10-8 mayhem(ウリエル)――旧函館要塞
ウリエルが右腕をゆっくりと天に掲げた。
天に繋がり神の栄光を授かるように、掌からは勢いよく炎が噴き出した。
青白い――。
炎色反応でも見たことがない。
目も覚めるほど鮮やかに透き通る。
だがこの炎こそが、ここに横たわる兵士達を焼き殺したのだ。
『盗人も罪人も、ソドムのように焼き尽くしてくれる』
麻布を纏った金髪碧眼の殺戮の大天使――。
炎を纏った右手をこちらに翳しながら、ゆっくりと歩みを進めてくる。
『全員、発砲許可!』
『『『了解――!』』』
嘗て隊長達が遭遇したマンセマットは、ビルヂングをも越える巨躯を有していたという。
だが目の前の青年は高々6尺程度だ。
例の結界が力を削いでいるのかもしれない。
『発砲します!』
『私が続く!』
デービッドの英国製騎兵銃《消音器付コマンドカービン》が静かに火を噴いた。弾着の光環が研究室を明るく照らすが――ウリエルは一向に動じない。
歩みに視線にぶれもなく。
バーナードも続け様に狙撃銃を発砲するが虚しく銃声が木霊するだけで、ウリエルの歩は進むばかり。
おかしい――。
神聖化弾頭が効かない。
続けて機関銃を撃つべきか、人差し指が俄に震えた。
『無駄だ、人の子よ。その力は神の恩寵に近しい。私には効かぬぞ――』
絶望的な一言に背筋を寒気が駆け抜けた。
きっと皆も同じだろう。広く怪異に効力がある『神聖化』が――、この大天使には効かない。今まで悉くその輝きで怪異を滅してきた、頼みの綱。
戦慄。
害意を向ける無傷の存在が近づく。
皆の動揺が顔に現れている。冷静なバーナードは眉を顰め、デービッドは口角を下げている。手に握られている銃が効かないという言い知れぬ絶望感は、胃をキリキリと収縮させる。
だが――咄嗟に浮かぶ。
この眼なら。
「『ウリエル――!』」
背筋を走る緊張も流れる冷や汗も、全てを邪眼に乗せて。
神の恩寵を受けし大天使を呪い殺す。
叫び、視線を射かける。
油断か無知か、ぐいっとウリエルが首だけを私に向けた。
――バチリと視線が合う。
宝石のように透き通る炎を宿した冷たい眼。
漆黒に塗りつぶされた禍々しい紅蓮の瞳で睨みつける。
『ぐ……がッ……』
ウリエルの表情が俄に歪み、唸る。
唇を食み、眉を顰め、瞳の炎が大きく揺らぐ。
効果はある――!
『くく……、なるほど……。サリエルと同じ――か』
――サリエル?
かつてフォカロルが口にした、その名。
確か大天使に相当する、かなり上級の天使なはずだ。
――はず、である。
その天使、記載されている文献や伝承により評価がマチマチで、天使なのか大天使なのか、はたまた堕天使や悪魔なのか、良く分からないというのがデービッドやキャサリンの評である。
そいつと――同じ?
ウリエルは何処か欣然とした様子で口角を上げた。
『なれば呪われし人の子よ! 神の御光にてその忌々しい邪眼ごと焼き尽くしてくれようぞ!』
彼我3米しかない。ウリエルは大きく腰を落とし、その場でしなやかに屈伸した。
飛びかかってくる!
そう認識した瞬間に不思議と身体が動く。
右肩の負い革共々、機関銃をするりと手放す。甲高い金属音が部屋に響き渡ると同時に、組紐をぐいっと乱暴に下に引き、鞘ごと『髭切』を前方に廻転させる。
刀身を吐き出すように。
抜刀の勢いそのままに天高く上段に構えた。
『神なる炎に!』
筋骨の映える健脚のバネが弾ける。
躯は身長ほどに飛び上がる。
炎を宿した腕が私を掴もうと、爆発的な勢いで近づいてくる。
正面、その腕は私の眼を焼き付くさんと……。
『させるかッ――!』
猪突を避けるは廻転により。
半歩前の左足を軸に身体はぐるりと反転し足が、混凝土床に半円を描く。
ウリエルの豪腕、灼熱の炎が眼前を流れ――、廻転の勢いを殺さぬまま、その右腕に向かって勢いよく刀身を振り下ろした!
ザンッ――と、重々しい感触が『髭切』を伝わる。
鈍い光陣がウリエルの右肘を捉え、筋肉隆々とした白い腕は炎を纏いながらぐるりと虚空を廻った。
『なッ――、なに――ッ!?』
苦痛、驚異、畏怖。
あらゆる負の感情を滲ませた表情。目は一杯に開かれ、眉は大きく反り返る。身体を離れた右腕は神の炎を宿したままボトリと床に墜ち、ピタリと動かなくなった。
『お、おのれッ――! 我が腕を傷つけるとは……。預言の者以来よ……』
歯を食いしばり、肘より先がなくなった右腕を押さえている。
しかし血は流れない。
傷口からは僅かに光の粒子が漏れ出ている。
やはり怪異、怪異なのだ。
血は流れなくとも、大きく蹌踉めいてる。
行ける。
隙を与えてはいけない。
本能が身体を動かしている。
即座に振り下ろした刃を真正面、中段に持ってきた、――その時。
『マイク! 今よッ!!』
『ほい来たッ!』
私の殺意を断ち切るように、脳内にミエコとマイクの掛け合いが響き渡った。
辺りを急ぎ見渡すと、ミエコは相変わらず銃を構えているが、いつの間にかマイクがいない。
間断なく、地を揺らすような重低音が鳴り響く。
言霊石が蒼を、――いや蒼ではない、透き通るような白みがかった群青色に輝きだした。
何処までも広がる青空。
眼に映える色を湛え、キーンと甲高い音が耳を聾する。
その変化に動じないのは、こいつだけだ。
『恐れを知らぬ人の子よ。慈悲の一片もなく、焼き払ってくれる!』
声に籠もるは憎悪か畏怖か。
ウリエルの左腕全体は青白い炎に覆い尽くされ、憎々しげに私に向けられた。全てを焼き尽くす不退転の決意が滲み出ている。
隊長達の『神聖化』弾頭が効かぬ今、通用するのはこの眼と髭切しかない。
武者震い。
全身が僅かに揺れた、その時。
意外な声が研究室に響き渡った。
『――どれ、手伝ってやろう』
太く妖艶な女の声。
声に導かれるように、研究室の壁全面から大量の骸骨がぬるりと現れ始めた。




