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「――そして現に、奴らは今この時も牙を向いている。私たちに向かってな」


 乾いた銃声と共に、暗闇の中で白銀の光が閃く。

 それからやや遅れて、パリンという何かが割れる音とバチバチと火花散る音が響いた。どうやら銃弾の軌道を外され、そのまま非常灯に被弾したらしい。


「姿を見せろ吸血鬼。そこにいるのだろう?」


 ローラが威嚇してから須臾(しゅゆ)の間が空き、襲撃者はゆっくりと姿を見せる。

 襲撃者は女性だった。清潔感のある水色のつなぎとハンチング帽、そして両手には箒とちりとりを携えていて――


「まさか、あの人……!」


 悠人は気付いた。

 彼女は、数時間前に黄色い声を上げて悠人たちに話しかけてきた、あのちょっと騒がしい印象を持った清掃員の女性だったのである。


 彼女は顔を俯かせ、幽霊のようにふらふらとこちらににじり寄ってくる。

 が、ある程度距離を詰めたところで制止し、ゆっくりと首をもたげた。


「……みーつけた」


 ニタリと不気味な笑みを浮かべ、清掃員は呟く。

 その瞳の色は、血のような真紅に染まっていて。


「吸血鬼化したのか……!」


 忌々しいと言わんばかりに、ローラが舌打ちした。


 そういえば、先ほど彼女はこう言っていた――人間が吸血鬼化するためには吸血鬼の血液を摂取する必要があると。

 清掃員の瞳は、最初に逢った時は日本人としては普通の黒色だった。ということは彼女は、悠人たちと別れてから間もないうちに何者かに吸血鬼化させられたということになる。


 では、清掃員のことを吸血鬼に変えたのは一体誰なのか。

 それは、人間から超的な存在へと生まれ変わった彼女本人の口から語られた。


「私たちの真祖様……。私の()()()()であるゼヘル様のためにも、必ず連れ戻しますね」

「――っ、やはり……!」


 ますます鋭利化する聖女の銀灰色の瞳。


 ここ数日、ゼヘルの動きは非常に静かであった。善良な人間を数人ほど殺すという許されざる行動を取ってはいたものの、悠人に直接接触することは一度も無かった。だからいつ襲撃してくるかも分からない状況に対して誰も彼もが鷹揚に構えていたのだ。

 しかし実際は、ゼヘルは確かに動いていた。何故関係ない人たちを殺していたのかは詳しく分からない――が、ここ一週間彼はずっと息を潜め、悠人を確実に迎え入れるための舞台を整えていたのだということは真っ先に理解できる。

 そして今日、彼は準備を整えた万全の状態で来訪してきた。それも悠人に接触した人間を自分の配下として動かすという、並の吸血鬼ならばよほどのことが無い限り行使しない手段までもを使って。


 ローラが顔を険しくさせたのは、ゼヘルの暗躍を許してしまったことへの後悔でもあるのかもしれない。


「……とにかく、貴君に何の落ち度が無くとも、吸血鬼化した時点で私の討伐対象となった。大人しく滅ぼされるがいい」


 ここにはいない四使徒の一人に対する静かな怒りを露わにしつつ、ローラは目の前の清掃員に宣告する。

 巻き込まれてゼヘルの配下と化してしまった清掃員に密かな憐憫を感じていた悠人自身でも、こればかりは仕方ないと思っていた。吸血鬼は人間の敵、倒されなければまた誰かが殺されることに直結してしまう。


 ローラが銃剣を清掃員に向かって構える。それは戦闘開始の合図であった。


『Agnus Dei, qui tolls peccata mundi, dona eis requiem sempiternam(神の小羊、世の罪を祓われし御方よ、彼らに永遠の安息を与え給え)』


 詠唱が容赦無く紡がれる。銃口から白銀の光纏う弾が流星のように発砲された。

 まっすぐに放たれた一発の銃弾は、何にも阻まれることなく一直線に標的へと向かい、


「――っ」


 非常に呆気なく、清掃員の女性のことを射抜いたのだった。

 吸血鬼の弱点である心臓を射抜かれた彼女は、悔しそうな表情を浮かべながら瞬時に消失する。


「……倒した、のか?」


 意気揚々と挑んできた割にあっさり散っていった敵に対し、悠人は戸惑いを隠せない。

 即席で用意した敵だからというのもあるかもしれないが、どうにも彼女は弱すぎる気がする。仮にも四使徒の一人であるゼヘルの配下なのだから、もう少し強くてもよかった気がするのだが――


