第四十四話 赤色の言及
透き通るような青空を背景に血のような赤色は勝利の色を携えてそこにそびえ立っていた。
そびえ立っていた、とは言うものの、実際には立て膝のような姿勢を取って、オスカーの急所あるいは要所を押さえる形で佇んでいる。
しかしその恐らく地表から三メートル程度かそれ以下の高さであっても、それこそ、その地の側から見上げる礼一少年には恐怖であった。
生殺与奪。
正に今の礼一少年は、獅子にのしかかられたシマウマも同然であった。
「――それにしても『無様』だなぁ、クソガキ。同じ三音で表現してほしいなら『惨め』とも言ってやる。もっと具体的に形容してもらいたいなら『ダンゴムシ以下』ってところか? 自らの身を守ることも最早できない点では、まさしくそうだろ? 上手いなァ?」
赤の機体は滑らかに礼一少年をそう罵った。それから大声で下品にゲラゲラと笑った。
それが勝者の作法であるかのごとく、であった。
「笑えよ、なぁ? どうしてそんなに元気がないんだ? うーん、何ででちゅか~? おにいさんにだけおちえて? う~ん?」
その侮辱的な声に合わせて赤の機体は揺れ動いた。
……実際には、大抵の機装巨人の胴体は鎧めいてがらんどうで、S字になるようには構成されていないはずだ。これだって、例外ではあるまい。
つまり、それだけ不器用で不気味でも、意図が伝わってしまうほどには彼の動きを礼一少年は知っていたということでもあった。
また、それは蛇がうねるように、というか、殺し合いにも最低限存在するスポーツマンシップ的何かを踏みにじるような、というか、まあとにかく人の怒りを煽るような声に見合ったそういう動きだった。
礼一少年は、それが隙になるのでは、とありもしない勝機を見いだしたが、そこは敵も手練れ、主導権が移るようなことはない。
柔道の押さえ技などに代表されることだが、上下関係のある姿勢は、一度完璧な形で決まってしまえば、いかなる抵抗も通じない。
だから今の礼一少年は、オスカーは、底なし沼の中に首から上だけ出しているようなものだった。
「……そうやって饒舌に喋った奴がここから負けるんだ。知らないのか」
礼一少年はそうやって強がって見せた。辛うじてできるのはそれだけだった。
情けないにもほどがあったが、事実、僕は心まで屈服してはいないのだぞ、という証ではあった。
赤はそれをあざ笑った。
例の、大きく不愉快な笑い声だ。それは礼一少年の敗北した神経を逆撫で、自尊心を傷つける。
そのために赤はそうしているのだから、より不愉快だというものだ。
「知ってるさ。俺はプロだからな。だがな、それでひっくり返せないというのが、お前だということだぜ? つまり、それだけお前はマヌケなミスを重ね、マヌケに敗退したってことさ……あのな、自分で自分の立場を弱めちまうあたり、お前はやっぱり馬鹿だってことだ――それよりも」
その瞬間、敵はふざけとからかいの色を帯びていた声を無機質などオリカルクム色のそれに置き換えた。
それは殺しを生業としている者のもつ特殊能力。
「それよりも――お前は言葉に気をつけろよ? いつまでも俺がこのブレードを使わないなんて保証はないってことを、お前は随分と忘れていないか、あぁ? ――お前は、負けたんだぜ? 無様に無惨に、無謀で無理な戦いをして負けたんだぜ? それを忘れて一人でいい気になるなよ、おい――」
つまり、だ。
と赤色は言う。
「いい気になっていいのは俺だけだ。古今東西、老若男女、天上天下唯我独尊、この戦いにおいて勝者はこの俺だけだ。勝ち誇っていいのは、俺だけだぜ。お前が負けても今生きている、生かされているからって、何しても殺されない訳じゃないってことを理解しろ――」
礼一少年はそのとき、気温が零下にまで下がったようにすら感じられた。
戦闘で火照った体や頭が瞬間冷凍されたかのようであった。
わなわなと怒りと屈辱に震えていた指先が、不意に縮こまった後、何もできなくなった。
そして、またしても礼一少年はそれについて一拍おいた後から気がついた。
だが、今回は気圧されただけではなかった。
気圧されただけが、その理由ではなかった。
既視感。
戦いの中でもあったそれが、礼一少年の頭を打って、粘着したのだった。
それ故またも礼一少年の頭は執着してしまったのだ。
「この屈辱感は、どこかで味わったことがある」。
敗北し、組み伏せられ、抵抗できなくさせられ、大いなる耐え難いことを延々と言われ続けた経験が、彼にはある。
覚えていないだけで、存在している!
