38.母は強し
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「まったく・・・フランツの言うとおりだわ」
振り返ると、ブルーグレーのドレスを着た美しい女性がこちらに向かってきていた。
「奥様」
「母上」
「え?!」
私は思わず、奥様と呼ばれた女性とラジアスを見返す。
ラジアスの母ということはそれなりの年齢のはずだが、見た目は全くそうは見えない。ラジアスと並べば姉弟と言っても通用しそうなほどに若く見える。その美貌は同じ女でも思わず見惚れてしまうほどだ。
「貴女がハルカさんね。初めまして。ラジアスの母のルシエラよ」
話しかけられ、私ははっとした。呆けている場合じゃない。何事も最初が肝心と言うじゃないか。今こそジェシーとミリアと共に練習した挨拶を披露する時である。
私は胸の前に手を置き侯爵夫人の前で軽くお辞儀をした。
「お初にお目にかかります、ガンテルグ侯爵夫人。ハルカ・アリマと申します。本日はお招きいただきありがとうございます。ガンテルグ侯爵夫人のあまりの美しさに目を奪われてしまい、ご挨拶が遅れましたことお許しください」
よし。やり切った。この実に恥ずかしい台詞まがいな挨拶こそ練習の成果である。こんな感じのことを何パターンか練習したのだ。もっとも、あの二人にとってはこれで完璧とは言わないらしいが。
「そうよ!ここでさらに夫人の手を取り、手の甲に口づけをしてこそ完璧よ!」
「まさに物語の王子様のようだわ~。素敵よ、ハルカ」
「ひぃ~~っ、もう無理です。勘弁してください・・・恥ずかしすぎるっ!」
恥ずかしすぎる練習が思い起こされる。
ええ。だって私、日本人ですから。そういう文化じゃありませんから。甘い言葉は何とか吐けても手の甲にキスとか絶対無理ですからー!
私が挨拶の裏でぐるぐると考えていると美しい人に似合った凛とした声で話しかけられた。
「ふふふ。顔を上げてちょうだい。服装といい、話し方といい、私の希望に沿ってくれたのよね?ありがとう。とっても嬉しいわ」
そう言ってルシエラは、ラジアスと同じ琥珀色の瞳を細めて微笑んだ。そしてその美しい笑顔のまま視線をラジアスに移すと盛大に溜息をついた。
「それに比べて・・・貴方は全然なっていないわね、ラジアス。到着したはずなのになかなか入ってこないと思ったら、ハルカちゃんの頬を引っ張っているだなんて。呆れてものも言えないわ。こんな格好をさせたのは私だけれどハルカちゃんは女の子なのよ?貴方のような男性とは違うの。おわかり?わかったのならさっさとハルカちゃんに謝りなさいな」
ルシエラは笑顔のまま下からラジアスを見上げ、人差し指でトンとラジアスの胸を押した。
「わかった、わかりましたよ!」
す、すごい。ここまで一息で言い切った侯爵夫人にラジアスはたじたじである。笑っているのに有無を言わせない迫力がある。やはり母親は強い。
ルシエラにせっつかれながらラジアスがこちらに向く。
「・・・すまなかった」
「いやー、大丈夫です。それよりも面白いものを見せてくれてありがとうございます。副隊長もお母様には頭が上がらないんですねぇ」
私はニヤニヤと揶揄いを含んだ笑みを顔にのせて返す。こういうラジアスの姿はなかなか見られないから貴重だ。
「お前なぁ・・・」
「女性に向かってお前とは何ですか」
すかさずルシエラはぺしっと音が鳴るくらい強めにラジアスの頭を叩くと私の肩に手を添えて玄関の方へと促した。
「さあさあ、早く中に入りましょう。貴女が来るのを楽しみに待っていたのよ。・・・ラジアス、何をぼさっとしているの。先に行って早く扉をお開けなさいな」
言われた通りにラジアスは私達のために玄関の重厚な扉を開く。
「ありがとうございます」
なんだか申し訳なくなってラジアスに礼を言うと彼は苦笑しながら「この家じゃ俺が一番下っ端なんだ」と教えてくれた。
「―――と言うわけで、社交界は今ハルカちゃんの話題で持ちきりなのよ」
「は、はあ・・・」
ルシエラの話によると、城の敷地内から出ることの無かった私は存在を知られてはいるものの、姿を目にしたり話したりした人たちが極端に少なく幻のように語られていたらしい。そんな時、たまたま別の侯爵家のご夫人とご令嬢が城内で働く私の姿を目にしたらしく、その様子をサロンで語ったらしい。
