第45章 心の友
やっと帰ってきたなと、クロフォード殿下には大喜びで迎えられたが、最初はタウンハウスでやっていけるか心配だった。
しかし、それは杞憂に終わった。
祖父は三年前から寝たきり状態になっていて、その一年後に亡くなっていた。
そして母は、自由奔放に外で遊び回るようになっていて、屋敷には滅多に戻らず、顔を合わせることがあまりなかったからだ。
それでも本当は学園の寮に入りたかったのだが、王都にタウンハウスを所有している家の子弟は入寮不可だったので仕方がなかった。
学園ではご令嬢方の気味の悪い視線にさらされたが、追いかけ回されることはなかった。
私は第三王子の側近として、絶えず彼の側に張り付いていたために、彼女達は近寄れなかったのだ。
「侯爵家の嫡男だというだけでこんな愛想のない男に色目を使うなんて、馬鹿なのでしょうかね?
高位貴族の令息を狙いたいのなら、他にもっといい奴がいくらでもいるでしょうに」
ふと私がそう漏らすと、クロフォード殿下は呆れたような顔をしてこう言った。
「お前がたとえ侯爵家の嫡男でなくても、ご令嬢方にモテていたと思うぞ。ロンバード子爵家のフィリップ君のようにさ。
なにせ顔の作りは彼に匹敵するからな。それに毎回学年一の成績を上げるような優秀な頭脳の持ち主なのだからなおさらだな」
「何を言っているのですか。私が一番なのは、貴方が本気を出さないからじゃないですか。
あまり王子が優秀だと周りから警戒されるからと、わざと私を矢面に立たせているのでしょう?」
「そう言うなよ。だから俺の護衛が、ちゃんとお前のこともガードしてやっているだろう?
それに、お前は自分の容姿に自覚がないみたいだが、フィリップ君のような派手なキラキラ感はなくても、端正で綺麗な顔立ちをしていると思うぞ」
殿下は無理に真面目な顔を作ってそう言っているが、そんな言葉は信じられない。
「お前さあ、耽美主義者の母親に評価されていない、っていう理由で自分の容姿に対して自己評価が低いみたいだが、それは大きな間違いだぞ。
美の価値観なんて所詮個人的主観でしかなくて、百人十色だからな。
そもそもジルスチュワート侯爵夫人がお前に関心がないのは、自分の息子で恋愛対象ではないからだろう。
もしくは、単に好みではないとか、嫌いな人物に似ているからじゃないのか?」
殿下の言葉になるほどと思った。その三つが全部当てはまる気がした。
母親が色目を使う相手は、全員が銀髪碧眼のニコラス=ロンバード子爵に似た容姿の者達だ。
まあ、あれほどの容姿端麗な人間はそういないから、みんな彼の劣化品って感じだけれど。
それに彼女は私に限らず子供に興味がない。母性本能が欠如しているのだ。
そして祖父のことを思い浮かべるから、幼い頃から私の顔を見るのが嫌だったのかもしれない。
しかもそれは私に対する罪悪感などではなく、本当に祖父を嫌い、いや憎んでいたのだと思う。
あの日、母親は嬌声を上げて快楽に溺れていたように見えた。淫乱だから、その行為事態は気持ち良かったのだろう。
しかし、自ら望んで祖父とそういう関係になっていたわけではないのかもしれない。
祖父の葬儀の時、母の顔は黒いベールには隠されていたが、口元には時折笑みが浮かんでいたように思えたから。
涙を拭う仕草も見せていたが、あれはもしかしたら、ようやく解放されたという喜びの涙だったのかもしれない。
そんなことを考えて眉間に皺を寄せていると、クロフォード殿下がパンパンと両手を叩いて、過去の回想に耽っていた私を呼び戻してくれた。
「ルシアン、嫌なことを思い出させたようで悪い。
しかし、もうそろそろ悪女に心を囚われるのは止めろ。彼女の存在や価値観に惑わされるな。
俺もアルスト兄上も、メラニーも断言していたぞ。この国の美男ランキングトップは、王家の三王子以外じゃ、ジルスチュワート侯爵親子とロンバード子爵親子だと」
王子だというのに、自画自賛してどうなる。そもそも天上人なのだから、そのランキング入れてはだめだろうと、私は可笑しくなった。
「そうは言っても昔からメラニー嬢は殿下のことしか眼中になかったですよね?
