンションが上がっている女子たちに振り回され疲労困憊だったのに。


(これって、俺が吸血鬼として覚醒した影響なのかな)


 走っている最中にふと空を見上げる。すでに日は落ちかけ、橙色が紺色に呑まれようとしていた。つまり、夜が訪れんとしている。

 数日前にゼヘルとローラが戦闘していた際、ゼヘルは「日もとうに暮れ始めたこれからは、吸血鬼が本領を発揮できる絶好の時間帯だ」と口にしていた。日没とともに吸血鬼の能力が徐々に増していくのが本当ならば、吸血鬼の王である自分の身体能力が昼と比較し底上げされているのは道理に適っていることなのだろう。


 なんてことを考えつつ、悠人は能力の向上とともに鋭敏化した第六感を頼りに、ゼヘルの気配が濃厚に漂っているアスレチック広場へと疾走する。

 夜戸メルヘンエンパイアの自然エリアは、アスレチック広場と子供動物園で敷地が二分されている。子供動物園はポニーや山羊を放牧しやすいよう視界の開けた場所に設けてあるのに対し、遊具の設置に都合がいいからかアスレチック広場はこんもりとした林の中に設けてあった。

 昼間ならば木漏れ日が差し温かみのある雰囲気が醸し出される林は、夕暮れになり周囲に闇が満ちると一転し不気味な空間と化す。来園者もスタッフもそのことを理解しているせいか、日が暮れた現在のアスレチック広場からは人の気配が全くしない。まるですでに閉園してしまったのかと錯覚するほどだ。


 しかし人気の無さは敵を捜索する上ではかえって好条件。特に苦労することもなく、悠人は探し物を見つけることができた。


「――カナ!!」


 海賊船のような形をしたアスレチックの遊具。その舳先(へさき)の部分に、叶がうつ伏せに横たえられていた。

 攫われると同時に気絶させられたのか、意識は無いようである。が、幸いなことに何処にも傷は見当たらない。

 さらに運のいいことに、ゼヘルもその場を離れていていない様子。捕虜を野放しにしておく詰めの甘さを疑問視するものの、悠人にとってこれ以上の好都合は無い。


(待ってろよ、すぐに助けてやるからな!)


 誰の視線も無いことを念入りに確認し、悠人は海賊船の方へと全力疾走。狙うは囚われの幼馴染だ。

 しかし――



「お待ちしておりましたぞ、真祖様」



 喜悦に歪んだその声が林の中に(こだま)すると同時、悠人の足元目掛け上方から数本の刃が降ってくる。まるで悠人が叶に接近することを許さんとしているかのようだ。


「……来たか」


 吐き捨てるように呟くと、襲撃者は軽い身のこなしで飛び降りてきた。どうやら前方にある木の林冠に潜みこちらを待ち伏せしていたようだ。

 しかし、目の前に姿を現した彼の格好に、悠人は一瞬戸惑ってしまう。


「その格好は何だ?」


 数日前に目にした彼は黒い鎧を纏っていた。しかし今は黒いパーカーにジーンズといった、普通に遊園地に紛れていても違和感の無いカジュアルな服装である。軍用眼帯の代わりに左目に装着された医療用の白い眼帯が普通の様相にとてつもないインパクトを残していたが。


「流石に常の装束では浮いてしまうので」

「人間のコスプレしてまで俺の幼馴染を誘拐して楽しいか?」

「真祖様のためならば、人間社会に溶け込むために相応しい格好をすることも承知の上です」


 悠人の幾度かの問いに、ゼヘルは含み笑いながら答える。まるで親しい友人に話しかけているかのように。


「……ですが、流石に真祖様の御前にて斯様な様相では無礼に値しますな」


 そう言うや否や、ゼヘルの身体が一瞬だけ黒い影のようなものに包まれた。

 それからものの数秒で彼の身を包んでいた影が弾け、彼に四使徒の一柱としての姿が授けられる。肩、胸、脛を防護している漆黒の甲冑と左目に掛けられた軍用眼帯。戦闘狂の吸血鬼ゼヘル・エデルを名乗るに相応しい姿が新たに出現した。


