第9章 ブームの仕掛人(ディアナ視点)
この人は私のことを図書館で見たことがあるのだわ。だからあんなに驚いた顔をしていたのね。やってしまった! いつも一応周りの様子は窺っていたつもりだったのに。
でも「石に耳あり」ってことわざもあったわ。石ころが聞いているかも知れないのだから、人の悪口を言うのなら場所を選べって。失敗した。
「私を脅す気ですか?」
「いやいや、そんなつもりはありませんよ。
でもあなたは実直で、理論的、そして正義感が強い方とお見受けしたので、ご協力願えたらと思っただけです。
あなたは我が家のご子息とこちらのご令嬢が、お似合いの夫婦になれるとお考えなのですか?
せめてそれだけでもお聞きしたいのですが」
「私からはなんともお答えできません。ただ、もし何か言えるとしたら、なにもお見合いの席でなくても、どこかで一度ゆっくりお話すれば、その疑問はすぐに解決すると思います」
私がそう言うと、ハーモンド卿は感心したように頷いたので、これで納得してくれたかな、と一瞬ホッとしかけた。しかしそうではなかった。
「ええ。たしかに話をすればわるかもしれません。しかし正式な顔合わせでなくても、一度でも会話などしてしまえば、逃げられなくなると思うのですよ」
「えっ?」
「ジルスチュワー侯爵夫人とレイクレス伯爵家のご令嬢のキンバリー様は、女郎蜘蛛のような方達でしてね、彼女達に関わると二度と逃げられなくなるのですよ。
セルシオ様はそれを誰よりもよく知っていらっしゃる。だからあの方達と繋がりのあるシャーロット嬢とは接触したくないのです。
関係を持ったら最後泥沼から逃げ出せなくなる。
例えばマクロミル伯爵様とか、こちらのロンバード子爵様のようにね」
それを聞いて私はぎょっとした。父とジルスチュワー侯爵夫人が学園時代に恋人同士だったことは、おそらく皆が知っていることだろう。
なにせ二人の悲恋物語は今では伝説になっているくらいだから。
しかしそれを切なくて美しい悲恋ではなく、まるで父が被害者みたいな言われ方をされたのは初めてだったのだ。
そして、マクロミル伯爵様、こちらも伝説になりつつある悲喜こもごもの恋の話の当事者である。
こちらは第一王子の元王太子が婚約者を持つ身でありながら、真実の愛に目覚めて婚約破棄をして、伯爵家のご令嬢との恋愛を選択しため、廃嫡されて伯爵家に婿入りしたという数年前の出来事だ。
王太子でありながら恋にとち狂うとはなんて愚かな!と、世間ではかなり批判されていたが、こちらも実は被害者だったとでもいうのだろうか?
その真偽の程はわからないが、こんな大それたことを名門侯爵家の執事が、おいそれと口にするとは思えなかった。
そこで私も腹をくくった。
亡くなった母のことを考えると、ジルスチュワー侯爵家やレイクレス伯爵家とは絶対に縁など結びたくはないから。
まあ、私にそんなことを言う権利も力もないけれど、何もしないで見ているだけなんて我慢できない。可能な限り足掻いてやるわ。
私は納屋の中にハーモンド卿を案内した。そこには農作業中に休憩するための簡素な設備がある。私は粗末な作業台兼テーブルの横の丸椅子を彼に勧めた。
「こんな場所で侯爵家の執事を務める方を接待するなんて本来あり得ないのですが、密談にはちょうどいいのでお許しください。屋敷にお招きするのはまずいと思いますので。
ここならシャーロット様は間違っても来ませんから安心してください」
「ご配慮ありがとうございます。突然やって来てご迷惑をおかけします。
ディアナ嬢、先ほどは大変申し訳ないことをした。まるで脅しのような真似をしたことを、深く恥じ入ります」
「いいんですよ。ああでも言われなかったら私は決断できませんでしたから」
カモミールティーの入ったガラスのティーカップをルシアン様の前に置くと、彼は香りをまず堪能してから、ゆっくりとそれを口にした。
