51 傲慢の果て
(・・・・・・ちっ。もう次の話題か)
舌打ちが、静かな部屋に響く。
紙面は、どれもサマセット伯爵夫人の事件を取り上げている。
誘拐、監禁、偽札作り、放火、殺人・・・。
大衆の好む言葉が、これでもかと並べ立てられている。
「くだらない」
大衆の興味はすぐ移る。
ついこの間までは、絵画を巡る連続殺人だとフィリップの絵を持て囃していたくせに。
フィリップの絵を持ち上げては、価値だの才能だのと、好き勝手に言っていたのに。
それが今では「伯爵夫人の転落劇」に夢中だ。
「自分よりいい思いをしている奴が落ちるほど、愉しいからな」
フィリップがいるときの癖で、つい話しかけるように言葉が出てくる。
「大衆の興味は、軽くて本当にわかりやすい」
だからこそ、扱いやすい。
そろそろ、手を入れるべきだろう。
明るい日差しのもとピンクのドレスを身に纏い、楽しそうに微笑むオーロラの絵に目を遣る。
髪を飾る大きなリボンが、少女らしい可憐さを引き立てている。
フィリップが最後まで手を入れ、手放さなかった一枚だ。
「俺は、言葉を操る天才だからな」
人を動かすのに、力なんていらない。
ほんの少し、背中を押してやればいい。
欲望を見つけ正当化してやり、言葉で飾ってやる。
そうすれば自分の意思で勝手に堕ちていく。
俺は自分の手を汚さず、利益だけを綺麗に掬い上げればいいのだ。
(次の標的は、悲劇のヒロインになりたがっているお嬢さんだな)
オーロラ・ポーレート。
伯爵家の一人娘で、フィリップに恋をしていた令嬢。
取材と称して、何度か会っている。
「偽の予言者」
「芸術を命と金に代えた男」
「身勝手な殺人犯」
そんな烙印を押されたフィリップを思って泣く彼女に、俺は何度も同じ言葉を落としてやった。
『もしあの絵が「本物」になれば、フィリップの名誉は回復するのに』
最初は、意味を為さない言葉に聞こえるだろう。
だが回数を重ねるごとに、彼女の中でその言葉は形を持ち始める。
絵を現実にするだけでいい。
彼女自身が自ら水に身を投げれば、美しいオーロラは「愛のために死んだ令嬢」として、悲劇の象徴になる。
そして、フィリップの予言が証明されるのだ。
大衆はまた熱狂するだろう。
あの絵は本物だったのだと、疑いは確信へと変わる。
その時が、また俺のチャンスだ。
せっかく出版されかけていた俺の本は、編集長に「倫理的に問題がある」と差し止められた。
だがオーロラが死ねば、大衆の求めに応じて出版してくれるはずだ。
倫理なんてものは、売れない時にだけ持ち出される飾りだ。
需要があれば、正義になる。
それが、この世界だ。
視線を、部屋の隅へ向ける。
イーゼルの上にあるのは、オーロラが水に沈む直前を捉えた一枚。
「これさえあれば、俺は金持ちになる」
現実が追いついた瞬間、それは奇跡の証拠となる。
見世物とし、入場料を取ればいい。
いや、娘の死を見世物にしたくないポーレート伯爵が俺のいい値で買うだろう。
本と合わせれば、相当な額になるはずだ。
(・・・さあ、そろそろ最後の一押しをするか)
軽やかな足取りで、ポーレート家へ向かう。
◇◇◇
伯爵家の門の前には、通りを気にするオーロラの姿があった。
ローズピンクのドレスに、同じ色の大きなリボンを付けている。
陽の光を浴びて、やけに華やいで見えた。
「あら、タリエシンさん、こんにちは」
「これはオーロラ様。本日、少しお話を・・・」
「ごめんなさい。今日は、音楽の先生とのお約束があるの」
話を聞こうともせず、通りを気にするばかりのオーロラに苛立ちを覚える。
だが、ここで顔に出すわけにはいかない。
「そうですか。ではフィリップのこともありますし、改めてお時間をいただけると嬉しいです」
「フィリップさん?」
この名前さえ出せばいつも飛びついてきたのに、オーロラは首を傾げる。
その興味の薄い様子に、思わず眉を顰めてしまう。
「もう彼について、お話することはないわ」
「えっ、そんな・・・」
(・・・・・・おかしい)
ついこの前まで、フィリップの無実を訴えて涙を流していた。
悲しみに沈んでいたはずなのに、頬はほんのり染まり、瞳は妙に輝いている。
「オーロラ様、そんなことをおっしゃってはフィリップが悲しみますよ。彼が描いたあなたの『絵』は・・・」
「あっ、先生!」
(・・・どういうことだ!?)
