第四十六話 戦後処理
日はゆっくりと西へ沈んでいこうとしていた。
程なくして、礼一少年とチャアタイの乗るトレーラーはあの平原から引き上げ、ルメンシス市内へ戻っていった。
その道中、礼一少年は終始チャアタイを睨みつけていた。
ように思う。
そうでなくても不思議そうに見つめてはいたのだろう。
彼が行動しなかったことにより礼一少年は死にかけたのは、例えそれがあくまで一要因にすぎなかったとしても、間違いないことであった。
故に、恨まれても憎まれても、チャアタイは文句や抗議を言うことはできなかったのだし、それを分かっていたので彼はただ運転手に終始した。
トレーラーは魔導エンジンの甲高い音を響かせながら、無言で検問を通り、ミヤシタ商会にたどり着き、そこで機体を降ろした。
それから、ミヤシタに何が起こったのか報告して、ミヤシタはミヤシタで頭痛の種をもう一つか二つほど増やした。それから礼一少年に怪我はないかとか、口裏を合わせるためのいくつか質問をして、それから解散となった。
礼一少年が孤児院へ帰ったのは要するにそれぐらいの時間だった、ということである。
夕暮れの輝いている空ともう暗くなった地上との明暗で目がくらみそうになりながら礼一少年はトボトボと孤児院の通りを歩いていった。帰る足取りが重い。
背中も痛ければ、肩も痛かった。
座り心地を何一つ考えていない硬質な座席と弛みが何一つないベルトのせいだ。
だが、疲れや痛みだけがその移動速度の低さの理由ではなかった。
再び突きつけられた刃。
今一度向けられた悪意。
殺意。
理不尽と暴力。
その中に礼一少年は堀末をも思い出していた。
こうしてどす黒い感情を向けられる原因の一つでもあった彼をだ。
あの理不尽さや目的への一心不乱さは、彼を思い出すに足りた。
そして、その先にある彼女――ヨハナ・フェーゲラインという女性を、考えていた。
例えば、かつて、ミヤシタという厚顔無恥めは、金の返済を迫るために、彼女に背信を迫った。
例えば、以前、堀末という傍若無人めは、礼一少年と戦いこれを殺すために、彼女を巻き込んだ。
だが、礼一少年という面従腹背めは、彼女を守ることに命を賭けている。
この場合は、他人のものだろうが自分のものだろうが、彼女のそれの前に立ちはだかるのなら、という意味での面従腹背だ。
だとするならば、ニッキーという男はどうする? 礼一少年はどうするべきか。
そんなことは、分かっているのだ。
彼は常にそうしてきた。
事実、堀末を殺した。ミヤシタは、まあ殺さないまでも、取引をして利用した。
彼女を守る――その一心。
ある一つに定めた心に乱れがないというのは彼も、である。
が、彼は堀末ほど狂人でもなければ、ニッキーほど強靭でもない。
実のところ、礼一少年は今まで死というものがどこかフィクションめいて自分の目の前を通り過ぎているように感じていたのだ。
常に自分の隣や前や後ろをウロウロしていたのに、どこか非現実的な気がしていたのだ。
自分は死ぬわけがない、と、勘違いしていた。
どこかそういう自信があったのだ。
若者が逃れることのできない、自己に対する意味もない過大評価の延長上にあるとも言えよう。彼とてまだ二十歳になっていないのだからそれもまた当然だとできる。
しかしそこに論理的なことを付け加えるのなら、あのブレードが実体をもったものであったせいだろう。
この世界にビームサーベルがあるわけでもなし、何を今更という話だが、結局はそこに行き着くのだった。
今まで礼一少年は、自分がどこかSFチックか、あるいはファンタジーな世界で戦っているように感じていた。
それは、機装巨人などとかいう、魔力で動くロボットなどというのは、本来おかしな話で、どこか小説めいて感じられていたということ。
それは、魔砲などとかいう、魔力に形を与えて撃ち出す兵器などというのは、元来あり得ない話で、どこかマンガのように思われたということ。