「……さて、こちらの身支度も済みましたが故、そろそろ本題に入ると致しましょうか」


 完全なる武装に身を包んだゼヘルが改めて話を切り出したことで、悠人は今までの会話が前戯に過ぎなかったことを身を以て知る。

 余裕綽々とした笑みを浮かべるゼヘルを鋭く睨みつつ、悠人が先に口火を切った。


「どうしてカナを――俺の幼馴染を攫ったんだ?」

「真祖様のご帰還の意志を促すための交渉手段――そのような単純な理由からでございます」

「交渉……だと?」


 するとゼヘルが出迎えるように両手を広げ、愛しの主君に対し提案を示してくる。


「真祖様が我らが元へ帰還なさるご意志を見せてくださったのならば、この娘のことを無傷で解放致しましょう」

「……もし、断ったら?」

「残念ながら、その場合はこう致します」


 ニヤリと嗤ったゼヘルが、まるで糸を手繰り寄せているかのように片手を動かす。

 すると、寝かされている叶の上方で、鋭く輝く巨大な真紅の刃が瞬時に形成された。ちょうど彼女の首の真上で空中停止しているその刃は、さながらギロチンのように見える。


「まさか、俺が拒否したら……」

「ご想像の通りです。仮に真祖様が拒否なさった場合、この娘の首を容赦なく斬り落とします」


 ギロチンを意識しているのだろうか、語りつつ虚空で垂直に手刀を繰り出すゼヘル。本人にとっては冗談のつもりなのだろうが、悠人にとっては悪意にしか感じられなかった。


「どうです? 人間として転生した際に彼女に特別な想いを抱かれた真祖様にとって、この上ない破格の条件だと思いませんか? 本来ならばこのような貧弱な娘、連れ去る間もなく殺害していたのですから」

「……いい訳ないだろ」


 あまりにも一方的すぎる交渉内容に、悠人は怒りを隠し切れない。

 叶の傍に寄り添い、叶のトラウマを再発させないよう護ること――あの猟奇的殺人事件を目撃した日から、そう悠人は自身の行動原理を定めていた。

 しかしここで彼女が殺されてしまえば護るべきものは失われ、逆に自分が人間社会から手を切ったら彼女のトラウマを知る者がいなくなってしまう。どちらを選んでも、悠人の目的は二度と果たされなくなってしまうのだ。


 こちら側にはデメリットしかあらず、向こうにはメリットしかない。どう足掻いても敵の思うがままにしかならない交渉に、悠人の堪忍袋の緒は切れた。


「……ふざけるなよ。そんな身勝手すぎる交渉を『はい分かりました』ってあっさり承認するほど俺は甘くないぞ」

「つまり、貴方様のご意志というのは、」

「どっちも却下だ! お前なんかにカナは絶対に殺させないし、俺はお前らの元には戻らない! 俺はカナのことを何があっても護るって、カナがトラウマを背負った日からそう決めた!!」


 感情に任せた叫び。それを受けたゼヘルは、




「……腑抜けている」




 と、それだけ呟いた。

 そこに先ほどまでの笑顔は無い。何も考えていないのではないかと思うほどの清々しい真顔だった。


「腑抜けている……ああ、腑抜けている。いつから真祖様は身も心も脆弱な人間に染まったというのだろうか……」


 ふらふらとした足取りでゼヘルが接近してくる。何故か()が滴っている右手には、いつの間にか真紅色の大剣が握られていた。

 誰も怪我をしていないのに何故血が滴るのか、鞘らしきものは一切下げていないのにどうやって剣を抜いたのか――不可解な現象に悠人は眉根を寄せるが、


(もしかして、あれがゼヘルの能力……!?)