俺の言葉など、まるで聞いていない。
門の外に向かって、嬉しそうに手を振り始めた。
「オーロラ様、わざわざ出迎えてくださったのですか?」
オーロラの視線の先には、長身で長い髪を持つ男がいた。
古びたヴァイオリンケースを大事そうに抱えている。
「・・・・・・リアム」
同じロッジングハウスに住んでいたリアムだ。
いい就職先があったとかで、つい最近引っ越していった。
「ええ、待ちきれなくて」
「それは光栄ですね。・・・あれ、タルじゃないか?どうしたんだ?」
「あ、いや。取材に来たんだ」
(・・・・・・金回りがよくなったのか?)
リアムの肌艶はよく、服も新しくなっていた。
紺色の上着は流行を意識した細身の仕立てで、生地に安っぽさがない。
なにより新品らしい革靴は光り輝いており、かなりいい値段がすることだけはわかった。
「えっ、じゃあ、今日のレッスンは?」
「いいのですよ、タリエシンさんとお約束していたわけではありませんから」
「そうなのですか?」
「ええ。それに先生のレッスンは、何を差し置いても受けますわ」
「そう言ってもらえるとは、嬉しいですね」
微笑むリアムに、オーロラは見惚れていた。
完全に、恋する少女の顔だ。
「先生、中へどうぞ。私、すごく練習したんですよ」
「それは楽しみですね」
「あ、あの、それから、美味しい紅茶とクッキーもご用意してますの。先生は甘い物がお好きでしょう?」
「ありがとうございます。実は大好きなんですよ」
「うふふ。先週、美味しそうに召し上がっていましたものね」
二人はにこやかに笑いながら、どんどん屋敷へと足を進めて行く。
「あ、ちょっと・・・」
「悪いがこれからレッスンがあるんだ。じゃあな、タル」
「あ、ああ」
リアムだけは振り向いたが、オーロラは一度もこちらを見なかった。
これ以上ない笑みをリアムに向けながら、弾んだ足取りで屋敷へと消えて行く。
(・・・・・・・・・しまったな)
年頃の少女の心。
そんなもの理解していたつもりでいたが、甘かった。
(・・・フィリップに恋をしていたわけじゃないからな)
フィリップに恋をしている自分に酔っていただけだ。
もっと都合のいい対象が現れれば、簡単に乗り換える。
才能もあり、見た目もいいリアム。
しかも、すぐそばにいる。
条件は揃いすぎていた。
「・・・・・・ちっ」
もう少し早く、自殺するよう強く唆すべきだった。
自分の失態に唇を噛む。
今のオーロラを自殺させることは困難だろう。
(・・・・・・・どうすればいい?)
足を止めたまま、思考だけが回る。
フィリップの公開処刑があれば、また大衆の興味は確実に戻る。
だが、インパクトが足りない。
「あと一人ほしいよな」
(・・・けれど、自分の手は汚したくない)
俺は、安全な場所から眺める側なのだ。
そのとき、ふっと視界に影が落ちた。
顔を上げると、そこにはウィンダム家当主のルークが立っていた。
「・・・ルーク様」
軽薄に見えるが、こいつは危険だ。
この男は、早い段階で俺を疑っていた。
「お久しぶりでございます」
「ああ、そうだね。君と会うのは、フィリップを逮捕して以来かな」
「そうですね。フィリップは元気ですか?牢の中でも絵は描いているんでしょうか?」
何気ない問いかけのはずだったのに、ルークの眉がわずかに動いた。
「ずいぶん気にするんだな」
「ええ、私たちは同じ部屋で暮らしていた友人ですからね」
「ふぅん。その割には、面会も差し入れもしないようだけどね」
「・・・・・・忙しいものですから」
「ああ、そう」
興味なさそうな声。
だが、その目は俺のことを油断なく観察している。
「君は、友人の犯罪のおかげで儲けたのにね」
(・・・うっせぇよ)
儲けるつもりだったが、出版が差し止めになったおかげで当初の目論見は外れた。
根拠はないが、こいつが出版社に圧力をかけたような気がしてならない。
高値で売る予定だったフィリップの絵も、大した金額にはならなかった。
才能が無い奴は、いくらお膳立てしてやっても無駄だ。
だがフィリップが公開処刑されれば、彼自身の死を描いた絵を見たいという者が押し寄せるだろう。
「そんなことはありませんよ。友人として、彼の絵を少しでも世に広めたいと思っただけですから」
「ああ、そう」
(・・・ははっ、悔しいだろう?)
