5-4 shipwreck(フォカロル)――横浜
『――キャサリン、情報は?』
緊張感を帯びる、芯の強い声だった。
『はい! 「フォカロル」は魔導書「レメゲトン」の「ゲーティア」に記載があり、悪魔軍団の公爵です。グリフォンの翼を持つ男性の姿で現れ、風や海を操り、船を沈める――』
『――違う! そうじゃない!』
バーナードが叫ぶ。
『そんな情報はどうでも良い! 奴は、……再生するのか?』
その言葉に隊長以下全員が顔を上げる。
屋根の上に蠢くフォカロルは、喉から絞り出すように呻きながら、無くした腕を、俄に生やそうとしていた。
『なっ、なんだと――』
目に付いたのは、白い手――。
傷口から赤ん坊のような真っ白い手が、玩具を欲しがる子どものように、空を求め、空を切っていた。
『て、敵怪異、腕部再生を確認!』
『……それなら、これでどうだ!』
異形、不気味、生物的嫌悪感――。私やキャサリンの驚きを他所に、隊長は擲弾銃を構え、即座に発射した。
ポンッ――と、くぐもった音。
先の対戦車銃の轟音に比べると、まるで玩具のような射撃音。だが装填されているのは銀粉弾頭である。発射された弾頭は暗闇を切り裂き、寸分違わずフォカロルの胴体に直撃した。
パンッとささやかな炸裂音。
花火のように散らばり広がる、キラキラと美しい銀粉。そして再度響き渡るフォカロルの絶叫。
『銀粉弾頭、着弾!』
『この、このッ! ……糞野郎どもが――!』
再生を始めていた腕が俄に苦しみ、藻掻き、おとなしくなった。目に見える効果に驚きながらも銃口を向け続ける。
フォカロルの喘ぎが俄に静かになる。間もなく、力無く身体を揺らしたフォカロルは、重力に吸い付けられるように倉庫の屋根から身投げした。
いや――飛び降りたのだ。
暗闇の中一瞬だけ電光にその身体が映る。すっ――と、闇に消えたかと思うと大きな水音を立てて海水が跳ね上がった。
『死んだのか、奴は?』
安堵と疑念が入り混じる中、引き金に掛かる指が僅かに軋む。しかし、瞬く間に我が目を疑う事態が起こった。
疾足――!
爆発的な波しぶきの仁王立ち。
黒い海水の王冠を炸裂させながら――ニュース映画でしか見たことがない、往年の欧州レーシングマシンと見紛う程に、眼にも止まらぬ速さでフォカロルが疾走し始めた!
それは大きさは異なれど波を操り波に乗る、人間サイズの弾丸である。激しい水飛沫の回廊の先には――。
「『デービッド!』」
叫んだが既に遅かった。
デービッドは朽ちた電灯の影に隠れていたが、一瞬で奴に接近されてしまった。飛び込んだりする暇も無く、ぶつかるように接近したフォカロルの波を全身に浴び、慣性そのままにぐわりと胸座を捕まれてしまった。
吹き飛んでいない左腕――。
いつの間にか筋骨隆々の豪腕と化したその腕に、デービッドは持ち上げられコートごと吊されていた。
『デ、デービッドさん!』
「『ぐっ……』」
キャサリンの悲痛な叫びに、デービッドの嗚咽が辺りに漏れる。だが流石に怪異と長く戦ってきた男である。怪腕に持ち上げられ呼吸が苦しくとも――、デービッドは英国製騎兵銃を器用に操作し、至近距離でフォカロルの下半身に発砲した。
激しい音はなくとも、膝や腿への弾着光環が確認出来た。
が――フォカロルは全く動じない。神聖化の効力が無いのか、それとも純粋に怒りで痛みを感じていないのか判断しかねた。
目の前で仲間が危機に陥っている。
取る行動はたった一つ――。
しかし、この距離ではデービッドに銃弾が。そもそもこの機関銃で本当に効くのか?
『貴様ら一人一人、この黒く冷たい海に沈めてやる――。苦しみ悶え、嘆きながら絶命するが良い! か弱きゴミ共がッ!』
デービッドが殺される――!
