エピローグ3 Till we meet again(また会う日まで)――帝國ホテル
「ようこそ総大司教。狭い部屋で申し訳ないが、勘弁してくれるかね?」
「お気遣い恐れ入りますわ。でも、素敵なホテルでなくて? 東洋の真珠――、ライト氏のプレーリースタイルらしい、大地に根ざした外観はとても落ち着いて見えますわ」
「……そうですな。もっとも、焼夷弾で焼け落ちた箇所の修復は設計者に断られてしまったがね」
「まぁ。仕方がありませんわね、うふふ」
帝國ホテル――。
日本の顔として、国際的な迎賓館の役割も担わされる鉄筋コンクリート、煉瓦コンクリート造のシックなホテルは、戦時中に空襲被害を受けた。南棟は焼け落ち、孔雀の間も焼け落ち――全面積の4割近くが消失していた。ご多分に漏れず、東京のありとあらゆるホテルは連合軍兵士の住居として目を付けられ、この帝国ホテルにも様々な米国軍人が生活することになった。
その客室の一室――。
かつては外国の要人を迎えていた、豪華ながらもシックな意匠を凝らした部屋。大きな窓の向こうには勿忘草色の青空が広がっている。
差し込む光を受けながら小さなテーブルを挟み、椅子にちょこんと腰掛けたお嬢さんは、悠然とソファーで寛ぐ一人の将軍に謁見していた。
……いや、謁見していたのは将軍の方かも知れない。
「ウィロビー将軍もお忙しいようですわね。先程、ヨシダさんをお見かけしましたわ」
裏口で忍び足でしたのよ、と冗談めいて報告するミリアムにウィロビー将軍はソファーに座りながら大きく肩を竦めた。
「あぁ――、シゲル・ヨシダには相談に乗ってあげているんだよ。彼もカタヤマ左派政権には苦しめられているからねぇ」
「再び総理になる算段……ですわね? うふふ」
意味深に笑うミリアムに、ウィロビーは困ったような顔をした。
「GHQも一枚岩ではないのでね。笑わないで貰いたい」
「あら、私としたことが……大変失礼致しましたわ」
首を僅かに傾げ、美しいブロンド髪が日の光を浴びてキラリと輝く。上衣や頭部の黒いブローチもその漆黒の表層は明るい輝きである。
まったく、冗談なのか意地悪なのか判断しかねる。日本で活動する際に必要な仮階級、部隊を動かすための名義貸し、旧OSS系列の余剰分火器の譲渡――、進駐早々、特務機関と同等の環境を提供した。それも全て、目の前の見目麗しいお嬢さんの要求に他ならない。ウィロビーは今までの支援を思い出しながら溜息をついた。
「あらあら、ご心労をおかけしてしまったかしら?」
「あぁ――、いえ。それより、本国へお帰りになるのでしょう? マッカーサー元帥にはお会いにはなりませんか?」
ふふ――、とミリアムは悪戯めいた微笑みを浮かべた。
「元帥には別ルートでお目にかかる予定ですわ。……敬虔な方ほど、こういうお話をご理解いただくにはお手間が掛かりますので」
「……そうですな。神も悪魔も、全て等しく武力で鎮圧し、異能を利用する存在が長く歴史の陰にいたなど……、元帥には無理ですな」
ただでさえ気難しい気取り屋だからな――、とウィロビーは心中嘆息を吐いたが、ミリアムは細めた瞳で見通した。ウィロビーは静かに後頭部を掻き、咳払いをした。
「それはそうと、この機会ですから改めてお礼を申し上げましょう」
「お礼――? さて、何の事でございましょう?」
「オリガ――、もといレフチェンコの件は助かりました。あの腹立たしいソ連代表デレビヤンコの副官の一人として来日している時機を踏まえ、ジェームズは奴を二重スパイに利用しようとしたのですが……、ご忠告通り計画は中止しました。霊的防護を施されたソ連軍という野望を聞く限り――、土台あたまから無理な話でしたな」