「――否、まだだ」


 ローラの顔はまだ険しい。「これだけで終わりではない」と彼女は確信しているようだ。


「本来ならば吸血鬼は、死ぬ時には灰塵(かいじん)と化すはずだ。にも関わらず、先ほどの彼女は灰塵とならずそのまま消えた。故に完全には滅びていない」


 敵の本体はまだ何処かにいる――そう踏んでいるらしいローラは念入りに周囲を見渡す。しかし、お化け屋敷特有の薄暗い空間の中では、標的を捉えるのはなかなか容易ではない。


「見当たらんな……。気配がまだ残っているが故、このまま逃げたとは考え難いのだが……」


 といった呟きが彼女の口から零れた時、ふと悠人の()()の方からガタリと物音がし――


「つーかまーえたっ!!」

「な、っ……!?」


 突如天井から降りてきた何者かによって、悠人は背後から羽交い締めにされたのだった。

 聞き覚えのある声。それに多大な悪寒を感じつつ、振り返る。


「ふふっ。流石の真祖様でもあたしの吸血鬼としての異能力は見抜くことはできなかったみたいですね!」


 さっき倒したはずの清掃員と同じ顔で同じ格好をした女性が、背後にいた。

 女性とは思えない剛力に押さえ付けられ、悠人は身動き一つ取ることができない。


「ぐ、あ……っ!」

「無礼を働いてしまい申し訳ごさいません。とても苦しいでしょう? でも私たちの手を取っていただけさえすれば、すぐに解放しますからね」


 悶絶する悠人の耳元で、清掃員の女性が囁いてくる。さらに彼女は、主君の妥協の意思を促すべく、彼の首筋をちろりと舐めてきたのだった。


「――っ!!」

「アケミ!!」


 敵の本体の存在に気付いたローラが咄嗟に振り向き銃剣を構える。そんな彼女を嘲笑うかのように、清掃員の女性は悠人を羽交い締めにしたまま声高に言う。


「おっと! 邪魔はさせませんよ!」


 その瞬間、ローラは背後から細長い棒のようなもので殴打を受けた。

 あまりにも突然の出来事。予期せぬ事態への警戒は、流石の彼女もし切れなかった。


「ぐはっ!?」

「ローラ!?」

「問題ない! ただの打ち身だ!」


 悠人の呼びかけに律儀に答えつつ、ローラは前方に倒れる体勢から咄嗟に受け身を取る。先ほど殴られた肩を必死に抑える彼女の額には、うっすらと脂汗が浮かんでいた。


「なるほどな……。これが貴君の異能か……」


 苦々しげに呟きながら背後を振り返るローラ。

 彼女を突然襲ったのは、箒とちりとりを手に携えてにんまりと笑う、水色のつなぎとハンチング帽を纏う女性。その顔は今悠人を拘束している清掃員の女性と同じ。


 さらにローラの動きを牽制するかのように、スタッフ通用口から、仕掛けとして置かれていた棺から、ディスプレイとして置かれていた戸棚の裏から、その他ありとあらゆる物陰から、次々と人物が湧き出てくる。

 その格好は全員が水色のつなぎとハンチング帽、携えている得物は全員が箒とちりとり、顔付きは全員が皆同じ――


増身(ぞうしん)――己の分身体を無限に精製する能力。一人一人相手にしなければならないとなると厄介だな」


 肩の打ち身を手で押さえ付けながら、ローラはゆっくりと体勢を整える。そんな彼女の四方は、同じ顔をした清掃員の女性の分身体たちによって完全に塞がれている。

 明らかに数の面で不利としか思えないクルースニクの現状を、悠人のことを羽交い締めにしている吸血鬼の清掃員が嘲笑う。


「ふふふっ、私の分身は私という本体がいる限り無限に増え続けますよ! 一体ずつ倒していたらいずれ力尽きて自滅しちゃうんじゃないんですかねぇ!?」


 だが、一対多という数の面での劣勢であるのにも関わらず、ローラは至って平然としていた。


「確かに一人一人を相手にしていてはいずれ劣勢に追い込まれるであろうな。だが、ここにいる全員を掃討することができればこの状況も優勢になるのではないかね?」


 周囲を見回しつつそう言った後、彼女は構える銃剣を清掃員の一人一人にではなく、何故か天井に突き出した。


『Ave,maris stella, Dei Mater alma,atque semper Virgo,felix caeli porta(めでたし海の星、慈しみ深き神の御母、永遠なる乙女、幸いなる天の門)』