そしてまず美味しいと言ってから、少し躊躇いながらこう質問してきた。
「あなたは子爵家の使用人として守秘義務があるから話しにくいと思いますが、これだけは教えて欲しいのです。
セルシオ様だけではなく、私もシャーロット嬢は子供の頃と今とでは大分性格というか、態度というか、雰囲気が違うように思うのです。
私はセルシオ様が幼い頃から側にお仕えしていて、パーティーなどにも付き添っておりましたから、ご令嬢のことは以前から存じておりますから。
噂になっているロンバード子爵令嬢は、本当にシャーロット嬢ご本人なのですか?」
「それはどういう意味でしょうか? 今現在の成人したお嬢様と幼少期のお嬢様は別人で、誰かと入れ替わったとでも思っていらっしゃるのですか?」
姉のシャーロットは昔からちっとも変わっていない。いい意味でも悪い意味でも。変わりようがない。
幼い頃から父や兄が姉を溺愛して猫可愛がりしていたから、我儘で自分勝手で怠け者になった。そのせいで全く成長していない。
「変なことをお尋ねして本当に申し訳ありません。お姿の方は、以前と同様に大変美しくて、似たような方を見つけるのはほぼ不可能だとわかっています。
ただ昔と近頃耳にするあの方のイメージが、あまりにもかけ離れているのでとても信じられないのです。
いくら人は変わるものだとしても、本質はそう変わらないものでしょう?」
ハーモンド卿はその端正な顔を少し歪め、困惑気味にこう言った。
「あの、どのような噂なのでしょうか?」
もう七年間も社交界には出ていないので、私は貴族の噂など知らないのだ。
まあ、我がロンバード子爵家のお茶会が、一部ではそこそこ評判がいいと姉から聞いてはいるけれど。
金がないのに見栄を張っても惨めなだけだ。高位貴族と同じ路線を狙っても敵うわけがない。だから、他所様とは全く違う趣向でおもてなしを提案してみた。
するとその意外性が現状に飽き飽きした方々に気に入られたみたいだ。
それでも嫌味を言う輩はどこにでもいるので、そんなお客様にはすました顔で、私がこう毒を吐いていた。
「これは隣国カスターリア帝国で今流行っている嗜好だというのに、気に入っていただけなかったようで残念ですね、お嬢様」
すると意地悪そうなご令嬢も気不味い顔をして、それ以上言わなくなった。そしてたしかその後難癖付けてくる人はいなかった。
しかしまさかそのはったりのせいで、今社交界でカスターリア帝国風が流行していたとは知らなかった。なんでもカスタリアブームというそうだ。
もちろん貧乏な我が家が帝国の真似などできるわけもなく、まさしく帝国風を装っただけだ。でもそれが却って皆様には新鮮でオシャレに見えたようだ。
パッチワークのテーブルクロスや、麻に刺繍を刺したクッション、押し花のコースター、爽やかな風味のハーブティー、手作りの素朴な菓子など。
そして一番評判が良いのは狭いサロンの至る所に飾られている花々だった。
私としては庭の花壇や温室に咲いた花を摘んで、適当な容器に生けたりリースとして飾っているだけなのだが。
まあレンネさんとランディーさん夫妻によると、私は植物を育てることと同じくらいに、花を飾るセンスがいいらしい。
「さすがはナンシー様のお子様ですね。まさしくスゴッテ家の血筋ですよ」
と彼らは嬉しそうにそう言っている。
二人は亡き母が嫁いで来る時に、大農園を経営している実家のスゴッテ男爵家から一緒にやって来たのだ。
そして母の死後も私のためにここに残ってくれている。彼らは私にとって家族同然で大切な人達だ。
私はいずれ薬師になって、将来は三人で薬とハーブの店を持つ夢を持っている。いつかその夢を絶対に叶えてみせるわ。
私はついハーモンド卿のことを忘れて、余計なところへ思考を飛ばしてしまった。
読んでくださってありがとうございました。