第76章 図書館デート
ロンバート子爵夫妻の許しを得て、私とディアナ嬢は無事に婚約者同士となった。
その日から私は彼女に請われて名前呼びをするようになった。
その翌週にディアナは十六歳ので誕生日を迎えた。
その日、親しい人達を招待して、彼女の誕生日と私達の婚約披露パーティーを催した。
スゴッテ男爵家の人々。子爵の親友であるビクター=マッケイン伯爵とその家族と、王城の官吏であるマイク=ノーランド男爵とその家族。
私の父親であるクライス、カイルと彼の家族、スレッタと彼女の家族。そして乳母で領地の侍女頭をしているハンナと彼女の三人の息子達。
領地の執事をしている、ハンナの息子であるオスカー=ハーモンドを紹介したとき、彼女はにこにこしながらこう言った。
「ようやく本物のオスカー=ハーモンドさんにお会いできて嬉しいですわ。これからもどうぞよろしくお願いします」
オスカーは訳が分からずきょとんとしていたが、私はその説明を省いた。自分の名が勝手に使われていたと知ったらいい気はしないだろう。
いや、案外喜ぶかもしれないが。僕のためならたとえ火の中水の中でも飛び込む覚悟があると豪語している奴だから。
カイルとは彼は見た目も性格も正反対だが、私を同じくらい思ってくれていることはわかっている。
口にしたことはないが、カイルやクロフォード殿下同様に私にとっては大切な幼なじみで親友だ。
「お二人は艱難辛苦を乗り越えて初恋の人と結ばれたんですね。本当に良かったですね。私も嬉しいです」
ワイン一杯で酔っ払ったオスカーは、ディアナの可愛い手を取って、何度も何度も同じことを繰り返した。触るな!と叫びたくなった。
艱難辛苦。事実だがそう言葉にされると恥ずかしい。体格が良く厳つい見た目の割に彼はロマンチストなのだ。
一目惚れした一つ年上の女性に、毎日薔薇の花束を掲げて通い続けて、やっと付き合ってもらい結婚まで持ち込んだと聞いた時は、尊敬したものだ。
二年経って子供ができた今でも妻にベタ惚れしている。
「ルシアン様は完璧人間に見えるでしょう? でも、優し過ぎて傷つき易いのです。ですからディアナ様が守ってやってください。お願いします」
何言ってんるだ! 私は慌てたが、ディアナはにっこりと笑うと
「お任せ下さい。私強いので」
と答えたので、私は苦笑いをしてしまった。そう。私の婚約者は度胸が良くて逞しかったことを思い出したからだった。
その後私達はそれぞれに、それはもう多忙な日々を過ごした。
私はロンバード子爵親子やクロフォード殿下達と共に、裁判の準備で。
ディアナは学園に入学したので、学園生活とスレッタ達の結婚式の準備で。
しかしどんなに忙しくても、私達は水曜日の夕方には図書館デートを続けた。
忙しさにかまけて彼女との交流を蔑ろにするわけにはいかない。
彼女の世界が広がることは良いことだ。しかし会わないうちに私との心が離れることになったら大変だ。
そして私が学園に迎えに行くことで、男子学生を牽制することにもなるだろう。
幼なじみ達の言う通り、私は気が弱くて心配性の情けない男なのだ。
ディアナは鳴り物入りで入学した。何せ死から蘇った悲劇の少女だと、国中の話題になっていたからだ。
「実の兄に懸想した悪女によって毒殺されかかって、命を守るために病死の振りをせざるをえなかったんですって。なんと気の毒な少女なのら」
「しかも運命の恋人達というデタラメの伝説を作られた父親の影響で、幼い頃から虐めに遭っていたそうよ。そのためにひっそりと身を隠して育ったらしいわ」
「守ってあげたい」
「友達になってあげたい」
「だけどさ、流行り病に罹って死んだなんて虚偽を流布させて、王都を混乱させた迷惑令嬢だぞ」
「引きこもりのネグラ令嬢だというから鬱陶しいそうだ」
「そうは言っても、あのロンバード子爵の令嬢だからさぞかし美少女なのだろう。付き合ってやってもいいかも。
