俺がいかにして呪いに取り憑かれたか
呪いの力、という言葉を聞いてすぐにピンと来るだろうか?
少なくとも俺にとってはさっぱりで、見当すら付かなかった。
初めてその言葉を聞いた日のことは鮮明に覚えている。
それは青空が美しい、とある休日のことだった。
その日、俺は朝早くから買い物に出かけていた。
両手に買い物袋を提げ、ぶらぶらと街を歩く。
辺りを見渡せば、通りを忙しく行き交う人々のざわめき、渋滞に捉まっている車の甲高いエンジン音、無邪気に駆け回る子供たちの歓声……。
俺はこの土地、レイビスの風景が好きだった。
常に賑やかで、それでいてどこか落ち着いた雰囲気のある我が故郷。
恐らくもっと豊かで賑やかな街が、外に目を向ければいくらでもあるだろう。
しかし向上心に乏しい俺にとっては、この程度で十分だ。
俺はこの街で暮らし、この街で死んでいければ、それで満足だと、若者らしからぬことを考えて過ごしていた。
しかし、──若い少年の期待など、世界は容易く裏切るものだ。
その時何が起きたのかは、その場に居合わせた俺でさえよく分からなかった。
状況を正確に把握するには、あまりにも唐突で、劇的な変化だった。
「……逃げろっ!」
大通りを歩いていた俺の耳に、誰かの叫び声が届いた
──次の瞬間、鼓膜が破れるほどの炸裂音と肌を焼く猛烈な爆風が襲い掛かってきたのである。
大きな瓦礫と一緒になって、俺の体は固い路上へと投げ出された。
すぐ近くに建っていた背高の建物が、赤い炎をまき散らしながらガラガラと崩壊する。
何があった? 火薬の爆発か?
しかし冷静に考えるだけの余裕はなかった。
周囲の建物も次々に爆発を始め、天に向かって真っ赤な炎を噴き上げていく。
何か異常なことが起きている──俺が理解できたのはそれだけだ。
逃げなければならないと思った刹那、今度は俺のすぐ近くの地面が突然弾け飛んだ。
俺は数メートル程吹っ飛ばされて、壁面に体を強かに打ち付けた。
全身に走る激痛に震えながら、目を開ける。
俺の視界に飛び込んできたのは、絶望的な状況だった。
断続的に爆発する建物、散乱する瓦礫や木片、そして路上に不自然な恰好で転がっている住民たち……。
「なんだこれは」
俺は思わず呟いた。
目の前に広がっていた風景が、いつまでも続くように思われた平和な光景が、一瞬にして地獄へと変わっていく。
爽やかな青空もいつの間にか立ち込めた雲に隠されて、次第に周囲が暗くなっていった。
再び立ち上がって逃げようとしたが、途端に激痛が走って力が入らない。
どこから飛んできたのか、巨大な金属片が足に深々と突き刺さっていた。
──逃げ惑うための足すら、既に奪われていたのだ。
死ぬ。このままでは確実に死ぬ。
今まで真面目に考えたこともなかった、他人事だと思っていた生命の終わり。
それが俺のすぐ近くに、確かな現実味を帯びて迫ってきている。
「グッ!?」
ガンッ、という鈍い音とともに、強烈な衝撃が頭を駆けた。
どこからともなく飛んできた石が、俺の頭に激突したのである。
視界がグニャリと歪み、白く明滅を始めた。
激痛と共に体の感覚が消え、視界がゆっくりと暗くなったところで……俺は意識を失った。
それから、どれくらいの時間が経っただろうか。
頬を流れる水滴の冷たさで目を覚ました。
いつの間にか降り出した雨のせいか、全身がグチャリと濡れていた。
湿った泥の上に倒れたまま目を凝らすと、信じがたい光景が視界の中に飛び込んできた。
「……どこだ、ここ」
俺の親しんだレイビスの風景は、既に跡形もなくなっていた。
街並みは原型を留めないほど完膚なきまでに壊れていて、路上には崩れた残骸が散乱している。
自動車や店の跡は一しきり燃えた後で、不愉快な匂いとどす黒い黒煙を辺りにまき散らしていた。
そして、瓦礫の間にチラホラ見える人の姿。
ざっと数えるだけでも数十は下らない死体。悲鳴やうめき声すら上がっておらず、むしろひっそりとしていた。
その不気味な静寂こそ、街中が絶望的な状況にあることの証左であった。
夢なんじゃないか、と俺は一瞬思った。
俺はまだベッドの中にいて、悪夢を見ているのではないか?
