飢える
時は少し遡る。
数分前、街の地下で怪物が目覚め、停止していた鼓動を再び動かし始めた。
「これは、私でも手に余りそうだ」
怪物に耳は無く、上空から見下ろす蛇の女性の声は聞こえない。
ただ、飢餓状態のやせ細った体は、その巨大な生命力を見逃さなかった。
「アァーアーーーー!!!!」
理性は無く、知性も無い、ただ空腹ゆえの咆哮。
「やかましいな、ケダモノの分際で」
神に似た気配を持つ者の殺気にも動じず、怪物はただ食欲に身を任せて上へと這い上がる。
愚直な動きに敵が何か技を仕掛けようとしても、目の前に置かれた餌としか認識出来ないためただ真っ直ぐ上へと突き進む。
そして、その無防備な頭部へと致命傷が与えられる――――筈だった。
目覚める前、最後に食べた贄が簡単に溶けて消えていたのなら。
「(……ああ、もっと……もっと!)」
叫ぶのは、はたしてどちらの声か。
食欲と娯楽、根本は異なりながらも同じ貪欲を在り方に持つ二体は、互いに「より、もっと」を求めて前へと踏み出す。
その一歩が、格上である獲物への勝機を生み出した。
「――――これは」
驚く蛇の女性の背後を取ったのは、壁の中を伝った怪物の腕の一部。
それは、怪物の核となった妖怪の能力。
体の一部を変質させ、敵の意表を突くというもの。
「――――」
本来なら、既に見せている蛇の女性に効く筈がない。
生贄の意思が、怪物にひどく単純とはいえ、思考というものを与えたとさえ気付ければ。
結果として、怪物は蛇の女性を食らうことに成功した。
「――——あ、あアああっ!!」
だが、その代償はあまりにも大きい。
ただでさえ気迫だった贄の妖の意識が、消化しきれないものを取り込んだことでさらに薄まることとなる。
そうして地上へと飛び出した怪物は、食欲のままに街へ約差異を振りまいた。
すべては、満ちることのない飢えを満たすために。
予感があったわけじゃない。
襲い掛かって来る西の住民を動けなくさせ、安全な場所へと逃げようとしていただけだ。
その最中に再び揺れた地面と、そらに轟いた衝撃に、ふと後ろを振り返っただけ。
そこにあったのは、視界を埋め尽くすほど大きく、近くへと迫った怪物のような口。
開かれ見えた口内に、私の思考は止まった。
だけど、体は。
体だけは守るべきものを守るために動いた。
繋いでいた小さな手を引き寄せ、私の後ろへと投げ飛ばす。
その子にまで口が届かないよう、私の腕は刀を前へと突き出した。
瞬き一つの時間も耐えられず、構えた刀も折れてしまったけれど。
「(……ああ、良かった)」
赤く染まる体を見ながら、私の口から安堵の息が漏れる。
「(ちゃんと……守れた……)」
手足の感覚は無くなって、もう首すら動かせないけど、あの子の息は聞こえた。
居る筈のない人間なんかをかくまって、私に居場所をくれた。
泣いて、絶望してばかりの私に笑顔を思い出されてくれた。
そんな返しきれないほど大きな恩を、この形でしか返せないのは申し訳ないけれど。
「結衣……元気でね……」
掠れた声。
ちゃんとあの子に聞こえたかな。
……ああ、でも……本当に良かった。
こんな怪物なんかに、あの子を奪われなくて……。
私一人で済んで……本当に…………良かった……………………。