11-4 Conflict(ソ連軍独立特殊任務中隊)――東京
来た道を帰るだけなのに気が重い。
花弁舞う皇居前も、賑やかな街並みも、焼け焦げたビルヂングも何も変わらないのに――あの男のせいだ。
『奴はドミトリー・レフチェンコ中佐。「神聖同盟」の協力機関だった「オリガ」の幹部を務めている。欧州戦線ではアルプス国家要塞計画を阻止すべく、偶然我々とかち合ったんだ――』
隊長が髭を春風にそよがせながら、遠くを見つめている。
欧州の戦火が燃え尽きる直前、最期の輝きを放った。
――ドイツ南部アルプス国家要塞。
総統は南部に逃れて抵抗を続けている!
国防軍の主力部隊が山岳地帯で要塞を築き、連合軍へ攻撃を加える!
何年でも抵抗できる強力な山岳要塞!
――という夢。
敗戦の現実を受け入れられず、そうあって欲しいと夢想したプロパガンダにして夢幻の要塞。
にも関わらず、今でも噂があるという。
『実態としてはほぼ手つかずの山岳要塞だ。だから要塞と言うのも憚られるほど貧相な戦力しかなかった』
『ですが、アイクはそう思わなかったようです』
アイク――ドワイト・D・アイゼンハワー。
連合国遠征軍最高司令官。
『噂だけが一人走りし、米軍のベルリン侵攻という戦略判断に影響を与えたと言われている。……ただの噂なら良かった。しかし、我々が得た情報に「神聖同盟」本部は喫緊の対応を迫られた』
『例の怪異部隊――、武装SS「ヴェアヴォルフ」が本気で南部を要塞化しようと目指しているという情報でした』
貧弱な山岳要塞。しかし僅かなスパイスを加えるだけで、堅牢堅固な無敵の要塞へと変化する。
無論、怪異の力を使って。
『奴らの研究成果、魔術|防御《Verteidigung》はな、ありとあらゆる実弾を防いでしまうんだ。弾着時の運動エネルギーを霊的エネルギーに置換して空間に雲散霧消させる代物だ。そんなもので防御された要塞が作られたらどうなる?』
『……傷一つつかないでしょうね』
『そうだ。それを阻止すべく行動したのだが――、奴ら、ソ連軍「独立特殊任務中隊」が僅かに先んじていたんだ』
通常の部隊では怪異に対抗できない。
怪異に対抗する為、或いは政治利用か――、ソ連軍の内部に独立した権限を持つ『特殊任務中隊』が編成されたらしい。
その中核が――霊会組織『オリガ』の幹部、レフチェンコ。
『「オリガ」とは往来が途絶えて久しい。「神聖同盟」と協力はあっても、それは昔の話で、革命後にはほとんど勢力を失っていた』
ロシア革命。
その余波は北の大地を吹き荒ぶ。
皇帝に近しい宗教勢力と認識されたのか、弾圧と粛正の嵐が吹きすさぶ。霊会組織『オリガ』は縮小の末、『神聖同盟』からも離脱することになり音沙汰もなくなった。
……にも関わらず、奴は今ここにいる。
『ソ連は秘密主義の国家だ。漏れ伝え聞く限りだが、どうやら「オリガ」は共産党に迎合する形で復活したらしい。だが勢力はそれほど強くあるまい。だからこそ――、奴らが国家要塞に来た理由は明白だ。ヴェアヴォルフが所有する「帝国の遺産」が目当てだったんだろう』
ドイツのロケット技術然り、崩壊した帝国は様々な成果を残した。
知恵の結晶、禁断の果実。
それらを求めたレフチェンコ達と、隊長達が相まみえた。
背中には米ソ対立。
要塞鎮圧の隊長達と技術窃取のレフチェンコ。
――エルベ川の握手、になるはずもない。
『ヴェアヴォルフとの戦闘になり、奴らが基地ごと自爆するのを察知した我々は即座に脱出した。しかし、レフチェンコ達の脱出は確認出来ず、全員死んだものと思っていた。だが――』
傷一つ無いその身体。
爆発の運動エネルギーは霊的エネルギーに変換され――。
『それじゃ、あいつは魔術防御を?!』
『そう見るのが妥当だろう。元より素質はあったろうが帝国の遺産をモノにしたのは奴だったんだろう』
穏やかすぎる陽気。
長閑に響く鳥の声。
風光る薫風を頬に浴びながら、ハンドルを握る手には汗。
G2特務機関。
ソ連独立特殊任務中隊。
ラセツ、そして神聖同盟――。
あの戦争は一体どれだけの人を殺し、どれだけの人生を狂わせたのか?
狂気飲まれた人間は残火を求め、蠢き、揺蕩い、牙を剥く。その現実が苦しくて苦しくてしょうがない。
――私も怪異と共にある身だから。
基地に帰投してからは、いつもの日常が戻ってきた。
キャサリンとグレムリンとの漫談が耳を流れ、クラウディアの愚痴が苦々しく、バーナードの牽制が冴え渡り、デービッドがマネキンのような顔で冷静に指摘し、マイクの皮肉が空に舞う。
それでも、頭を擡げてくるのは奴の顔。
世界を巻き込んだ大戦争の悪意。
その残滓で出来たようなあの顔。
脅威を感じないように言い聞かせている内に、気がつけば日は疾うに暮れていた。
――いつものように帰宅し、いつものようにシャワーを浴びる。
食後の鍛錬。一人稽古。
剣を振り回せる広い間取りが有り難い。
空を切る抜き身の髭切は、緋色の鈍い輝きを放つ。
刀身に恐怖や雑念を滑らせながら――虚空を斬る。
実戦剣としてのハウツーを基地に出入りしている剣術指南の老先生に教えてもらいながら、対怪異戦闘用に磨き上げていく。
一頻り稽古を終え、広間に置いてあったコーヒーを飲んだ時である。
――急激な眠気が、瞼を重くした。
いや、瞼じゃない。
頭だ。
かつて向けられたデービッドのロザリオとも違う。
クラウディアに殴られたとも違う。
――薬だ。
時既に遅し。
膝は力無く床を突き、あれよあれよという間に身体全体が勢いよく俯せに倒れ込んでしまう。
痛み感じないほどに眠い――。
厚手の赤い絨毯が私の頬を優しく包む。
いつも踏み馴れた床が身体をゆっくりと冷やしていく。
微睡みに墜ちていく意識の中、聞き慣れた男の声が、脳裏に残った。
『……すまねぇな、ちょっとだけ寝ててくれ』




