雪解け/捕食
「結衣~。プレゼント持って来たよー!」
そんな言葉を吐いて私の部屋のふすまを開けた育ての親の後ろに、君は居た。
薄汚れた髪。ぼろぼろの服。泣き疲れた顔。
まるで溝からすくい出された人形のような君は、とても−−−−
「ははっ、逃げるばかりか!? ラマ!!」
「やかましいなぁ、もうっ!」
鷲の妖は縦横無尽に空を飛び、ラマの死角から攻撃を狙う。
機動力だけでなく反射速度も優れているため、背中から来ると分かっていても反撃が当たらない。
建物すら貫通してくるその突進に、ラマは移動しながら対策を考えることを強要された。
「アア−−−−ああ! 実に気分が良い! 何百年ぶりだ!? この高揚は!」
建物への突進も、ラマの反撃の炎も、決して無傷で住んでいるわけではない。
多少なりとも傷はでき、食らった瞬間は速度も落ちる。
だが、異様なほどにハイになった鷲の妖は、それらの影響を一切気にせず絶え間ない攻撃を続けた。
迷いも、ためらいもない捨て身の攻め。
その一つが、ラマの胴へ巨大な翼をのめりこませた。
「がッ!」
防御しそこねたラマは飛行の速度を借り受け、高速の球となって建物へと突っ込む。
「……終わりか。寂しいのう」
動かなくなったラマを視認した鷲の妖は、地面へと降り立つと悲し気な表情を見せる。
そして、倒れたラマのところまで歩き寄ると、顔を覗き込むように身を屈めた。
「冥途の土産に教えてやろうか。何百年も昔の話……我らが退屈の中へと追いやられた日のことを」
「オレらがまだ生まれたばかり……お前ら人間で言うところの幼少期。妖の中である決まりが生まれた」
凍えるほどの冷気の中、ノアの耳へ冬の妖の声が届く。
「妖怪の、人の世との完全別離だ。元からあった妖怪の世界が、全ての妖を住まわせることが可能となったから来い、と。ふざけた話だ」
語りながらも攻撃の手は止まらず、白い手先から生み出された空を泳ぐ奇怪な生き物がノアへと襲い掛かる。
奇怪な生き物は雪と氷で出来ており、通り道と着弾点へ冷却した空気を置き、少しずつ動きの精細さを奪っていく。
「(まいったな、時間が経つほど不利になってく。いやらしい戦い方だ……)」
ノアには弓による遠距離攻撃があるため冷気の外から攻撃が可能だが、遠くからでは分厚い氷による防御が間に合ってしまう。
何より最初に生み出された奇怪な生き物たちが襲い掛からず周囲を飛び回っているため、敵の視界から逃れるための道が塞がれてしまっている。
敵の得意な中距離での戦いを強制させられる戦術に、ノアは心の中で敵の性格の悪さに舌打ちを打つ。
「人の世に隠れ住んでいた妖怪は力ずくでこの世界へと連れて来られ、二度と故郷に戻ることは許されない。反抗した奴も大人は殺し、子供は生かした。虐殺の汚名を嫌ったのか、聖子の二文字を欲したのか。初めてだったよ、見たこともない誰かに不快感を抱いたのは」
その時の感情を思い出したのか、生み出される生物の数が増え、吹雪のように冷気が渦巻いていく。
吞まれれば二度と生きて地面には立てない極寒の災害。
身を守るためノアは巨大な盾を三方の地面へ突き立てるが、それによって完全に動きを封じられてしまった。
「子供心に理解したよ。不快極まるソイツを殺すには、今は力を磨く他ないって」
身動きの取れなくなった的へ、氷と雪の砲弾が降り注ぐ。
攻撃が届く度に盾は凍り付き、徐々に内側へと倒れ込む。
そのまま耐え続ければ、いずれ圧死するのは明確だ。
「……まぁ、こんな怒りを抱いてるのはオレのような変わり者だけだ。鷲のヤツみたいなのは、純粋に奪われた闘争を楽しんでる。復習心も屈辱も、オレだけが感じているからこそ目的が違う」
攻撃の手は止めないまま、冬の妖は視線を遠保に出現した怪物へと移す。
「アレが門を破り、この世界の本丸までの道を開く。あいつらは途中で死んでも良いって言ってたが、オレだけが行きたがり、目的を果たしたがってるんだ」
語り終えたところで、冬の妖は盾がとっくに地面へと倒れていることに気付く。
