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26:スカイフェル・ダウン


Number 026

スカイフェル ダウン


 順番間違えた……お前、名前何つうんだコラ!

 い、痛い、石神井です、石神井豊広……

 が、死ぬからな!あと撃った奴も殺す!以上っ!

 回線番号16番のトランシーバーから発信された素人じみてぎこちない脅迫を、水上秋月はヘリコプターの中で聴いていた。

 16番、石神井と言うと、あのプラチナブロンドに髪を染めた若いハンターか。

 その石神井の耳でも掴んで慌ただしくトランシーバーにがなり立てているであろう佐古田純三の姿を、秋月ははっきりと頭に思い描くことができた。

 どうしても僕の邪魔をしたいんだな、君は。

 ため息をつきながらも秋月は、少し笑いたかった。

 君だけだよ、変わらないのは。

「直ぐに人員を出して取り押さえて。ああ、全く心配ない。彼は人殺しなんかできる奴じゃないよ。作戦はそのまま実行していい」

 秋月が落ち着き払ってそう告げると、硬直した表情で駆け込んできた部下の1人は安堵の息を吐いて、

「了解しました」

 と、引き返して行った。もう1人は、出て行く前に立ち止まり、

「社長のお知り合いなのですか?」

 振り返って尋ねた。

「そう。二十年以上昔からのね。僕は友人と思っているよ。彼の方はどうだか知らないが」

「作戦を中止しなくていいのですか?流れ弾が、ご友人に当たるかも……」

「仕方ないよ。危険区域である事は掲示してある。こちらに責任は無いさ」

 秋月はアルカイックなスマイルで返答した。

 秋月の記憶に刻まれた25年前の佐古田純三は、7歳である。

 9歳の秋月と、たった2歳しか離れていない純三少年は、泣き喚き、屋久島事件犠牲者慰霊の会・会場のロッカーに閉じこもって大人たちに引きずり出されたかと思えば、テレビ局の取材陣に噛みついて取り押さえられるなど、秋月からしたら考えられないほど幼稚で動物的な子供だった。

 けれど、その子がそういう態度の許される立場にある子供である事を、聡明な秋月少年は承知していた。

 だって、悪いのは僕のお父さんなのだから。

 父に代わって焼香を済まし、謝罪文を読み終えた秋月に、純三少年は近づいてきた。度の強いレンズ越し、両生類を思わせる濡れた質感の眼球で、子供は秋月を眺めた。意外にもそれは憎悪と言うより、植物昆虫を観察するかのような視線で。秋月はそれに一瞬戸惑ったのだけれども、この状況の意味はよく知っていた。だから言った。

 ごめんなさい

 正解答だ。背中越しのテレビカメラ。首を吊って責任を逃れた父。家で待つ、喋らなくなってしまった母。秋月を囲む世界の全てが、正解答を叫んでいた。間違うはずがなかった。

 けれど子供はその時その瞬間から、明らかに秋月を

 怖がった。

 根本に恐怖のある敵意によって純三少年は秋月を、殴って、逃げたのだ。

 頬は痛みよりも、熱を感じた。熱い顔を俯かせて秋月は、無遠慮に突き刺さる大人たちの視線に急かされるように謝罪の言葉を連呼した。

 ごめんなさいごめんなさいごめんなさい

 理不尽な痛みよりも何よりも、場の力が、秋月の体を強く抑えつけた。決定的かつ象徴的な場面を納めようと連続でたかれるカメラのストロボ、白いストロボ、動けない、叫べない。

 だってあの子は被害者で、この場で悪なのは、

 僕だからだ。


 水上秋月の中では、まだ取り出して玩ぶには熱い記憶である。けれど25年で、たった25年で秋月を取り巻く世界は随分と簡単に変わった。

 そう、簡単に

 忘れてしまったのだ。

 正直な所、秋月は佐古田純三に対し複雑な感情を抱いていた。時々殺してやりたい気もする。今や逆になった立場を嘲笑ってやりたい気もする。けれど一方で、彼だけが唯一の友人のような気分にもなるのだった。

