6-6 Ghost train(化灯籠)――東海道線
『この貨物列車が、怪しいと?』
最終車輌が貨物列車1輛。そういう編成もなくはないだろう。しかし車掌の言葉、伊沢の言葉がそれを否定した。
何かある――。
『ええ、この先から強い妖気を感じます』
不安そうな呟きが、脳内で私の不安を煽る。
この男は……、本当に妖気なるものを感じる事が出来るのだろうか。今、目の前の車輌に違和感を覚えるには覚えるが、身に迫るような危機感や脅威はあまり感じない。
『私が先頭で行きます。何かあったら、即座に引き揚げましょう』
磨かれた専用列車車輌と異なり、貨物列車の取っ手は薄汚れ、ざらざらと卸し金のように錆び付いている。その見てくれとは裏腹に――、扉はまるで誘っているかのように、摩擦もなく、すっと開いた。
『うっ――!』
驚き、呻き、声が漏れる。
真っ暗な監獄――、と言えばいいのだろう。
粗雑な造りをしたボロボロの壁面。壁に面した小さな長座席。暗闇に塗れ、全体は見通せないが――、ささくれ立った不快な木材や汚れたままの鉄材というのは、一目で分かった。
食堂車と比べると、天国と地獄である。
しかし、一番の違和感は――この筐のど真ん中に鎮座している。
それは――石灯籠。
闇が溢れる揺れる車内。
ぽつん――と、寂しく、独り、神社でよく見る石灯籠に赤黒い火がぽつり――と。
高さは2米を優に超え、邪気を纏う威風に気圧される。
赤い火の瞬きに、粗雑な筐は幻灯機に照らし出された暗い檻の如く、寒気が走るほどの怪しさを佇ませている。
『連合軍特急にあるべきものではないな……デービッド』
『えぇ、注意しましょう』
機関銃を腰から引き揚げ、立射姿勢を取る。銃口は赤い火を湛える灯籠へ。
ギシリ――、と床板が軋む。
耳を聾する列車の騒音を掻き分けるほどの大きい音である。
足元も覚束ない中、蝋燭灯りの暗闇を噛みしめるように、一歩、一歩と近づいていく。後ろ振り向くと、デービッドも立射姿勢を取ったまま、伊沢は懐に手を入れている。
何かを取り出せるようにしているのだろうか――。
すすす――、と足音を殺して進む。
石灯籠まで2米ほどまで近づいた。辺りは真っ暗、光指すのは僅かに空いた天井の穴から、寂しく見える星空くらいである。
どれだけ酷使されてきた列車なのだろうか。
『――前方に用途不明の石灯籠があります。接近しますが、マイクに梱包爆弾を持たせて食堂車まで来て貰ってください』
『……分かった。注意を怠るな』
デービッドと隊長の念話が交わされた、その時である。
『……ちおし……ちおしや……』
走行騒音の中に微かに聞こえた――、声。
『デービッド、伊沢さん、何か聞こえたか?』
『……いいえ、特に何も』
振り返り見ると、二人とも首を横に振っている。
しかし――、聞こえる。
『……くちおしや……口惜しや……』
男とも女とも付かぬ――、馬腹の時と同じ、声。
『……蹶起、ままならず……口惜しや……無窮に翼賛を……一矢報えず……口惜しや……』
かつて、大日本帝国中に木霊した単語達。
新生日本になってから、もう聞くこともないだろうと思っていた、……勇ましさだけの言霊。
悔しさと無念が入り混じる――恨み言葉。
『……おのれッ! 憎しや、米英ッ……!』
叫び声が脳内に響くと同時に――、火口にぽつりと見えていた赤黒い火が爆発的に燃え上がり、笠や蕨手をも飲み込む炎が轟々と吹き出した!
赤が、朱が、紅が――!
汚らしい筐《貨物列車》の壁をおどろおどろしく映し出す――!
『なッ、なんだこれは……!』
焔光に映し出されたのは無数の手。赤黒い血管だけが浮き出ている白い手。
大小様々な手が、筐の壁面すべてを覆い――、蠢き、這い出す。
『マズイです――! 下がって!』
グイッと背中が後ろに引っ張られる。デービッドが後退を示唆する。
言葉を交わすまでもなく、脳髄は瞬時に同じ判断を下した。
しかし、後退りに気づいたのだろうか。壁を這い寄る無数の腕の内、2~3本の赤白い腕が、指を毛虫のように動かしながら伸び上がってきた。
させるか――!
