第32話 騎士
「ここまで来るのに、こんなにも手間取るなんて」
前屈みになり膝に手を当て肩で息をする。アイラはソルディーアの祠の前に立った。汗がしたたり落ちる。急報を受けてすぐ城を飛び出したものの、押し寄せる魔獣を退けながら進むしかなく、ここまで二日も掛かってしまっていた。
「それでも、城に向かっている魔獣の相当数は減らせたはずだ」
さすがにダリアも息を切らせていた。アイラは息を整えながら頷いた。同意する。これで城の方には猶予ができたはずだ。
「騎士団の皆さん、なんとか無事でいて下さるといいのだけれど」
ソフィアが額の汗をぬぐう。アイラは、そうね、と言って気を引き締めた。
リリーが伝えたのは、聖域との連絡が途絶えたことのみ。それをもって生死は問えない。――ライアン、どうか無事でいて。
「それはそうと、ソフィア、あなた何で魔法を使わなかったの?」
ソフィアの戦闘力に疑いは持っていない。尋ねたのは、こちらの手の内を全て把握しておきたかったからだ。
「聖女様、以前にお見せしたあれは、ハッタリですよ」
ソフィアは、舌を出しておどけた。アイラは苦笑した。――うすうすは予想していたが、やっぱりという感じだ。
「ともかく、ここでいったん回復させましょう」
アイラは革の鞄から水筒を取り出した。疲労回復の効果は既に検証済み、これはポーションのない世界では有効な手立て。ただし、残量を考えると心もとない。生存者の数、攻略に掛かる日数など、不確定要素が多すぎる。
「ダリア、装備はどうする?」
尋ねながら、アイラはダリアの口に水を運んだ。
「余程の相手でなければ、このままでいい」
美味しそうにゴクリと喉を鳴らすダリア。
その様子をうっとりした目で見つめるソフィアが隣にきて、あーんと口を開ける。
「あなた、自分で回復できるでしょ、はいどうぞ」
アイラはソフィアに水筒を突き出す。
「そんなぁ……」
ぼやくソフィアを置き去りにして、アイラは祠の入り口際に立った。
岩の壁に手をつけ目を閉じる――『サーチ!』
「どうだ? アイラ」
「中は、それほど複雑ではないわ」
「聖女様、生存者は?」
「……分からない。洞窟より先が見えないのよ」
妨害されているのだろうか? この先で何が起きているの?
三人揃って祠の洞窟に足を踏み入れるとすぐに金切り音が襲ってきた。
「な、なんだ!」
ダリアが両耳を押さえながら足をふらつかせた。アイラも歯を食いしばり堪える。
しばらくして音が鳴りやむと、景色が一変していた。
「ここは……」
ソフィアが目を細めた。
「林の向こうに、丘が見えるわ。その先に、石造りの屋根のようなものが見える。あれがきっと、ソルディーア様の神殿ね」
アイラは光に目を慣らしながら上を見た。そこに青空があった。
「どういうことだ?」
ダリアは慎重に辺りを見回した。
「今度は、ダンジョンをすっ飛ばす。いったいどういうつもり?」
これはもう、何者かの意図を感じざるを得ないわね。でもこの機会、ありがたく利用させてもらうわ。
すぐさまアイラたちは進む。出没する魔獣を造作もなく片付け神殿を視界に入れた。
「これは壮観だわ」
アイラは感心しながら横目に敵を捉えて石を投げた。熊型魔獣を一撃で打ち抜く。
「月の神殿の倍はあるな」
ダリアが、一、二……八と、巨大な石の柱を数える。もちろん数匹の狼型を薙ぎ払いながら。
「あの屋根のところに刻まれた彫刻は……神話を描いたもののようね」
言いながらソフィアは、大蛇の牙をひょいと躱す。通り過ぎた大蛇が細切れになって消えた。
「さながら、パルテノンね」
アイラが、美しいわ、と呟くと、ソフィアがそれは何だと首を傾げる。
「アイラ、いたぞ!」
ダリアが、神殿の入り口に立つ一人の生存者らしき男を指さす。
アイラは目を凝らした。
盾は見えない。男は剣を突き立て、柄に両手を添え仁王立ちしていた。
正面に向かって放つ気勢。あれは、間違いない、ライアンだ。
三人は同時に頷き、急ぎ男の元へ駆けつけた。
「ライアン、あなた……こんなになって」
アイラは、傍に寄り声を掛けた。警戒していた男の気が僅かに緩む。
「ア、アイラ様か? しかし……」
訝しげに眉を寄せる。ライアンは迷いながら鞘を握って剣を抜く態勢を取った。
「ライアン、あなた、目が……」
声が震えた。アイラは迷うことなく歩み寄った。
一歩、二歩、近づいていく。接近に戸惑いながら、ライアンは剣を抜けずに後ずさった。
至近距離まで近づいたアイラは、「わかるでしょ」と微笑んでライアンを抱きしめた。
カチ、剣先が床に落ちる。ライアンは片膝をついた。
アイラはライアンの頬を両手で包み顔を見つめた。
開いた眼が灰色に曇っていた。
――この人は、こんなにボロボロになりながらなおも……アイラは沈黙した。騎士の矜持を見て何も言えなくなった。
