第2話 見えた背中
2022年2月 新体制発表会 <冴木 和馬>
「JFL昇格を機にVandits安芸はチーム名を変更いたしました。」
そう。『変更いたします』ではない。『変更《《いたしました》》』なのだ。既に登録は済んでいる。譜代衆の皆様への説明も終わっている。申し訳ないが譜代衆の皆様には新体制発表会までオフレコと言う事をお願いしていた。皆様守っていただけて、サプライズは見事に成功した。
「皆様、我々がVandits安芸立ち上げて以来、胸を借りる事を目標としてきたクラブがあります。....そう、高知ユナイテッドSCさんです。」
その言葉に会場が少し緊張に包まれているのが分かる。今まで誰もがそれを感じていながら、クラブとしては一度も口にしてこなかった。それを口にするにはまだまだ大きな隔たりがあると感じていた。
「Vandits安芸を立ち上げて五年。やっと同じカテゴリーまでやってきました。どんなに実力に開きがあろうと、歴史が浅かろうと、練習試合などでは無く、公式戦で高知ユナイテッドさんの胸を借りられる場所まで我々は上がってきました。」
誰もが自分に注目しているのが分かる。何を語るのか、一挙手一投足を見逃すまいと差すような視線がこちらに向けられている。逃げてはいけない。我々は歩んでいくのだ。それが勝ち上がって来た者、託された者の使命。
「そしてJFLに昇格した事で更にたくさんの仲間と出会う事が出来ました。それは先ほどもご紹介させていただいた自治体の皆様もそうです。これは業務的な協力では無く、共にJリーグを目指す為の同盟を組んだのです。我々はこれから大きな大きな数々の大大名を相手に国盗りをいよいよ始めるのです。」
緊張感はさらに高まる。
「その中で我々は背負う事に決めました。Vandits安芸の新たな名前はこちらです。」
少し会場が暗くなり、スクリーンには『Vandits』の文字だけが浮かぶ。そしてその隣にジワリと浮かび上がる達筆な筆字の『高知』の文字。
爆発するような拍手と歓声。
「我々の新たな名前は【Vandits高知】です。」
これに関しては相当に悩んだ。Jリーグではクラブの名前の中に地域名を含まなければいけないが、ほとんどのチームはホームタウン名を採用している事が多い。しかし、ヴァンディッツは高知市との協力体制は無い。そこでJFAに質問状を送ってみた所、その都市や町が所在する都道府県名でも構わないとの返答を貰った。そして、同じ都道府県のクラブで地域名が被っても構わないとの返答も得た。
確かにそうなのだ。東京や横浜を掲げるチームは複数存在する。しかも東京には東京と言う名前の市町村は存在しない。ざっくりと地域名(都道府県名)なのだ。
我々はこれまでの各自治体の皆様からのご協力もあって、クラブ名を変更する際に芸西とするのは違うのではないかと言う意見も多く出た。そしてやはり『高知』で行こうとなった。
ただJFL側からは試合結果などの表記で地域名のみで省略表記する場合には、Vandits高知の表記は『V高知』になると通達された。縁起がいいじゃないか。もちろん了承した。
「今シーズンからヴァンディッツの新たな挑戦が始まります。皆様と共にJリーグ昇格と言う大きな目標に向かってスタッフ含め全員一丸となって挑戦して参ります。今後も宜しくお願い致します。」
全員が席から立ち上がり深々と礼をすると、会場からは大きな拍手と激励の声が飛ぶ。そこから流れは再び株主総会モードへと入って行く。
まず初めに大型駐車場とクラブハウスの完成を報告。大型駐車場は二階建て、屋上も駐車スペースとして使用出来る700台を駐車出来るようにしてある。大型駐車場横には大型バスの駐車スペースとロータリーを作り、ある程度の台数が乗り込んでも安全に回れるように余裕を持った設計にしてある。当然ではあるが敷地に入った段階で車とバスは順路を分けて、駐車場に入る車の渋滞にバスが巻き込まれないようにしてある。