全く共産主義者どもには手を焼かされる――、と愚痴が零れ続けた。本音、いや、己の心情を全く隠さない素振りに、ミリアムは三度微笑みを浮かべた。
「まぁ、私の部下も利用したりされたりしておりましたので、中々ご厄介な組織でございますわ。……将軍のゾルゲ事件に関する調査報告もお気をつけ遊ばせ。送付先のペンタゴンでも何処でも、彼らの手先やシンパは潜んでおりますのよ。彼らが将軍を敵としてキャンペーンを張ってくるに違いありませんわ」
その言葉にウィロビーが大きく見開いた。
馬鹿な――、何故知っている。
あれはまだ非公開で一部しか送付しかしていない。それどころか完成すらしていないのに――。
あからさまな動揺が表情に心の声を浮かべさせ、ミリアムは微笑を崩さずそれを見守った。数瞬の驚愕、凍った時間は而して融け、今度はウィロビーも笑顔を浮かべた。
「……そうでしたな、貴方方は異能の集まりでしたな。そこに|全世界的なネットワーク《神聖同盟》があるのですから、なるほど、バチカン以上ですな。いやはや――」
「うふふ。ご協力は惜しみませんのよ。少なくとも自由世界を守る限りは、ね」
「ほほぅ――、そう仰っていただけると、ありがたい限りですな。アカ共の侵略が異能や怪異を利用しようというのなら、喜んで融通を利かせましょう」
自他共に認める強烈な反共主義。それこそがウィロビーの矜持であり、彼に見えている世界であった。
故に妥協は存在しない。殊に目に見えぬ異能や怪異が敵に使われでもしたら――。その恐れにも似た感情をミリアムは手に取るように理解し、掌で転がす。
「それでは、今後とも神聖同盟とラセツに陰日向のご助力をお願い致しますわ。彼らも日々怪異と戦い、オリガとも敵対する大事な同胞達ですので」
ん――、とウィロビーの片眉が上がった。
「分かってはおりますが……、ラセツの頭領のタキヤシャヒメは……」
「えぇ。大統領を呪い殺した罪は、私どもへの隷属という形で償って貰いますわ」
ニッコリと破顔する少女。
だが、……少女に見えない。ウィロビーの背筋が俄に寒くなった。
「形式的には対等、対怪異統制機関として協同関係に変わりはありませんが、……汚れ仕事にも手を貸して貰いますわ。これから大陸も、半島も忙しくなるでしょうし」
「……総大司教は、朝鮮半島で争乱が起きるとお思いで?」
「――うふふふふ。さぁ、どうでしょう? ただ、人が殺し合えば合うほど怪異は活発化しますのよ。その逆も然りですわ。――影が濃くなるなら、忙しくなるのは私達ですのよ」
目が笑っていない。
この少女には何が見えているのか。
背筋を走る悪寒を悟られぬよう、ウィロビーはソファーにもたれ掛かる姿勢を改めた。
「勿論、将軍もご多忙になりますわ。だから、後々のため足跡はお隠しになられた方がよろしいと思いますわ」
「……というと?」
「旧日本軍の暗部、阿片権益、旧特務機関ネットワークにM資金――。今はご心配はないかと思いますけれど、この国が独立した暁には、陰謀の影は綺麗さっぱりお掃除された方が宜しくってよ」
自分の領域にズケズケと入り込んでくる。上品な言葉遣いを被った強烈な介入に、ウィロビーの顔が曇り口角が下がった。隠し事は出来ないぞ、という脅しにしか聞こえない言葉の羅列に、何か一言言わずに置かれない。ウィロビーが重々しく口を開いた。
「……しかし、それは貴方も同じでしょう?」
「…………ふふ?」
「私は私で日本の右翼連中には伝手がありましてな。…………Mr,ウラベにヤクザをけしかけたのは、彼の覚醒のためですかな?」
「フフッ――。さて、何の事でしょうねぇ」
笑ってないはにかみが空々しい。
心証は悪くなるかも知れないが、この際だ、確認してしまおう。ウィロビーは溜め息交じりに言葉を紡いだ。