 しかし、気付いた時にはもう遅かった。



 ――ザクッ



 何かが身体に突き刺さった。

 赤い紅い緋い刀身。乾き切っていない血糊のように輝く刃。それを握っているのはいつの間にか至近距離まで肉薄していたゼヘル・エデル。


(刺さ、れた……?)


 理解した瞬間、今まで経験したことが無いくらいの激しく鋭い痛みと、胸を焼き焦がされているかのような圧倒的な灼熱が脳髄を掻き乱し、


「――ぐ、ああああああああぁぁぁっっっ!?」


 悲鳴を堪えることはできなかった。

 心臓を貫かれている。あり得ないほどの血が噴出している。普通の人間ならば確実に即死しているレベルの致命傷を、今自分は負わせられた。


 理解不能。何故自分が害されたのか分からない。真祖である自分に絶対的な忠誠を誓っている四使徒ならば間違いなく主君を襲うことはないと信じていたのに。


「突然このような真似をしてしまい大変申し訳ございません。自分であれ許されざる行為をしていることは承知しております。罰を受けることは覚悟の上です」


 真顔のまま、しかし声音だけは申し訳無さそうに、ゼヘルが言葉を発する。


「少しばかり期待していたのです。たとえ貴方様が数百年の時を経てこの世に蘇られた影響により真祖であられた頃の記憶を失ったのだとしても、心の何処かでは真祖としての覇気は確かに残存しておられるとだろうと」


 一旦抜かれたと思っていた刀身が再び捩じ込まれる。活きのいい鮮血が悠人の胸から新たに噴き出した。


「ですが今、この時を以て確信致しました。貴方様は十数年もの間に随分と人間社会に(ほだ)され、かつての覇気を失われたと。貴方様が特別視しておられる娘を如何にする以前に、貴方様にかつての覇気と暴虐を取り戻していただくことが何よりも優先すべき事項なのだと」


 ゼヘルの真顔に徐々に悪辣な笑みが宿されていく。間違いなくそれは、嗜虐者の顔付きだった。


「ですから自分はこうさせていただいた次第でございます。この時代はあまりにも平和すぎるが故、覇気を取り戻していただくには不都合すぎる。ならば真祖様の忠実な配下たる自分が窮地を生み出すことにより、埋もれてしまった真祖様のかつての有り様を強制的に呼び起こさせるべきなのではないか、と」

「その手段が、俺に刃を突き刺すことだって、いうのか……?」

「左様にございます。自分が幾度も幾度も傷を負わせることにより、追い詰められた時点で本来の真祖様の意識というものが覚醒するのではないかと思いましたが故」


 無茶苦茶な理論で主君を害し続ける従者。悪意ある笑みとは裏腹に語りかける口調が思いのほか優しいのが非常に不快だった。

 ゼヘルがさらに奥深く刃を捩じ込む。すでに心臓には大きな穴が空いていることだろう。これでもまだ生きていられるのは、吸血鬼としての異常な身体能力の高さが所以なのだろうか。


「……む、少々やり過ぎてしまったようですな。ですがご安心を。常の吸血鬼であれば心臓を損傷した時点で消滅しますが、真祖様の場合はクルースニク以外の者に心臓を貫かれたとしても意識を失われるだけにございます。その間にこの自分が貴方様を()()()()()()へとお連れする予定ですので」


 然るべき場所。間違いなくそれは吸血鬼たちの世界ということだ。


(ま、ずい……)


 叶と引き離されてしまうことへの焦燥感が走るが、致命的な傷を負わせられている今、悠人は一切の行動も取ることができない。ざわつく心とは裏腹に徐々に薄れゆく意識の中、せいぜいゼヘルを睨み付けることだけが精一杯であった。

 必死に打開策を考えるも悲しきかな、目に映る世界は徐々に狭まっていき――





「――アケミ!!」





 鈴の音のように清らかで凛とした聖女の叫びを聴きながら、暁美悠人の意識は静かに暗転する。

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