8-2 natural(建御名方)――代々木
『おい、ウラベ――。朝から死にそうじゃネェか』
翌日。
頗る体調が悪い。
クラウディアの暴言――悔しいが、その通りだ。
前日の出来事が脳裏を駆け巡り、グロッキーの限り。口から何か出そうだ。
『わ――、ホントだ』
『体調管理も仕事のうちだぞ、ウラベ』
『皆さん言い過ぎですよ』
開口一番、心配――なのだろう。
銘々に声を掛けてくれるのは率直に嬉しい。ただ――、声を掛けられるほど死人のような顔なのだろうか。
『あぁ、いや……、昨日悪い夢を見てしまって』
本当に悪い夢だったのかも知れない。
瞼に浮かぶ、つれない顔。
言葉の剣で切り刻まれた心。
気にするなと言う方が無理だ。
『もし悪夢が怪異関係すると思うなら、報告を頼む。もし体調が悪いなら、スティグラー博士に相談するように。決して無茶はするなよ』
一番心配らしい心配をしてくれる、筋骨隆々の隊長。
見た目に反して――本人に言ったら怒られるだろうが、細やかな部下への思い遣り。
やはり、ヒノエは間違っている。
彼らが『悪い人間』のはずがない。
『ありがとうございます。大丈夫ですので、よろしくお願いします』
『無理しないでね、ウラベ――。電話口の向こうで血を流して倒れていた、とか嫌よ』
眉を顰めながら、ビー玉のように輝く瞳で私を見つめてくる。
ニューヨークで電話交換手をしていた彼女は、その能力を見いだされスカウトされたらしい。
電話交換手はありとあらゆる電話を繋ぎ、会話を聞くことが出来る。彼女の場合は、それに加えて『透視』することも出来た訳だ。
――幼い顔して見てきた物は人間の闇かも知れない。
『ま! 今日はデスクワークでもしてるんだな。怪異をぶっ飛ばすのは私がやるから』
からからと豪気に笑うクラウディアに、安堵と呆れが入り混じる苦笑いが自然と浮かぶ。
――結局、日中は何も起きなかった。
コーヒーの香り漂う執務室。
新聞を読み、報告書を読み、報告をまとめる。
マイクは別任務。
バーナードも怪異調査に執務室を後にする。
今度は隊長とクラウディア、と一人抜け二人抜け。
私とデービッドは暇を嘆じるキャサリンとグレムリンの会話に巻き込まれる。
そんないつもの日常。
大きな怪異との戦闘は稀で、小さな調査や制圧が毎日続く――いつもの日常。
敗戦国の窮乏。
命の駆け引き。
――優雅な生活。
だが、永続と思うのは人の業である。
戦場は常に変化し人の命は弄ばれた。
悠久の大義も永遠も存在しない。
ヒノエの警句が脳裏の片隅に引っ込み始めた夕暮れ時。
怪異レーダーの警報が耳を劈き、急を告げる。
『キヒヒヒ――! コリャ凄い! コリャ凄い!』
警報と念話に驚き、我々は慌てて隣のレーダー室に駆け込んだ。
見ると、ランプの赤光が暗室を染め上げ、PPIスコープの表示が気味悪く揺れ動いている。フォカロルの時には無かった、一目で分かる異常。
『グレちゃんどうしたの?!』
『マスティマ以来! マンセマット以来! ウッハハハハ――』
相変わらず高熱で気が高ぶっているかのように、高笑いを繰り返す。
だが、その単語に皆が視線をバチリと合わせる。
マスティマ――。
又の名をマンセマット。
欧州で遭遇した巨大な天使のような、――悪魔。
退けるのに戦車や航空機すら必要だった、――悪魔。
『――ナチュラルだとッ!?』
『ヒヒ! そう! そう! 強い反応! 強い!』
『場所は何処だッ!』
『ヨヨギ! ヨヨギ! ぎよよ! アハハハハ』
本来なら――、クラウディアが一発たしなめる所だろうが、隊長もクラウディアも戻って来ていない。
無線機の電波は半径数粁程度しか届かない。
我々が通信できているのは、基地局の中継ありきである。移動先で中継の設定と基地局との通信がされれば、理論上地球の裏側でも念話が可能になる。
しかし、あのクラウディアだ。
ちゃんと、やってる訳がない。
ただ『迷い家』の時は、|エンタングルメント・ストーン《霊的分離不能石》の効果範囲外まで走ってしまったせいなので、彼女のせいではないが。
『キャサリン、すぐに隊長を呼び出してくれ。……範囲内にいれば良いが』
『分かりました』
キャサリンの通信開始を尻目に、グレムリンから情報を引き出す必要があった。
怪異グレムリン――。
この矮小で粗雑な妖怪のくせに、かなりの物知りである。発現は奔放で支離滅裂。されど本質を突き、我々を唸らせる。
怪異は怪異を知る、だろうか?
