6-7 Ghost train(化灯籠)――東海道線
「『……前鬼、後鬼。壊しなさい』」
伊沢は、使役する鬼を――前鬼・後鬼と読んだ。
――思い出した。
門外漢の私でも聞いたことがある。
千年、いや、千三百年も昔の著名な修験者「役小角」が従えた前鬼・後鬼だ。存在も不確かなあの伝説の役小角が従えた、鬼。
その目は黒く、然れど明るい朱――。
嫌な気は微塵も感じない。筋骨隆々の逞しさは、見ているだけで安心感がふつふつと湧くほどに頼もしくもある。
……まるでロバート隊長のようだ。
前鬼と後鬼は伊沢の言葉に強く頷いた。それから二人揃って大きく腕を振りかぶり――、雁字搦めになった貫通扉に向かって強烈な突きを繰り出した。
ドン――ッ!!
大太鼓を至近距離で叩いたような爆裂音。耳を聾するどころか、その勢いたるや――、風圧によって数米離れた私の前髪が逆立つ程である。
打撃と言うより、手榴弾の炸裂である。
列車の貫通扉にへばりついた腕達は、一撃の下に雲散霧消。それどころか貫通扉自身がぐにゃりと大きく拉げてしまい、冷たい外気がドッと入り込んできた。
「『やれやれ、やりすぎですね。ついでに扉も取ってしまいましょう』」
――無味乾燥な口調。
先程までの気取りきった俳優口調は一切無い。
これこそが伊沢の本性――、いや、戦闘時の素なのだろう。
前鬼・後鬼は命じられるがまま、金属製の貫通扉をベリベリと剥がす。まるでベニヤ板を気軽に剥がすように、いとも簡単そうである。
剥がされた扉を軽々と片手で持ち上げ、石灯籠に向かってぶん投げた。
轟――。
砲弾がかすめる様な風と衝撃を髪と肌で感じ、風を切る音が耳を流れた瞬間、金属の衝突する甲高い音が耳を聾した。ぐわんぐわん――、暗い筐の中いっぱいに反響する。
しかし、石灯籠は微動だにしない。
あれだけの衝撃にびくともしない姿はやはり異常――、怪異である。
それどころか――。
『お、おいおい……』
振り向くと、石灯籠の火口、四方の穴から突如として赤黒い炎が噴き出し始めたではないか。怒り狂い火を吐くその様は、まるで御伽噺の竜やドラゴンである。ただ挑発しただけではないのか――、これでは。
『やれやれ、怒らせてしまったようですね。……それッ!』
それでも伊沢は、まるで見計ったかのように、前鬼・後鬼ごと撫で物を前方に放り投げた。
放物線を描き、頭上を越える。
見上げると、二対の鬼が上半身だけ出したまま――ふわりと前の床に着地した。音もなく、静かに鬼が立つ。
地面から生えた筋骨隆々の怪異――。
2体に向かって腕達が怒り狂ったように襲いかかってくるが、前鬼・後鬼ははち切れんばかりの怪腕を以て、文字通り千切っては投げている!
『さ、早く、食堂車へ』
彼らの奮闘を尻目に、伊沢が後退を促した。
確かに長居する必要など全くない。
早く逃げたい――。しかし、如何せんの狭さである。
壁を埋め尽くす腕は、二人並べば簡単に腕を掴んでくる。列車の真ん中より入口に近いとはいえ――、射撃で牽制をしつつ避けながら進むのは至難の業だ。
『私がしんがりをやる――、デービッドと伊沢さんは先に!』
僅か数米の逃亡劇。
しかし、私の決意とは裏腹に、伊沢が気の抜けた言葉を紡いだ。
『そんな格好つけなくても、大丈夫ですよ卜部さん』
なに――? と伊沢を見ると、彼は既に貫通部まで達しており食堂車側の扉に手を掛けていた。一体いつの間に、と問う間もなく、伊沢は勢いよく開け放つ。
――暗闇の向こう。
天岩戸の向こう側、天照大神の後光。
煌々たる灯りに照らされた食堂車に、浮かぶ人影。
そこには――、ヒノエが長い弓を持って佇んでいた。
「『ヒノエさんッ?!』」
「『早く中へ入って!』」
ヒノエが叫ぶと同時に、彼女はピンと張り詰めた弦を、細い指で大きく――弾いた。
ビィィン――。
列車の騒音を物ともせず、私の頭の中に弓の音が響き渡る。
寺社の鐘の如く、静かに、重く、深く、心と体に染みるように。
双眸を瞑り、無心で弾き続けるヒノエがえらく神々しく見えた。
『ウラベ――!』
僅かな呆けが命取り。
デービッドが叫ぶ。
視界の端に映る腕達が見るからにしぼんでいる。原理など分からないが、ヒノエのお陰だろう。
チャンスは、今しかない――!