そう直感した時、私は自然と声を上げていた。
「『フォカロルッ! こっちを見ろ!』」
――コッチヲ、ミロ。
フォカロルは怒りに歪んだ不機嫌な顔を、こちらに向ける。
バチリと合う視線――。
感情に歪んだ端正な人の顔をした怪異。
私は睨み付ける。殺意と敵意と憎悪と畏怖を織り交ぜながら――、漆黒の邪眼をフォカロルに向けた。
『が……ぐ……』
嗚咽。嘔吐き。
刹那にフォカロルの表情が変わる。瞳が泳ぎ、焦点が定まらずに動揺する。デービッドを締め上げていた腕から力が抜け、するりと地面に墜ちた。バチャン、と音を立ててデービッドの身体が改めて海水に塗れる。
『デービッドさん、退避を!』
『……分かってる!』
腰から墜ちたデービッドが、力を振り絞るように身を翻す。海水の王冠を作りながら僅かに距離を取って、再び銃口をフォカロルに向け直した。
『き、貴様――、サリエルの――』
フォカロルが知らない単語を漏らす。しかしその真意を聞くまでもなく、この弱ったチャンスを逃す手は無い。
『全員伏せろ――!』
バーナードの叫び!
直後、再び雷鳴が鳴り響く。
夜の倉庫街に反響し、鈍く残響が耳を聾する。英国製対戦車銃の爆裂音も、今この瞬間は祝福のファンファーレである。
対戦車銃の咆哮と共に、フォカロルの胸部がパッと爆ぜ散った。ブラウスと肉片がクリスマスクラッカーのように、横浜の夜に散る。
轟音の後、而して静寂。
それでも――恐ろしい。
撃たれた本人は力無くその場に立ち尽くしている。
神聖化弾頭が穿った穴は人の頭が入りそうなほど大きく、フォカロルは茫然自失に左腕で胸をなぞった。
突如訪れた静寂の中、なぞる左腕に力も勢いも無く、酷く寂しげな表情である。
『……やってられねぇよなぁ』
諦めの一言。
フォカロルは俄に膝をつき、その場で前のめりに倒れ込み、水飛沫が跳ね上がった。冷たく暗い海水には電灯の反射光が醜く歪に金竜を走らせている。そのただ中、フォカロルは突っ伏した。
これで終わりだろう。確証はないが、胸を無くして生きている生物はいない。怪異とて人の形をしているならば。
しかし――、意外。
この怪異は息も絶え絶えながら、渾身の力を振り絞り、顔を上げて私を睨んだ。ふるふると震えながら、憎悪とも嫌悪とも、そして悲哀ともとれる――不思議な眼差しで私を貫いた。
『どうせ貴様も……、利用されるだけ……。精々騙されるんだな』
忌み言葉の遺言ではない。
建設的な助言でもない。
諫言――?
意味ありげな笑みを浮かべると、フォカロルは再び突っ伏した。
そして瞬く間に黒く変色し――、夜の闇にも似た黒き瘴気を吹き出しながら、馬腹同様に塵と成り、暗い海水に溶けていく。
母なる海が怪異をも飲み込み、連れ戻すように――。
『――敵怪異、消滅を確認。皆さん、ご無事ですか?』
キャサリンの不安げな声に、我に返った。
『だ、大丈夫です』
『ウラベ、――邪眼を使ったな』
隊長の声色は重く――問う。
私は慌てて目を閉じた。また殴られるのも、人を傷つけるのも嫌だ。
『――はい』
『そうか――。身体に大事はないか』
『ありません。もう念じてませんので、少ししたら目を開きます』
『分かった』
その後、隊長からの咎めはなく、状況の整理と撤退の指示が淡々と下された。
今回の騒動――。
横浜に駐留するアメリカ軍第一騎兵師団には、燃料が入ったドラム缶が爆発した旨や、港湾施設自身の完成度の低さに由来する事故の多発――といった〝でっち上げ〟の理由を用意するらしい。
幸い皆に怪我はなく――バーナードと隊長、デービッドと私でジープに分乗した。これ以上長居する必要は全くない。
ヘッドライトが闇を裂く。
人工的なエンジン音が、子守歌のように耳を擽る。
埠頭の去り際、一瞬だけ振り返ると、水浸しになった倉庫街をキラキラと電光が走っていた。冬枯れの港は怪異を飲み込み、静かに夜は更けゆくばかりである。遠く小さくなっていく米軍所有の埠頭を見つめながら、私は一人懊悩した。
この邪眼を使ったのは、果たして良かったのだろうか――?
利用されるだけ――。
フォカロルの言葉は喉につかえた骨のように、私を苛める。
人間ではない、いや、西洋的な悪魔の甘言。そんなものに誑かされる訳などない。だがそれでもこの力は――。
『ウラベ』
デービッドの声が、エンジン音にも負けず、近くで響いた。
『本当に助かったよ……。ありがとう』
今この瞬間――、力は正しく使えている。
いつか自分の力が、怪異に似た力故に、私や仲間を傷つけることがないことを祈りながら、ハンドルを握る手に力を込めて横浜の灯りを背に、アクセルを吹かした。




