第35章 姉の失態(ディアナ視点)
「姉はジルスチュワート侯爵家できちんと仕事をこなしているのでしょうか? ご迷惑をおかけしているのではないですか?」
姉は三週間前からスレッタ嬢の手筈通りに、ジルスチュワート侯爵家で見習い侍女として住み込んでいる。
自分の身繕いの仕方やお茶の入れ方くらいは教えたが、何せ付け焼き刃だから、数日で追い払われると思っていたが、未だに帰ってこない。存外に上手くやれているのだろうか。
死んだら雇って欲しいなどと突拍子もない願いをした翌週、再び図書館で会ったとき、私は思い切ってルシアン様に姉のことを訊ねてみた。
すると、愉快なことを思い出したかのように、ルシアン様は突然笑い出した。
「おそらく今頃君の父上は、第二騎士団に呼び出されていると思うよ」
「えっ?」
「昨夜君の姉上が、第二騎士団の留置場に入れられたのでね」
「姉が留置場って、一体何をしでかしたのですか?」
驚いて訊ねるとルシアン様はまだ笑いを堪えながらこう言った。
「殺人未遂罪で……」
「殺人未遂罪!」
思いも寄らない返事に私は絶句した。あの姉が殺人未遂って、一体誰を殺そうとしたの? まさか虐められて、虐める相手を衝動的に傷付けたの?
しかしそれは違っていた。なんと姉は侯爵夫人がかわいがっている猫に、毒成分を含む水を飲ませたのだという。
「なぜ猫に毒を? そもそも姉はどうやって毒を手に入れたのですか?」
「屋敷の花壇に咲いていた鈴蘭の毒だよ」
それを聞いてピンときた。でもまさかそんな愚かなことを? 母にあれほど注意をされていたのに?
「もしかして鈴蘭を生けていた花瓶の水を猫に与えたのですか?」
「その通り」
「なんてこと……」
信じられない。軽い目眩が起きて、ソファーの上で前のめりになった。膝に置いた両手がぶるぶると震えた。
そんな私にルシアン様は、ジルスチュワート侯爵家における、姉の三週間に渡る生活振りを教えてくれた。
侯爵夫人は姉シャルロットをルシアン様の妻にしようと、将来の侯爵夫人としての仕事を少しずつ覚えさせようと考えていたそうだ。
そこでまずジルスチュワート侯爵家の交流関係を覚えさせるために、夫人は来月開くお茶会の招待状を書くように指示たという。
しかし二日経っても一通も書き上げる様子がなかったので、あと三日のうちに仕上げるように命じた。
すると、なんと姉はその招待客名簿と侯爵家専用の便箋と封筒を持って、こっそり屋敷を抜け出そうとして警護の者に取り押さえられたというのだ。
名簿を屋敷の外へ持ち出すとこは、情報漏洩を防ぐために禁止されている。それは貴族の屋敷では常識だ。それをわかっていながら行動するということは、すなわちスパイ行為すると見なされても仕方のないことなのだ。
しかし姉は、執事や侍女頭の厳しい尋問に泣きながらこう答えたそうだ。
「私はとても字が汚いので、屋敷の者に手紙を書いてもらおうと、家に持ち帰ろうとしただけで他意はありません」
と。そして姉は紙に文字を書いて見せて、その場にいる者達をどん引きさせたという。
夫人は姉の字のあまりの下手さに絶句し、これではとても人様に送れないと判断した。そこで、今度は字の練習を命じた上で、自分の身の回りの世話をさせることにしたそうだ。
ところが、姉は普段私やレンネさんに身の回りの世話をさせて自分で動くことはなかったので、当然夫人の世話などできるはずがなかった。
服を準備するように言われても、TPOに合わせた衣装を選ぶことなどできなかったし、ドレスと靴、そしてアクセサリーを合わせるセンスも持ち合わせていなかった。
しかも夫人のスケジュール管理どころか、本人自身が決められた予定通りに行動することさえできなかったのだ。
