第八十三話 奪還作戦
何もない無明の世界では後頭部にあるジンジンとした痛みがアイデンティティとなっていた。
誰の? ――礼一少年の。
痛む頭から段々に体が、正確には神経が伝える様々な感覚が生えてきて、彼にそれと、それを動かす権限を少しずつ分け与え始めた。
その権利譲渡に則って彼が目を開けると、世界は九十度傾いていて、彼はその明るく目に刺さる日差しの向こう側に冬支度を終えた草の色を見た。頭の中は靄がかかったようになって判然としない。世界はまだ彼の手から遠い場所にある。
それから少しして、その光景がまるでトンネルから外を望むような姿勢であることに気がついて、ようやく自分がどこにいるのかを確かめようとし、手足を動かして立とうとした。
しかし、それを試みた瞬間に、彼は自分のそれらが自由に動かないと気がついた。手首と足首がそれぞれ縄状の何かで縛られている。
それでも彼は、芋虫のように這って動こうとしたが、そのとき、明るい方角を見ていた彼の頭に何かが優しくぶつかった。暗くてよく見えなかったのだ。彼はその障害物を確認しようと顔を上げた。
そして、彼はその障害物に垂れていた金髪を見ただけでそれが何なのか――誰なのかを見分けるができた。
苦しげに目を閉じたその顔は、忘れるはずもない、ヨハナ・フェーゲラインのそれであった。
世界はその瞬間に礼一少年の側へと急接近する。汗と土の匂いが彼の鼻を刺激した。自分がヨハナの胸にぶつかったのだと理解した。
それに顔を赤らめる余裕もなく、そう遠くないところから炸裂音とそれに答えるような砲撃音が聞こえた。
その次の瞬間には、例の明るい場所の端から端を何かが駆けていき――また爆発音がすると、先程に比べて小さい何かしらが穴の手前に転がる。
――ここは、どこだ?
彼の直近の記憶には不自然な断絶があった。後頭部の痛みはきっとそれに関連があるのだろうが、どちらにせよ、ヨハナをこの場所から逃がさなければならないということは変わらなかった。
そのためには、まず、ヨハナを起こさなければならない。手足が封じられている以上は、礼一少年が担ぐというわけにも行かなかった。彼女自身に動いてもらわねばならない。
「ヨハナさん、ヨハナさん」
しかし、手足が封じられているという特殊状況は、人を揺すって目覚めさせるということをほぼ不可能にさせる。この轟音の中でうんともすんとも言わないものをどうしてただの囁きだけで起こすことができるだろうか?
礼一少年がそうして業を煮やしたとき、ぬっと例の覗き穴から顔を出すものがあった。いや、それが顔だとすぐには分からなかった。覆面を被っていたからだ。
それも、黒の。
「――!」
瞬間、礼一少年の記憶は巻き戻り、後頭部の痛みは黒への敵意へと姿を変える。彼の体は衝動的であった! つまり思慮深くはなかった。彼の行動はいたずらに拘束された手足を痛めつけるだけであった。
対する黒服は戦場の熱狂にもかかわらず冷静であった。身じろぎすら満足にできない彼と身動きしないヨハナとをひっつかむと、穴の外へと引きずり出した。
そこで礼一少年は見た。自分たちがいた場所は横転した魔導車――それはトラックのように荷台の天井が布で覆われている――の中であったこと、そして今、自分たちは機装巨人戦が行われている真っ只中にいることを。
しかし、彼の目が吸い寄せられたのはそこではない。彼が注目したのは――その、戦いの相手。
車列三時方向の高台。そこに見えたいくつかの点。それは見覚えのある機体の頭部。その敵の正体は――「アリエテ2」。
ミヤシタ商会の、私兵!
時を少し巻き戻そう。
教育部隊が悲壮な戦闘の末敗北するより前――ミヤシタ・サンキの私兵は既に、首都攻撃を敢行した武装集団の退路を断つために行動していた。
具体的には、現在戦闘が行われている地点に壕を掘り、陣地を作成して待ち伏せることにしたのだ。
街中で戦わなかったのは、ただの私兵であることを考えると、緊急時に街中で動けば後々反逆罪の嫌疑がかけられる可能性があったためである。
すると、彼ら私兵は、教官たちに比べてアドバンテージがあった。
一つは、教官たちが戦闘が始まったことを街が砲撃されたことで知ったのに対し、ミヤシタ商会は、その少し前に攻撃された地点に哨兵を置いていた、ということである。
孤児院に置いていた三人の見張り。もちろん、その内「二人」は殺害されたが――ローテーションで仮眠を取っていた一人は、運良くその魔の手から逃れ、近所の家屋で借りた術話によって事態の急を商会に告げたのだ。
更に、ミヤシタはミヤシタで商人らしい鋭い勘を働かせて、状況を予測し、機装巨人の準備を訓練名目で常に行っていた。
間に合ったのは搭乗員の関係上たったの四機であったし、その搭乗員に伝えられた情報も見張りだとかの背景がほとんど省かれて伝えられたため、彼らが聞いたのは「神聖帝国が襲ってきた」という点といくつかだけだったのだが、早い段階で同数確保に成功していたのは素直に評価すべきだろう。
それに、教官たちが職業軍人らしくまず上の指令を待ったのに対して、彼らの行動は非常に迅速であった。
しかし、実際には、そのアドバンテージがあってようやく間に合うか五分五分の境界線に乗るものであった。