私やロンバード子爵令息のことなど、歯牙にもかけなかったのだから、その評価は当てにならないですね」
宰相の娘であるパルス侯爵家のメラニー令嬢は、私達の幼なじみだが、学園入学直後にクロフォード殿下と婚約していた。
「そりゃあそうだろう? メラニーは婿取りなのだから、いくら美形で優秀でも、嫡男であるお前達を選ぶわけにはいかないからな」
本当はわかっているくせに、殿下は肩をすくめてそう言った。そんなところだよ、メラニー嬢が君を選んだのは。
王子であるくせに、自分の矜持より人を思いやるところ。その優しさと明るさ。それは何ものにも変えられない。
この先どんな困難があっても殿下となら乗り越えられる。そう思ったからこそ彼を選んだのだろう。
その証拠に王家に激震が走るような大事件が起こって、二人の婚約が破断になりかけたときも、メラニー嬢はクロフォード殿下とのことを決して諦めなかった。
自分の妹に何度も頭を下げ、父親を粘り強く説得し、王家に嫁ぐことを認めてもらった。
そして今彼女は妻として母として、王子妃として立派にその激務をこなしている。
彼女は私にとって最も誇れる女性の友人だ。
たとえ私が三男坊だったとしても、こんなネクラで女性嫌いな男は絶対に彼女には選ばれなかっただろう、とあの当時思ったものだ。
それでもまあ、メラニー嬢は私のことを友人しては認めてくれていたのだから、それだけでも十分ありがたいと思ってはいたのだが。
こんな素晴らしい幼なじみ二人に大切にされているのだから、もっと自分に自信を持ってもいいのかな。
あのときの会話がきっかけで、私は前向き思考になれたのだと思う。
その結果、殿下の側近としてこき使われることになってしまったわけだが。
私が一体何を言いたいのかというと、心の傷を癒すためには、長い時間と多くの優しい人達の善意が必要だということだ。
たしかにロンバード子爵とフローディア嬢は夫人のことを愛していただろうし、ランメル夫妻も誠心誠意彼女に尽くしていたのだろう。
しかし社交場だけでなく、本来安らぎの場でもある家庭の中でも、彼女は絶えず夫の小言や上の子供達の冷たい視線にさらされ続けていたのだ。
そこに悪意のあり無しはともかく。
そんな環境の中では彼女の傷付いた心が癒やさられることはなかったのだろう。
彼女が体調不良を訴えた時に、本当は環境を変えるべきだったのではないだろうか。
夫人の大好きな家族や自然の溢れる実家で、静かに静養させるのが一番だったのだろう。
それが無理だったとしても、せめてでも社交を完全に止めて、息子や上の娘とは暫く顔を会わせなくても済むようにしてあげていれば、少しは違っていたのかもしれない。
ロンバード子爵家は王都にありながら広大な土地を所有し、多く樹木が植えられ、野菜や草花が栽培されていて、自然には恵まれていたのだから。
そして夫人の部屋の床下にはあの癒しと浄化をしてくれるという夜香草が人知れず生えていたのだから。
しかし、それは今だからこそ言えることである。
ロンバード子爵親子をこれ以上苦しめたくはないから、そのことを口にすることは控えた。
そもそもそれが夫人の直接の死因ではないのだから。
なぜ出席を拒んでいた夫人を子爵が無理やりに参加させたのか。
その辺の事情を訊ねるのは正直気が進まなかった。
夫人があの日夜会に参加さえしなければ、彼女は階段から落ちることはなかったのだから。
それでも、その疑問はこの事件の要となるところである。そのために私は心を鬼にして、子爵にその理由を訊ねたのだった。