 屋久島事件によって、秋月を取り巻く世界はまるでトランプを(めく)るように天国から地獄へ変化した。おかげで父は自殺し、母は気が狂い、秋月は父の負うべき責任に背骨がたわみ、ああそれなのに

 たったの25年で再びヒラリと(めく)れ、さも最初から秋月の味方であったような顔で存在するこの世界、大衆。それに比べたら、佐古田純三の25年変わらぬ怯えと敵意は、ある意味非常に誠実と言えた。

 けれども。佐古田があくまでも「誠実に」自分の邪魔をするというなら、排除しなくてはならない。

 出来ることなら、もっと遊んでいたかったな。

 アルカイックな無表情を崩さないまま秋月は煙草をくわえる。

 仕方のない事なんだ

 秋月の手はいつの間にか金色のジッポを開けたり閉めたりする動作を繰り返していた。

 パチン、パチン、パチン、

 もう二度と世界が変わらないように。僕ははっきりと、その元凶たる父親を完全に「乗り越えた」証明を、どうしても手に入れなければならない。

 パチン、

 でなきゃこんな星で生きていくのは辛すぎる。

 ふうっ、と息を吐いた時、ヘリコプターの扉が開いた。

 入って来たのは先ほど各班に指示を出しに行ったばかりの部下だった。

「あ……社長」

 白い抗菌スーツを着た小柄な部下はぺこりと頭を下げて慇懃な挨拶をした。

 呑気なものだな。所詮、こいつらはこの星の恐ろしさなんか微塵も知りはしないのだろう。

 秋月は少し苛ついて口を開いた。

「何をしているんだ?」

「は、あ、あの……社長にお茶でもお出ししようかと思いまして!」

 部下は定規でも刺したように慌てて背骨を伸ばした。

「なあ……手が空いたなら、するべき仕事を探す。それができない人材は会社に不要と、僕は再三、言っている筈だよね?」

 秋月は嫌そうに紫煙を吐く。

「も、申し訳ありません!あの……自分は今、待機中だったもので」

 その部下が、つい先ほど久留米の代わりの座を獲得するべく、自分との親密度を上げようとして茶など淹れに来たのだろうという事を、秋月は容易に想像できた。

 こうやって媚びてくる奴ほど信用出来ない。いずれ裏切る。だが……

 秋月の心は考えるほどに冷えきっていった。

「まあいいよ……僕は各班の状況が知りたい。様子を見てきてくれないか」

 だが利用はできる。

「は、はい」

 部下には一瞥もくれず、秋月はヘリコプター備え付けの小さな大理石の卓に置いたノートPCを開いた。パスワードを打ち込み、周囲の衛星写真を呼び出す。

 秋月が警戒していたのは、佐古田よりも真佐美、梅津博士の企みだった。あの、ガイライとコミュニケーションをとる機械の性能を目の当たりした秋月は、博士があれを使ってカミツキとマウスに何を指示したのかが気になり始めていた。

 衛星写真を拡大する。

 追っ手である自分たちを巻く、特殊な逃走経路でも用意したのか……?

 秋月は別にウィンドウを開いて、付近の排水管の図面を呼び出した。

 だが、どこに逃げると言うのか。絶対安全な隠れ家にでも閉じこもって一生出てこないつもりか?

 馬鹿な

 では、永遠に逃げ続ける気か

 何の意味がある?

 考えろ。信用できるのは己だけだ。

 廃棄物の積み上がる地下には、公衆トイレの配管1本通っていない。

 わざわざ逃げ道を掘ったか。或いは、空からヘリコプターで協力者が迎えに来るという可能性もある。

 だがそれでこの場を凌げたとしても、あの目立つ二匹を永遠に逃がし続けるのは不可能だ。博士は一体何を……

 秋月はそこまで考えて目をすがめた。

 梅津博士は屋久島事件で婚約者、佐古田純二を失っている。その恨みの矛先を僕に向けている。博士は僕の邪魔をしたい……

 その時点まで秋月は視点を博士に置いて考えていた。だが、

 もしかすると、必要なのは視点そのものを変える事なのか?