 そして詠唱。

 刹那、ローラの足元から大量の水が湧き上がり、周囲を取り囲む清掃員たちを一気に呑み込み捕らえた。

 それはまるで、水槽に閉じ込められた魚のようで。


「ごぷっ……!」


 しかし清掃員たちは魚ではない。呼吸の手段を奪われた彼女たちは、湧き上がった水から精製された檻の中で苦しそうにもがいていた。

 それらには目もくれず、ローラは大きく跳躍して悠人を押さえ付けている吸血鬼の本体の元へ回る。その過程で彼女は、空中を回転しながら銃剣を射撃態勢へと構え直す。


『――Dona eis requiem sempiternam(彼らに永遠の安息を与え給え)!!』


 頭上から緻密な精度で撃たれた弾は、もう何にも阻まれない。水中で溺れる分身体に気を取られている本体を、脳天から一直線に貫く。


「っ、ああっ!?」


 常人が損傷すれば致命傷となる箇所を撃たれ、清掃員の女性がぐらりとよろめく。

 悠人の身体を手放し、今にも崩れ落ちんとしている瞬間を、聖女は見逃さなかった。


「終いだ。四使徒に身体を売り渡した哀れな愚者よ」


 ローラは着地して瞬間に、銃剣の切っ先を清掃員の背後から突き立てた。貫いた箇所は、ちょうど心臓が収まっている左胸。

 核を壊された吸血鬼は、足元からさらさらとした灰と化し、今にも虚空に消え去ろうとしている。だが消失が訪れんとしているのにも関わらず、彼女は満足そうに笑っていた。


「あーあ……私の役割はここまでですね……」

「理解できん。何故、己の生の終焉に対し笑っていられるのかね?」

「だって……私がここで生きようが死のうが、ゼヘル様のお望みになる結果が得られることには変わりないですし……。私たち四使徒に仕える者は、ご主人様の願いが叶えられればそれでいいんですよ」

「ゼヘルの望む結果……?」


 その発言が、悠人の脳に引っかかる。

 ゼヘル・エデルの望む結果――それは悠人が再び吸血鬼たちの王として君臨すること。だがそれを悠人本人が拒否したため、彼は無理やり連れ戻さんと自ら吸血鬼化させた刺客を送ったのではないか?

 実はこれも最終目的を達成するための一手段でしかなかったというのならまだ理解できるが……


「……あっ……!!」


 そこで、悠人ははたと気付く。



 ――この襲撃は、クルースニクであるローラに邪魔立てされないよう、彼女の行動を牽制するためのものではないか?



 では何を邪魔されたくなくて足止めした?

 それは悠人とローラが別の敵の応対をしている隙に、自らが何にも阻害されることなくスムーズに事を進められるようにするためなのではないだろうか……!?


「――っ、おいローラ!!」


 そこで悠人は、この襲撃の意図を察したのだった。

 灰となって散る清掃員を無視し、青褪めた顔でローラのことを呼ぶ。


「何だね? まだ何か気になることが――」


 最初は怪訝な顔をしていたローラだったが、悠人の切羽詰まった様子から、彼女もまたこれが前座にしか過ぎなかったことを察したようだ。



「今すぐカナと解の元へと向かえ!! ゼヘルの狙いは俺たちじゃなくてあいつらかもしれない!!」






*****






 悠人とローラは、別行動をしていた叶と解との合流地点であるパンダカー乗り場へと急行する。


 着いた時に目に見えたのは、地面に(うずくま)り荒く呼吸を繰り返している解の姿。服は土に塗れており、破れた布の間から擦過傷と打撲の痕がいくつも覗いていることから、何らかの暴動に巻き込まれたことが見て取れる。

 もちろん悠人としては、親友の解がどうしてこのようなことになっているのかも不安であった。しかしそれ以上の重大な問題に気付いてしまったため、彼の元に駆け寄ることができずにいる。


