16-7 inspector(太歳)――狭山湖
切っ先は微動だにせず私を捉えている。
向けられた敵意をひしひしと肌に感じる。刺さるような不快感を断ち切るためにも、私は左腰に吊された『髭切』を滑らせるように抜刀した。
「『ひひひひ……、やはり、貴様も仲間よ、我々の!』」
引き攣った乾いた笑いに共鳴するように、漆黒の染みと鎧が鈍く揺らめく。気色悪い笑みは相変わらずだ。
「『何の事だ……?!』」
輝く『髭切』の切っ先が加藤の正面に向けられた時、キャサリンの甲高い声が脳内に響き渡った。
『敵怪異は極東の妖怪「陰摩羅鬼」と推測されます! 人の死体から生じた気が変異したという鳥型怪異です! 口から火を噴く可能性があります! 気をつけて!』
「『へッ――! 火ぃ吐く前に、頭ごと吹っ飛ばしてやるぜッ!』」
キャサリンの分析を聞き終える前に、クラウディアの雄叫びが勇ましく響き渡る。視界の外で、銃撃の他にクラウディアの咆哮と鈍い打撃音が断続的に繰り返される。
『こいつもくらいな!』
マイクの擲弾銃だろう、敵の断末魔と炸裂音と爆風が同時に背中に吹き荒ぶ。銀粉弾頭の着弾。既に陰摩羅鬼は地上に降り、或いは低空を飛行し皆に襲いかかっている――!
だが視線を加藤から外せない。
外したら良からぬ事が起きてしまいそうだ。背中越しに行われている激闘を思いながら、切っ先の向こうに浮かぶ糞野郎の顔を睨み付ける。
「『ひひひ――、貴様も命を弄んでいるんだ、私と同じように。我々の命を!』」
加藤の嘲笑を訝しんだ刹那、キャサリンの分析が続け様に脳裏を過った。
――死体から生じた気。
――幾十もの怪異。
――我々。
「『まさか、こいつらは……』」
「『ははッ!! そうだ、そうだッ! 今貴様らが撃ち落とし、貴様が邪眼で滅ぼしたのは、我が第13中隊の同胞達よッ!』」
スッ――と頭の天辺から、罪悪感が冷気を伴って津波の如く全身を駆け抜けた。ビリビリと脳幹が痺れ、眩暈が平衡感覚を狂わせる。
切っ先は地に向き、脚に力が入らない。
「『――そんな』」
怪異の断末魔は、私が見殺しにした仲間達の断末魔。
声は耳に脳に割り込むように浸食してくる。「散兵線の華と散る」ことも「玉砕」すら許されず、一方的に殺戮された戦友達を……私が殺している?
「『貴様は二度も我々を見殺しにするのだ。仲間を殺し命を弄ぶ。――今まで私達を軽蔑していたんだろう? 貴様も同じ穴の狢よ……ひひひひ!』」
ガチャリ。
手からするりと『髭切』が墜ち、鈍い金属音が銃火の中に響き渡る。重力に逆らえず、膝からガクンと崩れる。
嗚呼――、駄目だ。
硬い堰堤の地面に前のめりに両手を付く。夕焼けに伸びた自分の影が――黒い。目頭が熱くなり、何か分からぬ涙が勝手に溢れ出す。隊長か誰かが私の名を叫んだようだが、聞こえない。
現実を前に、みんなの声が聞こえない。
唯々耳に入るのは――加藤の声。
「『恥ずかしいだろう? 仲間を見捨てて、もう一度殺しているなんて日本男児のする事じゃないよなぁ? 国の恥だよなぁ?』」
地面を見つめる視界の外で、加藤が私に近づいてくる。ゴツゴツとブーツを鳴らし、耳障りな鎧の音を奏でながら。
「『――だがな、今殺されている部下達は慈悲深くてなぁ。お前を許そうと思っているんだぞ』」
――そんな、ことが。
「『いいや、皆、お前を許そうとしている。連合国による占領という狂った現実に逃げたお前に同情しておるのだ』」
本当だろうか?
私は彼らを見捨て「敗戦という現実」に生きてきた。何故おめおめと生きているのか、死に損なったのか。多くの元兵士が同じ恥と罪と、相反する自由を謳歌し今を生きている。さらに連合軍に協力して良い生活を送っている私を――彼らが許してくれるだろうか。
だが、もし、本当に許してくれるなら――。
「『我らと共に来い。忌まわしき運命に狂わされた人生を、取り戻すのは今だ。皆待っておるぞ……だから』」
合一せよ。
地に両手を突いたまま、重い首を持ち上げて見上げる。
滲む視界にぼんやりと映る現実。
夕空に遊弋しているかつての戦友達。狙撃銃や騎兵銃に撃ち落とされ、散りゆく戦友達。弾け散る光環を背に、怪異に塗れた大尉が私に手を差し伸べ、……気色悪い笑顔を向けている。
躯に赤と黒の色を纏わせながら。
目は赤く、黒く、醜怪な地を這う邪眼。
あの時見た、あの時運命が全て狂ってしまった、元凶。
私の眼はそいつの眼。
太歳の――。
『騙されないで。そいつの虚言に付き合う必要なんてないわ。貴男なら悪夢を変えることが出来るはずよ』
凛――。
声、聞き慣れた声。
嗚呼、いつも、いつもだ。
彼女の声は、いつも澄ましたように頭に響き渡る。
心地よく透き通り、核心を突く。
豁然と霧中の私を叩き起こしてくれる。
『ヒノエ、さん……』