『よしッ! 駆け込めッ!』
デービッドの背中を押し、あらん限りの力で駆け出した。
僅かに2、3秒――が、重く、長く感じる。
夜寒と暗闇を縫うように、身体ごと擲って食堂車に滑走した。食堂車の床に腰を着かせつつ身体を捻り、即座に伏射姿勢で機関銃の銃口を再び筐に向けた。
……気がつけば、前鬼・後鬼の姿がない。
銃口の先は、勢いを無くした石灯籠。
寂しげに佇み、腕達は悲しみを湛えている。
いつの間に、伊沢は彼らを戻したのか分からないが、状況はこちらに分があるようだ。
『マイク、今だ! ヒノエが鳴弦をしている内に――』
伊沢が、意外にもマイクの名を叫んだ。
『あいよッ! ――ほれ、ウラベ。こいつをブン投げてやりな!』
ヒノエの裏からするりと現れたマイクが、右手で梱包爆薬を渡してきた。
導爆線がついた爆薬。
マイクは手元に小型の起爆装置を抱えている。
『お手製のノーベル808だ。ちょび髭は殺せなかったが、威力は折り紙付きだぜ!』
導爆線で雁字搦めになった、微かに酸っぱい臭いが漂う〝重い寒天〟――。
伏射から立て膝姿勢に起き上がり、渡された爆弾を右手に、――石灯籠を睨み付けた。
皇国の運命は、既に決し、誰も過去を振り返らない。
栄華は儚く、罪と罰の中に私は生きる。
もう、終わったんだ――!
我が手を離れ、軽やかに放物線を描く爆弾は何を思うか。腕達は弱々しく項垂れ、爆薬を遮ることすらしない。石灯籠の炎も闇に移ろい、ボトリと墜ちた爆薬に何の反応もない。
『さ、全員離れるなり隠れるなり――!』
安全な場所へ!
といっても、狭い貫通扉の正面にいるのは私だけだ。
皆、その場に屈み、伏せる最低限の所作だけで対処するつもりのようだ。
壁際に寄り、私は伊沢の隣にぴったりとくっついた。デービッドはマイクと。ヒノエは弓を背に調理室の入口付近まで下がり、屈んでいる。
弦も止み、式神も消えた。
残るはノーベル808。
「Fire in the hole――!」
マイクが、勢いよく手元のスイッチを押し込む。
刹那――。
熱、光、音、風!
