16-2 inspector(太歳)――立川
『一体何を見たんだ、ウラベ』
『……』
憲法施行記念式典を抜け、小止みになった雨に感謝しながら立川基地に帰投した。冷たい雨はなくても空は黒々と空を覆い、暗く沈んでいる。心に日が射さぬまま――執務室のソファーで皆に囲まれながら、隊長に問い質されていた。
『言いにくいことか』
『――はい』
迷うことなく明言した。
『そうか。……無理にとは言わない。だが、そのレンズを壊す程の何かだ。怪異なのは間違いない』
そう。
その通りなのだ。
アレは紛れもなく怪異だ。
生身の人間のはずがない。
『怪異の色を纏っていました。復員兵の男が……いや、奴が……』
『奴?』
『……知ってる人ですか?』
最後の最後で言葉が喉の奥から這い出てこない。
腹中の弱気を鷲掴みにする。
言葉としてぶちまけるには非常なる胆力が必要だ。昔なら飲み込んで終わっていたかも知れないが、今は違う。
――守るべき者も場所もあるんだ。
腹の底から力を込めて、一言を捻り出す。
『――かつての私の上官。第3師団隷下、歩兵連隊第13中隊中隊長、加藤秀典大尉です』
封印した記憶。
いや、封印なんて出来ない。
だからこそ大陸を去ってからも、朝な夕なに怪異は私を傷つけ同化しようとしてきたのだ。
太歳の記憶――巡り会い。
その発起点が、奴だ。
「『あぁ――。彼ですか……』」
デービッドが気色ありげに呟いた。得心と悲哀。ロザリオの力で見た、私の過去。
『……そうだ。最前線で消された中隊だ』
脳裏を過る戦争の記憶。
昭和19年のこと。生まれは東京の両国でも、親父が住んでいる本籍地の名古屋に召集令状が届いた。電話一報、乙種の第一だった私は慣れない郷土連隊に入り、上官のしごきも経験しながら大陸に出征した。
折しも南方へ一気に突破する攻勢の最中。兵士は常に消耗し、常に補充され、前線も策源地も共に混沌という坩堝の中にいた。
『あの男は、……遊んでいたんだよ』
前線よりやや後方に拠点を構えていた所属中隊は、おくびにも「誉れ高い」とは言えない、いや……、それどころかいわゆる「愚連隊」のようなものだった。
定員割れを起こしていた100人程度のこの集団には、色んな人間が同居していた。
上官を殴った猛者から脱走一歩手前の臆病者まで。或いは犯罪に手を染め、或いは戦場を恐れて譫言を繰り返すような、営倉や病院に居るべき不適格な兵隊達が集められていた。千差万別と言えば聞こえはいい。だがその実、連隊麾下全12中隊のあぶれ者、恥部、落ちこぼれと破落戸の集まりだ。
何の因果か――。
小市民である私は、この荒くれ者の中に放り出されてしまった訳だ。
その頭領である陸軍大尉――。
皺深く眼光鋭い四十路の中助。
どこか浮世離れした空気を漂わせていた奴は――。
『鹵獲品の拳銃の試し撃ち。捕虜の兵士を遊び半分で射撃の的にしていたようです』
口籠もる私を見かねてか、デービッドが端的に補足してくれた。
――今から思えば異常な光景。
でも、当時は異常とは思わなかった。
初年兵は捕虜を対象にした刺突訓練をさせられた。皆腕が震え、声を押し殺して――戦争の洗礼を浴びる。
だがそれも最初ばかり。
砲火を交える段となると、敵も味方も民間人も巻き添えにバタバタと死んでいく。死体がそこら中に転がり、鼻が曲がるほどの死臭漂う中でも平気で飯を食い、深く眠るのだ。
『連隊隷下のゴミ溜めだ。遊撃任務を主としていたが、実態はただの鉄砲玉の第13中隊。非人道的な隊長の行動を止める奴なんて誰もいなかった。……私も、その一人だ』
自然を頭が垂れ、深く項垂れてしまう。
軍人勅諭の言うところ「上官の命」は「直ちに朕が命を承る義なり」……上官の命令は天皇の命令であり、何があっても逆らえないのが常である。もっとも――、この中隊はそういうことを悪い意味で守れなかった連中だからこそ、私は毎日が億劫で仕方なかった。
『捕虜を殺害した後、奴は気色悪い笑みを浮かべてこう言ったんだよ。「命を弄べるなんて天国だよな、ここは」――と』
『……反吐がでるぜ』
『あぁ、まったくだな』
軍紀の戒めはここにはなかった。方面軍の訓示で多くの師団や連隊で風紀粛清は図られたらしいが、この末端の「愚連隊」には届かなかった。
堕落した軍紀――音に聞くソレも、ここではソレより酷い。
『遺棄死体は戦果として報告するが、余りに露骨な遺体損壊や虐待痕が目立つと憲兵の耳目に触れる可能性がある。だから――面白半分に殺した捕虜は、奴の命で埋めることになっていた。埋めるのは二等兵の仕事だったが、ある時、同じ分隊にいた二等兵が二人とも八路軍のゲリラ攻撃で戦死してしまった。だから……あの日、週番勤務についていた私ともう一人が、捕虜の遺体を埋めることになったんだ』
――笑えない話だ。
風紀や防犯を仕事とする「週番勤務」で、軍紀の乱れを助長しているのだ。
臨時の中隊本部は、昔の寺院を中心とした村落の一角。ほとんどの民間人は既に逃亡し蛻の殻だが、僅かに苦力が人足として数名残っているに過ぎない。その裏手、壕の向こう側まで遺体を運びんで円匙で穴を掘った。
遺体は2つ。
どちらも国民党軍兵士。
体格は同じくらい。片方は冷たく、もう片方は死後間もないのか、まだ温かった。
医務室から担架を借り、闇夜を縫うように運び出す。運ぶのを手伝ってくれた兵長は私より位が上で――「埋めるのは一人でやれ」と勝手に帰ってしまった。
星明かりすら絶えて闇が沈む。
そんな中、人目を憚りながら赤土を掘る。
森々とした町外れは、あの世かこの世か分からぬ程に人の声もなく静寂に包まれていた。
『穴掘りが一段落した頃、喉が渇いたので途中休憩を兼ねて水筒を取りに兵舎に戻ったんだ。その時、運悪く大尉と鉢合わせになって……』
ほろ酔い加減の大尉から「ちゃんと埋めたか」と問われ、埋めたと嘘をつこうと思ったが――やめた。こいつはねじ曲がった性格だ。どうせ確認に来るだろう。
『ビンタ1回と怒号1回。それで済んだだけマシだったよ』
『ウラベ……』
――それから。
大尉が確認を兼ねて私に同行することになった。
内心唾を吐きかけながら。
こいつは死ぬべき奴だと恨みながら。
……暗闇の中、遺体の所までなんとか戻る事が出来た。
『でも、そこでおかしな事が起こったんです』
『おかしなこと――?』
『死体がひとつ消えていたんです――』




