14-3 Flotsam(ダゴン)――駿河湾
これは乗組員から直接聞いた話だという。
何処までも広がる青空、見渡す限りの青い海。そのただ中にポツンと浮かぶ黒い岩礁。船の残骸にも見えるそれは、大きさにして10米四方。ギザギザと鋭角の陰影が目立つ巨大な塊。
「まぁ、どう見ても浸食された岩礁なんですな。でも色が珍しいんですよ」
濃い緑色――。
岩石が波により削り取られたか岩盤が隆起したものが岩礁なはずなのだが、緑色……ということは緑色岩だろうか?
たしか秩父の長瀞渓谷には緑色岩の岩畳があったと聞いたことはあるが、いずれ海図上ここには何もないく、岩礁な訳がない。
人工物なら可能性はある。浸食作用か何かで上層の塗装が剥げ、或いは変色してしまったものなら大いに考えられる。
「掃海艇の船長はですな……、蛮勇か英雄気取りか分かりませんが、その岩礁擬きに飛び乗ったらしいんですよ」
なかなかの度胸である。
海面に浮上している漂流物。一見して乗れるほど大きいとはいえ、よくもまぁ乗り移ろうと思ったものだ。
「質感は亀の甲羅、一番近いのがそれらしいんですな」
「『……ほう』」
デコボコの岩礁にも見える、亀の甲羅――?
想像にも形が定まらぬ。奇妙な造形に首を傾げつつも、説明を続けて聞いた。
「出っ張った岩か甲羅か、とにもかくにも引っかけを見つけたので、ロープで結んで引っ張ったらしいんですよ。ところがどっこい。全然びくともしません」
漂流物と思いきや、それは固定されていた。いや、固定されていると思うほどに、海中の安定性が高い代物か。
「いくらやっても埒が明かなかったっちゅーんで、司令部に連絡を入れて、銃撃したらしいんですな」
機雷の除去に使う機関砲――。
掃海作業はあまりにも危険な仕事である。航海の安全を確保することを任務とする。言うは易いが、実際は命懸けだ。
一つ作業を間違えば誘爆・誤爆は免れない。それは畢竟船諸共命を散らすことに繋がる。だが彼らの作業こそが、決定的に壊滅した日本経済を蘇らせる重要な一里塚なのだ。
掃海作業は駆逐艦や掃海艦艇が爆雷を投下する他、浮上してきた機雷を銃撃する場合もある。米軍の「沈底式機雷」は――音響や磁気反応など種類が複数あり、反応させて爆発させるまでが非常に大変らしく、その苦労だけは新聞記事で読んだことがあった。
一方、日本軍が使った機雷は多くが海中に浮遊する「係維機雷」のため、海中のワイヤーを切ると海面まですっと浮かんでくる。処理方法の一つとして掃海艇には機銃――20粍機関砲があり、彼らはそれを使ったというのだ。
イノマタはやや大仰な身振り手振りで、掃海艇の働きを再現する。
「ダッダッダッダ、と何発も連射して、ちゃんと命中したらしいんですな。そりゃ、こんなにでっかい的をはずすはずがありません。……ところが」
――傷一つつかない。
船舶の外壁なら着弾時点にへこみ、掠り傷が必ずつく。どんなに重厚な戦車だろうがコンクリートトーチカだろうが、弾着痕は生々しく跡を残す。
しかし、全くその痕跡が見当たらない。
「ダイヤモンドじゃあるまいし、機関砲を喰らって文字通り傷一つつかないのは、……おかしいですよねぇ?」
イノマタがペンを置いて顎をさすり、片眉を釣り上げた。
疑念――。
しかし答えは明瞭である。
我々が話を聞いているという時点で、半ば決まったようなものだ。
「『それだけ巨大な怪異、ですカ』」
デービッドが静かに腕を組みながら唸った。
私が今まで出会ってきた怪異でも、そこまで巨大な物は見たことがない。あるとしても横浜で遭遇したフォカロル、奴の腕くらいである。
『フォカロルのように、異能か何かで金属板や甲羅を操っているんじゃないか?』
『いえ、それだと目的が分かりません。目立っているだけではないですか』
――そう。
ただただ浮かんで見つかって。もしこいつが怪異なら、一体何をしたいのだ?
攻撃を加える訳でもなく、隠れる訳でもなく。何かの意図があるのかも分からない。その不気味さだけはある意味『怪異』らしい。
「『陸地からはどれくらいあるんだ?』」
「うーん、そうですなぁ。岬の先からも、ギリギリ岩礁のように見える、くらいですな。まだ大手の新聞報道はされてないんですが、早めに手を打たんと確実に目立ってしまうでしょうな」
「そうだなぁ……」
『デービッド』
『――なんです?』
『もしこれが怪異で、上陸なんてしたらどうなる。フォカロルの比じゃないぞ』
横浜、ノースピアでの一件。
退治する際は地面が濡れただけで済んだが、その前に機械や艦船の一部に被害が出ていた。もしこの10米四方の塊が上陸し、通常の攻撃が効かなかったら――、只事ではない。
『そうですね。まだ実物は見てませんが、隊長に相談しましょう。日本の復員庁、海軍関係の第二復員局経由で何か確認出来るかも知れません』
無言。
視線も交わさずに念話で会話しているのを、イノマタが窘めてきた。
「二人揃って黙りこくっちゃって、……やっぱり、見に行かないと信じて貰えませんかネェ?」
「あぁ、いや。そういう訳じゃ」
すると突然、視界を覆うように白い湯気が立ち塞がった。
「あいよ、うどん三つ、おまちどおさま――」
中年のおばさん店員が、せわしなく饂飩を運んできた。
丸く暖かい白い湯気が醤油と鰹節の香りを燻らせながら、目の前にドンと置かれる。
空腹時には溜まらない、鼻腔を擽る香りと蒸気。ささやかなネギとショウガなど乗っているから格別である。
やや暗い室内のせいもあるのか、濃い口醤油の深い色合いにより、まるで深淵のようにどんぶりの底が見えなかった。
見えない底――。
駿河湾の深海から、何かが浮かんできたのだろうか?
脳裏を駆け巡る嫌な予感も饂飩の誘惑の前には所詮、瞬時立ち上った幻灯に過ぎず、私はさっさと箸を持った。
デービッドも箸の持ち方に些かの不具合もなく、実に日本人らしく饂飩をそそそ――と啜り始めた。
「まぁ、もしこの怪異に急ぎ対応するなら、お支払いは次回でも良いですぜ」
ちゃっかりとした所は、あの事件からの成長と受け取るべきであろう。白い麺を静かに啜りながらも、這い寄るように現れた怪異の幻影が頭から離れなかった。