「今回の件といい、……いや、彼が怪異に目を付けられた時から、全て貴女が仕組んだことではなかったのですか? オキナワ沖でどういう怪異がどうなったかは、私如きには皆目見当も付きません。ですが――、あわよくば原爆でも沈められない不沈戦艦ヤマトを手に入れ、強烈な怪異や異能を隷属する。そのために彼を揺籃していたのでは?」
「…………うふふ」
そっちの領域に手を突っ込む。
顔面が熱くなり頬を冷や汗が伝う。これは戦いなのだ――、現実と虚構がぶつかり合う、世にも奇妙な斬り結びだ。そう思いながら唇を噛みしめるウィロビーに対し、ミリアムは静かに首を傾げながら――微笑んだ。
「将軍にはお分かりにはなられないと思いますが、新参の怪異に負ける訳には参りませんでしたのよ。――この世界を守っているのは私達。この世界の秩序を守っているのも、――支配しているのも私達ですのよ。私達の聖なる目的のためには、時代の端々で強烈な異能を揺籃しなければなりませんの」
無垢な少女の姿を被った冷徹な大君主。
明確な敵意を以て炯眼人を射る。重ねられるあまりに冒涜的に過ぎる物言いに、ウィロビーの身体は自然とソファーに沈み込んだ。汗が滲み気道が狭まる。呼気は俄に荒くなり、ネクタイを緩める手が震える。
「…………し、失礼した。そちらはそちらの目的で――、でしたな」
これ以上は戦争になる。灰色の脳細胞がビリビリと痺れる感覚に、ウィロビーは降参した。戦ったところで益もない、それどころかこっちが大火傷してしまう。その直感に従い軽く両手を挙げた。
その様子を見てミリアムの表情が綻び、ニッコリと瞼を閉じた。
「人の子の領分は人の子が、闇の領分は闇が――。過分なご関心をお持ちにならない方がよろしくてよ」
「……あぁ、そうですな」
「うふふふ! 素直で大変宜しいですわ!」
コロリと無垢な少女に戻る様に、ウィロビーは僅かに首を振った。こいつは人間じゃない、何処かの零落した神か悪魔ではないか――、悟られぬよう心底奥底に成した言葉を厳重に封印し、参謀本部2部を統括する将軍は身を正した。
「さて――、お手間を取らせましたな。本日はご足労を戴きまして感謝致します。英国本国までは長い旅路になると思いますが、道中の無事をお祈りしております」
端的に別れの言葉を切り出したウィロビーをミリアムは止めなかった。これ以上人の子の心を掻き乱す必要もない、と思い静かに立ち上がった。
「――あぁ、そうそう」
が、一つだけ忠告しなければなかった。
「折角お招きいただきましたのに、お願いを重ねてしまうのは大変心苦しいのですけれど……、彼の取扱いはよろしいかしら?」
――ウラベ。卜部武季。
「……あぁ、我々占領軍は彼に干渉しない。そもそもラセツの管理下に置かれているだろうが、何があっても関知はしない。それは貴方方の領分だからだ。それに――、日本のコトワザですかな? 触らぬ神に祟りなし、だ」
ミリアムの口の端が、醜く歪むように吊り上がる。
「とてもご聡明なご判断ですわ。ご協力に感謝申し上げます。それでは、ついでと言っては失礼ですが良い事を教えてあげますわ。…………いずれ、彼が蘇る時、世界は大きく動くことになるでしょう。それまでは今のままそっとしてあげてくださいね。彼にはまた観て貰わなければなりませんの。人の子の亡びの序曲、神々の黄昏、最後の審判――そのどれかを、ね」
――うふ。
――うふふふふ。
怖気を覚えるほどの満面の笑み。眩暈を覚えるほど深淵を感じさせる笑い声。
やはりこいつは化け物だ。静かに視線を落としたウィロビーなど意に介さないように、ミリアムは上機嫌に手を振った。
「それではご機嫌よう。戦争が始まってもご壮健でいらしてくださいね。――|また会う日まで《Till we meet again》。うふふふ!」
了