『グレムリン。敵の怪異の種類は分かるかい?』
デービッドが訝しげに尋ねる。
何か思うところがあるような、そんな面持ちである。
『ヒヒヒ! 多分ヒトガタ! カミサマっぽい! カミサマ!』
『神様――か』
西洋的な唯一神であろうか。
いや、そんな訳はあるまい。
空襲で荒廃した日本の都市部に『主』が現れる訳がない。
ということは、日本土着のそれであろうか。
『益々宜しくないな』
考え込んでいたバーナードが、苦々しく呟く。
こめかみの辺りを手で揉むと、大きな溜息をついた。
『場合によっては、兵器の大量投入も必要になるかもしれん。だが、戦時ならまだしも、この日本ですぐに話を付けられる訳がない!』
悪魔の時には、ジョージ・S・パットン将軍が即座に許可を出し、戦車による砲撃戦となったと聞く。
猛将、機甲師団を率いる傑物、天才、奇人――。巨大怪異との戦闘を即座に許可する将軍。既に故人と聞くが、一度会ってみたかった。
しかし、どんな兵器を以てしても『神聖化』なくして怪異は滅ぼせない。隊長が戦車に乗り砲弾を『神聖化』し、航空攻撃で牽制し、神聖同盟本部隊員達と協力して撃退した。
『やはり、戦車や航空機が必要でしょうか』
『いや――、そもそもだ。前回我々が遭遇した時も、確実に討伐出来たか未だに分からないんだ。手応えはあった。だが、実際は逃げただけかもしれん』
『――それでは』
『そうだ。通常では倒すことすら不可能だろう』
さりとて、状況を統制下に置かないわけにもいかない。
取れる選択肢が非常に少ないのは、自明の理。
『まず、近隣の封鎖を第8軍に依頼しよう。詳しい場所は今すぐ確認しなければならないが……』
バーナードが再びこめかみを掴み、ため息をつく。
米国南部テキサス生まれの黒人。それだけで大凡、苦労が察せられる。
欧州戦線で隊長と出会い、それ以来この部隊で差別に苦しむ事もなく、有り余る本領を発揮している。その苦労人の苦労がまた増えるのだ。
――幸い。
グレムリンが具体的な場所を言い、隊長とも連絡が取れた。
目的地は代々木。
昔は陸軍主管の『代々木練兵場』だったが、今は占領軍家族住宅が立ち並ぶ『ワシントンハイツ』である。
その外れにある古い神社――。
人の往来が少ないのはせめてもの救い。
封鎖は第8軍内部でも、我々の事情を知っている連合軍兵士により行われるらしい。
夕暮れは既に去りゆき、また闇がやってくる。
立川基地を出立すると、見上げれば空の積層は愈々濃くなり、闇の帳がそろりそろりと東京を包み込む。
言い知れぬ不安に、私は急ぎ気味に事務所から駆け出した――。




