第五十二話 ストリップショウ
「……なるほど。なるほどなるほど。それで――」
それで、だから何だというのだ?
先程まで情動的だったチャアタイは、この瞬間には既に覚めていた。
目の前にあった曇りは晴れ、胸の痛みは最早感じない。
そこに傷があるというだけのことだ。
それは、そこに拳銃があるからだった。
しかしそうであったとして、彼の教え子の死以前ならば、情動的なままだったかもしれない。
だが、これもかもしれない、だ。
「それで、どうするんだ? 撃つのか? この距離で当たると思うか? 先に言っておくが、私はバッと後ろに倒れ込めばそれを簡単にかわすことができるのだし、それに対抗できる程度の武器ならばすぐそこにある」
後者はハッタリだ。流石にすぐそこにはなく一階においてある。が、いくらでも奴を誤魔化して取りに行くことはできる。
手練手管の質が違う。
対してミヤシタはこう言った。
「もちろん、俺は素人だ。こうして銃を握るってのは、実は初めてのことだ――が、お前は自分で盗んだものの存在を忘れているぜ」
そう言って、彼は、トントンと自らの足場となっている「それ」を指先で叩いた。
「それ」は、実のところ、ただの彫像ではない。彼は知っている。
自分よりよく知っている――。
「コイツは機装巨人だろ――大した偽装もしないでおいてあるってのにはちと驚いたぜ。
デザインからして東方の……オッデン王国製だろうな。この鋭すぎる縁取りはそうさ。
とすれば、多分、『ミヤシタ商会』とかいうところに送られるものだったのだろう。
そういえば似たようなのがその途中で盗難されたとかいう話だったか……なァ?」
彼は言外にチャアタイが盗んだのだと示している――そして、それは事実だった。
「……素人に扱えると思うか? レイイチのように扱えるのが異常なんだぞ」
「どうかな。何しろ、元々俺のところのになる予定だったんだ。やってみる価値はあると思うぜ――試してみるか?」
そう言いながら、ミヤシタは親指をあらぬ方向に向ける。その先には壁しかない。機装巨人の装甲も機動力も活かすことのできない狭い室内の――。
いや、だからこそ、か?
むしろ、そうだからこそ、という可能性はある。
どんなに不器用な奴でも、「転ぶのに失敗するようなのはおるまい」。
仮に彼が転んでしまえば――狭い室内だ、辺りは柱や壁で満ち満ちている。
そしてこのボロ家では、そのどれもが致命傷となりうる――「かもしれない」。
だが、そうなったとき、生き残るのはどちらか。
完全に崩壊した家屋から抜け出せるのはどちらか――言うまでもあるまい。
生身の人間と薄いながらも装甲板に守られた人間では、この勝負、後者に軍配が上がる。
「――なるほど、しかし、だ。乗れると思うか? いくらでも止める手段はある。お前のような素人には思い及ばん程のやり方というものがな。」
「やり方ねぇ。まあ、どんなやり方だって俺は一向に構わない……だが、一つ頭に入れておくことだな。『お前は絶不調だ』ということを」
ミヤシタは銃を握る右手を軽く動かして、カチリと音を立てた。チャアタイはそのとき初めて自分の失策に気がついた。
「――!」
「そう、俺は撃鉄を起こしていなかった。拳銃を握るのは初めてだと言ったな? だからすっかり忘れていたんだぜ。いやはや勝負に水を差してすまなかったな。
だが改めて現状報告させてもらうと、『お前はそれに気づくことができたはずだ』。
少なくとも、全盛期のお前ならば――いや、そうでなくても、だ。
何故ならこの拳銃は商会のもの――つまり、『お前も使ったことのあるもの』だからだ。」
確かに、そうだ。
と、チャアタイは思う。いつかの自分なら、撃鉄がどうなってるかを瞬時に判断し行動できたはずだ。少なくとも、東方にいた頃ならばそうしていた。
「それだけじゃあない。そもそも俺が銃を持っているということに、『向けられる瞬間まで気づくことがなかった』。
ほらこれ、案外重いだろ?
だから余程慣れてないと歩き方に変化がでるはずだ。特に俺のような素人となれば尚更だぜ。
暗殺を警戒しなければならない程の傭兵ならば、いくらでも気づくことができたんじゃあないか?
いや、そもそも、その胸の傷さえ負わずに済んだだろうな? そうしようとした瞬間には俺は殺されていたかもしれない」
これも、その通りだ。
さっき二階まで上がるときに遅かったこと……そしてそれにイラついたことをそれへの気づきだとすると、以前であれば、その背景まで気づいていたに違いない。
椅子にしたってそうだ。本来投げるのには適さない家具であるから、迎撃ではなく回避を選んでおれば狙いは逸れたはず。そうなれば後の連撃にもそれ相応の対応ができたはずで――もちろん、現役時代ならばそうしていたはずだ。
それぐらいの自信が彼にはあった。そして、あっただけであって、今はもうない。
「……何が、望みだ」
つまり、チャアタイは再び敗北した。
その事実が、ゆっくりと五臓六腑に染み渡っていくのを彼は感じた。
ミヤシタは彼がその事実の冷たさに耐えかねて頭をうなだれたのを見て、ニヤリと笑った。
「いや、大したことじゃあない。
寛大なことに、このミヤシタ・サンキは、今までの質問にお前が誠実ではなかったこと、それとこの機体を盗んだことに対しては許してやろうと思っている。
その代わりに、だ。
その代わり、最後の質問にはしっかり答えてもらうぜ。チャアタイ・サーマニ。」
ミヤシタはニヤけ面を引っ込めて言った。
「お前は、『ムニジョウ・エイロク』なのか?」
チャアタイは、組み伏せられて喉元に刃を突きつけられたような、忸怩たる思いでその言葉を聞いた。
刀傷のないことが自慢であった自分の体に初めてそれを付けたのが、こんな男だったとは――。
それもある。
それもあるが、それ以上に、「その言葉」を口にするということはチャアタイにとって苦しいことだった。
それは、彼自身の否定である。
「チャアタイ・サーマニ」の死を意味する。
そして、「内なる彼」の正式な復権を意味する。
――革命軍に首都まで攻め込まれた王の気持ちとは、こういうものなのかもしれない。
チャアタイは今までに経験したいくつかの戦場を思い浮かべながら、これほどの屈辱がなかったことを再確認して、その言葉を口にした。
「正解、『である』」
――ああ、言ってしまった。
今この瞬間、「チャアタイ・サーマニ」は倒れ、「ムニジョウ・エイロク」が全く同じ場に立って彼に成り代わる。
「『我輩』は、『ムニジョウ・エイロク』である。ムニジョウ家『元』次期当主、ムニジョウ・エイロクであるッ!」
そのとき、ムニジョウは自分の後ろで誰かの倒れるような音を聞いた。
それは、チャアタイ・サーマニという透明な仮面が床と乱暴に接した音だった。
そしてそれは、彼にしか聞こえなかった。だが彼はそれを無視して、語り始める。