さらに、その話に興味を示した公爵家のご令嬢が私に会いに城に行き、見事接触に成功。「とても素敵な方でしたわ!」と言い、噂はさらに広まったということだった。
「・・・何したんだ、ハルカ」
「ええ・・?何したんでしょうか、私」
「あら、覚えてらっしゃらない?オットー公爵家のお嬢さんよ」
私は一生懸命自分の記憶を探る。
「オットー、オットー・・・あっ!マリアンヌ嬢ですか?」
マリアンヌ嬢、以前イニシャルの刺繍を施したハンカチをくれたご令嬢だ。
「正解よ。ハルカちゃんがいかに素敵かを嬉々として語るものだから私も気になってしまってね」
そこまで言ってルシエラはラジアスに責めるような視線を向けた。
「それなのにラジアスったら近くにいるくせに何の情報も寄こさないじゃない。そこへきて今回のエスコートのお話でしょう?大体この子ったら普段から夜会に出ろと言っても仕事云々で誤魔化して参加しようともしないのに急に参加するなどと言うし、しかもお相手が今噂のハルカちゃんだなんて言うのですもの。この機会を逃す手はないと思ったのよ。」
「今回は国王陛下直々のご命令ですからね」
「あら、それが無かったらハルカちゃんのエスコートはしなかったというの?」
「い、いや、そういうわけでは」
「ハルカちゃん、本当にエスコート役はこの子で良いの?今ならまだ他の方を探してあげられてよ?」
「なっ・・母上!」
ルシエラとラジアスの軽快な会話が繰り広げられる。このままいったら本当に他のエスコート役を探してきそうだ。
でも私は―――
「お気遣いありがとうございます。でも私はお相手が副隊長で嬉しいです。いつも気にかけてもらっていて、こんなとこでまで面倒をかけて申し訳なくも思いますが」
いつもより少し素直になって本当の気持ちを口にしてみる。
「・・・そう?ハルカちゃんが良いならそれでいいのだけれど」
「ハルカ、いつも言うが俺は面倒などとは思っていない。夜会も楽しみにしている」
「はい。ありがとうございます、副隊長」
気を使った言葉だとしても、ラジアスの「楽しみにしている」という言葉に嬉しくなって、私は笑顔でお礼を言った。
「・・・ねえ?先ほどから気になっていたのだけれど、その“副隊長”という呼び方止めない?」
「え?」
「ここは騎士団ではないのだから役職名で呼ぶのは止めましょうよ。それにこのままいったら夜会の日までその呼び方でいそうだわ」
「ダ、ダメですか?」
「駄目ではないけれど・・・面白くないわね。ラジアス、あなた自分がエスコートする着飾ったご令嬢に副隊長なんて呼ばれて嬉しいの?」
「それはちょっと・・・味気ないですね」
「でしょう?!さすが我が息子、話が早いわね。さあさあ、ハルカちゃん。ここからは副隊長は禁止よ。名前で呼びましょうね」
「遠慮するな」
「遠慮っていうか・・・今さらじゃないですか?ずっと副隊長だったのに」
「俺は最初から名前でも良かったんだが。・・・もしかして恥ずかしいのか?」
「っ!」
私は思わず顔を背けた。図星である。きっと顔も赤くなっていることだろう。
急に下の名前で呼ぶなんて、また少し近づけた気がして嬉しいけれど、それと同じくらい恥ずかしい。セリアンやルバートは名前で呼んでいるのに可笑しな話だが。
ただ、やはり好きな人の名前を――“ラジアス”――と呼ぶのは私にとってはとても特別で大切なことなのだ。
それなのに。それなのにだ。
恐らく目の前のこの男は何もわかっちゃいない。私は一つ大きく息を吐くと意を決して言った。
「ラジアス様・・・」
「うん」
ラジアスはとても満足そうに笑った。私が好きな柔らかい笑顔で。
その名を口にしただけで私の鼓動は速くなるというのに、今その表情はずるいと思う。私のことなんか妹くらいにしか思っていないくせに。
「ラジアス様・・・なんて、まだまだ坊っちゃんで十分だと思います」
私は悔しさからそう呟いた。
いつも読んでいただきありがとうございます。
今年の風邪は本当にしつこい。
皆さまもお気をつけくださいねー。