大抵の道は避難する人々で埋まっているのだから、それを避けることが必要であった。また、検問突破が容易なほど警戒の薄い地点となれば、そもそも数が限られている。
更に機装巨人陣地の構築となれば、簡素なものでも手間がかかる。ただ深い穴を掘るだけではない。見つかりにくいようそれなりに工夫をしなくては待ち伏せできないのだ。
そして、敵は神聖帝国軍である――彼らは機動力を重視した戦術を是としていることで有名であった。
その前提では、どう考えても、予想到達時間より「五分」足らないと私兵たちは考えていた――の、だが。
その貴重な時間を、期せずして教官たちは稼いだ、というわけだ。
そして、その時は来る。
眼下を進む車列に向けて、40mmの機関魔砲が並ぶ。ここでは単発・精密射撃による足止めが彼らの狙いである。
対する車列は、魔導車が四両。それを挟むように機装巨人が前後に二機ずつの編成である。
この場合のセオリー通り行けば、まず車列の先頭を潰し、それから最後尾を撃破することで、敵の身動きを封じる――という展開になるはずであった。
しかし、ここで想定外のことが起きる。敵のそれらは、彼らが見たことがないような、背の高く、機体そのものの体積が大きい機装巨人が務めていたのだ。
車列中央を固めるシリーズ109はもっとスラッとしており、するとその大型機が新型であることは明白だった。
だから、彼らはそれを不確定要素として避けたがった。大型ということは、それだけ装甲に優れている可能性がある。
109との比較でも全高にして四メートルは確実に超えていて、足跡から推定される肩幅もかなりのものであった。つまり、それだけ装甲を分厚くしている、ということである。
すると、側面からの射撃でも、仕留められるかは怪しい、というのが彼らの判断であった。
そこで彼らは工夫を凝らした――彼らは、半分に敵の護衛対象であろう車両の、いずれか二両の車輪を狙撃させたのだ。
ミヤシタは車両の撃破を「中に確保すべき要人がいる」という理由で厳しく制限していたが――それは、それだけ敵にとって重要である、ということであった。これに被害が出れば、敵は足を止めてダメージコントロールをしなくてはなるまい。
もちろん、確保対象である以上、私兵たちとしても戦略目標であるのだが。
そして、先制砲撃――狙いは正確。剣豪の峰打ちのごとく、車両は砲撃されたどちらもが横転。敵兵たちはそれを庇うように無事な車両からも横転した車両からも銃を片手に飛び出した。
だが、私兵たちは奇妙なことに気がついた。無事な車両は二台あるのに、その内の一両からは一兵たりとも出て来ないのである。横転している方の片割れからもであった。
ただ、こちらは兵士が行って中から何かを引き出した辺りを見ると、例の要人とやらであろう。だから度外視できる。
とはいえ、戦場で、それも最前線で魔導車といえば、大抵は兵員輸送車である。
では、それでないとするならば、一体……?
しかし、彼らにはそれを気にする余裕はもうなかった。例のずんぐりむっくりが、その魔砲らしき筒を構えたのだ。
ただし、真上に。
そして、片手は、何故か、例の無事な魔導車に突っ込まれる――。
礼一少年を運ぶ兵士は無事な車両の前に出ると、急に立ち止まって、その場に屈んだ。
礼一少年は何事かと視線を上げて、「それ」に気がつくとすぐに口をギュッと閉じて、目もそのようにして下を向いた。できれば耳も塞ぎたかったが、後ろ手に縛られていたのでそれはできなかった。
次の瞬間! 礼一少年は腹をプロボクサーに殴られたように感じた。頭もだ。それから開けた視野は特に端が白くボヤけ、さっきまでひっきりなしに鳴り響いていたはずの戦闘音は、キーンという耳鳴りにかき消されていた。
視野と思考にかかった雲が晴れていくと、まず目線の先にあったのは土の色だった。そこに生えていたらしい枯れ草は、強風に煽られたのか、土埃と共に視界の右半分を覆っている。
ではその反対側はどうであったか――しかしそれも、明瞭とは言い難かった。白い煙――発砲煙だろうか、それが大柄な機装巨人とその肩に担がれた大筒をチラリズムの精神で装飾していた。
礼一少年が見たのは、煙に隠れる前のそれらであった。しかし、彼が見たときには、大筒はただの円柱に取っ手のついた何かしらではなく、その先端部分は円錐を二つくっつけたような形をしていたのだ。
そして、その先端が消えたとき――彼はその大筒と先端が「彼の世界」でいうところの、ロケットランチャーと呼ばれる兵器であることに気がついたのだ。
無論、土の吹き上がりとか発砲煙、弾道にできる煙の航跡の有無などを見れば、それが正確には「無反動砲」に分類されることが分かるのだが、彼にはそこまでの知識はなかった。
しかし、それらの類であるならば――彼は自然と丘上を見た。するとその瞬間に、世界が赤く明るく染まる。噴き上がった炎と煙はまるで龍が天に昇るよう。それを見つめていたために、遅れて来たその昇竜の余波を彼はもろに顔と目に受けた。
この威力! ルメンシスの誇るかの最新鋭戦艦を沈め得たのも、その帝国の主の住まいを粉砕し得たのも、この兵器の功績であった。
しかし、それがもう一度使われるところを礼一少年は見ることができなかった。その機装巨人が第二射のための弾体を荷台から取り出そうとしている隙に、彼らを担いでいる兵士が後ろを駆け抜け、無事な車両に投げ入れたからだ。