「……ごめん、悠人……」


 呆然と立ち竦む悠人に、解が申し訳なさそうに声をかけた。


「僕だけじゃ、何もできなかった……」



 ――彼の隣に、悠人の幼馴染の姿が無い。



 そこから、親友の言わんとしていることは自ずと悟れてしまう。


「僕の力が、及ばなかったせいで……浅浦さんが、攫われた」


 護れなかったことに対して、親友は何も悪くない。ちゃんと抵抗はしたのだろうということは、そのボロボロの姿を見れば一目瞭然だ。

 なのに、悠人は今ぐらぐらと目眩のようなものを覚えている。冷や汗が止まらない。息が詰まりそうになる。口の中の水分が急速に失われていく。


 動揺と恐怖と後悔。それらを混ぜ合わせた負の感情を顔面に浮かべた悠人は、ややあって親友に対し問いかける。


「……犯人は、どんな奴だった?」

「左目に眼帯をした……すごく背の高い、外国人……」

「奴はどうやってカナを攫ったんだ?」

「そこまでは、よく覚えてなくて……。ただ、浅浦さんを連れ去った後、あっちの方に消えていったかな……」


 解が指差しているのは、現在自分たちがいる遊園地エリアと公道を挟んで反対側にある自然エリアを繋ぐ、橋の形状をした連結通路。どうやら叶は自然エリアの方へと拉致されたようだ。


 もう日も暮れかけているせいか、自然エリアの方から人の気配はしない。これはとても好都合だ。


「分かった。ありがとな、解」

「……待って悠人、まさか……」


 解が何かに気づいたように目を見開く。が、生憎悠人に待つ気はない。



「――俺がカナのこと、取り戻してやる」



 くるりと踵を返し、悠人は自然エリアの方へと駆ける。


「待って……! 彼の本当の狙いは浅浦さんじゃなくて――」


 親友の制止の声は、悠人には届いていなかった。






 そしてまた、ローラでさえも制止の声を聴いていない。


「全く、無鉄砲な奴だ!」


 置いていかれたローラは憤慨するが、すべきことはちゃんと忘れない。くるりと解へと向き合い、そのまま彼の胸に手を押し当てる。


「すまないな、しばし眠っていてくれたまえ」

「……っ?」


 刹那、ローラの手が一瞬閃光を放ち、その結果解は力無く崩れ落ちた。

 一応説明するが、ローラは解に害を与えた訳ではない。引き止められると面倒だからという理由で一時的に眠らせただけだ。


「さて、私も向かわねば……」


 深い寝息を立てる解を近くの適当なベンチに寝かせ、ローラも自然エリアへと通じる連絡通路へと向かう。

 四使徒以上の吸血鬼が待ち受けているとなれば、吸血鬼を滅ぼす者としての英才教育を受けてきた自分が動かない訳にはいかない。何せ四使徒は並の吸血鬼狩りが五十人束にならないと勝てないレベルの強さだ。この国で活動しているマリーエンキント教団員を把握し切れていない現状では、クルースニクたる自分が積極的に動くほかない。


 それに先に向かっていった悠人は、吸血鬼の真祖であるとはいえ数日前に覚醒したばかりだ。ろくに戦闘慣れしていない今、ゼヘルに立ち向かっても思うようにされるだけだ。

 彼が連れ戻され吸血鬼の真祖として君臨する前に、何としてでも彼を引き止めなければ――



(……待て。今私は……何を考えていた?)



 ふと浮かんだ思考に、ローラは愕然とした。

 数日前の自分ならば、ゼヘル・エデルを倒すついでに真祖も殺せると意気揚々としたことだろう。自分の役目は真祖を殺すこと、それだけを胸に生きていたのだから。

 だが、今は違う。


(今の私は、奴をいかに敵に奪われないかを考えていた……)


 今の自分には、真祖を倒そうという気概が無い。それを確信し、ローラは息が詰まるような想いを感じた。

 何故真祖を倒そうというクルースニクとしての信念が失われた? 人間として生きる真祖に同情したから? 自分の友人でもある真祖の幼馴染の悲しむ顔が見たくなかったから?


 否、どれも違うと断言できた。

 何故この感情がどれにも当てはまらないと言い切れたのかは分からない。が、自分の胸の中では、吸血鬼の真祖――いや、暁美悠人という一人の少年に対しての新たな感情が芽生えており、それが価値観の転換をもたらしたのではないかと、ローラは考える。


 しかし、その『新たな感情』の正体は、未だに曖昧模糊。


「私、は……」


 自分でも掴み切れないモヤモヤとした想いを抱えたまま、ローラ・K・フォーマルハウトは決戦の地へと向かう。

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