早く顔が見たいな。一体どんなご令嬢なのだろう」
私や子爵一家はかなり心配していたのだが、ディアナ自身は、それほど気にする様子はなく学園生活を送っていた。
「その下馬評はほとんどが本当のことですし、皆さんに迷惑をかけたことは事実なので、何を言われても仕方ないわ」
彼女はそう言った。そして
「それにマルゴン様が守ってくれているから心配ないですよ」
とも。
マルゴンとはスレッタの弟で、ディアナと一緒に入学していた。
母親似の可憐な姉とは違い、騎士をしている父親に瓜二つのマルゴンは、とても十六歳とは思えないほど立派な体躯をしていた。
そして立ち上がった硬い赤毛に太い眉毛は厳つく見えて、上級生さえびびらせるほどだった。
「ディアナ様は将来お仕えする方の奥様になられる方ですから、全身全霊でお守りします」
彼はそう言って、学園への送迎だけでなく、昼食時は必ずディアナと共に行動してくれた。
そのため、彼女にちょっかいをかけようとする者はいなかったらしい。
それでは友人ができないのではと心配したが、授業中と中休みはクラスの人達と交流できているから心配はいらないと言っていた。
ディアナは理数クラスで、マルゴンは騎士クラスだったのだ。
それでも不安を拭えなかった私は、毎週水曜日の午後になると、城を抜け出して学園までディアナ嬢を迎えに行っていたというわけだ。
私という婚約者がいると知らしめて、余計なアプローチやいやがらせ行為をされないようにだ。
ディアナは両親や兄同様に優秀だった。そのために入学試験も、最初の試験も学年総合一位だった。
しかも可憐で可愛くて愛らしい。しかも明るいということで、噂は当てにならないものだな、と皆思ったようだ。
生徒会にも誘われたそうだが、忙しいのでと断ったそうだ。
水曜日以外は授業が終わると屋敷へ直行し、スレッタとカイルの結婚式の準備があったからだ。
「ガゼボを綺麗な薔薇で覆ったのです。まあ、新郎新婦の美しさには負けますけれどね。
庭への通じる小径にも薔薇のアーチを作ったんですよ。
ようやくお庭全体が整ってきた感じです。長いことお手入れしていなかったので大変でした。
今回のことで思ったのですが、我が家の庭を常に綺麗に保つためには、もっと人手が必要だと思うのです。
畑や果樹の作業するにも。
裁判が終わったらそのことをお兄様と相談するつもりなのですが、お庭について私には一つのアイデアがあるのです」
「どんな?」
「スレッタ様達の結婚式を問題なく終えられたら、披露宴会場としてこの庭を貸し出したらどうかと思うのです。
その収入があれば、庭を手入れする人を常時雇えると思うのです」
「なるほど。場所だけ提供するってことかな?」
「はい。お料理まで提供するとなると、新しい施設や調理人が必要となるので、経費がかかり過ぎて、本末転倒になってしまいます。
ですから、どこかの料理店と契約した方がいいと思うのです。
まだ構想段階なのですが、せめてあと三年はあの庭を美しく維持していきたいなって思うのです」
「三年というと、私達の結婚式までということだよね?」
「はい。私もあそこで結婚式を挙げたいのです。薔薇で飾られたガゼボで、大好きな人達の前で、誓いを立てたいのです。
ルシアン様との永遠の愛を。
かまわないでしょうか?」
「もちろんだ。
ああ、早くディアナと結婚したいよ」
婚約後、彼女の希望で名前呼びをするようになったのは、政略的な婚約ではなくて、互いに思い合っていることを、周りに分かってもらえるようにと、そうディアナに言われたからだった。
彼女が楽しい学園生活を満喫しているのは嬉しかったがよ、少しばかり不安になっていた。
しかし、彼女も自分との結婚についてずっと考えていてくれていたのだ。
そのことがわかって嬉しくなり、図書館の中庭だというのに、私は彼女を思い切り抱き締めたのだった。