クラブハウスに関しては大型駐車場やスタジアム関連の動線とは離れた場所に建設されており、現状ではクラブ関係者以外は立ち入れないようになっている。駐車場とクラブハウスの間にはまだ工事が行われていない更地が500mほど続いているので一般の人が歩いていたら、確実に警備員に声をかけられる。
尚、クラブハウスの始動は春ごろを予定しており、今は内装の仕上げに入っている。
続いては2022年度の経営方針の説明だ。まずはスポンサー収入。各スポンサーの金額は当然発表はしない。総額とスポンサー企業の数だけの発表だ。2022年度でVandits高知はついに譜代衆企業が50社を突破。総スポンサー収入は8億を超えた。シルエレイナ高知も28社となり総額は2億4000万となった。
チーム内人件費に関しては両チームを合わせても2億を超えない。これはほとんどの選手が社員契約をしていて、給料を払っているのは(株)デポルト・ファミリアであるので(株)Vanditsが払っている人件費は強化部・運営統括部に所属している社員の人件費のみとなる。
「さて、この内容を見て「おい、クラブ金余ってるじゃないか」と思われる方もいらっしゃるかと思います。中には選手をプロ契約してやっても良いのではないかと思ってらっしゃる方もいるでしょう。」
プロ契約と言う言葉にサポーターの皆さんがざわつく方と色めき出す方とに分かれる。しかし、ここでサポーターの方々に考えを改めていただく必要があった。
「ここで皆様にしっかりとご説明させていただき、ご理解いただきたいのは我々がやっているのはクラブ運営ではあるのですが、大前提として株式会社を経営していると言う事。よくサッカー界で耳にする「黒字があるならチーム補強に使ってくれ、多少の赤字程度ならまず勝利する事を目指してくれ」と言う意見はこの両チームには当て嵌まりません。」
こう言ったSNS上の意見は俺としてはとんでもない間違いだと感じている。こんな事を言ってるからクラブ内赤字を親会社に補填させたり、最悪の場合は公金を投入するような事になってしまうのだ。原則として株式会社が赤字を数年出すなら解散しなければいけないと俺は思っている。そんな不健全なまま維持するのは働いている社員にとっても宜しい事とは言えない。
だからと言って当然負けて良い訳では無い。しかし運営企業としてしっかりと足場を固める事もせずに、ひたすらに金を使いつづけて経営的な体力を徐々に消耗していく。それが一番良くない。
「そしてもう一つですが、今の段階でもしプロ契約するのであればC契約がスタートとなります。その理由はまだほとんどの選手達にはJFLでの出場時間が無い為、AまたはB契約の締結条件であるJFLでの出場時間1350分を満たしていないからです。しかしここで問題になるのが、C契約の基本報酬の上限は480万円です。これは正直申し上げてうちの選手の中にはこの契約をすると収入が減ってしまう選手も出てくるんです。」
この発表に会場は更にざわつく。いや、普通に考えてくれ。司は昨シーズンで引退はしたが一般企業に20年近く勤めて、ボーナスも合わせて480万以下ってなかなかに厳しい収入だと思うんだが。いや、もちろん都道府県によっても違うのかも知れないが、ホテル事業までやっているうちの会社で管理職で480万以下ははっきり言って他の企業に転職されても仕方ない金額だと言える。
「当然ではありますがプロ契約に向けては当社も前向きに動いてはおりますが、選手との話し合いの中では無理にプロ契約に切り替えなくても構わないと言う選手がいるのは事実です。」
会場からは唸る声も聞こえる。まぁ、金銭問題はいつも面倒だ。しかし選手達の生活がかかっているのは皆さんと同じ。リアルってこんなもんだ。
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※現実では2026年シーズンよりプロ契約の規定が大幅に変更になります。今回の話の中で取り上げている基本報酬の上限などは、改定前の規定を基に書いております。