証拠がない限り俺を捕まえられないのだ。
そんな無力な自分に、臍をかめばいい。
俺の人生に関係のない人間に軽蔑されたところで、痛くも痒くもない。
「そろそろ、彼の刑の執行も近いのでしょう?」
「いや。もう済んだよ」
「・・・・・・・・・・・・は?」
(・・・どういうことだ?)
思わず声が上擦る。
そんなこと一切聞いていない。
「しょ、しょ、処刑が済んだって、どういうことですか!?」
「言葉通りの意味さ」
「だ、だ、だって・・・処刑があったなんて聞いてないですよ!」
「ここ最近は、人道的観点から司法庁は公開処刑をやめる方向に動いているんだ」
「いや、だからといって、あんな大きな事件だったのに・・・!」
「事件の大小は関係ないさ。監獄内で静かに済ませたよ」
「そ、そんな・・・・・・」
(終わった?公開もされず?誰にも見られず?)
膝から力が抜け、その場に崩れ落ちそうになる。
「・・・・・・俺の計画が」
掠れた声が知らずに漏れた。
寝る時間を削って書いた原稿。仕込んだ世論に、積み上げてきた布石。
それがすべて無駄になったのか。
「そうそう、フィリップから君に預かってきたものがある」
「・・・え?」
「受け取りなよ」
取り出されたのは、一枚の紙。
反射的に視線をおとすと、そこに描かれていたのはーー自分だった。
ぼろ布のような服。
やつれた顔。
地面に手をつき、施しを乞う姿。
「・・・・・・なんだ、これは」
「死刑判決のあと、彼は少しおかしくなってね。取り憑かれたように、ずっと絵を描いていた」
気の弱いフィリップなら、ありそうなことだ。
きっと死刑への恐怖に、精神的に耐えられなかったに違いない。
「だが執行日だけは、妙に正気だったよ。その時に、この絵を君に届けてほしいと頼まれた」
「・・・どういう意味ですか?」
「さぁ。よくわからないけど『君の未来が見えた』と言っていた」
ぞわり、と背筋が粟立つ。
ただの絵で、ただの戯言なのに気持ちが悪くて仕方がない。
「こんな気味の悪い絵なんて、いりませんよ」
「だが、君は彼の『友人』なんだろう?」
「・・・・・・・」
「最後の作品くらい、受け取ってやるべきじゃないか」
逃げ場を塞ぐ言い方。
これだから、こいつは嫌いだ。
「これは、フィリップの意思だからね」
そう言われると、手を出さざるを得ない。
震える手で、ルークから紙を受け取る。
「じゃあ、俺は役目を果たしたから」
軽く手を振るルークの後ろ姿に、挨拶をする力はなかった。
絵の中の俺は、どこまでも惨めで醜くかったのに、目を逸らせなかった。
吸い寄せられるように、見てしまう。
(・・・あいつは、本当に未来が見えていたのか?)
ガレットとスカーレットを殺したのは、フィリップだ。
でも、モーティマー子爵には手を下していない。
それなのに、服装、死に方、構図と、まるで絵をなぞったように同じ死に方をした。
「・・・偶然か?」
グリムショー子爵は、先日破産を苦に自殺した。
確か毒を呷って死んだと新聞には書いてあった。
フィリップが描いた子爵の死も、毒を呷っていた。
先ほどの光景が、脳裏に甦る。
あいつが描いていた、日差しの中で微笑むオーロラ。
ローズピンクのドレスに、結ばれた髪には同じ色の大きなリボン。
その隣にいたのは、長髪の男ではなかったか。
さっき見た門の前で笑い合っていた二人は、まさしく絵と同じだった。
(・・・・・・まさか)
心臓が嫌な音を立てる。
この絵。
これが「俺の未来」だとしたら・・・。
(・・・・・・・・・いや、くだらない)
ただのこじつけだ。
ただの偶然だ。
ただのーー
「・・・・・・・っ」
だが、頭から離れない。
一致しすぎている。
足が勝手に一歩下がる。
「ふざけるな・・・。俺は、操る側だぞ」
運命に振り回される側ではない。
絵を破り捨てようと手をかけた瞬間、絵の中の「自分」と目が合った気がした。
「う、うわぁぁぁぁぁぁぁ」
思わず、叫び声を上げた。
お読みいただきありがとうございます。
レオナルド・ダ・ヴィンチは「モナリザ」「聖母子と聖アンナ」「洗礼者聖ヨハネ」などを生涯手元に置き、最後まで手放さなかったと言われています。
思い入れのある作品ほど、なかなか手放せなくなるのかもしれませんね。
最終話まで、いよいよ残り数話となりました。
最後までお付き合いいただけたら嬉しいです。
次回はルーク視点のお話です。