その光景に目を僅かに伏せると、腰にかけていた酒入りのヒョウタンへと口を付けた。
「……はぁ。やっぱり、飲んでもだめか。なんでこんな、人間みたいな感受性で生まれて来たんだろうな……」
ヒョウタンを腰へと戻すと、周囲の空を飛んでいた奇怪な生物も姿を消す。
妖が降り立った地面に張った薄氷が、ピシリと音をたてて割れた。
「…………ごめんな、人間」
吐いた息が、白く濁る。
謝罪の言葉は、真っ赤な短剣で応え返した。
「−−−−あ?」
赤く染まった自らの胸に驚く妖へ、その背後に立つノアは冷えた口を開く。
「心から同意するよ。マトモな心が少しも無ければ、最悪の気分なんか感じずに済んだのに」
「……なん……で……」
血色の悪くなっていく顔で、冬の妖は喉の奥から言葉をひねり出す。
「なんで……なんで生きてたかなら、魔術で場所を入れ替わっただけだよ。似たような戦い方を、ずいぶん前に見たからね」
だんだんと商店を失っていく瞳に、ノアは言葉を選んで吐き出す。
せめて、死ぬ前に伝えられるようにと。
「在庫が少ないから使いたくなんだけど、僕の道具にはなっこか使い捨ての入れ替え術式が彫られてる。今回はナイフ。気付いてた? 逃げてる最中、飛び回ってる変な生き物の一匹に刺してたの」
倒れ伏す妖が最後に見せた表情は、泣きそうな、悔しそうな顔。
恨みの籠った苦し気な瞳に、ノアは冷えた手で瞼を下ろす。
「君が殺しをためらわなければ、吹雪の規模はもっと大きくなって、私の入れ替わりも意味が無くなってた。……いや、心は殺したくても、体がブレーキをかけたのかな。あの二人への攻撃を、僕たちが止められる速度で放ったみたいに」
冷え切った死体は、何も返さない。
自身がどんな顔をしてるのか分からないまま、ノアは薄氷を踏みしめその場を立ち去る。
「…………ごめんね」
「……さて、じゃあ語ったことだし、殺そうか」
鷲の妖は満足そうな顔で立ち上がると、動かないラマの両腕を掴む。
「宣言どおり、五体を引き抜いて……」
腕に力を込め、一気に引き抜こうとしたその瞬間。
少し離れた後方に、大きな衝撃が響いた。
「……おお。話に聞いていたよりも食欲旺盛だな。あんなに首を伸ばして−−−−」
振り返った先に見えた光景を楽しそうに眺めていた鷲の妖の口が、開いたままで硬直する。
言葉は止まり、瞳は一点を見つめたまま動かない。
「なんだ? 何が起きている!?」
突然出現した巨大な気配。
まるで隕石が眼前へと迫ったかのような圧に、鷲の妖は震える声で叫んだ。
「いいの? 私をほったらかして」
そんな怯える耳に届く、優しく語り掛ける声。
その笑いの混じった声が、自身が今両腕を掴んでいる人間のものであると気付き、鷲の妖は反射で腕に全霊の力を込めた。
恐怖で敏感になった生存本能か、あるいは戦いで培った経験から来る直観か。
どちらにしろ、妖の怪力によって、ラマの両腕は肩から引きちぎられた。
「……はっ、この状況で煽るとは死に急ぎか? すまんの、つい乱暴にいってしまった」
「別にいいよ」
「!?」
痛みから叫ぶこともなく平常と変わらに言葉を吐かれ、鷲の妖は驚きに後ずさる。
「あれ? もしかして……ビビっちゃってる?」
その困惑隠せない顔を、ラマは嘲るように笑った。
「−−−−!」
怒り、何かを叫ぼうと開かれる妖の口。
だが、その口から声が漏れることはなかった。
鷹の妖が掴んでいた引きちぎられたラマの腕から突然電流が走り、あらゆる動きを否定したからだ。
そして、隙だらけの獲物を、捕食者が見逃すことはない。
「~ッ!!」
防御の無い喉へ、鋭く尖った牙が深く突き刺さる。
妖も必死に体をもだえさせて抵抗するが、再生したラマの両腕がその体を押さえつけ、逃すことなく喉の肉を食いちぎった。
「……ふぅ。私の腕は魔力で形作ったニセモノだよ。ちぎられたって、何度だって治るさ」
真っ赤になった口を拭いながら、ラマは動かなくなった妖を獣の目で見下ろす。
「良かった、急所は同じで」
「返して。私の、大事なお星さま」
月が輝く夜の帳の下で、星の卵の殻が砕けた。




