16-5 Inspector(太歳)――狭山湖
翌日――。
山口貯水池のほとりは、欠伸が出るほど閑静だ。
まだ出来て十年程度の道路や手摺りは、戦争を跨いだとは思えぬほど整然と整えられている。白く輝く取水塔は円形ドームのモダンな作りで、見とれるほどに美しい。
立川基地から北上し、多摩の鬱蒼とした森の中にある通称「狭山湖」のほとり。木々のせせらぎが耳を喜ばせ、吹き抜ける風が頬を優しく撫でる。黒い鳥たちが音もなく空を滑っている。
五月の落日、赤く燃える空は楚々として清らかに、水面の夕映えはとても美しい。
静かな、平穏な、何も変わらない日常。
そこに我々という非日常が入り込む。
非日常が、狭山湖のほとりで密かに顔を出す。
『――今時分、時代劇の果たし状ですか』
ジープから降車後、銘々に武器銃器を取り出した直後である。デービッドの呆れ声が脳内に響いた。
『それだけ自信があるということだろう。わざわざこんな人目の付かない所を指定して、「一人で来なくても良い」と書いてきたんだからな』
『へっ――、酔狂な野郎だぜ』
ギシギシと音を立てながら、クラウディアが金属製ナックルグローブをはめている。皆がそれぞれの獲物の動作確認をしている最中、私だけ手持ち無沙汰だ。
――機関銃の銃把が恋しい。
邪眼と髭切。それは神聖化弾頭を上回る威力を誇る脅威。他の皆がサポートに徹してくれる分、遠距離では邪眼を、近距離では一刀両断に斬り捨てるのが私の役目となりつつあった。
『協力構成員による一帯の封鎖は完了しています。民間人は入ってきません。怪異反応は微弱ですが感ありです』
『――よっしゃ! それじゃ、ウラベのクソ上官を殴りにいこうぜ!』
『殴って終わる訳がないからなぁ、きっちり昇天させてやらないとな』
『どうやら、あっちも準備万端のようだぞ』
狙撃銃のスコープを覗きながらバーナードが報告した。
『……まったく、こんな所まで監査かよ』
堰堤の反対側――北側のほとりにもジープが停まっているようだ。肉眼では流石に見えないし、私も色を見透かせないがスコープの先には、いるらしい。
ウィリアム以下4名の監察官は、今回の調査――確実に戦闘になるだろうが――に協力することを申し出て来た。彼らも銘々に神聖化済みの武器弾薬を所持しており、戦力が多い方が良いとの判断らしいが……。
『監査っつーより、監視だな』
『挟み撃ちが可能と考えれば、まぁ良いじゃないですか』
『デービッドは楽天的ねぇ。あの人達、そんなに信じられる?』
キャサリンの毒がしみじみと心に刺さる。
『心の底からは信用してませんよ。でも「神聖同盟」の仲間ですからね、最終目的は怪異の消滅・統制であることには変わりないんですから――変な気は起こしませんよ』
『……そうだと良いけどな』
マイクが動作確認を終えた擲弾銃を構えながら吐き捨てた。
『お喋りはそこまでだ。バーナードは我々の後方、マイクは『隠密』で最適射撃位置へ。デービッド、クラウディア、私はウラベの後方、ウラベは先頭だ。――各自持ち場につけ』
『『『了解――』』』
堰堤の通路は只管に真っ直ぐ、雄大な自然に敷かれた人工的な軌道の如く。地平線の向こうまでとはいかなくても、人工的機械的な直線は自然を支配している人間の偉大さを彷彿とさせる。
だが、そこに――奴がいる。
『堰堤中央に人影を確認。――復員服の男。奴だ』
一足先に堰堤の手摺りを乗り越えて、狙撃位置に移動しつつあるバーナードの報告が脳内に響く。私の位置からはまだゴマ粒以下、色の判別もまともに出来ない。だが、確かに人影が白い通路に浮かんで見える。
たった一人、待ちわびるように佇んでいる。
『ウラベ気をつけろよ。奴は――』
『分かっています。邪眼を発動させないように注意を払います』
『……ウラベ、奴との接触を頼む。我々は射界を確保しつつ、後方から援護する』
隊長の冷静な指示に、クラウディアが念話を荒げた。
『距離を取れば邪眼から逃げられるかなんて分からねぇよ、隊長。野郎に拳ぶち込むには近づくしかねぇだろうがよ』
珍しく突っかかるクラウディアに、隊長の倦むような溜め息が聞こえた。
『……そんなことは分かっている。奴が人間なのか、怪異そのものなのかまだ分からん。異能に目覚めたただの人間だったなら衝突は極力抑えるべきだ』
――その通りだ。
我々は怪異を統制するためにいるのであって、人間を殺す為にいるんじゃない。
だが、もし加藤大尉が私と同じように邪眼を有して敵対するただの人間だったならば――私は何を言えばいい。同じ立場になった私達は、どちらも――。
『ウラベ……、深く悩むのはナシだぜ』
姿が見えないマイクが力を込めて念を飛ばしてきた。
『後ろ暗い過去なんざ皆持ってる。俺の過去をお前は救ってくれたんだ。付き合うぜ、お前の決別に』
『マイク……』
逡巡し歩みが遅くなる私を、励ます言葉が力強く背中を押してくれる。
『気負いすぎないでください、ウラベ。私達もいるんです。罪悪感なんて気にしないでください』
『そうだぜウラベ! 糞野郎に手加減なんかいらねぇ。全力でぶったぎってやれ!』
『――背中は任せろ。何者にもお前の邪魔はさせない』
『応援しか出来ないけど――頑張って! ウラベ!』
『ウラベ……お前の信じるとおりに行け。目の前の現実に立ち向かえるのは、お前しかない』
――そうだ。
――そうなのだ。
私の見るべき現実は今ここにあり、これからすべき事も今ここにあるのだ。
迷うことなどない。
じりじりと歩みを進める必要もない。
私は過去と決別するのだ。
大陸で大尉の悪行を止められなかった自分と。
怪異に怯えて逃げ隠れしていた自分と。
この邪眼と『髭切』を以て。
堰堤の真ん中にあった小さな人影が、どんどんと大きくなってくる。
忌まわしき過去や恐怖を織り交ぜた、黒色の輝きを全身から滲ませた――そのものへ私は向かっていく。高鳴る鼓動が体中を駆け巡り、喉の渇きに生唾を飲む。力を込めた歩みを、奴の数米手前で止めた。
「……久しぶりだな、卜部上等兵」