そう考え込んで礼一少年が無言であるのを見て、それから不意に、ニヤリと、赤は笑った。
機体は笑わないが、そんな気が礼一少年には感じられた。
「まァ、幸い今の俺は機嫌がいい。お前を一方的に負かすことができたからな。お前を一方的に負かすことができたからな――これは非常に大事なことだから二回言わせてもらったが、それに、個人的に、まだ殺すわけにはいかない理由がある。
だからこうしよう。俺先生の特別授業だ。
お前がどうして完膚なきまでに大差を付けられて敗北し支配されるまでに至ってしまったのか教えて差し上げよう。」
滔々と赤の機体の主が宣言したところで、いや、と礼一少年は気がついた。
気がついたというよりは、考え直したということだが。
考え直し始めた、とも言う。
そんな既視感は存在しないはずだ、と。
これは繰り返しになるが、礼一少年は本当に、機装巨人に乗って敗北を喫したことが一度としてない。
少なくともコロシアムの初戦で敵を斬り殺し、規格外の大巨人をも撃ち殺した。
文字通りジャイアントキリングしてきた。
礼一少年も何度もそうでない可能性を検証して、そしてそれを否認してきた。
敵が死んだのは、間違いのない事実だと規定していた。
の、だが。
「お前の犯したミスはおおよそ二つだ。たった二つなんじゃあないぜ? 二つで十分なんだ。二つで十個分とも言える。
一つは、正面切っての撃ち合いではなく待ち伏せを選び――そしてバレたことに気づかなかったことだ。
冷静に考えろよ?
いくら古いっつっても、例え略奪されたあとといっても、遺跡として残っているからには、風が吹いた程度じゃあカタカタと鳴るはずがないだろう――そんなに大きく動くはずがない。よしんば、魔導エンジンの音でかき消されるのが関の山だろうなァ。
そうさ、『お前の通ったところは音で丸わかりだった』。
対してこっちは左に避けた後、エンジンを切った――だからここに突っ込んで来るまでこれだけ時間がかかっちまったが、おかげでお前がどこにいるかははっきり分かったよ」
礼一少年が相対してきた敵は、果たしてその二人だけだっただろうか、という疑問が浮き上がった。
より正確に言えば、その二体だけだっただろうか、という疑問だ。
あの長鼻の機関魔砲使いと、重厚なドラムボディの魔神。
確かにどんなに数えても、二回。
確かに――どのように数えたって、それは二回でしかない。
つまり、確かに礼一少年はその二回、戦っている。
そう、「機装巨人に乗った戦いでは」。
「そして第二には――俺にもう一度『あの戦法』を使ってしまったことだ。
不意打ち、奇襲、待ち伏せ、伏撃、アンブッシュ――まあ、色々な言い方があるがよ――お前は一度俺にそれを見せている以上。
そしてそれらが隠密性をこそ重んじる戦い方である以上。
お前のそれはまず前提条件から崩壊する。
それに限らずとも、同じ戦法が『同じ相手に』、『以前見せた相手に』通用するわけがないだろうよ、なァ」
礼一少年はここでようやく、違和感の繋がり、その関連性に、気づかされる。
戦いの中での既視感。
この屈辱での既視感。
「その数字は機装巨人に乗ってからだ」。
この言葉がキーとなる。
全ての戦いを数えたのなら、事実は、三回。
二度あることは三度ある。
より事実に沿って言うなら、「三度あったことを二度しか言っていなかった」のだ。
「分かるかクソガキ。覚えてるかクソガキ。
俺だよ。
お前に負かされた相手だ。お前が負かされた相手だ。
お前が『こっち』に来て最初の――な。
さて、お立ち合い――謎解きの時間と行こうや。」
すると、敵機の、その首の後ろで何かが開く音がして、上からこちらを覗き込む目が、もう一対増えた。
逆光の中に佇むその目は、礼一少年の予想通り、見覚えのあるものだった。
遠隔操縦式小型機装巨人「ゴリアテ」を駆り礼一少年と戦い、試合に負けながら勝負に勝った男。
確か、名前は――「ニッキー」、とか、言ったか?