 秋月は突然立ち上がる。

 ……もしかすると、もしかするとそう来るつもりか

 頭の中に浮かんだ考えに秋月は一瞬動揺した。

「くそっ、だとしたら非常にまずい!」

 吐き捨てるようにそう呟くと早足に外に駆け出し、ヘリコプター前で警護に当たっている部下の手にした暗視双眼鏡をもぎ取った。

 秋月のヘリコプターが停泊しているのは、高さはそう無いが見通しの良い崖の上である。危ないですよと止める部下の声を無視して、絶壁ぎりぎりの場所から、下方の廃棄物の谷を覗く。

 どこだ

 どこに隠してある?

 だが秋月の探すものはなかなか見つからない。後ろから部下が上着を引っ張るが、無視した。

「社長!水上社長!」

 背後の声があまり煩いので秋月は仕方なしに振り返る。

「どうした」

「あの……カミツキとマウスが姿を消しました」

 部下は慌てていた。緊急性を主張しようと思ったのか、「消えた」という報告にはあまり向かない単語を使用した。だがその言葉の示す意味を既に想定している秋月は、必要以上に取り乱したりはしない。ただ舌打ちをした。

「ふん……消えただって?物理的に有り得ない事を言うんじゃないよ。正確な報告をしろ。どこで見失ったんだ?」

「は、はい、あの、冷蔵庫の中に入ったきり姿が見えなくなりまして……」

「何故、すぐ追わない」

 秋月は溜め息を吐いた。嫌な予感がした。今にも世界が、手のひらを返して再び敵になりそうな……。

 いいや、そんな事にしてたまるものか。

 秋月は少し頭痛がするのを我慢し、努めて脳を冷静に保った。

「対岸と背後から囲い込む陣形は、若干名残してもう解いていい。恐らくその冷蔵庫の中に通路が有るはずだ。出来るだけの人数で追え。それから……」

 秋月はこめかみを押さえながらてきぱきと指示を出す。だが、そこで部下が怖ず怖ずと口を挟んだ。

「あ……あの……社長、既にその指示は出しております、ですが例の、社長のご友人が……」

 秋月の目が柳の葉のように細まる。

「わかった。純三くんは僕が止める」


 指揮系統は、秋月の想像していた以上に乱れていた。

 単なる臨時雇われの身であるハンター連中のうち、石神井、福本を皮切りに半分ほどの人数が、こんな狂人の相手をする義理は無いとばかりに逃げ出していた。とは言え残り半数と、それから正式なギャラクシーファーム社員を合わせた数十名ならば、佐古田一人を取り押さえて冷蔵庫に突入するには10分も要らない筈である。にもかかわらず、進展が遅いのは何故なのか。

 傷つけられた経験の無い奴らは、これだから腹が立つ。

 秋月は早足にヘリコプターに戻って準備をしながら、歯噛みした。自身の障害である佐古田よりも、部下達に苛立っていた。

 そもそもギャラクシーファームの部下にしても、ジョイハント・クラブのハンター達にしても、他の生き物を狙う側の経験しかしたことのない人間ばかりである。普段、ガイライを殺したり捕獲したりする際には、既にマニュアル化された対抗策を準備して圧倒的優位に立った状態で行うのが常であり、彼ら自身の生命の危険は極めて少ない。自分が、誰か、人間から攻撃を受けるかもしれないという状況に不慣れだった。

 つまり、怖い。自分が真っ先に傷つく気にはなれないのだ。

 秋月は、半開きのPCを肘で乱暴に閉じて抱えると、個人的に雇った身辺警護の者達を伴って廃棄物の山へと急いだ。


 さて秋月は気づいていなかった事だが。

 準備を終えた秋月がヘリコプターから出て行く姿を、ある場所から観察していた男が一人。尾沢巧である。

 や、やばい……アレを持ってくなんて

 尾沢は背中を嫌な汗が伝う感覚に、体を震わせる。笑えて来るほど怖かった。しかし、声を出すわけにはいかない状況に彼はいた。手にしたMー00の液晶には、感知できる距離の限界を越えて離れてしまう直前のミミックネコダコの台詞が残されている。

『いてっ!』

 その文字は、もはや後戻りは不可能である事を尾沢に示していた。

 うう……佐古田さぁん

 上司の名を呟いて、尾沢は静かに行動を開始した。



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