しかし俺自身の体を巡る痛みや寒気が、現実を残酷なまでに叩きつけてくるのだった。
大量の出血のせいか、あるいは衝撃的な情景に耐えかねてか、俺は再び気が遠くなっていった。
視界が段々と白んで、ぼやけていく。もう一度意識を失えば、確実に絶命するだろう
──そんなことを朧げに考えていた、その時である。
「おや、まだ息がありますか。まさに瀬戸際、と言ったところですね」
ふと、女の人の声が耳に届いた。
声の方向に顔を向けるほどの気力は残っていなかった。
雨に滲んだ視界の端に、泥に汚れた黒いブーツが映った。
その声の主は、俺が倒れている瓦礫の山から少し離れた場所に立って、死の淵にある俺を観察しているようだった。
「レイビスの街、結構気に入った場所でしたのに。酷いことをしますね、あの人は……」
「あなたは……?」
俺は腹の底から絞り出すように声を発した。
本人でさえ聞き取れないようなか細い声に、その女性は穏やかな声で言葉を返す。
「私は、そうですね……『レヴァリエ』とでも名乗っておきましょうか。夢の住民、レヴァリエ。ふむ、どうやら息があるのは、残念ながらあなた一人のようですね」
その女性は俺のすぐ傍まで歩み寄ってきて、泥に塗れた俺の顔に手を伸ばした。
猫でも愛でているかのような手つきで頬を撫で、
「哀れな少年よ。あなたは彼らを恨みますか? この街を破壊し、あなたの命を奪おうとしている連中のことを」
と、唐突な質問を投げかける。
「何を、言って……?」
朦朧とした意識の中にいる俺には、彼女の質問の意味が理解できなかった。
しかしその女性は、俺の返答を待たずにさらに続ける。
「何が起こったのか分からない、という表情ですね。あなたの街は、二つの国同士の戦いに巻き込まれたのです。
エントリアとリーベルン──二大大国の軍隊がこの街で激突した結果が──この有様です」
女性は周囲の荒廃した風景に目を向け、ふう、と溜息を吐く。
「この戦いが長引けば、さらなる被害者が出るでしょう。私は、この戦いを止めるために動く意志。……どうでしょう、あなたも共に立ち上がりませんか? この馬鹿馬鹿しい戦争を止めたいと思いませんか?」
雨に濡れた泥を握りしめ、歯を食いしばる。
この凄惨な風景を生み出したのが、大国同士の戦争だというのであれば、一刻も早く止めなければならないだろう。
──しかし、俺に一体何ができるというのだ?
生まれてからずっと平和な境遇で暮らし、戦いとは縁遠い世界で過ごしてきた俺に。
街が粉々に砕け散るのを、眺めていることしかできなかった俺に。
歯痒さに顔を歪め、声にならない呻きを上げる。
そんな惨めな俺に対し、彼女はぞっとするほど穏やかな口調で語り掛けてくる。
「もし君が本当に彼らとの戦いを望むのなら、私の力──”呪い”の力を授けましょう」
「の…呪い……だって?」
「ええ、その通り! 死と恐怖を克服する力、不可能を可能にする奇跡の力。
偉大なる呪いの力を見事に使いこなしてみるのです! この愚かな戦いを始めた連中に、正義の鉄槌を下すために!」
舞台の上で踊る女優のような大仰な身振りを交え、彼女は大声で言い放った。
それから一転、再び語り掛けるような口調で、
「……あなたに、確かに託しましたよ?」
その声の直後、まるで糸が切れたかのように、全身の感覚がプツリと途絶えた。
視界はたちまちに暗くなり、意識は闇の中に落下していった。
それが俺の、人生最期の記憶だった。
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