17-2 theater(幻影)――新宿
意外な訪問客に驚いたのはミエコだった。
『あら――、この娘は?』
惚けた可愛らしい表情を見せる。
『あぁ、実はですね』
『ミナマデイウナですよ~、自己紹介くらい自分で出来ますぅ』
短めの緑色ドレス。淡い光を纏わせた羽は揚羽蝶にも似て僅かに毒々しい。赤髪碧眼の青白い顔の可憐な少女姿なのだが、――あぁ、グレムリンと同じだ。お人形さんが遊んでいるようにしか見えない。
『お前が言うと時間が掛かる。私が説明しよう』
バーナードの断言にガクッと肩を落とし、しょんぼりとした表情を浮かべる。そんな分かりやすく落ち込まれても……。
『ミエコは知らないかも知れないが、「神聖同盟」本部の監査官がやってきててな。その置き土産だ』
そう――。
あのウィリアム監査官達が残した小さな怪異。
英国で捕獲された妖精「ピクシー」らしい。「妖精」という存在も童話のソレも知っていたが、現実に目にしても驚かなくなったのは先達のせいだろう。ヤツの調整の為に連れてきたらしいが――、まぁ五月蠅い。五月蠅いことこの上ない。
ただでさえテンションの高いグレムリンに惚けた調子の妖精が組み合わさるのだ。出来の悪い漫才に拍車がかかる。まだ来日一週間程度だが既に食傷気味で皆揃って辟易している有様だ。妖精同士、仲が良すぎるのも考え物である。
『まぁ、可愛らしいお客さんね。勿論観ても良いわよ』
『わぁい! 嬉しいですぅ!』
『――でも静かにね』
『は……、はいですぅ~』
ミエコはこういう手合いには慣れているのだろうか?
端的に上品に苛烈に物腰柔らかく。戦場の顔と銀幕の顔は、二律背反ながら常に同時並行して存在している。
『ささ、中に入りましょう』
肩を竦ませながら中に入ると、薄暗い照明に照らされたシアターが我々を出迎えてくれた。
艶々に磨かれた革製のシート。年季を感じさせる肘掛けや背もたれ。意匠を凝らされた壁は昔日の神殿を偲ばせる。
――本当に誰もいない。
『やっぱり貸し切りとは凄いね』
『へへッ、混んでる映画館の最前列って一回座ってみたかったんだよ』
『うぅー! 私は上から~』
はしゃぎ気味のクラウディアと跳ね上がるピクシー。
『一番前や上から見ると、画面が歪んで見えませんか?』
『うッ――』
惚けながらも鋭いデービッドの指摘に言葉が詰まった。
『まぁどこで観ても良いじゃない。ただ、今回はみんな一緒に見たいわ。折角ですもの』
薄暗い中でもミエコの足取りと身のこなしは、静物に対する強いコントラストとなって浮き上がる。彼女は晴れやかにシアター中心の席に向かった。
『まぁ、それが合理的だろう。真ん中辺りに各自自由に着席しよう』
バーナードの指示により銘々に着席を始める。
私の席は……ミエコの隣だ。
相変わらず近くに来ると、彼女の香に心が僅かに揺さぶられる。
『あの……、そう言えばヒノエさんは?』
『あら、聞いてない? 彼女ね、今引っ越しの最中なの』
『引っ越し――?』
『誰かさんが隠れ拠点を見つけちゃったのよね』
突然に罪悪感が頭を殴ってきた。
あの日、あの時。
私の眼が迷妄を破った。
『……すみません』
『フフ、私に謝ってもしょうがないわよ。レフチェンコだけじゃなく、異能を狙う存在なんて色々いるわ。貴方が見抜かなくても定期的に拠点の引っ越しは行われてるの。……私は別だけど』
僅かに混じる嘆息が耳を掠めた。
『だから気にしないで。それに彼女も拠点の引っ越しが終わったら貴方に会いたがってたわよ』
俄に鼓動が胸を打つ。
『ほ、本当ですか?』
『本当よ。でもね――今は楽しみましょう、映画を。貴方や「神聖同盟」東京支部に必要なのは休養と余裕よ』
何もかもを見透かされたようだ。
千里眼もないのに人の心を見晴るかすお転婆娘。私もちゃんと人を見られているだろうか?
連続する怪異現象や、過去の残影に余裕を失っていなかったか?
『ありがとうございます、ミエコさん』
『さ――映画が始まるわ』
彼女の微笑みは少女のようであり、姉のようである。促され頭を上げる。
私から見て前列クラウディア、バーナード、キャサリン、マイク。同列に私、ミエコ、デービッドが。ピクシーは場所が定まらず、虚空を蠅のようにウロウロしていたが、クラウディアが強引に掴み取り彼女の懐の中と相成った。
――映画が漸く始まる。
チラチラと瞬くランプの明かり。頭上を飛び越えて最新式35ミリ映写機から発せられる光線が、鮮やかにスクリーンを浮かび上がらせる。
『上映中は静かにね』
言われるまでもない。
いつも満席や立ち見が当たり前の映画館で、これだけ空いているのは滅多にお目にかかれない。非日常と特別感が眠っていた童心を踊らせる。
映画会社のロゴ、派手派手しいタイトル表示。荘厳ながらも軽快な曲を背景に出演者、スタッフが白抜きで並ぶ。居並ぶ錚々たる顔ぶれに紛れて「神宮司ミエコ」の名前が連なる。一瞬のどよめきは転じて波を打つ静けさとなり、これから始まる物語への期待が否が応でも高まっていく。
一体どんな映画だろう?
そう思った時。
――あまりに一瞬の出来事だった。
荘厳なオープニングが終わったと思った途端、画面が暗転した。
いや、画面だけではない。映写機の光、空気中の塵に浮かび上がる光線すら絶えて、シアターは暗黒の世界に突き落とされた。
変わった演出――にしてはおかしい。
真っ暗闇はおかしいのだ。
映画のフィルムは可燃性だからたまに燃え上がり、スクリーンが真っ白になることはある。もし焦げていれば映写技師は急いでフィルムを取り替える作業をしていることになるが……闇である。
停電か?
唯一の現実的回答はそうだろう。ならば映画上映どころではない。
「『ミエコさん、停電ですかね?』」
森閑として誰何に答えなし。
声を漏らすように呼びかけた途端、背筋を怖気が走った。
嗚呼――、おかしい。
そうだ、真っ暗闇はおかしいのだ!
私には見えるはずの光が見えない。
――人の光が。
覚醒したる光覚により闇の中でも僅かな光芒が見えていた。駿河湾の時も、星さえ死に絶えた深淵の闇ですら光の筋、或いは憎悪の炎が見えていたというのに!
「『ミエコさん! みんな!』」
慌てて立ち上がり大声で叫ぶが返事はない。手元も足元も覚束ない闇が揺蕩う。
懐かしくも恐ろしい原初の闇。先も見えない闇に時間が融けていく不安。居ても立っても居られない居心地の悪さに、再び大声を上げようとしたその時。
突然映写機が光を瞬かせ、光線がパッとスクリーンを真っ白に輝かせた。『光あれ』と聖書に言うが如く闇から光へ世界は創世された。
だが、その世界はいつもの世界ではない。
「嘘だろ……」
前の席や横の席に座っていたはずの仲間達は、忽然と消え失せていた――。