機関銃の引き金を目一杯に引く。
狭い密室で消音された銃声が、バタバタと響き渡る。反響と残響が入り混じり、混沌とした筐の中――。
神聖化弾頭の弾着光環が、キャメラの連続フラッシュのように、赤黒い筐を神聖な白で照らし出す。
筐の壁面を上下左右に埋め尽くす、腕、腕、腕――!
弾頭が命中した赤白い腕は輝き弾け、水に溶ける様に跡形無く消滅していく……。
しかし。
『なッ――!』
突然、足が下方に引っ張られ、ぐらりと体勢が崩れた。
下を見、……怖気が走る。
立射姿勢の私の足に、床から生えてきた赤白い腕達が何本か纏わり付いていたのである。
途端に、背筋を戦慄が走る――。
寒気と怖気が綯い交ぜに、足から頭に電流のように駆け抜ける。
それは、一ヶ月前までの日常。
怪異に怯え、掴まれ、逃げ惑った日々。
――だが、今は違う。
加護ある制服と、対処への経験がある。
狂気の残影を振り払うように、首を左右に震う。冷静に狙い澄まし、絡んできた腕だけを一発一発、自分に言い聞かせながら撃ち抜いてやった。
『これだけの数――、我々だけでは無理です。マイク達にも来て貰いましょう』
振り向くと、デービッドが消音器付拳銃を再装填していた。彼の瞳や表情からは努めて冷静を装っているが、その実押し殺したそれかもしれない。
「『あぁ、――これは駄目ですね』」
突然、伊沢が気の抜けた声を上げた。
その声に振り向くと、入ってきた貫通扉の粗雑なレバーを、いや、扉ごとである。何本もの腕が雁字搦めに固めている光景が目に入った。
――閉じ込められた。
見た瞬間、理解出来た。
だが、対処のしようがない。
見たところで十を優に超える腕が、絶対に逃がさないという執念を滲ませ、壁を作っているのである。さしもの機関銃でも全てを撃ち抜ける自信は無い。
すっ――と、頭から血の気が引いた。
伊沢と視線が合うが、彼は私を一瞥すると口の端を歪めて笑った。
「『まぁ――、慌てなさんな。卜部さん』」
やけに冷静で不遜な物言いに、反射的に頭に血が上った。
見ると、黒スーツの懐から白い紙切れを二枚取り出し、人差し指と中指に挟み込んでいるではないか。
「『折り紙遊びしている場合かッ――!』」
人生でもそんなに怒ったことなど無かったのに、つい叫び、怒鳴ってしまった。
一体何なのだ――!
今までの素行といい、何もかもが気に食わない!
この非常事態に、武器も持たず、悠長に紙を取り出して何を!
「『ははは――、遊びじゃありませんよ。これが私の武器なので』」
私の怒りに毛ほども動じない男である。赤黒い灯籠の照明に映る伊沢の顔は、ニタリと笑っている。
赤白い手に銃口を向けるのも忘れ、怪訝に眉を顰めていると――、突然伊沢はその場で軽くステップをし始めた。口元では何かぶつぶつと紙に囁き、目を瞑って白い紙で中空に何かを描いている。
あまりに場違いの行動――。
だが、直感が脳を駆け抜け、目を見開かせた。
そうだ、これは呪術なのだ――。
「『本来は撫で物でなくても、良いですがねぇ……。手頃なこいつで十分です』」
ピタリ――と、止まる伊沢。
刹那、手元の白い紙が大きく震え出し、爆発と見紛う勢いで膨れ上がり、俄に空中に咲いた。一陣の風が筐の中を駆け抜け、白の身体は瞬く間に、手となり顔となり身体となり――。
現れたるは、二対の鬼。
筋骨隆々、見た目通りの『鬼』が、紙から上半身だけが生えるように浮かんでいる。
紙切れが餅、或いは風船のように――気味の悪い手品にしか見えないが、大小二対の鬼を形成する。華奢な伊沢の指から立ち上っている、違和感。
――これも、怪異なのだ。
「『簡易的な式ですが、この程度の怪異なら十分です』」
伊沢は、それは見事なしたり顔であった。