さすがの夫人も一週間もしないうちに、姉のことには見切りをつけたようだった。
それでも行儀見習いとして預かった以上すぐに追い出すわけにはいかないと、メイドの仕事をさせることにした。
しかし侍女の仕事以上にメイドの仕事は姉には難しかった。そしてセルシオ様の婚約者候補のご令嬢達の「お試し」を邪魔する形になった。
スレッタ嬢は最初からそうなることを見越して、わざと姉を勧誘したのだろう。いくら夫人が望んだとしても、他の候補から軽蔑されるような令嬢を選んだら、それこそ侯爵夫人の評判は下がり、侮蔑されることは明らかだから。
そんなことは私にだって最初から想像できたのに、やっぱり私は甘かった。姉をルシアン様の婚約者になんてしたくなかったのに、それでもできるだけ姉が失敗などせず、侯爵家の皆様に迷惑をかけないようにと願っていたのだから。
それにしても、まさか姉が騎士団に捕まるような失敗までするとは思わなかった。
植物には毒を持つものもあるから気を付けて扱うようにと、厳しく母に注意をされていたのに、なぜ姉はそれを忘れたのかしら。
「鈴蘭は鉢植えで楽しみなさい。花瓶にさしたりしたら、その花瓶の水に鈴蘭の根から毒が滲み出してしまうから。
もしその水をまちがって飲んだりしたら、小鳥や小動物が死ぬ可能性だってあるのよ。
そもそもキノコだけじゃなく、花や草など美しいものには毒があるものも多いのだからから注意してね」
母は花壇や畑に花が咲くと、そこへ私達を連れて行って、名前や特徴などを色々と教えてくれた。特に毒があるので口にしてはいけないものや、触るとかぶれたりするもの、そして毒虫が付きやすい植物には注意するようにと小さなころから繰り返し言っていた。それなのに。
「ねえ、身近な植物の中に、鈴蘭の他にも毒を含むものってあるのかな?」
ルシアン様に訊ねられて私は頷いた。
「可憐な花なのに毒を持つ植物は案外多いのです。たとえば、水仙とか、トリカブトとか、ジキタリス、日々草、スノードリップ……そうそう、紫陽花にも毒があります。
といっても、紫陽花の場合は花ではなくて葉の方にあるのですが。時々それを知らないで食事の飾り付けに使って食べた人が腹痛を起こすこともあるそうです」
私がそう言うと、「それだ!」とルシアン様が大きな声を出した。
「二、三日前に屋敷で食中毒が起きたのだが、その原因はわからなかった。ただその時、シャルロット嬢が料理の盛り付けを手伝っていたのだ。
だから、彼女がキッチンメイドの真似をさせられた恨みで、食事に毒を混ぜたのではないかと誰かが言い出したのだよ。
そのせいで彼女は皆から疑惑の目を向けられて、厨房の手伝いからペットの世話係に変更されたらしい。そしてその翌日に猫騒ぎだろう?
シャルロットが逆恨みをして、屋敷の人間の命を無差別に狙っているのだとメイド頭が思い込んで、どうやら母に報告する前に第二騎士団へ調査を要請してしまったらしい」
道理で……ルシアン様から事の経緯をきいて私はようやく納得した。人間ならともかく猫が死にかけたからと言って、普通即逮捕には至らないだろう、と思ったからだ。もちろん動物虐待なんてとんでもないことだけれど。
「調査表によると、食中毒を起こした日のメニューの食材の中に、なぜか紫陽花の葉とあったんだ。こんなものを食べるのかと不思議だったのだが、まさか飾り付けだとは思わなかったな」
お姉様、なぜそんな余計なことをしたのですか? 食材の知識もなければこれまで盛り付けをしたこともないのだから、ただ指示された通りに仕事をすればよかったのに。
他人からよく思われたい褒められたい、そう思ったからですか? それともそれまでの失態を払拭したいと考えたのですか?
