第51章 祖父の思惑
隣国と接しているスゴッテ男爵領は、肥沃で広大な土地を所有し、農業が盛んだ。
我が国の食料庫と呼ばれているくらいだ。しかし、辺境に位置しているために王都にまで農産物を運ぶのは到底無理である。
そこで市場の大きい王都近郊に農地を探しているという話を偶然マラブート元侯爵は耳にした。
その時娘の嫁ぎ先のことが頭に浮かんだのだ。
爵位はそう高くないが歴史の古い家で、王都にやたら広い土地を所有している。それなのにそれを持て余していると聞いていた。
そこを農地に変えれば、ロンバード子爵家とスゴッテ男爵家の両方に利益があるのではないかと考えたのだろう。
マラブート元侯爵は、同じ侯爵家でそれなりに付き合いのあったジルスチュワート侯爵に、その仲介を頼んだのだ。
祖父は外務大臣だったが輸出絡みで第一次産業とも強い人脈を持っていた。
それ故に、スゴッテ男爵家とも繋がりを持っていたからだった。
母は学園に在学中にすでに密かに父と婚約させられていた。そのために卒業後にすぐに結婚させられた。
そしてその数か月後にロンバード子爵令息がスゴッテ男爵令嬢と婚約した話を聞いたそうだ。
しかし、母はそれは仮初の偽装結婚だと思っていたらしい。
夜会でかつての恋人がエスコートしていた婚約者を見て、あまりにも自分とは正反対の令嬢だったからだ。
地味でありふれた焦げ茶色の癖のある髪に薄い茶色の瞳。
まだ少女のような無邪気そうな笑顔。しかも日焼けをしているなんて淑女としては問題外だわ、と母は取り巻きに話していたそうだ。
よく恥ずかしくもなくあんな令嬢を連れていられるものだと、呆れると共に彼を気の毒に思ったと。
(家のために仕方なく、涙を呑んであんな不釣り合いな方と一緒にいるのよね。私と同じだわ。なんて私達は可哀想なのでしょう)
なんてことを勝手に夢想していたのだと思う。
ビクター=マッケイン伯爵とマイク=ノーランド卿によれば、婚約者を連れていたニコラス=ロンバード子爵令息は、これまで見たことがないくらい、幸せそうだったらしいのに。
(あんな地味で美しくもない女をニコラスが本気になるわけないわ)
勝手にそんなことを信じていたので、母は父と結婚していても平然としていたらしいのだ。
そして半年後に自分が妊娠したことがわかり、これで役目は果たしたと安堵したらしい。
祖父は息子の結婚式の直後から、国王の命で王弟殿下と共に近隣諸国へ農業視察に出かけていた。
その出先でそのおめでたいニュースを受け取った。ところが、その妊娠の知らせに祖父は仰天したらしい。まさか息子が新妻とベッドを共にするとは思わなかったようだ。
そしてこれは大人になってからわかったことだが、祖父が王命で国からしばらく離れることになったのは、亡き祖母の実家が手を回したからだという。
祖父が一人息子と無理矢理婚約させた令嬢を見て、祖母の兄である侯爵はすぐにピンときたらしい。
妹は二人も夫によく似た子供を産んだのに責められたと言っていた。
彼が欲しいのは金髪碧眼の子供だけなのだろうと。
とは言え、嫡子でなければ後継者にはできない。今さら後妻を娶って子が生まれても後継者にはできない。
だから息子に金髪碧眼の子供を作らせるためにあの男はあの令嬢を娶りたいのだろう。
しかし、その婚約者は甥の好みの令嬢とは思えなかった。ということは、あの男は息子の代わりに自分が手を出す算段をしているのではないかと疑った。
もし、亡き妹の残した可愛い甥が托卵される可能性があるなら、全力でそれを阻止してやらなければならないと侯爵は考えたようだ。
だから元首相だった祖母の兄は、友人である国王に祖父を他国へ長期視察に出す命令を出して欲しいと願い出たそうだ。
その事実を学園に入学後にクロフォード王子から聞かされた。
家令のワーナード卿から祖父の外遊の話を聞かされて、自分は父の子なのだと安堵した経緯があったのだが、それは先の陛下のおかげだったのだ。それと母方の伯父の。
周りの人間は皆祖父の異常性格を知っていたのだな。みっともない最低な男だった。