でなければ、ゲームのような、まあその、とにかく作り事のようにしか捉えられなかったのだ。
その想像の体験は、つまり「この世界」にはまだ存在しないが「元の世」にはあふれていた電子娯楽の経験は、操縦に想像力を必要とする機装巨人の「才能」を礼一少年に与えたが……しかし同時に「この世界」に対する現実感の喪失をも与えたのだ。
動く鎧。シースルーの透明な弾丸。冗談みたいに巨大な敵。
確かに、普通に生きていれば、死とは直接には繋げがたいものの連続であろう。
もちろん、「こちら」に来た当初は文字通り、正真正銘の死が迫っていた。これは、あの足音のやたらと響く病院での戦闘のことだ。
それだけではない、堀末にしたって、直接ナイフで襲撃してきたことがあっただろう。
しかし、それらは例外だ。
あくまでも意識的に、あるいは能動的に礼一少年が戦うときは、全て機装巨人の中でシェイクされていた。
そしてその巨人が鎧だとするならば、つまり、それは薄いながらも、ただ風や爆風から身を守るだけでなく、その死の側という現実からも遠ざけていたのだ。
だが、その鎧の形而上的な意味合いは、この事件で崩されてしまった。
剣は突きつけられ、「鎧」を貫いて喉元へ。
ただの魔力である以上見えないという特質をもつ術弾ではない。
ミヤシタや堀末が扱いかねないような、彼の後ろで起こる陰謀でもない。
文字通り、目に見える危険。
それは、杖で辛うじて歩いている老人の杖を奪ったようなものだった。
戦いの目的というよりは、戦う上での心の支えがなくなったということだ。
そもそも、彼が戦っていたのは、彼女――ヨハナ・フェーゲラインと平和に暮らすためであっただろう。
彼女の平穏無事のために彼は危険に手を染めるのだった、そういう関係だっただろう。
だが、その一方で、死ぬわけにはいかないということもあった。これは彼女を守り続けるためにもだ。
生物的本能としてでも、ある。
つまり――いや、言葉をいくら弄したとて、意味はないか。
端的に言えば、礼一少年は、ただ死にたくないのだ。
でなければ、死ぬまでヨハナと愛し合っていたいのだ。
この場合の静かに暮らすというのはそういう意味である。
そして、今の礼一少年はどちらかというと後者の気分であった。
堀末を殺して終わりだと、平和が訪れる思ったのだ。
もちろん、その後でも金のために殺すことはあるだろうが、殺すか生きるかの二元論的戦いからは逃れられるのだと思った。
そこに突然逆恨みも同然な怒りをぶつけられたのだ、またも振り出しに戻ったのだ。
ならば何もかも投げ出しても誰も責められはしないだろう、と彼は自暴自棄になっていた。
彼は、ニッキーに関わる誰もを直接は殺していないのだ。ただ身を守っただけ、誰かを守っただけ、それだけなのだ。
その守ろうとした人の中に奇しくもニッキーの周辺を殺した男がいたのは事実だが……その男にこそ、礼一少年は殺されかけたのだった。
しかし、そのような理屈を、ニッキーの怒りは貫通する。礼一少年の道理を姦通する。
激情とはそういう暴力性をもつものだからだ。
その被害者が、今の礼一少年である。
礼一少年は段々と暗くなる足下が、本当に闇になっていないか、もしそうならばそれに呑まれて消えてしまう方が何もしなくて楽だ、というような気持ちで孤児院のゲートを開けた。
相変わらず夕暮れ時だろうと夜中だろうと、魔力税節約のためにロウソクをヨハナは使っていた。その姿が暗い部屋の中で朧気であったのは、どこか礼一少年に不吉なものを想起させた。
彼女の星のように青く美しい目もどこか揺らめいているようにも見えた。月のように白い肌も、だ。
彼女固有の、この世のものとは思えない美しさは、この場合過剰というか、どこか儚げなそれを加速させるものでしかなかった。
「――お帰りなさい」
彼女の鈴のように穏やかな声がそう言った。
「夕飯、作ってありますよ」