「おそらく母は君の父上の手前、シャーロット嬢を庇って騎士団の留置場から出そうとするだろう。
しかし、今彼女が子爵家に戻って来ると何かと面倒になるので、このまま暫く入っていてもらうことになる。子爵家には申し訳ないのだが」
「申し訳なく思うことはありません。たとえ殺意や悪意がなかったとしても、運が悪ければもっと多くの方々が被害を受けていたかも知れないのですから。
姉はそれなりの罰を受けて当然です」
私がはっきりとそう言うと、ルシアン様は少し複雑な顔をした。姉がジルスチュワート侯爵家で働くことになった経緯が、誰かに意図的に誘導されたせいだったからなのだろう。
優秀そうな彼の部下と思われる女性の顔がすぐに頭に浮かんだが、彼女を恨む気はさらさらなかった。ただ私は、被害にあったルシアン様の婚約者候補のご令嬢方に、申し訳なく思ったのだった。
それにしても、父は今頃必死で姉を助け出そうとしているのだろうな、と私がそう思ったときだった。
「私は君の父上が今後どう動くのかを注視しているのだよ」
ルシアン様がこう言ったので、私は思わず小首を傾げてしまった。どう動くかなんて決まっているわ。父は姉を溺愛しているのだもの。
まあ、父が必死に訴えたとしてもどうなるものではないと思うけれど。
私の考えを読んだのか、ルシアン様は意味深な笑顔を私に向けた。
「案外身近にいる人間のことって見えていなかったりするものだよ。君が見ている父上と、他人が見る父上は違うと思うよ。
君の父上は学園時代から優秀だったけれど、現在も職場ではかなりのやり手で、周りからの信頼も厚い方らしいよ」
「あの父が……ですか?」
「ああ。今でも父上がご婦人方から人気が高いのは、容姿だけが理由ではないようだよ。
だから、父上が強く主張すれば姉上はすぐに釈放される可能性があると思う。
猫のことも食中毒のことも、単なる知識の無さによる過失と主張しようと思えばできなくもない。だから在宅起訴で済む案件と言えなくもないからね」
意外な話に私は驚いた。
「君は信じないかも知れないが、君の父上は噂とは違って君の母上を心から愛していたのではないかと思うのだよ。私の母親ではなくて。
君の父上をよく知る複数の人物から聞き出した話だから信憑性は高いと思うよ。
それに君も薄々感じているのだろう? 自分の父親が薬や魅了魔法などで元恋人に操られているのではないかと。
私もそうじゃないかと疑っている」
たしかに疑問には感じていた。以前から父は母の部屋に入るとおかしくなって、人目も憚らずに泣いていたのだから。
母の呪いじゃないかとか、懺悔の気持ちで泣いているのではないかと兄や姉は言っていた。けれど、実際のところあの部屋は呪われているどころか、人を浄化していたのだ。
ということはつまり、あの部屋に居るときの父の方がむしろまともだったと言えるのかもしれない。母を思い、未だにその死を嘆き悲しんでいる姿の方が。
兄だって本当はキンバリー様と結婚したがっているようには見えなかった。できれば避けたいみたいな。
兄が私をどう思っているのかは不明だけれど、少なくともキンバリー様のことはあまり好きではないような気がしてきた。
少し前までは、兄が結婚したいのならすればいいと投げやりな気持ちになっていた。
けれど、もし邪な力で無理矢理に好きだと思わされているのなら、やはり二人の結婚は妨害すべきかもしれない。
「先週君は、兄に殺されたら領地で雇って欲しいと言ったよね。あのとき私はその願いを聞き届けると答えた。
それは君の身の安全を考えるのならば、君の言う通りに一度君を死なせた方が安全かもしれない、と思ったからだ。
というのも三週間前、君は騎士のファスト卿に手紙を託したよね。そしてキンバリーが君を亡き者にしようとしていること、香りを使って人を操っている可能性が高いことを私に伝えてくれた。
だから私は、クロフォード殿下や第三騎士団長のマッケイン伯爵らと、君の安全については対策を練ったのだよ。
しかしいつ仕掛けてくるのかわからない状態がずっと続くと、緊張疲れで隙ができて危険度が増す。だからそれを避けるためには君の策に乗るのも有りかなと思ったのだ。
それにフィリップ君が君に危害を与えるなんて、私にはどうしても思えなかったしね。そうじゃなきゃ危険過ぎて、最初から君の作戦には乗ろうとはしなかったよ」
兄はルシアン様を大事な友人だと思っているみたいだった。けれど、もしかしてルシアン様もあんな兄だけれど、一応友人だと思ってくれていたのかしら?
もしそうだったのなら嬉しいと、私はそう思ってしまった。兄に対して肉親の情などとっくに消えてしまったと思っていたのに。
そして最後にルシアン様からこんな指示をされた。
キンバリー様は間もなく隣国との国境近くにある領地に向かう予定になっているから、しばらく接触はしてこないはずだ。
だからその間は夜香草の効果に確かめてほしいと。つまり、父と兄をじっくりと観察しろということなのだと私は思った。