心胆を寒からしめる重低音と高音が、轟々と辺り一帯に響き渡り、地震にも似た衝撃が我々ごと食堂車を大きく揺らし、爆風が食堂車を駆け抜けていく。
咄嗟に両手で耳を塞いでいたが、熱波と音圧は師走の寒風を伴いながら焦げた香りを吹きつけ、我々の耳を聾する。
僅か後に、静寂が訪れる――。
幸い、列車は走り続けている。
『ど……、どうなった?』
マイクが首だけ出して、客車を覗き込んでいる。
もしかしたら、この中で一番不安だったのは彼かも知れない。
デービッドも伊沢も、そして私も。
興味深そうに扉から客車を覗いてみる。
――烟りの中、息絶え絶えの石灯籠が見えた。
足元は無残に砕け、笠と火口の一部を残して木っ端微塵に吹き飛んでいる。
車内に散らばる石片は、魂の墓標。
残された本体部分は虚しく青息吐息、か弱く消えそうな火を湛えている。
『大成功だな』
突然――、隊長の念話が響く。
いつの間に来ていたのだろう。
食堂廊下を足音高く整然と歩いてくる隊長の姿が見えた。
……筋骨隆々の鬼がもう一人。
おくびにも出せない冗談をぐっと呑み込み、隊長が悠然と歩いて行くのを見送る。
右手の消音器付拳銃《HDM》が、片手撃ちの射撃姿勢により、銃口が正面を向く――。
ポスンッ――。
間抜けな、気の抜ける発砲音。
銃口の先に視線を移すと――、筐の中で弾着の光環が瞬くのが見えた。フラッシュが暗い筐を照らし、赤い炎は余りにもあっけなく。
その直後。
眼前の筐のありとあらゆる場所から、夜の闇にも似た黒き瘴気が吹き出し始めた。
屋根から、壁から、貫通部から。
破れた風船のようにぶすぶすと溢れ出る。
空間が皺み、歪み、うねり――。
筐は執着を無くした子どものように、するっと連結器から離れ、瞬く間に闇の中に霞んで融けていった。
「『――終わったな』」
隊長が満足げに呟いた。
『遅かったじゃないですか、隊長』
『ん――、あぁ。状況を確認しつつ、前方車両にいる連中が来ないよう封鎖していたんだ』
『まぁ、隊長が一人いれば、誰も通路は通れませんね』
『ハハッ、確かにな』
デービッドが珍しく毒にも似た冗談を言う。マイクの相槌に隊長は苦笑いしているが、伊沢達の表情は固い。
『……ヒノエさん、助かったよ』
狭い通路に犇めく欧米人の中に、一人佇む黒衣の巫女――。
心から礼を言った。
彼女がいなければ、脱出の間は決して生まれなかっただろう。
『……貴方を助けたんじゃないわ』
視線を逸らしながらのキツい一言。
だが――、伊沢が頭を掻きながら口元を歪ませた。
『素直じゃないですねぇ――、ヒノエさんも』
『……何が』
『卜部さんが大変だった時、早く駆けつけなきゃ、って言ってたでしょうに』
『なっ――!』
|エンタングルメント・ストーン《霊的分離不能石》は、念じた先の人間とだけ会話が出来る。
ヒノエの紅潮が、はっきりと見える。
『――うるさい! 茶化すな!』
『まぁまぁ、落ち着け。英国じゃ「|行動は言葉よりも雄弁《Action speak louder than words》」って言うんだ。――人助けに言葉は要らないぜ』
マイクが助け船に見せかけた追い打ちを掛ける。この辺り、実に嫌らしい英国人気質である。
『えぇい! うるさいうるさい! ……部屋に帰る!』
現代の乙女らしい騒がしさを振りまきながら――、ツカツカと足音を立て、ヒノエは部屋に向かって歩き出した。
拗ねた子どもが肩を怒らせるように、その姿は可愛らしいくらいである。
『あーあ、拗ねちゃったよ』
『……マイク、揶揄いすぎです』
『そうですよ――。言った私が言うのも何ですが』
『こら、遊んでないで、もう戻るぞ』
気の抜けた掛け合いがとても心地よい……。
硝煙と爆煙の香りが漂う、死線を越えた安堵。笑い合う仲間達。
ひとしきり安心し、寝台に帰ろうとした時である。
突然、連合軍特急の車体が大きな金切り声上げ、大きく前後に揺れた。いや、前方に振られたと言った方が正しい。急停車のそれである。
慌てて窓の外を見ると、どうやら駅に緊急停車したらしい。停まる予定のない駅。
アナウンスは全くない。
これは後から分かったことだが――、昭和21年12月21日午前4時19分過ぎ――、潮岬沖で「南海道地震」が発生し、近畿地方を中心に広範囲に渡って大きな被害を与えた。
連合軍特急は関ヶ原の辺りで停車し、数時間の停止の末、京都行きは正式に中止となった。