「まことにアイラ様なのか」
ライアンはアイラの頭を撫でた。次にサイズを測るように両肩に触れる。「……お小さい」と戦う男の口から声がもれる。
「ええ、そうよ」
アイラは、ライアンの手を取り頬に当てた。「今度も正真正銘、幽霊ではありませんよ」と言うと、ライアンが無言のまま微笑んだ。
「しかし、アイラ様。どうして、どうやって――」
「説明はあとよ、ここはもういいわ。ライアン、帰りましょう」
アイラはライアンの手を引いた。けれど、彼は微動だにしない。疑問に思いながら顔を見ると、ライアンは首を横に振った。
「アイラ様、まだ、仲間が奥におります。救援隊に彼らを」
「ライアン、救援隊はいないわ、私たちだけよ」
彼の期待に添えなかったことを申し訳なく思う。残念だが、アイラでは軍を動かすことができない。
「さ、三人……」
ぽつりと言ってから、ライアンは押し黙った。彼は歴戦の勇士だ。少女がたった三人で来たという、この事実を受け入れられないのも無理はない。
「ライアン、状況を教えて欲しいのだけれど」
アイラが尋ねると、ライアンが曇った目を持ち上げる。表情に戸惑いのようなものが見えた。
「アイラ様、どうかお戻りください」
来られたのなら、戻ることができると考えたのだろう。ライアンはまだ現実を受け入れていない。
「アイラ・シトラスが命じます。ライアン、どういうことか、事情を話しなさい」
語気を強めて言うと、ライアンがハッと眉を持ち上げた。
「……アイラ様は、もうシトラス家の者ではありません」
寂しそうに言ってライアンは顔をそむけた。
「……なんですって?」
「聖女様、こうしていても押し問答が続くばかり、奥にはきっと怪我人も」
ソフィアが、先に進もうと促した。
「せい……?」
ライアンが額を摩りながら独り言を言う。
「ソフィア、その呼び方はやめて。いらぬ誤解を招きます」
「アイラ、行こう。こうしている間にも苦しんでいる者達がいる」
「ダリア・アッカリーか、そうかお前がお守りして……」
「そうね、行けば分かるわ、先に進みましょう。この分からず屋さんを説得するのは骨だもの」
アイラは革の鞄に手を入れながら二人に目配せした。意を察してダリアとソフィアが動く。
「アイラ様、いけません! どうか、お戻りください――」
「ライアン、そこに横になりなさい」
動揺する騎士の言葉を遮って命じる。
「失礼します。騎士団長どの」
ダリアがライアンの腕を押さえた。
「はぁーい、直ぐに終わりますからねぇ」
ソフィアが腰に手を添える。
「お、お前たち、な、なにを! ア、アイラ様」
狼狽する大男と、いいから言うことを聞けという少女達。
アイラは柱の陰にライアンを横たわらせた。
膝の上に頭を置き、水筒を口に運ぶ。
一口、二口、彼は喉を鳴らしながら水を飲んだ。
次第に目に輝きを取り戻していく。
「こ、これは!」
視力を取り戻したライアンは、アイラの顔をまじまじと見た。
「秘密よ、でも、大したことではないわ」
アイラがウィンクを送ると、ライアンは飛び起きた。持ち上げた両手をジッとみてから、体のあちこちを触る。彼は、不思議そうな目でアイラを見た。
「それ、貸しだから。ちゃんと返してくださいね、騎士様」
アイラが、騎士道を揶揄すると、ライアンは、「は、はあ……」と気の抜けた返事をする。
「ライアン、しっかりしなさい。生存者を助けに行くわよ」
発破をかけるとライアンは背筋を伸ばした。
「及ばずながら、このライアン、せ、いや、アイラ様と共に」
輝きを取り戻した騎士が、神殿の奥へ鋭い眼光を飛ばす。
――これでいいわ。
ほっと一息ついて前を向いたときだった。神殿の奥から女性の騎士が走ってくる。
シトラス騎士団、副団長のケイシーだった。オレンジ色の短髪は乱れ、頬に煤けた汚れを残す。武具はライアンと同様に破損していた。その姿が、ここに至るまでの戦いの凄まじさを物語っていた。
「ライアン騎士団長!……って、はぁ!? なんで」
ケイシーの視線が、ライアンとアイラの顔を行ったり来たりと忙しく動く。
「なんだ、何かあったか、ケイシー」
「はい、準備が整ったので戦闘の準備をしろと」
報告をしながら、ケイシーの目はアイラにくぎ付けになっていた。その様子が面白かったので、アイラは「ごきげんよう」といって可愛らしい淑女を装う。
「戦えだと、ローガンめ」
ライアンが苦々しく顔を歪めた。
「……ローガン、あいつ、何を企んでいるの」
アイラは、あの憎たらしい司祭の顔を思い出した。
アイラは人知れずサーチを使った。
祭壇の奥、扉の向こうには大きな空間……更に扉があるわ。
最奥の部屋を見ようとすると、何者かがアイラの心に触れた。
――呼んでいる? 私を?