そして結局、祖父は金髪碧眼の子供を持つことはできなかった。叔母の三人の子供達も黒や茶髪だったからだ。
それに祖父は母に自分の子供を産ませたかったようだが、母は体のラインが崩れるのを嫌がって避妊薬を飲んでいたから、私以外に子を産まなかった。
従兄弟達もみんな祖父に全く似ず、成績優秀で品行方正だった。しかし父や叔母、そして私達孫も、誰一人彼とは口をきかず、接触しなかった。
素晴らしいお子様やお孫さんばかりで羨ましいと皆に褒められて、引きつっていた晩年の祖父の顔を思い出す。
広い屋敷の中でたくさんの使用人にかしずかれながらも、彼は孤独な老後を過ごした。
人目のつかないところでは、母からも蛇蝎のごとく嫌われていたし。まあ当然のことだろう。
祖父は嫌がる母に媚薬を使って関係を続けていたらしい。あの男は最低最悪の人間だった。
しかし、母だって人に同じ物を使っていたのだから自業自得で同情する気にはなれない。
本気で祖父との関係が嫌だったなら、父の側に居れば良かっただけの話だ。それなのに、華やかな暮らしや社交を楽しみたいからと王都に居続けたのだから。将来設計が狂ったにも関わらず。
そう。跡取りを産めば離縁してロンバード子爵令息と再婚しようと考えていた母の目論見は、私を産んで半年後に社交界に復帰した途端に破綻していた。
その日パーティー会場の話題の中心は母ではなくて、夫婦仲睦まじく寄り添うニコラスとナンシー夫妻であった。
無事に嫡男が生まれたことを友人や同僚から祝ってもらっていたのだ。
しかもその赤ん坊は父にうり二つの、見銀髪碧眼の美しい赤ん坊らしい。
(えっ? 偽装結婚で白い結婚ではなかったの?)
想定外のことに母はパニックったらしい。そしてそこに祖父がつけ込んだというわけだ。
「今離縁してもニコラス卿とは結婚できないぞ。
しかし、お前の態度の悪さに息子も腹を据えかねているから、私の機嫌を損ねると離縁させるぞ」
と。
そんな状況下でも損得勘定ができた母親のメンタルもかなり強い。しかもちゃんと避妊薬を服用したのだから、祖父よりも上手だったかもしれない。
実際その証拠に、その後もロンバード子爵となったニコラス卿との再婚を諦めずにずっと暗躍し続けたのだから。
ナンシー夫人を悪い噂を流してじわじわと苦しめ、わざと子爵といる所を見せつけて。
そして違法薬物を使って夫人を亡き者にしたのだ。これで恋い焦がれた美しい思い人と結ばれると母は歓喜したに違いない。
夫人の葬儀で私の母が笑みを浮かべていたとディアナ嬢が語っていたから。
おそらく、祖父の葬儀の時に見せた、あの狂気を含んだ悍ましい笑みと同様のものだったのだろう。
それを思い出して身震いした。
しかし、憎い相手が消えても母の思うように事は進まなかった。
邪魔者がいなくなって早速近付こうとしたのに、夫人を亡くした後、ロンバード子爵はぱったりと社交界に現れなくなったのだ。
夫人の生前はあれほど頻繁に参加していたというのに。
焦った母が人を使って調べてみると、子爵はなんでも大きな手柄を立てて出世したために、仕事に追われているせいで、社交どころではないということだった。
そしてその状況はその後も一向に変わらなかった。
母はやけになって、自ら違法薬物を使って祖父との関係に溺れていったようだ。
なぜ私が母と祖父との濡れ場に遭遇してしまったのか、大分後になって過去を振り返った時に気付いた。それは独特な匂いだった。
嗅覚が人より敏感だった私は、夜中にふと目を覚ました時、それまで嗅いだことのない不思議な匂いに気付いた。
その正体を知りたくて、掃き出し窓からテラスに出た時、コの字の型の建物の正面の窓を見た。
そこは客室だった。そちらの方向からその匂いが流れてきたのではないか、と思ったのだ。
今日は宿泊する客などいなかったはずなのに少し窓が開いていて、複数の人影が見えたからだ。
あそこにいるのは誰だろう。気になって部屋を出て客室に向かった。
そしてトラウマになった光景を見てしまったというわけだ……
 




