第1話
復帰しました!
休止中に書き溜めていた作品になります!
今日から一週間は毎日1時間ごとに投稿になりますので是非ご覧ください!
それではどうぞ!
軽トラの荷台で縄がぱたんと鳴って、俺はようやくエンジンを切った。
麓の集落から曲がりくねった山道を十五分。対向車の一台ともすれ違わないまま登りきった先に、それはあった。有り金をはたいて買った、山ひとつと、その中腹にぽつんと建つ平屋の古民家だ。
写真では「趣のある古民家」だった。実物は、正直に言えば「立派なボロ家」である。瓦は苔むし、雨戸は歪み、軒下には見事な蜘蛛の巣が銀色に光っている。三十路手前の男が貯金と退職金をほぼ全部つぎ込んだ結果がこれかと思うと、我ながら大した度胸だと思う。
それでも、俺は不思議とがっかりしなかった。車を降りて背伸びをした瞬間、肺の底まで冷たい新緑の匂いが流れ込んできて、体の芯にずっと詰まっていた重たいものが、すっと軽くなったからだ。鳥の声と、風が梢を撫でる音のほかには、何もない。着信音も、キーボードを叩く音も、終電を告げるアナウンスもない。
この「何もなさ」に、俺はたぶん、ずっと飢えていた。
誰にも急かされず、自分の手で何かを作って、うまい飯を食って眠りたかった。ただそれだけのことが、あの街ではどうしてもできなかった。前の会社を思い出しかけて、軽く頭を振る。過ぎたことだ。前を向いたほうが、たぶん飯もうまい。
……とはいえ、感傷に浸っていても腹はふくれない。
掃除もそこそこに、まずは腹ごしらえと決めた。
土間の奥の古いかまどは、煤で真っ黒だが壊れてはいない。デスクワークの弊害か痛む腰を時折叩き、薪を組み、新聞紙で火を入れる。すると、思ったよりあっさり炎が育っていった。
初めて焚くかまどなんてもっと手こずるものだと覚悟していたのに、薪の隙間を選ぶように炎が回り、火力がすっと安定する。
「へえ、かまどってのは案外優秀なんだな」
薪は勘で積んだだけで、隙間の空き方がよかったのか、この土のかまどの引きが強いのか、俺には見分けがつかない。答えが出ないまま、俺はその疑問を頭の隅に置くことにした。次に焚くときに同じようにいけば、それが答えだろう。
土鍋に米と水を張って、かまどにかける。ぱちぱちと薪が爆ぜ、ふっくらと甘い湯気が立ちのぼってきた。この匂いだけで、もう半分は勝ったようなものだ。
炊きあがった飯を、欠けた茶碗に山盛りによそう。ひと口目を頬張った瞬間、俺は箸を止めた。粒が立っていて、噛むほどに弾けるような甘みが広がる。おかずもない、ただの白飯だ。それなのに、うまい。
「……なんだこの米、うまいな」
誰もいない土間で、俺は間抜けにそう呟いていた。街のコンビニのパックご飯とは、そもそも同じ食い物だとは思えない。
腹がふくれると、頭も働きだす。日が高いうちに、と寝起きする一間だけでも人の住める状態にすることにした。埃を掃き出し、拭き、破れた障子を張り替える。全部を一度に片付けようとせず、今日はここ、明日はあそこと区切っていく。一度に抱え込まないやり方は、前の職場で痛い目を見てようやく覚えたことだった。
ひと息ついて畑の端を見ると、前の持ち主が残した大根とネギが、雑草に混じって置かれていた。腐る前に全部は食いきれないし、捨てるのも忍びない。
俺はふと思いついて、傾いた古い棚を庭の隅へ引っ張り出して、余り野菜を並べてみた。なんとなく据わりのいい、妙に落ち着く一角だった。板きれに「ご自由にどうぞ」と書いて添え、隅に、納屋で見つけた口の広い煎餅の缶を、料金箱がわりに置いておく。こんな山奥に人が通るはずもないが、気は心というやつだ。
その夜は、綿のように疲れて、日が落ちると同時に眠りに落ちた。
◇◇◇
翌朝、鳥の声で目を覚まし、顔を洗いに出た俺は、庭の隅の棚の前で足を止めた。
並べたはずの野菜が、きれいさっぱり消えている。かわりに、料金箱がわりの缶の中に、見慣れないコインが一枚、ちょこんと入っていた。
つまんで陽にかざす。ずっしりと重く、鈍い金色で、縁には見たこともない紋様が刻まれている。日本の硬貨でも、俺の知るどこの外国の金でもない。
「……奇特な人がいるもんだ」
俺は首をかしげた。こんな朝っぱらから山まで登ってきて、野菜のかわりにアンティークコインを置いていく物好き。世の中にはいろんな人がいる。
で、これ、もらっていいのか。少し迷ってから、俺は缶を元の場所へ戻した。せっかく置いてくれたんだ、記念としてありがたく頂戴しておこう。
この一枚が何なのか、これから自分の暮らしがどこへ転がっていくのか。そのときの俺は、まだ何ひとつ知らなかった。
◇◇◇
その晩。誠が泥のように眠ったあと、埃っぽい梁の上で、小さな火のかけらがゆらりと揺れた。
手のひらに乗るくらいの、赤いとかげ。火と熱の精霊、エンだ。
「なあ、見たかよ。あいつの火の熾し方、けっこう危なっかしかったよな」
得意げに言って、エンはちろりと舌を出した。薪の組み方が甘くて、本当なら煙ってばかりで火がつかないところだったのだ。だから、炎の回りをこっそり手伝ってやった。……当の本人は「かまどが優秀だ」なんて、的外れなことに感心していたけれど。
「まあ、いいや。あいつ、飯をうまそうに食うしな」
この山の古い家には、長いこと、誰も住んでいなかった。精霊たちはただ、朽ちていく柱や、冷えきったかまどを、静かに見ているしかなかった。手を貸す相手も、喜んでくれる相手も、いなかったから。
柱の陰、床下、水がめの底。家のあちこちで、名もない小さな光がそわそわと瞬いている。みんな、縁側で疲れた顔のまま眠るその男を、息をひそめてうかがっていた。
「なあ、あいつ……ここに、いてくれっかな」
エンの声は、誠には届かない。届かないけれど、その火は、ぱちりと小さく、あたたかく爆ぜた。
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あとがき
作者です。今日も読んでくださってありがとうございます。記念すべき第1話!
作者「誠くん、山に着くなりかまど飯に感動してたけど……その火、エンが手伝ってたよね?」
エン「あぶなっかしかったぜ、薪の組み方! オレが炎の回り、こっそり直してやったんだ」
作者「なのに感想が『へえ、かまどってのは案外優秀だな』」
エン「かまどォ!? オレは!?」
コロ「エン、いちにちめから むしされてるねぇ」
作者「おまけに料金箱の金貨を見て『奇特な人がいるもんだ』。異世界の通貨を、アンティーク扱いです」
モク「フン。前途多難だな」
エン「でもオレ、あいつが飯うまそうに食うの、嫌いじゃないぜ」
作者「そんな主人公が、のんびり暮らしていく話です。『こいつ大丈夫か?』と思った方は、★の評価などで見守ってやってください。エン共々、火を絶やさずお待ちしています」




